そして、今回スタートから1200m地点で丘の麓のこのT字路に行き当たる。
見慣れた青看も案内標識もないが、真っ正面の垣根の袂にポツンと彼女は待っていた。
はっきりと右向きの赤い矢印が掲げられている。
右折する。
引き続き2車線の道を300m走ると、またも彼女が現れて左折のガイドをする。
ここで突き当たる同じ幅の通りは県道255号「幾世橋小高線」で、我らが県道391号が初めて出会う、身分の同じ他人である。(もっとも、私が出発した終点も県道260号上にあったので、それを含めるならば二人目となるか)
しかも、この彼(彼女?)とは気が合うらしく、これから道連れとなる。
まさに文字通りの意味で、同道するわけだ。
T字路から一旦は県道255号と重複して南下する。
途中にも小さな交差点があるが、そこにはちゃんとした青看が設置されていて、道を誤る心配はない。
”本職”が現れたことで、わきまえをよく心得た“彼女”はここで身を退いた。
青看の行き先としては燐町である「浪江」が示されている。県道391号も浪江は通って広野を目指す。
そして650m進むと道は二手に分かれることになる。
左に向かうのが県道255号で、真っ直ぐが我らが県道391。
辺りに人家もない寂しい交差点だが、青看がだいぶ手前に設置されている。
だが、それを見て私は少なからずショックを受けてしまった。
この青看の奴はどうやら県道255号の眷族だったらしい。彼の連れ子の言っても良いだろうか。
こやつ、県道391などは歯牙にもかけぬと言わんばかりに、行き先を書かないという暴挙に出やがった。
「せっかく気があったと思ったのに…。駄目だ255とはもう一緒にやっていけないや。」
傷心(というか本心では楽しんでいたが)の私を慰めるためか、傍らには小さな石の道標が二つも現れた。
しかし、どちらも文字がかすれ気味で、上手く読めなかった。
右の大きめの方は道路元標みたいな形だが、それよりは一回り以上小さく、表面の文字も「相馬○道」という四字だけであった。
「相馬街道」ではないようだったが、気になる。
小さい方も、ほんと高さなんて30cmくらいしかないのに、細かな文字で「左○○」のようなことが刻まれていた。
読めないというのが悲しくて、まだ私の心は癒されきれない。
あー。
問題の三叉路の直前になって、彼女がひっそりと帰ってきてくれた!
これを書きながらイヤホンで少し悲しい音楽を聴いていたせいか、本当に感動してしまった。
…いや、探索中も感動したぞ。 少しだけど。
「やっぱり私がいないと、ダメみたいだから…。」
「うん、ありがとう。 また一緒に頑張ろう。」
8:38 《現在地》
まるで絵に描いたような三叉路である。
2本の道が、約30°の角度を開けて2方向に分かれている。
しかも、ここにも小さな石の道標が残っていた。
平べったい自然石の表面に双方の行き先を刻んだ、高さ30cmに満たない小さなものだが、本来あるべき場所に残されているのが特に嬉しい。(先ほどの二つもここから移設されたものだと思う)
少しでも夏草が育てば隠されてしまうだろうし、近づいて身を屈めなければその表面の文字を読むことは出来ない。
道行くものたちが、今よりもずっと地面に近かった。
そんな時代を感じさせる、可愛らしい道標石である。
右 | 本村小学校 ヲ経テ |
耳谷 下浦 浪江 方面
|
|
左 | 蛯沢 稲○○ ヲ経テ |
浦尻 請戸 ニ至ル
|
一部読めない上に、誤りもあるかも知れないが、目を引くのは「小学校」という言葉が行き先の中に刻まれていることだ。
この言葉は明治5年以降「尋常小学校」の略として使われ始めたので、道標はそれ以降に作られたと言うことになる。
それ自体はべつに意外ではないが、道標石と小学校という言葉の響きは何となく不似合いだ。
三叉路を直進すると、左手に灌漑用の小さなダムを見つつひとしきり登って低い峠にたつ。
そのまま峠を越えると、やがて右手の一段高いところに福浦小学校が見えてくるが、昔は本村小学校だったのだろうか。
小学校の敷地の先で、大字が女場から蛯沢に変わる。
この途中の道で、変わった看板を目撃した。
“ストップノーカーゾーン”
そのまま考えると、この先は車は入るなと言うことのようだが、実際にそんな様子はないし。
三叉路から1100m地点にて、我らが広野小高線は十字路を左折する。
郵便局のある角だ。
彼女の他に案内はなく、道は直進が広く、曲がる先は狭いので分かりづらい。
左折するとすぐに緩い上りとなって、また小さな峠を越える。
峠という言葉を使うには大袈裟すぎるような、そうだな…“越戸”とかって呼ぶのがしっくり来るような、集落端の小さな山越えである。
もっとも、切り通しの深さを見ると、かつてはそれなりに存在感があったかもしれない。
十字路から800mほどで、まただだっ広い田圃の端に出てくる。
ここにも分かれ道があって彼女のナビも付いているが、道なりで問題はない。(つまり右手の道が正解)
なお、ここから先は大字井田川となる。
大字の範囲が分かる大縮尺の地図で見てみると、蛯沢が山林ばかりを選んだような帯形をしているのに対し、井田川は正反対で平坦な田圃だけを選んだような饅頭形をしている。
大字の起源は多くは、明治22年の市町村制公布時に生まれた初代の村々である。
山ばかりの村と田ばかりの村、どんな力関係でそうなったのか、想像すると面白い。
一車線の道を500mほど進むと、前方に小高い堤防と橋が近づいてくる。
その袂には集落というほど人家も集まっていないのだが、元商店だったような雰囲気の家がポツンとあった。
そして、今は誰が座るのだろう。懐かしい「森永ホモ牛乳」のベンチが置かれていた。
ホモ(ゲイ)のことを初めて知った中坊の頃、友人と街角で見付けては意味もなく笑っていた思い出のベンチ… 久々の再会である。
宮田川を渡るみさき橋である。
なぜか平仮名で「みさき」。
だだっ広い田圃の中をただ真っ直ぐ流れる小さな川の何の変哲もない橋に、オンリーワンの相応しい橋の名を見付けるのは大変そうだ。
みさき橋を渡ると、そこから約1000mにわたって、田圃の中の直線路が続く。
写真はその直線のほぼ中程にある、無名の水路橋。
ちょうどその袂が十字路にもなっていて、同じくらいの幅の道がクロスしている。
正解は何も考えず真っ直ぐなんだけど、彼女はここにもナビをしてくれた。
いままで、こんな交差点があれば曲がらなかったことの方が稀。
だから、ここにナビがあるのは素直に嬉しい。親切だよ。本当に…。
あのー。
ほんとあんまり優しいもんだから、私はついこの標識を擬人化(彼女)してしまったし、探索中にもそんなことは考えていたんだけど(危い!)、それに今は、誰かが“2ちゃん”とかで流行り?の「擬人化」イラスト(名前は「広のおだ子」とかね)なんか書いてくれたら面白いな〜…なんて妄想までしちゃってるんだけど(キモイ!)、ともかくこの優しさはいったい何だろうかと考えてみる。
なぜ、このどうでもよさげな県道を丁寧に忠実に辿らせようとする標識が、わざわざ設置されているのだろう。
まさか、我々道路好きのためのサービスか?
な、馬鹿な。
この標識だって他の道で見たこと無いぞ。 特注なんだろう。きっと…。
何かちゃんとした理由があるはずだ。 行政だろ。
いったい何があったんだ!
相双建設事務所さんよ!
…ありがとうな。
水路橋も渡って尚も直線を進んでいくと、なぜか一本のデリニエータ。
なぜ一本だけ…。敢えてここに一本だけ立っている意味が全然分からない。
デリニエータ自体が、直線に一本立っていても意味がない筈だが(ドライバーの視界を誘導するものなので)…。
しかも、原理は明白とはいえ、とんだエラーに(笑)。
福島町って…。
そしてようやく突き当たり。
この交差点の直前、ちょうど“彼女”の辺りが大字の境界線になっていて、奥の道や山林は大字浦尻である。
人影のない交差点を、左折する。
上の写真にも写っているが、この交差点の一番目立つところ、“特等席”は、彼女の場所ではなかった。
そこにいたのは、彼女ではなく……
へんなおじさん!
おいおい。
この道はいつから「変なもの発見」ロードになったんだ。
さっきから、何か様子がおかしいぞ・・・。
あれ?
なんだか、彼女との距離が少し遠くなってきたような…。
道ばたの植え込みに身体半分潜らせて右矢印のナビがあるが、肝心の交差点はもう50mも先の、写真に小さく写っているあたりだ。
8:57
さっきの「へんなおじさんT字路」から450mほどでこのT字路。
立派な2車線路は真っ直ぐ続くけれど、なんの脈絡もなく、我らが県道は1車線の脇道に右折する。
もう慣れっこさ。
慣れっこだけど、それにしても数が多くね?
さて、今回のおさらいです。
へ? えらくなんでもない場所で終わるなって?
そうです。これがヘンな道です。
煽りで終わるような盛り上げの場面がないので、ここいらで勘弁してください。(笑)
ということで、今回辿れた距離は約5800m、前回と合わせてほぼ10kmとなった。
なのに、起点からここまで5km強しか南下はしていない。
お前はふらふらしすぎだろ!
今回辿った区間の軌跡を見ても、そのふらふらぶりは一目瞭然である。
しかも次回は早々に、前に別れた“あの彼”と再開の予感。
いったいそこには、どんな出会いが待っているのか?!