この一風変わった廃橋が有るのは、埼玉県秩父市大滝の中津川上流、広河原沢に沿って走る上野大滝林道である。
旧大滝村辺りの深い山と谷を“奥秩父”と呼ぶが、その中でもここは特にふか〜い場所である。
距離でいえば、国道140号から中津川、神流川、そして広河原沢という風に、親・子・孫まで川を遡ること約14kmの地点である。
広河原沢出合いにある林道の入口からだと、現地まで約3km。
かなり荒れたダートである。
現地手前には、素堀に毛が生えた程度の小さな隧道が、全部で3本もある。
そして林道は、中津川から数えて曾孫支流の山吹沢を渡る。
前後の道より心持ち幅の広い、しかし至って代わり映えのない長さ20mほどの橋である。
銘板さえ無い。
目指す廃橋は、この橋の旧橋である。
橋の手前と奥に山吹沢上流方向へ入る道跡があるので、ここからアクセスできる。
下流側のアクセスは藪が殆ど無いので容易い。
上流側は灌木が生え始めていて、多少骨がある。
しかし、どちらにしても特筆すべきものではない。
距離もほんの30mほどだ。
あっという間に橋が見えてきた。
これが、目指す旧橋である。
この橋を使って山吹沢を“コ”の字に跨ぎ、元来た方向へ戻る線形になっている。(地図)
それゆえ、短い橋ながら曲線橋になっている。
本橋がわざわざ紹介されるに値する理由は、比較的例の少ない曲線橋であるためだ。
曲線橋とは、いうまでもなく曲がった橋のことである。
ただし、真っ直ぐな桁をスパンごとに角度をつけて全体で曲げたような橋は、ここでは除外する。
あくまでも、桁自体の平面形がカーブしている曲線橋だ。
もっとも、珍しいと言ったところで、日本中に幾つといったレベルではない。
直線の橋に対して圧倒的に少ないという程度のことである。
現橋と違い、こちらには銘板も存在する。
「山吹橋」と刻まれた、御影石の小さな銘板が親柱にはめ込まれていた。
なお、他の親柱を見ても、なぜか竣工年を示したものが見あたらなかった。
目測で全長8mほどの曲線橋。
たしかに、橋の上は緩やかにカーブしている。
コンクリート製の欄干も曲がっているし、この橋が間違いなく曲線橋だということは分かる。
…しかし、
如何せん規模が小さいのと、橋の上まで両岸や谷底から藪が押し寄せているために、見栄えがしない。
「曲線橋の廃橋」というものはかなり珍しいと思うのだが、頭で理解するタイプのネタである。
いくら大袈裟な私でも、この橋の様子を見て…
「おー! 曲がっているぅううう!」などと大きなフォントで叫ぶことは、ちょっと出来ない。
「まあ、 こんなものか…」
そうは思ったのだが、ちゃんと曲線橋になっていることを実感すべく、もう一がんばりすることにした。
わざわざ、橋の下へ潜って、裏側を確かめることにしたのだ。
そこには、きっとこぢんまりとした「曲線桁」が有るはずだ。
それを見てから帰ろう。
なんと、意外な場所に竣工年と施工者を刻んだ銘板があるのを見つけた。
こんな場所、いったい誰がチェックするというのか。
カーブ内側に建つ下流側親柱の、その裏面に、御影石の銘板が取り付けられていた。
この橋で5枚目の銘板と言うことになる。
いわゆる、隠しキャラだ。
その内容を見ると、意外にもこの橋は古かった。
昭和37年10月竣工だという。施工業者は「太洋建設株式会社」だ。
“意外にも古い”というか、実はこれって歴代最初期の曲線PC橋なのか?
道路用の曲線PC橋の歴史は意外にも新しく、知られている限り日本最初の採用例は、
昭和35年に神奈川県の国道135号に架けられた「米神橋」ということになっている(らしい)。
こんな山奥にひっそりと、本邦最初期の貴重な曲線PC橋が眠っていたのか…。
そんな奇麗なオチが付くのかと思いきや…
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なんじゃこりゃ?
これって……
曲線桁って言うのか?!
確かに上路面は曲がっているけど…、でも力学的な“芯”である主桁は直線。
力学的には直線桁なんじゃないの?
おもわず呆気にとられてしまった。
なんだか、妙に脱力系の橋である。
拍子抜けとはこのことだ。
今まで見てきた橋の裏側を逐一調べてきた訳じゃないので何とも言えないが、実はこんなダミーな曲線桁もあるのだな。
ぜったい特注品だろうな。
わざわざこの林道のためだけに、よく作ったものだ。
それなのに、せいぜい10〜20年くらいしか使われなかったみたいだ。
…もしかしたら、力学的にまずいことが判明したりしたのだろうか
(笑)