国道121号の五十里(いかり)湖付近は、旧道・廃道の宝庫である。
ここには鬼怒川から男鹿川に繋がる長大な縦谷が奥羽山脈と帝釈山地に挟まれる形で走り、古くから会津地方と関東を結ぶ重要な交通路となってきた。
五十里の名前も江戸日本橋から数えて50里(おおよそ200km)の位置にあったことにちなむものである。
しかしもとより深く険しい谷筋に沿う道であったから、洪水や山崩れによってたびたび道は付け替えを余儀なくされてきたし、その都度生き残る道は一本だけだった。
しかし、この谷筋から人の往来が途絶えることは一度としてなかった。
近年においても、この界隈の道の付け替えは盛んに行われている。
例えば、昭和31年に利根川水系で最初の多目的ダムとして完成した五十里ダムは、歴史ある旧道を大量に湖底へ持ち去った。
この時に谷底から山裾へと移された道は国道121号となり、その後も改良が繰り返された結果、昼夜問わず大型車の絶えない物流の要路として現代に復活した。
右図は、五十里湖畔にある国道121号の旧道のうち代表的な部分を赤で図示している。
ダム工事以前の道は既に湖底に消えているが、黒い線で示した。
古い時期にダムが出来たため、ダムの付け替え車道にも多くの旧道が存在することに注目である。
これらの旧道は昭和20年代後半に建設され、随時新道に役目を譲ってきたリリーフの道たちである。
延長300m以上ある旧道区間は湖畔に三箇所あり、このうち最長は平成16年に「五十里バイパス」の開通によって旧道化したばかりの部分で、平成20年5月時点で国道指定のままとなっている。
路幅はあまり広くないが、問題なく自動車も通行できる好ドライブコースとなっている。
今回紹介するのはより古い時期に旧道となり廃道ともなっている、「五十里トンネル」に対応する区間(約800m)である。
南側からご覧頂こう。
行く手に見えるのは五十里トンネル。
全長は483mあるが、竣工年度に関する情報が手元にない。
この比較的長いトンネルの外を迂回する山腹に、約800mの旧道があった。
しかしこの探索は、最近の私にとっては珍しい「ゆきずり」の探索であった。
別の探索のためにチャリでここを通りかかった際、たまたま見つけて、たまらず入り込むことになった。
このトンネルに旧道があることを知らなかったし、またありそうだとも思っていなかった。
このさほど新しくも見えない五十里トンネルは、ダムの完成と同時に作られたものだと勘違いしていたのだ。ダムによる付け替え道に旧道は無いだろうという、そんな先入観もあった。
無論、最近の地図(地形図も)にない旧道である。
だが、ここまでの湖畔の国道121号にも、その随所に小さな旧道が見て取れた。
例えば、この五十里トンネルの南に接する橋にも、山腹に沿ってほとんど埋もれかけた旧道が見て取れた。
さすがに現道から全容が見えてしまう旧道にまで足を踏み入れる酔狂ではないが、その流れのまま、旧道はトンネルの真ん前を横切って、そのまま右に続いているのであった。
旧道は見るからに廃道であったが、トンネルに対する地図にない廃道となれば行かずにはいられない。
むしろ、望むところだった。
思わず顔がほころんだ。
それはもう… ゆるーく、いいかんじなのである。
路幅の広さは国道らしさを残しているが、その路面に舗装がないというミスマッチ。
その上、時期に恵まれ視界は良好。
私が最も好む廃道風景がそこにはあった。
これはたのしめそうだ!
にゅーー!
などという発言を、私は人に聞かれることのない廃道でよくしている。
熊避けなどといえばそれっぽいかも知れないが、単に気持ちが良くて思わず出ちゃう。
いったいいつから廃道なのか。
入口から見た雰囲気よりも、100mほど進んだ辺りは大分荒れ果てていた。
軽トラほどの巨石がごんろごんろと広い道幅を占拠している。
私も負けじと乗り越える。
大岩の上からは、エメラルドグリーンの湖面が見晴された。
観光客で賑わうダムサイトの上のあたりに、何百匹もの鯉が登っている。
五十里ダムは幹線道路沿いにあるせいか、山奥の割に開放的な雰囲気の湖だと思う。
だからこそ、旧道の存在感がより愛おしい。
見捨てられたような廃道を行くとき、私はいつも道を独り占めしている。
かつてどんなに重要な道だったとしても、こうなってしまえば私のもの。少なくともこの時だけは。
本来は湖畔に望む景色の良い道であったろうが、以後は道の内外別なく雑木が茂り、湖面はチラ見に留まった。
探索中、道の素性を推測しながら歩いていた。
これがまた“ゆきずり”の楽しさなのだが、道路構造物と呼べるものが出てこないとなかなか難しい。
期待に添って出て来てくれました、ガードケーブルの支柱。
大岩の直撃を食らってケーブルを失っているが、まだわずかに白い塗装を残している。
ガードケーブルは昭和32年に比叡山スカイラインに使われたのが最初であるから、この道の由緒も昭和32年以降と絞られたぞ。(ちなみに五十里ダムは昭和31年完成)
さらに進むと、路肩に新たな登場人物が。
…でも、君はだーれだい?
いかにも規格品じゃ無さそうな、コンクリートの柱に金属のネットを組み合わせた…
言うなれば「ガードネット?」。
おそらく支柱には鉄筋が入っているだろうけれど、ネットの部分はいかにも弱そうで、駄目っぽい。
今日の道路にはほとんどカードレールとガードケーブルしか見ないけれど、それはこの二つが機能的でコストパフォーマンスに優れているからに違いない。
こんな変な“ガードなんとか”は、駆逐されてしまったのだ。
こんなものを見つけるのも、廃道歩きの楽しみだよね。
うはーー。 きもちんよかー。
疎林の森の、枯葉の広場。
道路は上手に廃れると、こんなに奇麗になれるという見本のような景色。
ほんと、これは思いのほか味わいの深い廃道。
人が出入りしている気配も見られない。(ゴミや刈り払いの跡がない)
やはり、峠や廃隧道を含む旧道と違って、トンネル一つ分の地味なそれには関心を持つ人も少ないのだろう。
確かに地味だけど、いや、むしろこれは「滋味(うまみ)」というべきもの。
ゼッケンナンバー3番。
駒止(こまどめ)。
馬がぶつかっても大丈夫なくらい強いから駒止なのか、単に馬がそこで歩みを止めるから駒止なのか。
とにかくこの「駒止」というのは、ガードレールやガードロープが主流になる以前は防護柵のメーンストリームだったみたい。
廃道で最も広く見られる防護柵である。
そんな重そうな駒止さえ、グラリと揺らがす木のパゥワー!
駒止の下に潜り込んだどんぐりも凄いが、そこから芽を出してここまで育った根性は見習いたい。
駒止も転がりたくは無さそうだし… 仲良くするんだぞ、お前たち。
未だカーブの折り返しまでは来ていない模様。
だが、左手の法面はいよいよ高くなってきた。それだけ崎に近づいている証拠だと思う。
そして、前触れ無く路面が深い笹の海にチェンジ。
時と場合によっちゃ辟易する景色だが、どうせ終わりの見えたミニ旧道だ。
むしろコロコロと変わって私を楽しませる道が愛おしいのだ。
藪に突入する直前と入ってからと二度
ワーーーーー!
と叫んでみる。 今度は真面目な熊除けだ。
出ました道路防護柵の王者。
泣く子も黙る(私もガキの頃何度もぶつかって鼻血を出しています)、ガードレール。
コイツはUSAで1932年(昭和7年)に発明されたそうな。
日本上陸は昭和31年で、最初に使われたのは箱根の国道138号らしいぞ。
つまり、この道は昭和31年以降に作られたんだ!
ちなみに、支柱が四角いのは古いタイプ。今は丸いからねー。
それにしても、いろんな防護柵がとっかえひっかえ現れますなー。
こういう“継ぎ接ぎ感”も古い道の面白さだよね。
こ、コイツは何もんだ!!
デカイ。 太い。 3本でおわり。
そして、またもネット。
なんか笑える。
(こんな事に笑ってる自分にも笑える。)
さっき見た“ガードネット”の巨大化版である。
こんなの見たこと無いぞ。
支柱なんか、モロ電柱だし。
おおお。
隧道までとはいかないまでも、廃道にあって思わず歓声をあげてしまう構造物の一つ。
切り通し。
しかも、こいつはかなりでかいぞ!
未舗装ながら、路幅は2車線分あったことをはっきりと示している。
“こういう雰囲気の道”で、こんなに路幅のあるのは珍しい。
嬉しい誤算。
半分くらい落ち葉に埋もれた道路標識まで発見した!
発掘発掘!
標識の種類自体は最もありふれた…右カーブ…だったけれど、
廃道での道路標識はそれだけでも貴重品だ!
起こしてあげようかとも一瞬思ったけど、何となく、現状維持とした。
振り返って、思わず「みしま!」
…とは無関係。
でも、山形・福島・栃木の三県で美しい(あるいはダイナミックな)廃道を目にすると、私は条件反射的に奴を思い出す。
みーしまー!! (※三島とは何か?)
駒止で守られた(実際には低すぎてあまり守られていないが)路肩の外に、これまた珍しい工法。
まるで堰堤のようになだらかな丸石練積の擁壁。
歩こうと思えば歩いていける感じ。
このくらいの傾斜ならわざわざ施工する必要もなかったように思えるが、当時はきっと不安定な地盤だったのだろう。
折り返し地点を過ぎて太陽の向きが後ろになった。
次第に車の音が近づいてくるのが分かる。
でも、最後まで足跡はなかった。
予想外。
トンネルの真横に出るものだと思っていたら、意外に高いところでクロス。
楽しい廃道はもう少し続くようだ。
正味20分ほどの快適な廃道探索だった。
一旦五十里トンネル北口の上を渡った旧道は、50mほど山側でU字にカーブして現道にすり寄った。
最後は案の定の …つれない素振りね。
段差があって車の出入りは出来ないようになっていた。
お陰で歩いて楽しい絶品の廃道が出来上がったのだから、私的には感謝である。
こっちからだと、入口も見えなければ、トンネルの上を旧道が左右に横断している様子も窺い知れない。
自転車旅の途中の行きずりの廃道探索こそが、私が廃道にハマッタ原点であり起点だった。
最近はあらかじめ廃道を目的地とした旅ばかりだったけれど、これは良い息抜きになった。
小さくて、
何の変哲もない…
だけど、
自分にとってはすばらしい… 廃道だった。
完