2010/5/30 13:47 【所在地(マピオン)】
ここは東北本線…と書きかけて訂正、いわて銀河鉄道線(旧東北本線)の小鳥谷(こずや)駅。
この駅に何の目的で来たのかは皆様の想像にお任せするとして、この駅のホームとホームを結ぶ跨線橋から青森方を見下ろしている時に、奇妙な光景を見た。
前方100mほど先の地上での出来事。
向かって左の小鳥谷集落から、連れだった男女がおもむろに踏みきりのない線路内に入り込むと、そのまま上下線本線と中央の側線を横断し、右の緑一面の築堤下へ消えていったのである。
2人はいずれも農民風で、初老。
次に2人が消えた築堤の下に目を向けると…。
そこには、馬淵(まべち)川の清流があった。
そして、川には橋が架けられていた。
2人はこの橋をスタスタと渡って、今度こそ対岸の緑の中に消えていったが、彼らの後に残された橋に私の視線は釘付けになった。
それは、今まで見たことがないカタチの橋だった。
…ズームアップだ……。
◇っぽい橋。
橋は意外に長く、4径間だった。
中でも流芯を跨ぐ主径間がひときわ長く、そこにはご覧の“奇妙な”鋼橋が架かっていた。
トラス橋と方杖橋の合体?
しかもトラスっぽい部分は単純な逆三角形ではなく、上部にも少し尖っている四角形。
私は橋に関して特別に詳しいと言うことはないが、数だけは見てきた自負がある。
しかし、こういうカタチの橋を過去に見た記憶がない。
…珍形式か?
トラス部分は、鉄パイプ製。
末尾に(笑)と付けそうになったが、我慢した。
別にトラスが鉄パイプなのは恥ずかしくないんだが(農業用水路橋などではたまに見る)、歩道橋としてはこれも珍しい。
欄干と同じ太さしかないし、トラスはあくまでも床板の補強するくらいの強度しか持って無さそう。
そうは言ってもこの長さだけに、桁だけというのは明らかに無理がある…。
結局、単なる酔狂ではなく、「この素材、この桁、この径間では、この形でなければ…」という感じもあり、そこに名橋の素質を感じさせるような、させないような…。
説明が最後になったが、トラスの下端部には「謎の不要部材」が取り付けられており、このことが、本橋トラス部が何らかの転用である可能性を強くさせている。
ぶっちゃけ、橋以外からの転用くさいような…。
気付いたときには私も彼らの後を追っていた。
ワルニャ〜〜ン ×3
近付くと、橋の全体像がよりはっきりと見えてきた。
橋があるのは、線路から10mくらい下がった、むしろ河床の方に近い低位置であるが、それでもなかなか長い橋になっている。
しかも、川の流れに押し流されでもしたかのように、下流方向へと膨らんだ線形になっているために、余計橋は長くなっている。
そして主径間だけではなく、対岸側の2径間もどこか奇妙だった。
大丈夫なの?
どう見ても木製桁の限度を超えた径間長のため、
(よく見ると、例によって鉄パイプで補強されているようだが…)
中央部は目に見えて分かるほどに撓(たわ)んでしまっている。
人間くらいならこれでも平気なんだろうが…
橋脚が無くなってるよね、これ絶対。
…壮大な砂場崩しゲームの最中ということか…。
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築堤を直下降する踏み跡に従って、私も橋のたもとにやってきた。
親柱も、銘板も、橋の素性を示すものは何もなかった。
それはあくまでも“橋”として、ただ、あった。
床板は全面木張で、しかもかなりやせ細っていた。
そのため隙間が随所にあり、透き通った水面がキラキラと。
また、見た目以上にフニャフニャの質感で、踏むとペコペコとした感触。
私は直前に2人の先行者を見ていたので気兼ねせず渡ることが出来たが、それを知らない後続の仲間は、たちまち躊躇いの虜となっていた。
どんな橋もたいがいそうだが、橋の上に立ってしまうと下部構造は分からなくなる。
本橋もその典型で、木橋には不釣り合いな欄干の存在によって、主径間の存在を知ることが出来る程度である。
相変わらずペコペコフニャフニャの橋は、私の靴の下で絶妙な音を奏でた。
そして、先行者は何の躊躇いもなく歩き去っていたとはいえ、私も多少の不安を禁じ得ない
脚のない橋エリアに立ち入る…。
やっぱり傾いている。
右が5度くらい低い。
それに、径間の中央付近は体重をかけただけで揺れまくる。
いかにも足元がスカスカなのが、肌で感じられるのだ。
万一橋ごと落ちても死にはしないだろうが、迷惑すぎる…!
それにこのカーブだけど…
きっと本当は直線だったんだよね…。
現状は橋の軸方向が橋台に正対してないし…。
過去の洪水が橋脚2本をもぎ取り、桁も1mくらい下流に押し流したんだな…。
【渡橋動画】(※9秒付近に注目、体重だけでこんなに揺れる!)
橋を渡りきると、なおも歩道が続いていて、畑に向かっていた。
左にも分岐して別の畑に行く、小さな木橋が見える。
使い古された表現かも知れないが、護岸工事のコンクリートなど全く似合わないこの一角の景色というのが、日本の原風景というやつなのだろう。
さしあたって私にとっての問題は、この原風景が、何年前からここにあったのかということだ。
畑まで行けば、きっと先ほどの2人がいて、何かを聞くことが出来るかも知れないと思ったが、その必要はなかった。
なんと、行き交う列車(貨物も通るので結構列車は頻発運転)の合間に、また一人、JAの帽子を目深に被った人物が、橋を渡ってきたのだ。
以下、60歳代くらい地元男性による証言である。
という、極めて重要な情報を得られたものの、残念ながら八戸の何を転用したのかは不明であった。
八戸といえば港であり、港と言えばクレーン施設だったりするわけだが、この奇妙なトラス?橋の転用元は一体何だったのか?
いずれにしてもこれは単なる転用ではなく、方杖橋として十分な補強を施すなど、馬淵川を堂々と跨ぐ姿は農業歩道橋の雄と言うべきものである。
これぞ日本の美徳、“MOTTAINAI”の精神を体現した、味わいの橋だ。
本橋についてさらなる情報をお持ちの方は、是非教えてください。
友情出演:現場監督の中村氏、ミリンダ細田氏。
完