新潟県道23号柏崎高浜堀之内線は、内陸部の魚沼市と日本海沿いの柏崎市を結ぶ全長60km近い長大な県道で、主要地方道に指定されている。
この前半部は魚沼丘陵を南北に縦貫しており、そこにある長岡市山古志地区(旧山古志村)にとっての重要な幹線道路である。
右図はこのうち、起点に近い魚沼市竜光(りゅうこう)と小千谷市塩谷(しおだに)十二平地区間のルートを示している。
全体的には芋川に沿ったルートなのだが、道が狭く描かれている区間には多数の九十九折りが存在しており、一時的に河床から150m近い高所に上り詰めている。
この区間は見るからに交通のネックになっており、トンネルや橋を用いて川沿いルートを建設出来れば、便利になるのは明らか。
そして、こんな“ひげ”が…。(←カーソルオン)
この“ひげ”に強烈な“未成道臭”を嗅ぎ取った私は、山古志村探索からの出口にこの道を用い、探索を試みることにした。
ただ、出口の探索ゆえ、時間的な余裕がなく……。
…とまれ、本編をご覧戴こう。
スタート地点は、未成道らしい道が描かれているのとは反対側の十二平地区からだ。
スポンサーリンク |
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
|
2011/5/15 18:05 《現在地》
十二平は、県道23号沿いにある集落の中で唯一小千谷市に属する、芋川谷底の小集落である。
地元では「じょんでぇら」と訛って発音するらしく、わざわざそれだけを刻んだ石碑が立っていた。
この石碑が立っている場所もそうだが、集落内には空き地が妙に目立つ。
単なる過疎の風景とも思ったが、どうやら先の中越地震で大きな被害を受けたことも関係しているようだった。
右の碑の他に「中越大震災之碑」というものがあり、そこには地震に伴う土砂崩れで集落が完全に孤立し、住民がヘリで救出されたということが書かれてあった。
商店はおろか自動販売機さえ見あたらない十二平集落を過ぎると、すぐに1本のトンネルが現れた。
そしてその右の道はいかにも旧道らしいが、地形図だと、途中までしか描かれていない。
あまり時間がないの迷ったのだが、とりあえず入口の状態は悪くなかったので、旧道に入ってみることにした。
十二平トンネルに対応する川べりの旧道は、前半こそ何の問題もない1車線の舗装路で、通行止めにもなっていなかったが、地形図で道の表記が途切れると同時に突如、廃材の山が通せんぼする廃道に転じた。
しかもそのすぐ脇の山側には、土砂崩れで押し潰されかけたようなコンクリートの廃墟が残っており、7年前の震災直後のようだった。
廃材の山から先にも明らかに舗装路が続いていた形跡はあるのだが、数メートルおきに大きな路肩の決壊や亀裂が生じており、完全な“震災廃道”の姿だった。
震災発生時既にこの道は旧道だったはずで、その後の復旧事業でも、半分だけ復旧させ、残りは放置したと見える。
半分だけ復旧させたのは、途中の民地へのアクセスルートになるなどの理由があったのだろう。
地形図に描かれていない部分もあわせて、この旧道は約500mの長さがある。
しかし最後の100mについては、路盤全体が土砂崩れに呑み込まれて斜面化しており、自転車同伴と言うこともあって突破を断念した。
写真は大崩落直前で撮影したもので、奥に見える赤色のスノーシェッドは、現道にある「十二平スノーシェッド」だ。
現在地からスノーシェッドの上部にかけての山腹には木がほとんど生えておらず、雪崩や土砂崩れの常襲地形を思わせた。
往復5分というコンパクト旧道探索を終え、再び現道の十二平トンネルへ。
取り付けられた工事銘板曰く、このトンネルの竣工は昭和61年であり、震災よりだいぶ前からあったことになる。
長さ210m、幅8.5m、高さ4.7mというスペックにも特筆すべきところはない。
ただ、施工者欄の「十二平道路建設共同企業体」というのはちょっとだけ注目で、「十二平道路」などという命名がなされるほどには大きなプロジェクトの一部として建設されたことが伺える。これがトンネル単体の工事だったら、この名称は不自然ではないだろうか。
今後探索しようとしている“ひげ”との関連性が気になるところだ。
内部にもとくに変わった様子のない十二平トンネル(ちなみに、道路台帳の読みがなは「じゅうにだいら」で「じょんでぇら」ではなかった…笑)を抜けると、そのままスノーシェッドがはじまり、さらにその途中から右後方に旧道が分かれていた。
こうした分岐の存在は、トンネル開通後も旧道が生活道路として利用されていた可能性を示唆している。
そして肝心の旧道の方は、入ってすぐのところで通行不能。
先ほど反対側からやってきて呆気なく突破を断念したが、その決断を全力で支持するような、どうにもならない土砂崩れの風景が広がっていた。
18:13 《現在地》
スノーシェッドを出ると、一気に行く手の視界が開けた。
なぜ地表にこれほどまで木が少ないのか不思議だが、それがあまり平和な理由に因るものでは無さそうだと思うのは、私だけではないだろう。
斜面の随所にいまだ雪が残っていることも、そんな印象を後押しした。
さて、ここから望む県道の行く手には、突如として始まる九十九折りが、鮮明に見える。
そしてこれは当レポートを書くため、この写真を見直していて、はじめて気が付いたことなのだが…
最初の九十九折りカーブの先端から、曲がらずそのまま川沿いに進む、そんな道のラインがある気がしないか?
九十九折りのはじまりを嫌うように真っ直ぐ芋川沿いの山腹を切り拓いていくラインの正体は、旧道とは思えない。
というのも、古い地形図でもこの場所の道は、ちゃんと山の上を巻くように付いている。
これは、今向かっている竜光地区の“ひげ”と繋がるべく事前に準備された、十二平側の“ひげ”(未成道)なのではないだろうか。
全体的に崩れているように見えるのは、震災の影響が大きいように思われる。
以上の憶測について、近くに人もいなくて確認することが出来なかったが、新道を両側から工事するのは珍しいことではないので、その可能性は高いように思われる。
次回、この場所を訪れることがあれば、ちゃんと確かめたい。
九十九折りが始まる直前に、芋川沢を渡る真新しい橋が架かっていた。
銘板によれば「新十二平橋」といい、竣工は平成20年。
旧橋が見あたらないが、おそらくほぼ同位置に架け替えたのだろう。
そしてこの沢が市境になっており、ここから先は魚沼市竜光に入る。
また、県道の2車線区間もこの橋までで、ここからは1車線になる。
このことも、将来的な新道の分岐地点が、この橋の先に想定されていると考える根拠である。
それではこれより我が自転車は、将来は旧道になるだろう峠越えの区間へ入るが、レポートの方は駆け足で反対側へ向かおうと思う。
序盤の九十九折りを登坂中、まだまだ近い下界を振り返る。
十二平スノシェッド脇の旧道の崩壊のかなり凄まじいことが、見て取れる。
山越え区間の長さは約3.3kmあり、高低差は新十二平橋(海抜130m)からピーク(海抜230m)まで+100m、その後竜光までの下りが−120mとなる。
もし芋川沿いをトンネルや橋を駆使して直線的に通行出来れば、この間の距離は1.8km程度なので、約2倍の迂回になっている。
それだけならばまだしも、道路状況もあまり良くはない。
道幅は1.5車線に待避所が付く程度だし、地盤があまり良くないのか、崩土による幅員の縮小が所々に見られる。
なにより激しい九十九折りが続くため、一応冬期間の通行も確保されているとはいえ、毎日の通勤に使うには少々怖い道だ。
登り始めからちょうど10分で、ほぼピークに近い標高まで到達した。
中間部の1kmほどはカーブやアップダウンもあまりなく、高原的な風景の中を快走出来る。
また、周辺に集落はないものの、水田は随所に開発されていた。
ピーク付近の水田は、薄暮の空を映す幻想的な水鏡に…。
ちょっとだけ、この時間に来たことを喜べた。
後半の1km以上は、登った分以上の下り坂。
そして、折り重なるような九十九折り。
新道が出来ても、山の上に田んぼがある限りは廃道になることもないだろう。
この区間の風景は、なかなか爽快で気持が良かった。
次回「後編」は再び谷底。
この分岐からレポート開始で、怪しい“ひげ”の現状が明らかに!
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|