2011/7/19 5:25 【周辺図(マピオン)】
直近では去年(平成22年)の10月にも訪問(【レポート】)した「長井ダム」に、今年7月再々訪してきた。
前回はちょうどダムが完成したあとの試験湛水中だったが、今ならもう通常運用に入っているはず。
大勢の工事関係者がいて近付くことが出来なかった「水没旧道」を、あわよくば探索したい。
そんな下心目的を持って、夜明けと共にやってきたわけだが…
果して
肝心の水位は、
どうだったかというと……。
↓↓↓
ほぼ満水!
コナ――イ!!
これは、ぜんぜん来ないな。 残念ながら。
これでは、味も素っ気もないただのダム湖ですよね…。
ちなみに、この写真の橋は竜神大橋である。
竜神大橋からは、以前ならば“さまざまなモノ”が見えたのだが…。
【下流(ダムサイト)方向の眺め】
汀線の3mほど上まで緑の木々が茂っているから、現状はほぼ満水位である。
雨が降っているわけでもないのに… ショボン。
去年はなんとか水上に保っていた旧県道の「管野第一・第二隧道」も、今は完全にダークグリーンの奥へ沈んでいる。
【以前の姿】を知らなければ、この橋のほぼ直下に隧道があったとは、きっと思わないだろう…。
【橋の直下(上流側)の眺め】
深さを推し量る術を与えないダークグリーンの湖面は、当然ながら竜神大橋の上流側にも、広く長く続いていた。
この場所にあった“モノ”も、覚えているだろうか。
戦後間もなくに生まれた小さなダムが、この湖底には沈んでいる。
最初に来たときには健在であったが、前年には既に機能を停止しており、コンクリートの遺跡となり果てていた。
が、それでもまだ、【水上ではあった】のだ。
【上流側の眺め】
竜神大橋から上流を眺めると、“おぼれ谷”となった野川の峡谷が幾重にもくびれながら、神尾山の裏へ消えていく様子が見て取れた。
水位が低ければチャレンジしようと思っていた旧県道は、ここから見える範囲においては完全に水面下にあって、探索する余地を持っていなかった。
岸辺の崖の所々には、かつて法面だったに違いないコンクリートの吹き付けられた部分を認めはしたが、これでは探索はお手上げである。
残念ながら、当初の計画は果たせない。
また、次の機会としよう。
竜神大橋のすぐ上流側の付替県道脇に小さな駐車場が造成されてあり、その一角には案内板と共に、湖底に沈んだ旧ダム(管野ダム)の一部(堤上路の欄干と親柱(銘板)部)が移設されてあった。
全国各地でこうしたダムの世代更新(旧ダムを呑み込む新ダム建設)が行われているが、こうし水没した旧ダムの一部であっても地上に“救出”されたのは、それを作った技術者や関係者にとっては、嬉しいサービスだと思う。
実は私もこの欄干を現役時代に触れた【記憶がある】ので、また触れて嬉しかった。
探索を封じられてやさぐれムードの私だったが、少し心が和んだ。
そしてこの気分転換が、いい流れを持ってきてくれた。
この探索を“ボツ”にしないで済む、いい流れを。
竜神大橋脇のミニ公園から、付け替えられた県道をさらに上流方向へ進むと、すぐに「御神輿トンネル」という何とも縁起の良さそうなネーミングのトンネルがある。
長さ83mのトンネルを抜けると、続けざまに今度は長めの橋が来た。
銘板によると「折草沢橋」といい、竣工は「平成9年12月」となっている。
とまあ、ここまでは別に変わったことはない。
湖畔にある普通の付替道路なわけだが。
橋の上に取り付けられた、直角カーブを示す標識。
そして、その先に待ち受けているカーブは本当に…。
直角だった!!
山中の付替道路に突如現れた、直角カーブ。
これがどれほど奇妙であるかは、沢山の道路を見てきた人なら、納得してくれると思う。
道路構造令にも「第十四条 車道の屈曲部は、曲線形とするものとする」の条文があるとおり、市街地などやむを得ない箇所を除いて、カーブは全て曲線にすることが定められているのだ。
こんな辺鄙な場所の、しかも真新しい道路に直角カーブがある事の裏には、私の知らない理由があるとしか思えない。
しかも、道幅がここで急に2車線から1.5車線へ縮小しているのも気になる。
これは、どう見ても怪しすぎるだろ…。
問題の直角カーブの外側は、本当に直角の角が作られていた。
そして、所在なげなゼブラーゾーンになっていた。
ご丁寧にカーブミラーまで取り付けられているが…。
…これはもう、ほぼ間違いないと思う…。
本当はさ、直進する道が作りたかったんだろ?
良いんだよ、隠さなくて。
君がしたいこと、僕にはすぐ分かったよ。
何があったのか、聞かせておくれ。
あくまでもこれは私の想像だが、
おそらく当初の計画にあっては、右の地図に赤破線で示したようなルートで、付替県道は計画されていたのではないだろうか。
そう考える根拠の第一は、現在地の直角カーブが不審であるということが挙げられるが、それだけではない。
道幅がここまで2車線で来ていたのに、この先が1.5車線なのもひとつだ。
また、これまで多くのダムで見てきた付替道路と比較しても、旧道や汀線と並行する赤破線のようなルートが標準的といえる。
それが“何らかの理由”で嫌われたからこそ、わざわざ湖畔を離れて西側へ2km近くも迂回したうえ、高低差140mもある“峠越え”をしているとしか考えられないのである。
ここでは、何らかの計画変更が行われたという前提で、変更に至った“何らかの理由”がなんであるかを考えてみるが、一般的な理由として考えられるのは、建設費の圧縮、工期の短縮、自然保護との絡みの3つだ。
そして、この場所に与えられた、通行量が極めて少ないという条件(この先には木地山ダムがあるだけで行き止まり、集落はゼロ)を踏まえると、1番目の「建設費の圧縮」というのが、真に近いのではないかと思う。
神尾山の急な斜面と湖面の間に道を付けるには、なお多くの橋やトンネルが必要になっただろうが、峠越えルートには(峠区間内に)トンネルが存在せず、橋も短いのが1本あるだけである。
そう思って長井ダム関連の資料を色々捜していたところ、「建設グラフ2001(平成13)年4月号」(自治タイムス)に掲載されている「地域づくりとしてのダム建設:長井ダムのコスト縮減、環境、情報発信の取り組み」という記事の中に、長井ダム工事事務所長永野勝義氏がこんな発言をしているのを見つけた。
コスト縮減としては、ダム全事業に関して徹底した検討を進めました。変更した基本計画ではダムの機能及び安全性を優先に確保しつつ全体の事業増加を可能な限り抑えるためにダムサイトの地質解析結果に基づき、堤体工及び基礎処理工の減工、ダム本体の施工計画変更、付替道路(県道・林道)のルート変更、構造物の変更を行い、約200億円の縮減を行いました。 (太字は筆者注)
このルート変更がどの箇所を指しているのかまでは分からない(現在資料取り寄せ手配中)が、状況的にはこのことを指しているものと思われる。
架けたかった橋、
掘りたかったトンネル、
伸ばしたかった白線にちょっぴり想いを残しつつ…
“表情を変えた” 付替道路の先へと、進む。
先ほども少し書いたとおり、ここから先は峠越え。
再び湖畔に戻ってくるまでの約3kmの高低差は、
上り下りとも140mに達するから、相当の急坂が予想されていたのだが、
確かに最初から凄い坂道だ。
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登り始めて間もなく振り返って撮影したのが、この写真。
奥にあるのが直角カーブで、遠くには竜神大橋も見えている。
気になるのは道の両側に互い違いにある広大な平場だが、帰宅後の調べで、左はダムのコンクリートプラントが置かれていた場所であり、右の平場の奥にダムの原石山があることが分かった。
いずれも公園として整備する計画があったが、どうやらそれは中止になるようだ。
無表情なアスファルトロードを300mほど進むと、1本の橋が見えてきた。
この峠越え区間にある唯一の道路構造物の「神尾澤橋」(かんのさわ)で、竣工年は「平成4年9月」である。
同じ付替道路内でここよりも下流側にある折草沢橋より早く完成していた事になるが、実際に開通(解放)された時期はちょっと分からない。
それはさておき、何かさっきから気になるんだよな。路肩が。
上の写真の平場あたりからここまでずっと、道路の右側に一車線分くらいの幅の砂利が敷かれた空き地が続いており、それがこの神尾澤橋の直前で、道路の左側へ移動していた。
神尾澤橋を渡って振り返ると、同じような空き地が今度は道路の左側(写真は振り返っているから右側)にあった。
空き地と空き地の間に橋はなく、橋があった形跡も見あたらないのだが、
何やら帯状の空き地が現道に寄りそって、右に左に揺れながら、ずっと続いているのである。
最初のうちは、将来の拡幅を見越した余地だろうと、特に気に留めていなかったのだが、
橋の先には……
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