2011/7/19 5:35 《現在地》
これは凄い。
つか、変だ。
いったいこれはどこの“一級国道”だよ。
凄まじい道幅の広さである。
右側の舗装されている部分だけで、約6m(路肩含む)。
左側の未舗装(砂利敷き)部分もそれと同じくらいある。
幅員12mとかって、歩道無しなら4車線とれるレベルだぞ!
どうせ冬期は閉鎖なんだろうけど、無茶してんなー。
ひでぇ急坂だ。右側の擁壁に刻まれた水平線との斜行ぶりを見て欲しい。
そしてこんな急坂だから、砂利敷きの部分は既に 道としての体を成していない。
砂利道の限界というか、そのへんの林道も放置しておくとすぐこうなっちゃうわけだが、砂利層の雨水による洗掘が顕著になっている。
写真では分かりにくいが、深いところの深さは4〜50cmにもなっている。
更に進んでも、左側の広大な余地はほぼ一定の幅で、ずっと続いていた。
不思議な道だ。
2車線に拡幅する需用があるとは思えないし、
そもそも2車線にするにしても、広すぎる。
何かの“未成”なのだろうとは思うが…。
景色の変化から、いよいよ峠も近いなと思ったところで、さらなる不思議感の上乗せ。
見てくれ!
ここから先は、
舗装されてるぞ。
…左側の、これまでは砂利敷きだった“余地部分”が、舗装されている。
舗装する気があるならば、急坂から先に舗装してほしいものだが、この舗装の出現により道路風景の異様さは、いよいよマックスレベル(同路線比で)に。
“余地”が舗装されたことにより、こんな異常な光景が現出してしまった。
まるで、中央分離帯を持った、超広幅員の2車線道路のようである。
あなたが自動車のドライバーで、この景色だけを見たら、当然左側の車線を走りはじめることだろう。
そこの舗装がかなり古びていて、所々途切れがちであったとしても、勘違いさせるに十分すぎる景色である。
というか、この類の勘違いは、ドライバーにとって最も危険なものであり、道路管理者としては最も忌むべきものであるはず。
にもかかわらずこういう状況が許されているのは、前後の風景に照らせば、実際には勘違いしようが無いからだろう。
もちろん、交通量が少ないということもあるだろう。
ちなみに私は以前、全く別の工事中の道で、4車線道路と思っていたら実は2車線が封鎖されており、私は知らず対向車線を走行していたために、危うく正面衝突しそうになったことがある。 それ以来この類の道路状況には特に恐れを感じる。
“偽の”中央分離帯にはデリニエーターが設置されており、そこには県の管理を示す「山形県」の文字があった。
その下にある「△に4」の記号は、プラスチック製品のリサイクル記号といって、「4」はこの製品が「低密度ポリエチレン」という材質であることを示す。よく見る緩衝材のぷちぷちと同じ材質だという。
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舗装されている部分を振り返る。
一部の路肩は、わざわざコンクリートの擁壁で突き固められており、決して適当な作りではない。
ちゃんとした“道”として作られているのが分かる。
その一方で、擁壁の上部にガードレール設置用の孔が設けられているが、全てセメントで埋められていた。
なんのためにこうしているのか分からないが、もはや道路として再び利用する気が無いことを感じさせる。
下にあった“直角カーブ”は、すぐに道路の計画変更の名残だと予想が出来たが、こちらは今のところ何だかさっぱりだ。
ただ、ひとつ言えることは、この余地部の舗装が、現在道路として使われている部分よりも古そうだということである。
直角カーブから1500m、神尾沢をきわめた道は、標高約510mに位置する無名の峠に辿り着いた。
特に市町村の境でもなければ、歴史的にも古いものでも無いらしく、峠らしい景色といえば、右側にカーブして続く堀割があるくらい。
だがここで、地図には全く描かれていない、予想外の分岐が現れたのだ。
ど、どういうことなんだこれは?
これまで余地に過ぎないと思っていた舗装路は、極めて自然な感じに左の道へ続いているし…。
まるで、上下線分離の高規格道路みたいでもあるが、断じてそういうものでは無いはず。
左の道は、入口にA型の脱着可能な車止めが設置されており、車で入っていけないようになっていた。
しかし、通行止めというような表示は見られない。
県道はといえば、この左の封鎖路を無視して右の深い堀割へ向かっているが、これまでずっと寄りそっていた“余地”は、この堀割の道に、再び砂利敷きに戻って存在していた。
相変わらず余地の正体は分からないままで、今度は地図にない分岐まで現れてしまった。
ま、まずはこの分岐を、やっつけよう。
分岐へ、GO!
両側を夏草によって狭められつつあるが、それでもまだ十分に二車線を感じさせる、しかしセンターラインを持たない舗装路。
こいつは臭う。
俺の大好きな、未成道の臭いだ。
たおやかさを感じさせるカーブなど、いかにも現代的な道路であるが、舗装は先ほどまでの“余地”に敷かれていたものと同じくらいに時を経た色合いで、一連の道として建設されていたことを思わせる。
つまり、“余地”になる前から、この道が存在していた。
ってことなんだと思う。
次なる、道路の素性を知るための手がかりを求め、カーブの先へ赴くと…。
プギャー!
死んでる。
DEAD END.
呆気ないぞ。
お前はなんなんだ。
このあっけなさは、想定の範囲外。
ほとんど何も、情報を得られなかった…。
結局この舗装路の全長は、舗装開始地点から行き止まりまで約400m。
県道との分岐地点(封鎖地点)からは、わずか50mにも満たないものだった。
この道の正体については、ややこしくなりそうなので、あとでまとめて考察したいと思う。
ただ、下にあった不自然すぎる“直角カーブ”と、ここに来る途中の不自然すぎる“道路余地”と、この不自然すぎる“行き止まり”とは、無関係ではないだろうと思う。
よく、一つの嘘をつき通すには、さらに別の嘘を二つつかねばならないといわれる。
それは、物事の整合性を保つことの難しさを諭した言葉。
同じように、「理由があって形がある」という整合性を徹底する道路のような公共物の場合も、一つの不自然さが、別の不自然さと連鎖することは、良くある。
例えば計画変更なんかがあると、色々はみ出しちゃう…。
近接する三つの“不自然”。
これらは、いったいどんなストーリーで結ばれているのだろう…?
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