2013/10/4 6:42
つい先日、読者さまのタレコミを受けて自転車で走破してきた山梨県道31号甲府山梨線から、今回のミニレポートをお伝えする。(矢印さま、ありがとうございました!)
情報提供者さんが「山梨県では指折りの物件」と胸を張るこの道は、確かに自動車で通行可能な都道府県道(しかも主要地方道(しかも県庁前を通る))としては相当に“苛烈”で、一見以上の価値があるが、その道路全体のレポートは他日に譲り、今回は“険道”とはまた少し別の意味で“ヤバイ”、道路上の物件の話をしたい。
ちなみに、ネタ的には「ミニレポ」よりも「変なもの」ではないかと思いもしたが、よくよく考えた結果、これを「変なもの」として紹介すると、後が怖い気がしたので、ここにした。
前置きはこのくらいにして、写真は当該県道の途中で、場所は【ここ】だ。
目印となるこの交差点から、県道31号を甲府市方向へ進んでいくと、すぐにそれは見えてくる。 大丈夫ダヨ。それは道路上にあるので、見逃す心配はないヨ。
2013/10/4 6:44
……見えてきた。
私は、すぐに 「何か」 あることに気が付いた。
道の上である。
県道の道幅を、少し圧迫するように、「何か」がある。
おわかり、いただけただろうか。
巨大な自然石と思われるものの上に、人頭を模した石が、乗せられている。
人頭の表情はよく分からないが、咄嗟に“さらし首”を連想してしまった。
まさか、まさかな……。
そんな誰の目にも縁起の悪いものを模して飾りはしないだろう。
ここは山村ではあっても、天下の公道に他ならないのだ。
主要地方道の道幅を侵す位置に堂々鎮座している巨岩の正体は、異形と呼びたくなる一体の石仏だった。
すぐ隣には甲府盆地でよく見られる形の道祖神が安置されているが、この石仏は他で見たことがない。
もちろん、甲府盆地の外でも見た憶えはないが、その大きさといい、石頭の妙に写実的なところといい、どこか東南アジアの仏教遺跡や巨石文明を彷彿とさせるものがあった。
少なくとも、日本の何気ない平凡な農山村風景には、馴染んでいないように見えてしまった。
(あくまで外見に対する部外者の感想であり、地元では愛されているに違いないと思うが)
残念ながら、私は道路を語る万分の一さえも、この石仏の意匠について語る言葉を持たないが、これまでごく一般的な視点で路傍の古碑や石仏を多く見てきた感想からも、この石仏は変わり種である。
確かに、偶々形のよい自然石を、観音さまや地蔵さまの立姿や寝姿に見立てて信仰の対象とする事は各地にあるし、そんな自然石に一定の意匠を加えた(削り出した)石仏もあるだろう。磨崖仏などというのもその一種だと思う。
だが、自然石の上に明らかに人工の頭部を乗せた石仏というのは、おそらく見聞きした憶えが無い。
少なくとも、普段立ち寄りにくい堂宇の中でなく、道路上のこれだけ目立つ場所での遭遇は、間違いなく初めての体験だった。
胴体である巨大な自然石には、特に手足や法衣などの意匠を加えようとした形跡は見られなかった。
ただ、上のやや平らな辺りに少量の小石が乗せられ、また水に濡れて崩れた幣の残骸が破れた衣のように垂れているだけであった。
何か文字が刻まれていないかも探したが、特に見あたらなかった。
“ご尊顔”。
そうお呼びして良いのだろうか。
私よりも遙かに背の高い石の頂部に、おそらくは孔を作って差し込まれているのだろう、長めの首と一体になった切れ長な表情の石頭が乗せられている。
この表情は女性を模しているのだろうか……と、何となく思った。
目線は路上2mほどの高さにあって、現代人より遙かにでかいが、これを拵えた昔人にしてみれば、常人の二倍も丈高な巨大石仏ではなかったろうか。
なお、これだけの高さから石頭が転げ落ちたりすれば、割れたり、鼻先が削ぎ落ちたりしそうだが、そういう破損の形跡は無かった。
石仏は、何者にも動じなそうな醒めたような表情で、ときおり鉄の塊が走り去る車道のアスファルトをも、完全に退けていた。
「大変に御利益のある、お地蔵さまでございますよ。」
嘘であっても、そんな風な説明があったならば、私の印象はここまで深くならなかっただろう。
だが、この曰わくありげな“巨大石頭仏”の
謂われが
普通に 「怖い話」 だった…。
石仏のすぐ近くには、浄財箱と一緒に、
地区の住民が設置したと思しき、“謂われ書き”が…。
頭にハテナを一杯付けていた私は、
もちろん飛びつくような勢いで読んだ。
そして……、
怖くなった。
※以下、全文転載します。(読みやすく改行を加えました)
首 地 蔵
昔、大雨が続いて山の地盤がゆるみ、大きな土砂崩れが起きて、中組の数軒の家々をつぶしてしまった。その時に転落してきた大きな岩の下敷きになって御子守さんの娘が背負った赤ん坊とともに死んだ。一説によるとその娘はオミヨという十二才の少女であったという。
それ以来村の赤ん坊がひどい夜泣きをしたり、何かにおびえるようになって娘の霊が祟っているとうわさされた。落ちてきた大岩からも夜になるとすすり泣きの声が聞こえてきたという。
そこを訪れた旅の僧が、娘の慰霊のために石を彫って地蔵の首を作り、巨岩の上に乗せて供養をしたところ赤子の夜泣きもすっかりおさまった。
それ以来、村人たちは首地蔵に香華がささげて供養を怠ることがなかったという。
不気味な霊異譚ではあるが、怪異は最終的に旅の僧の法力と、住民の篤信によって、無事に供養された。 めでたしめでたし。
これはそんなありがちで、完結した、「昔話」のように思われるだろう。
…ここまでで終わりであったならば。
ある時、道路が拡幅されることとなって首地蔵の巨岩が邪魔になり、岩を割って撤去することとなった。
石屋が岩に穴を開けたところ、その石屋は家に帰った後、高熱を出して苦しんだ。
娘の霊が祟っているということになり、工事は中止されて、今でも地蔵は道路端に残され、岩が道路に少しはみ出たままになっている。
また、この岩はもとは道路の反対側にあり、道路の舗装工事の際に現位置に動かしたところ、事故が起きて工事人夫が大怪我したとも伝えられている。
平成二十四年三月 水口区 中組
この後日談とでも言うべき部分が、首地蔵の由来を遠い昔話に留まらせず、現代まで怨念の息づく“怪談”にしているように思う。
もちろん、ここに書かれている内容の検証はしておらず(不可能?)、全て真実であるかは分からないが、アトラクションでも観光地でも無いこの地蔵や地域が、一介の通行人を徒に恐がらせるメリットが無い事と、現実に主要地方道を侵す位置に存在し続けていることから、偶然であったとしても、過去に大多数の集落民に祟りを信じさせしめるような出来事があったのだろうという気がする。
地蔵の胴体部分を見回しても、かつて石工があけたという「穴」や、石を道路の反対側から動かしたとはっきり分かるような痕跡は見つけられなかったが、この由来書きを読み終わった私は地蔵に対するいつもの儀礼である一礼だけを済ませると、そそくさと立ち去ったのであった。
信心深さとはだいぶ無縁の私だが、怖い話を気味悪がる感情を失っているわけではない。
“水口の首地蔵“ は、
今も県道の路上に在り、
全ての通行人に、か細い視線を注ぎ続けている。
完結