ミニレポ第194回 和歌山県道802号太地新宮自転車道線 後編

所在地 和歌山県那智勝浦町
探索日 2013.11.18
公開日 2014.06.13

建設休止となって久しい大規模自転車道


2013/11/18 16:54 《現在地》 

なんという早さだ! 今回は納得の爆速だ!
この隧道の情報を0の状態から入手したのが、今からわずか13分前。
それから全速力で1.3kmほど移動して、首尾よく地形図にも全く記載がない1本のトンネル…
廃隧道と呼びたくなるようなそれを、今まさに発見したのである。

…と、自分を褒め称えたところで(つうか、偉いのは的確な情報を下さった古老!)
いよいよ本題の自転車道を探索していこうじゃないか。
まずは早速メインイベントになりそうな、この真っ暗トンネルからだ。




トンネル正面に立つと、闇の先に丸いシルエットの出口を見通す事が出来た。
これで一安心だが、生粋の自転車道専用トンネル(鉄道廃線由来の自転車道などは除外)のイメージに反して、意外に長いトンネルであることを、この時点で理解した。
照明がないことで、余計そのように感じる部分はあっただろうが。
ちなみに坑門には扁額が見られず、装飾も無いが、その流線型のスタイル自体が自転車の風を切って走るイメージを表現したもののように見られるので、これも一種のデザインと言えるだろう。


扁額は無いが、入口付近の壁に工事銘板が取り付けられていた。

三軒家トンネル
1992年5月
和歌山県
延長141.0m 幅 3.0m
高 2.5m
施工 阪神土木工業株式会社

これにより、サイクリングロード建設の時期が平成4年頃であったことが分かった。



早速自転車に乗ったまま、ヘッドライトの灯りを頼りに三軒家トンネルへ進入する。

幅3m、高さ2.5mといえば、林鉄用隧道に近いが、それより更に天井が低いという、圧迫感のある小断面である。
地下水の漏出など、経年劣化に属するような異常は感じられず、ただ天井に取り付けられたご立派な照明が仕事をしていないだけの、現代的な人道用サイズのトンネルだ。
ちなみに、この手のトンネルにありがちな落書きや不法投棄の類は皆無で、地図に載っていないことが幸いしたか、そもそもそうした輩は自動車で乗り付けられないトンネルには興味がないか。

全長は前記の通り141mあり、狭さと暗さと相俟って余計長く感じるのは、外から覗いたイメージ通り。
そして、地図の上ではこのトンネルの中ほどが那智勝浦町と太地(たいじ)町の町境であり、トンネルを抜けるとそこは、本県道の起点とされる和歌山県太地町の界隈である。





トンネルを抜け、太地側の坑口へ。

こちらも坑門のデザインなどに那智勝浦側との違いはないが、トンネルに向かって「この先行止まり」の控えめな看板が表示されていた。
また、坑門前の路面にはU字形の車止めを埋め込む穴と、そこから外された金属製の車止めがあった。

この外された車止めに関連して、路面をよく見ると、軽トラサイズの四輪の轍が残っている事に気づいた。
この道は本来、路線名の通り自転車の専用道路(もちろん歩行者は通行可能)として建設されたにも関わらず、現状では四輪車が通行できる状況で解放されているのである。
それに、沿道のどこにも自転車専用道路を示す道路標識が存在しないから、自動車で入っても違法にはならないだろう。

幾ら未完成であるとはいえ、自転車専用道の規格で建設された道で、これは異例といえるだろう。



16:57

なんと気づきにくい入口だろうか!

トンネルを出た所から、わずか50mほどで国道42号に突き当たり、これで一連の自転車道は終わりを迎えるのだが(計画区間はこの先の太地町中心部まで続くが、途切れている)、国道側からはよほどのことが無ければ気づけなそうな、もの凄く分かりづらい入口だった。

古老がわざわざグリーンピアの交差点前から入る道を教えてくれたのは、こっちを教えても私が気づけないと、親切心でそうしてくれたのかも知れなかった。
そう思えるほど、晩秋の草勢が落ちているこの時期であっても分かりにくい入口であった。

ちなみに、突き当たった国道はここも歩道が無く、歩道のない国道から突然(なんの案内も無く)自転車道が分かれていくという、ちぐはぐな状況だったが、未完成ならば仕方ないか…。





16:58

さて、駈け足だが跨線橋から太地側国道合流地点までの探索は終わった。
古老情報の通り、そこには1本のもぬけの空の如き隧道が存在した。

残すは、跨線橋から那智勝浦側の終点までの区間である。
どこまで道が作られているのか分からない。
ただ、1.3km先にある湯川駅まで出来上がっていない事は、先に湯川駅の辺りを走り回ったので把握している。
ここから湯川駅までのどこかで、道は打ち切られているはずなのだ。

どんな侘びしい終点が待ち受けているのか、錆び付いた跨線橋の下から探索を再開する。




自転車道に相応しい、とてもなだらかな道。
それでいて適度にカーブがあって、自転車で駆けるには格好のコースという感じがする。
もちろん流れ去る風景は、南紀という著名なリゾートエリアのそれであり、全く非の打ち所はない。
自転車道を走りたいサイクリストには、これ以上無い理想的すぎる自転車道であったかもしれない。


行き止まりでさえ、なければ。




右に左に、リアス海岸の起伏に則ったカーブが連なり、トンネルや切り通しを駆使して直線的に走る鉄路とは、寄せては返す波のように出会い、また離れる。

実はこれは探索後に古い地形図を確認して初めて分かった事だが、この部分の自転車道は、昭和41年までの旧国道だったようだ。
道理で自転車道にしては両側に幅員の余裕が大きいと思ったが、元が国道だったのならば納得が行くし、風景のよい旧国道を改築し自転車道に生まれ変わらせようというのは、冴えたアイデアだったと思う。




順調に海縁のほぼ平坦な道を走っていくと、湯川よりももう少し先のほうの陸地に、大きな道路トンネルが口を開けているのが見えた。

見えているのは、和歌山県道236号勝浦港湯川線の岩屋トンネルで、この探索の直前まで私を楽しませてくれた、当地における最大の未成道だったりする。

しかもこの眺めは未成道同士の偶然のコラボというわけではなく、本来の計画だと、この自転車道は岩屋トンネルを重複して利用する予定だった。

つまり、あの辺までずうっと海沿いに自転車道を作るはずだったのだが…。



17:02 《現在地》

跨線橋から500m、国道42号からだと800mほど進む事が出来た。
ここは地形図に「大浦」と注記された小さな砂浜だ。
ここに至るまでは藪も崩れもなく、ただ人の出入りがほとんど無いことを感じさせる色褪せたアスファルト舗装に、この道の悲しい境遇を感じるくらいであった。この道に入ってからは誰とも出会っていない。

これまた後から知ったことだが、旧国道はこのあたりから左の線路を渡り、今度は現国道よりも山側に進路を取っていた。
つまり、自転車道を安価に整備出来るカギであった旧国道路盤の再利用は、この辺りまでしか効かなかった。

その結果……




唐突な終点!


ここから先は旧国道の導きを離れて、独自ルートで3度ばかり岬越えを果たさねばならなかったが、
この道の何が悪かったのか、単に不運だったのかは知らねども、建設はここで打ち切られて久しい。
湯川までは、直線であと600mほどである。

唐突な終点の弁解の為だけに設けられたような、特になんの特徴もない東屋がもの悲しい。
道は完全にここで行き止まりになっていて、線路を挟んですぐそばにある国道へ逃れることも出来ないのだ。



線路は鉄壁ガードだった。
かつて旧国道時代にはあったはずの踏切を、ごく簡単な形でも残してくれてさえあれば、
この自転車道は行き止まりにはならず、ちゃんと通用する意味があっただろうに勿体ない。

ここは、何人たりとも来た道を戻るほかない終点だった。






太地町の国道42号から分かれ、三軒家トンネルで那智勝浦町へ踏み込むものの、しばらく海岸線を辿った所で唐突に終わっている、全長約800mの既設区間。
行き止まりではあるが、せめてもの救いは通行禁止などにはされていないことで、静かに海沿いの道を走りたいという需要には応えてくれる存在である。
また、サイクリングロードではあるものの、のんびり犬の散歩をするのにも適していそうだ。

なお、本文中で述べた通り、既設区間のどこにも「自転車道」であることを明示するものが無い。
また、県道802号であることを示すものも無い。
何も知らない人が見たら単に狭い車道であり、現に自動車での立ち入りを妨げるものもない。

さて、この道はどんな経緯で建設され、そして中断されてしまったのだろう。
帰宅後に調べてみたところ、現地では知り得なかった県道としての路線名などと共に、この道の全体計画が明らかになった。



国土交通省サイト内 一般県道太地新宮自転車道線(PDF)
より転載。(一部加工)


県道認定を受けた自転車道だという時点でピンと来た人もいたかも知れないが、この県道は大規模自転車道として建設された道路である。

大規模自転車道とは、昭和48年に旧建設省が整備を開始した道路事業で、当時の自転車ブームを背景に、国民の健全なレクリエーションの増進を図るべく、全国に約5000kmの自転車専用道路を整備しようとするものだった。都道府県や指定市が事業主体となるが、大規模自転車道として認められれば、国の一定の補助を受ける事が出来る。この事業は国土交通省になってからも受け継がれており、平成21年現在で全体計画4300kmのうち約3600km(計134路線)が供用されている。大規模自転車道の特徴は全ての路線が一般都道府県道として供用されることで、路線名は「一般県道○○自転車道線」となる。あなたの住んでいる県にもきっとあるはず。→一覧表

大規模自転車道「一般県道太地新宮自転車道線」の全体計画は25.3kmからなり、太地町と新宮市を結ぶ国道42号の自転車専用バイパスとして計画された。
その着工は平成元年で、平成4年には三軒家トンネルが開通するなど進展を見せたものの、用地取得の難航で事業が長引き、平成十年の和歌山県公共事業再評価委員会での審議の結果、一時休止となって(和歌山県議会平成18年6月定例会での県土整備部長の発言より)いる。

一時休止の決定以降、工事は再開されておらず、現在の整備区間は全体計画25.3kmの約4分の1の6.5kmに留まっているとのことである。


…と言う感じで、全体計画の25.3kmでさえも、やっと完成できた6.5kmに較べれば大風呂敷と感じるが、実はそんな甘っちょろいものではなかったことが判明(!?)

この和歌山県こそは、かつて大規模自転車道事業が生まれるきっかけとなった、ある重要な自転車道の建設構想を国に提案した張本人だった(らしい)のである。
その名も、太平洋岸自転車道


太平洋岸自転車道とは…

鹿島から房総半島を一周して、伊豆半島を通り、そのまま和歌山のほう紀伊半島までいくというような大規模な自転車道 
(昭和48年2月23日 国会衆議院交通安全対策特別委員会 での菊池三男道路局長の発言)

という途轍もないもので、総延長は約1200km(わが国最長の国道である一般国道4号より450kmくらい長い)とされる。
そして、実際には太平洋岸自転車道という名前を案内していない路線も含め、計画された大規模自転車道のうちの相当数が、この一部となるように配置されており、現在までに約800kmが既成である。

私が、古老の発言によって偶然遭遇した僅か0.8kmの小さな小さな自転車道は、1000kmの彼方に茨城県鹿嶋市を目指していた――。


来世紀には、全線開通しているだろうか。津々浦々の既設区間を当サイトで紹介したら25年はかかりそうだから、もうやらない…笑。



完結。




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