この小国町界隈の国道113号線には、かなりの数の旧橋・旧旧橋が存在しており、しかも、それらの多くが何らかの遺構を今に残している。
それらのうち主な物を表したのが、上図である。
このレポを執筆している段階では、東から見て行って、
宇津峠・
上杉橋・下杉橋、そして少し飛んで
松栗沢橋を紹介している。
そして、今回は、明沢橋とその前後の旧道区間を紹介したい。
一連の旧道は、国道113号線を西進する時、現道の沼沢トンネルの手前で左に別れる。
この先はJR米坂線羽前沼沢駅を中心とした沼沢の集落であり、旧道は生活道路として大切に利用されている。
旧道に折れると即座に線路を渡る。
そして、間瀬川に迫り出した巌を切り取ったカーブの向こうに集落が見えてくる。
この場所の景色は、少しばかり目を惹く。
もともとは山際から続いていたはずの尾根が鉄道と旧国道に連続して切り取られており、尖塔のような小山を残しているのだ。
いっそのこと完全に切り崩してしまえばと思うが、このまま残っているところが、閑村らしくて好ましい。
駅の周りには民家が数軒あるが、そこを過ぎると旧道は1車線で川と線路の間を蛇行して進むようになる。
古びた舗装が旧道探索の趣を濃くしている。
普段はなかなか紹介する機会がないが、私の探索の中でも圧倒的長距離を占める「普通の旧道」は、心安らぐ癒しのゾーンである。
ほのぼのしながら進むと、米坂線と国道を連続してアンダーパスする。
昭和40年代頃までは、これが一帯唯一の道であったのだから、小国町が“陸の孤島”と揶揄されたのも無理からぬ事であったと思う。
ここを過ぎてやや行くと、一度国道と平面交差する。
そして、交差点で旧道は現道に呑まれてトンネルに消えるように見えるが、実は旧道が沢際に再び折れている。
明沢トンネルの左に見える小道が、それだ。
生活道路として利用されていたのもここまで。
ここから次の明かり沢集落までの1kmは、廃道である。
では、いつもの山行がテイストで行きます。
深い掘り割りの底を緩やかなカーブを描いて進む線路は、そこに列車という主役が無くても、充分に絵になる景色だ。
穹(そら)との境界が一層鮮明にする新緑の時期ならば、尚更である。
旧国道は、作られた当時のままの姿と思われる、良く締まった土の道となる。
線路を見下ろしながら、間瀬川の削った山肌に沿って蛇行する。
やや登ると、下りに転じる。
下りが始まると、さらに道は藪となっていく手を阻む。
新緑ですらこの視界であるから、盛夏には道は見えなくなるだろう。
山側から鞭のようなしなやかさを持つ枝が多数路上に伸びており、顔面に連続ビンタを頂戴しながら、下り基調の道を行く。
日陰となった路面は泥道だ。
濃い緑の中、もし引き返しになったらいやだななどと考えながら進むこと500m余り。
間瀬川の右支川である明沢が寄り添ってくる。
ますます惨くなる藪。
視界を逃げるような気持ちで路上からそらすと、明沢の流れの向こうに国道トンネルのつまらない坑門が見えた。
明沢トンネルの次のトンネルである、栗松トンネルの東坑門だ。
また、対岸には僅かだが民家が建っており、明沢集落を形成している。
ここから上流の明沢にはかつて山形県下では数少なかった森林軌道の一が通っていたといわれる。
地図には小さな隧道も描かれているようだが、今回はパスだ。
とにかく、明沢を渡るのが旧道の道筋な筈で、この激藪の向こうに橋があるはずなのだ。
巨石がゴロゴロと廃道上の藪に隠れていた。
そして、そこを抜けると、みちは心地よい草地となり、稀に車も入っているらしい雰囲気。
どうやら、旧道の藪化は、落石による不通から生じたという、お決まりのパターンだったようだ。
短いが、激しい密度の藪だった。
さて、行く手には現国道の明沢橋が見えてきた。
その下を潜るのかと思いきや
その直前で旧道もヘアピンカーブで川を渡る。
この場所が明沢橋だが、風化の進んだ橋上からは、そこが橋であることすら気が付けない(かも)。
まるで、暗渠のように見えてしまう。
当然、親柱はない。
欄干は現存するが、蔦に絡まれ不鮮明である。
過ぎた後に橋があったことに気がつき、少し引き返して撮影することにした。
まずは、激藪を抜けたばかりの左岸からの新旧明沢橋。
ここではじめて、旧橋が秀美なアーチであることを知った。
心躍らせた私。
今度は河床からの撮影にトライするべく、右岸から明沢に降りた。
明沢橋の洒脱な姿。
残念ながら面白みのない現橋がどうしても旧橋の背景に写ってしまうが、雪解けの清澗を一跨ぎにするアーチの良さは、圧倒的である。
絵心のない私ですら、これは絵になると確信したほどだ。
現橋からも鮮明に見ることが出来るが、高さが低く、車中からは見えない。
容易に接近することも出来るが、橋上からはその美しさは見えない。
そんな、隠れた逸品が、この明沢橋である。
一帯の例に倣って旧旧橋の存在を疑ったが、それらしき痕跡は見あたらなかった。
とすれば、この旧橋は昭和5年頃のものかも知れない。
明沢の数軒の民家の脇を過ぎれば、旧道は鉄路に阻まれる。
アスファルトの道が突然に消えており、踏切が撤去されてしまったらしい。
地図上では、このさきにも500mほど旧道が続いているのだが…。
米坂線は、一日に10列車程度しか往来がない。
行っちゃおう。
案の上、踏み切りの無い踏み切りを越えた先は、ひどい廃道だった。
縦横に蔦が這い、緑一色の路面。
しかし、そこにはたしかに白いアスファルトがあった。
そのせいで、その廃度は一線を越えず踏みとどまっているようだ。
左に間瀬川のせせらぎを聞きながら、杉の植林地にまっすぐ続く緑の道を行く。
かすかにアスファルトの路面が見える場所もある。
地形的に平坦な為か、路上に土が流入していないので、まだ当分の間はアスファルトに守られて残りそうだ。
派手ではないし短いが、踏み切りによって断絶された廃道もまた、味わい深いものだ。
まもなく、2度目の踏み切りがあり、越えれば終点。
現道に合流する。
無論、この踏み切りも、撤去されている。
これを越えれば、現道に戻れる。
よく耳を澄まし、列車の気配の無いことを確かめ、レールを駆けて渡る。
のどかなものだ。
松栗トンネル西坑門にて旧道は現道に一となる。
写真は振り返って撮影。
さらに国道を西進すればすぐに旧松栗沢橋や、片洞門の景勝地が現れ、いずれ小国町の中心地へ至る。
ここまで、レポ開始地点からは3500mほどの旧道探索である。
それほど危険な箇所もなく、多彩な景色とちょっとした冒険気分が味わえる好ルートであった。