2012/1/4 14:28 《現在地》
大間港のフェリー埠頭を後に、これからいよいよ、国道279号と338号が揃って迎える、本州の国道最北地点を目指す!
地図上に描かれた国道色の道が途切れるその地点まで、ここからあと750mほどであるから、結構あっという間に辿りついてしまうとは思うが、果たしてどんな景色が待ち受けているのか、私は結構ドキドキしていた。
まあ、国道専門ではないにしても、国道は大好きだからね。
これから迎える地点が我が国の国道網で二つと無いものである事を意識してしまえば、この興奮もやむを得ない。
そんなわけで、さきほど寄り道のために左折したこの交差点を、今度は直進して国道へ。
ただし、直進が国道であることを示す案内標識などは、特に見あたらない。
1月4日という日付のせいもあるのだろうが、市街地の国道とは思えないほどに閑散としている。
一応この辺は、人口およそ5800人が暮らす大間の町の中であり、至って普通の2車線の国道(歩道が車道と分離されていないのは少し前世代的だが)であるが、とにかく車通りが、人通りが、少ない。
なお、フェリー埠頭以来、国道であることを示すものには出会っていない。
もし見つけ次第報告するが、これはもう、最後まで出て来ない雰囲気が濃厚かな。
まあ、それは淋しいが、でも国道であることには変わりないのだから、最後を粛々と見届けるまでである。
14:30 《現在地》
先ほどの交差点から250mほど進むと、再び十字路にぶつかった。
相変わらず案内標識は無いが、国道はこの交差点を左折する。
また、国道は優先道路ではないのか、ここで一時停止を指示される。
なお、このレポート(前編)の冒頭に出て来た十字路を覚えているだろう。
あの十字路の青看で、なぜか国道338号として案内されていた「右折」をすると、300mほどで、この十字路に右の道から出てくる事になる。
フェリー埠頭へ用が無く、大間崎へ向かうならばそれが近道であるし、私がなぞってきたように丁寧に国道を辿るドライバーは、たぶん少ない。
そんなこともあって、国道は優先道路で無くなっているのだろう。
この十字路を別の方向から撮影。
国道338号のルートが、仮に例の青看の言うとおりであったとしても、ここで国道279号と338号が1本になって端点へと向かうはずである。
なお、十字路を左折した国道279号は、その先でまたすぐに右折している。
道もここからは1.5車線程度になり、いかにも街路といった感じである。
未来永劫、バイパス化されることもなさそうな、本当の意味での末端区間が始まっている。
(唯一、バイパス建設の可能性があるとしたら、それは“海峡大橋”の建設なんだろうな)
十字路を左折し、すぐにまた道なりに右折すると、その先に丁字路が見えてきた。
広い道を辿って行くだけなので、標識は無いが迷うような心配は無い。
すなわち、ここは左折が正解となる。
(パトカーが止まっているルートが正解な訳が無いとワルニャンは思う)
それにしても、本当にここが国道なのかと不安になるくらい「何も無い」が、気付けばもう本当の端点まで残り300mくらいになっている。
これから向かう端点に、以前は函館へ通じるフェリー乗り場であったのだと、私はそう考えているが、今のところそれらしい痕跡を見ていない。
なんか、“繁栄の跡”的な気配さえ感じ取れない、本当に色の薄い街並みが続いている。
左折したら、またすぐさま直角に右折する。
何とも慌ただしいが、慌ただしさを感じさせないくらい、孤独である。
そして、この辺のカクカクした連続曲がりも、全て地理院地図に描かれたルート通りである。
だが、終わりは確実に近付いていると感じる。
なぜなら、今までは住宅地の中を走っていたが、ここで遂に道の片方に海が横付けしてきた。
海は、この道の終わりの証しである。
それだけではない。
もう、こんなに海の向こうの北海道が大きく見えている。
陸上で北海道をこんな近くで見る事なんて、当たり前だが、ここに来ない限り経験のないことである。
さっきの船はもう見えないくらい沖合へ行ってしまったが、船が目指している陸影は、頭上の雲の連なりの先に、見失う可能性のない大きさで横たわっていた。
そして、何事も無く迎えた、
何事も無い、この地点――
これより我、本州における国道最北端の領域へと突入する!
実はこの地点までは、大間町内の国道279号上に同程度の北緯を掠める区間があり、
まだ単独で最北端という訳では無かったのであるが、この先は
(といっても残りは200mを切っているが)
本当に本州最北端の国道というわけである。
そして、そんなことを考える時間もほとんど無いままに…
きっとこれが、本州最後のカーブになるだろう。
そんな、ごく一部の人間にとっての記念すべき場面が現れる。
国道はここを左折する。
なお、この交差点を道なりに直進すれば、本州最北端の大間崎へ通じている。
また、町役場などがある市街中心部へも直進する。
こちらからだと交差点に案内標識は無いが、反対方向にそれらしきものが見えるので、回り込んでみよう。
うああぁ…
「フェリー埠頭」の文字の右側に、シールを被せて何をか隠した痕跡があるッ!
これは青看の配置的に見ても、「右向きの矢印」を隠したに違いない。
やっぱり意味深な国道の端点は、ある時期までのフェリー埠頭であったのだ。
納得の青看に留飲を下げつつ、この探索の最後の場面へと向かいます。
これが最終ストレートだ!!
↓↓↓
まるで思い出したかのように2車線になった道は、
一直線に北に、海に、その向こうの陸影に、馳せ向かう。
かつて、大函航路が今よりも華やかなりしころ、
全国から集まった兵(つわもの)トラックドライバーたちが、
本州最後や最初の旅路を連日繰り広げた、そういうストレートである。
この「喫茶フレンズ」は、フェリーがここから発着していた当時からのお店だろうか。
雰囲気的には、そんな感じがする。
またこれより先にあるのは倉庫等のようであり、ここは国道279号および338号の本州側最北にある喫茶店とみて、間違いないだろう。
そして店とは反対の右側には家屋の並びが存在せず、その代わりとても広い敷地がある。
その敷地の向こうは漁港で、漁船が沢山停泊している。
これはともすれば、一介の漁港の風景として完結しそうである。 しかし…
この消えかけた白線によって描かれた無数の駐車スペースは、漁港に必要のないもの。
しかも、普通車では無く、大型車をイメージさせる大きさで仕切られている。
そんな駐車スペースが、ぱっと見で100台分くらいはある。
まさしく、フェリー時代の痕跡とみて間違いないだろう。
現在のフェリー発着場の駐車場の一部は砂利敷きだが、こちらは全体がアスファルトで舗装されていて、より上等である。
ただし、土地の広さとしては現在の場所に軍配が上がるか。
あの建物は…
民間の事業所のようだが、雰囲気は乗船券売り場兼待合所みたいだ。
でも、ちょっと新しすぎるので、やはりあの建物は無関係か。
位置的には、多分あの辺にあったと思われる。
そのほか、港を取り囲むように立つ飲食店や空き店舗らしき建物の並び方が、まさにフェリー埠頭のそれである。
ところで、この広大な駐車スペースは、公営を私営問わず、現役の駐車場としては経営されていない模様である。
停めるなとも停めろとも案内が無く、本州国道の最果てにある土地は、よく分からない漁港の一角となっている。
最終ストレートを行った。
↓
フェリー発着場跡を濃厚に匂わせる漁港の風景に行き着いた。
↓
終わり。
ではないのだ!
漁港の中にもまだ、国道であることを仄かに主張し続けるコンクリート鋪装のエリアが続いている。
地理院地図をはじめ市販の様々な地図を見ても、国道の色塗りは直線が海に達するところまで続いており、このコンクリート鋪装部分が国道の本当の端部とみて良いと思う。
道果てた!
これが、国道279号および338号の本州側の端点であり、海上区間の始まりである。
そして同時に、本州における国道の最北地点(北緯41度31分49秒)である。
何か国道ファン向けの記念物的なものが、ひとつくらいはあるかと思ったが、結局そんなものは何も無い。
地図を見てここを訪れる国道ファンは結構いると思うが、道路はあくまでも道路としての仕事に徹していた。
だが、ここに来てそれを残念に思うファンは、一人も居ないと思う。
最果てに抱く憧憬、その期待通りの風景に、私の中のテンションは最高潮。
もう2度と更新されることの無いであろう堅牢なコンクリート鋪装の路盤が、本州国道の陸果てる瞬間を、黙然と全うしていた。
14:40 《現在地》
国道端点より振り返る本州最後の旅路。
ここから東京までは約800km、本州の最も遠い地点―おそらく山口県下関までは、最短ルートでも約1600kmある。
余談だが、「霧に走る」によると、以前は大間町内に「東京798km」という青看があったそうだ。
まさに大函航路を利用したドライバー向けの表示であったろう。
国道は見事にスパッと終わったが、そのまま先へ進むと防波堤に突き当たる。
防波堤から眺める、大間漁港の眺め。
ここがいつまでフェリー港として使われていたかは、帰宅後の調査で判明した。
そして、防波堤から眺める、北海道の眺め。
函館には行ったことあるし都会なのも分かるけど、こっから見る北海道は、まさに原始島。
まあ、向こうからこの下北半島を見ても、やっぱり同じように見えるのならおあいこだがな…。
といったところで、国道本州北端の旅は終わった。
現在のフェリー埠頭から、僅か700mばかり離れただけだが、
そこには私の中の理想的な国道端点が残っていて、かなり盛り上がった。
このあと、大間町役場(←)の近くを通りかかった時に、1枚の看板を目にした。
街角では見馴れた、正式名称不明の、地図看板だ。(→)
地域に根ざしたこの看板には、国道端点の近くまで国道279号の注記があった。
最終ストレートこそ単なる小径のように描かれてはいたが、現地には“おにぎり”のない街路が、地元ではちゃんと国道と認識されているようだ。
また、疑惑の国道338号のルートであるが、青看に準じた表記になっており、もしかして本当に国道338号はこういうルートで指定されてるのかな?
以上で現地レポートを終わります。
帰宅後の机上調査で一番に知りたかったのは、今回目にした国道端点である大間漁港が、いつまでフェリーターミナルとして使われていたかという点であった。
まずは手当たり次第に手元の古い道路地図をチェックしたが、「古い」ものは、いずれも国道の端点がフェリーだった。
左図はその一例、平成元(1989)年の「人文社青森県広域道路地図」である。
これをみると、国道のルートは現在と全く変わっていないが、「フェリーのりば」がちゃんと国道の端点になっている。
また、現在大間港に設定されている定期航路は、大間〜函館間(90分)のみであるが、当時は大間〜函館(120分)のほかに、夏季限定の大間〜室蘭(5時間30分)という航路があったようだ。
更に時代を遡り、昭和50(1975)年に撮影された空中写真(→)を見ても、やはり同じような状況が描かれており、現在のフェリーターミナルなどは、埠頭そのものが影も形も無かった。
そもそも、大間港がフェリーターミナルとして使われはじめた時期についてだが、「角川日本地名大辞典」によると、大間港は昭和25(1950)年に地方港湾の指定を受けており、昭和39(1964)年にはじめて函館との間にフェリーが就航した。その後、昭和46(1971)年には戸井と室蘭への航路が増設されたそうだ(これらは今日は廃止されている)。
また、このフェリー航路に繋がる陸路については、昭和44(1967)年に県道野辺地むつ大間線が全線舗装され、翌年にこれが国道279号に昇格した。
国道338号がこの区間に指定されたのはだいぶ遅く、昭和57(1982)年であるという。
そして、大間港にカーフェリーが就航して間もない昭和42年から48年ごろ(オイルショック)は、本州と北海道を結ぶ最短ルートという地理的有利から、トラック航送の大ブームが起きた。
右図を見れば、その過熱ぶりは一目瞭然である。
国会会議録検索システムを「大間港」のキーワードで検索すると、当時この航路に大型車が殺到したために、まだ十分整備されていなかった県道で、「沿道住民は泥水と砂ぼこりに日夜苦しめられ」ていたなどの記述が出てくる。
まさに過熱したブームであった。
しかし、この後のオイルショックによって、多くのトラックは青森港からの青函航路を選択するようになり、大間港は乗用車以下の利用が中心となるのであった。
当時の航送で大いに盛り上がっていた大間港の風景は、現在の事業者である津軽海峡フェリーのサイトで見る事が出来る。(ここの一番下の写真)
話が脱線したが、私が知りたかったフェリーターミナルの移動は、ずばり昭和63(1988)年7月である。
このことは、「大間・函館航路地域公共交通総合連携計画」の計画書に出ており、私がこの探索の中で目にした「ばあゆ」や、懐ゲーがあった待合所なども、全てこの昭和63年から使われてる(た)ものだという。
この時フェリーターミナルの移動が行われた経緯は分からないが、現ターミナルの方が敷地も港域も広いので、新造船の就航と切り離せない関係があるのだろう。
そして、国道もこのターミナルの移転に伴ってルートを変化させる選択肢はあったと思うが、地元自治体である大間町としても、敢えて有利な条件で整備される可能性が高い町内の国道区間を短くなるような要望は出さなかっただのだろう。
そして全国の「港国道」に広く見られる傾向ではあるが、実際の港湾機能のメインルートからは乖離した、末端の国道区間が残されたものと思われる。
おかげさまで、本州最北端の国道は、本当にひっそりと残っている。
遠い未来のいつか、津軽海峡大橋が整備されるその日まで、本州国道最北端の座を譲ることはないだろう。
↑町内に掲げられている、津軽海峡大橋の完成予想パース。 |
↑私の妄想青看。 |
完結