ミニレポ第224回 熱海の野中山トンネル

所在地 静岡県熱海市
探索日 2016.2.21
公開日 2017.2.11

戦慄のスパイラル斜坑型トンネル?!



先日、地理院地図を眺めているときに、面白いトンネルを見つけた。


あなたにも、見つけてもらいたい。
↓↓↓


↓↓↓

ここ、どうなってるの?!

ごくごく短いトンネルが、180度のカーブを描いているように見える。


この奇妙なトンネルの道は、行き止まりのようだが、とても気になる。

実際にどんな景色が現地にはあるのか、見に行ってみよう。

場所は、日本有数の温泉歓楽街である、熱海(あたみ)だ。






2016/2/21 13:29 【現在地(マピオン)】 

ここは、静岡県熱海市のJR熱海駅前。
東海道本線と東海道新幹線そして伊東線が停車するこの賑わいの駅を、観光やビジネスなどで訪れた経験を持つ人は大勢いることだろう。
しかし私はこの日この場所へ鉄道を使わずやってきた。
遙か昔に失われた豆相人車鉄道の跡を、人車鉄道並みの速度しか出ない自転車で追い掛けながら、辿り着いたのだ。
もっとも、ここに辿り着く直前に、人車鉄道の探索は終わっていた。かの鉄道の終点は、この近くではあるが、現在の駅前ではない。

前置きが長くなったが、私が初めて駅頭に立った熱海駅前から眺める景色は、溢れかけた宝石箱の印象を与えた。
瀟洒な洋装を纏う巨大な建造物たちは、猫額の海岸沿い低地から容易く溢れ出て、後背の山岳地(これは手ぬるい丘の如きものでは無く、伊豆半島の主山脈に属する本格派だ)をも支配的に居立していた。ここには立体的で迷宮的な、熱海という名の宝石箱都市(Jewel box city)の姿があった。

地図上に見つけた“奇妙なトンネル”を探すトレジャーハンティングの始まりだ。



13:50 《現在地》

熱海駅前を自転車で出発してから20分後、私は地図を頼りに辿り着いた。
駅から1kmほど西に離れた熱海市咲見町の一角、目指すトンネルへと通じる唯一の道の入口へと。

とても目立たない、青看も信号機もない交差点だった。
手前の2車線の道は交通量の多い市道であるが、そこからわざわざ、この見るからに狭く、見通しが悪く、急勾配が威圧的な脇道へと出入りするクルマは、今のところ見あたらない。
しかし良く見れば、この脇道の行き先が看板によって明かされていた。「両国予備校熱海研修会館」「Relax Resort Hotel」「野中山マンション」「東京実業健保組合保養所サンライズ熱海」といった、いかにも熱海色をした色々な施設がオープンにされている。

ここは見ての通り“一般道”らしく、地図から勝手に期待していたほどの“凄み”は、今のところ感じられない。



それでは、問題の脇道へGO!

入口に立って先を見ると、ほんの20mほど先に左カーブがあって、そこまでしか見通せない。
しかも、狭い道の両側がコンクリートの高い擁壁に閉じられていて、視界の悪さは極まっている。そのうえ急な登り坂なので、圧迫感がもの凄い。
この道、地図では入口からたった400mで行き止まりだが、その間で等高線を5本も踏んでやがる。真に受けるならば、400mで50mを登るその平均勾配は実に12.5%にも達する。


ん?

壁に何かの看板が取り付けられている。 ↓↓↓



通行注意!
 この先トンネルあり
道路幅員が狭い為、車両の
すれ違いできません。
  
300m先 行き止まり

こっ! これは?!




トンネルあったー!

早くも、この探索のメインディッシュが登場だ〜!!

とりあえず、この段階ではトンネルの中がどうなっているのかは見えないが……、

どうなってるんだろう。

それにしても、凄い勾配だ。

現時点では、目指してきたトンネル以上に、急勾配の方が目を引く存在だった。




13:51 《現在地》

入口からここまで約50mである。所要時間は、わずか1分!(笑)

道は、もの凄い急勾配のままトンネルへ突入している。
入口からここまで、普通車同士がすれ違えるスペースは全くないが(軽自動車ならギリギリ可能かも)、そのままトンネルが始まってしまう。
いくら交通量が少なかろうと、これは酷い悪線形だった。

さて、目前に迫るトンネルの内部を見ると、そこに灯りが点っている様子は無い。
では短いのかといえば、実際にその通りなのだが、しかし、出口の光は見通せない。
それもそのはずで、冒頭にも既に述べた通り、地図(→)によれば、このトンネルの内部は180度もカーブし、出口は反対を向いている。

これは、ちょうど九十九折りを構成するヘアピンカーブの先端部が、トンネルになっているということだ。
このような線形は、古いものというよりは、むしろ最近の山岳道路でときおり目にするが、このトンネルが地図上で特異に見えるのは、カーブの半径が極端に小さいことと、トンネル自体が短いことである。

見たところ、トンネル右側の高い法面の上には一軒の民家がはみ出しそうに建っている。おそらくこの民家は、トンネルのあるカーブに囲まれた立地だ。
これからトンネルを通り抜ければ、それもはっきりするだろう。



坑門をひと目見て、すぐに分かった。
これは、結構古いトンネルだ。
コンクリートで作られた坑門のアーチ部分には、アーチ環を象った飾りの凹凸が設けられていた。
ここが古さを感じさせる源泉である。さらに、坑門および両側のコンクリート擁壁の風合いも、決して新しいものには見えない。

坑門には「トンネル内点灯」と書かれた小さなプレートが取り付けられているだけで、扁額や工事銘板のように素性を直接語ってくれるアイテムは見あたらないものの、経験則から、これは昭和前半期の建造だと思った。(アーチ環が飾りでなく本物だったら、さらに古い大正期や昭和最初期のコンクリートブロックトンネルと判断しただろう)

このトンネル、特殊な線形というだけでもトンネル界の“お宝”たりうるが、古トンネルとなれば、さらに価値は倍増する。
進入前の段階で、なかなかテンションが上がってきた。
そして、いよいよ内部へ!





マジだった(笑)。

これは本当に大袈裟でなく、地図の通りの線形だと思われる。

トンネル内にカーブミラーがついている時点で、大概だと思ったが(笑)、
そのカーブミラーに映る先に、もう一つ同じようにカーブミラーが見えていた。

トンネルに入った時点で、ミラーを使わず見えるカーブは90度までだから、
その先に別のカーブミラーがある時点で、それ以上のカーブだ。というか、180度だこれ(笑)。






見て〜!

見て〜!



見る!

カーブの内側の内壁が、まるで 柱。



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← カーブ内側の内壁に自転車を立て掛けてみた(笑)。

さすがにこの勾配には、私もどん引きだ。

もちろんそれは顔の皮の引きつった、しかし満面の笑み!!(笑)

かつて、とある廃鉱山の奥地で見た“スパイラル斜坑”という坑道を思いだした。それは幾重もループした急勾配の地下斜坑だった。

こちらはループには至らない半周(180度)だが、勾配の大きさと、カーブの厳しさ(曲率半径)は、間違いなく上回っている。
道路トンネル内で目にした勾配としては、過去最大級の“釜トンネル”(最急勾配15%)を越えた可能性がある。
少なくとも、カーブ内側の壁に面した部分については、確実に超越している。
実測はしていないが、この部分は写真からの読み取りでおおよそ30度≒58%程度の勾配があるようだ。   …酷い!(笑)




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

こんなにパノラマ写真向きのトンネルもないだろう(笑)。

ぜひ、↑の画像をグリグリしてみてほしい。



トンネルという名の嵐は、あっという間に去る。
やつの命は、短い。
本当にヘアピンカーブの先端部分だけがトンネルになっている。
カーブがきつすぎて絶対に洞内を一望する事が出来ないが、全長は推定20mである。

また、トンネルの幅員と高さは、それぞれ4m程度だろう。
道幅が4mあるといえば、通常なら乗用車同士は十分すれ違えるのだが、このトンネルの場合は、急カーブのせいでおそらく無理だ。
軽自動車同士ならば可能だろうか? ぜったいに良い気分はしないだろうが…。

トンネル内で進行方向を反転させ、地上へ復帰する。
しかし、そこにあるのは相変わらずの半端ない急勾配道路。
そして、見覚えのある壁色をした民家の姿!
トンネルと民家の密着度は、【下から見た】ときの予想以上だった! トンネルの坑口が玄関先にあるという、トンネル好き垂涎の立地条件。




13:56 《現在地》

トンネルの北側坑門も、南側と同じデザインであった。
やはり扁額などはなく、本編の表題となっているトンネル名は、帰宅後の調査で判明したものである。

右の写真は、北口附近から振り返って撮影したトンネルだ。
眼下に先ほど通った道を、色々な障害物の隙間からではあるが、ぎりぎり見下ろせる。
トンネルを含む道路の線形を、無理矢理ハイライト表示してみた。

この案外に古そうなトンネルが、この場所に生み出された理由は明確ではない。
同じ道路線形でも、トンネルではなく切り通しとして開削してしまうことが出来そうな土被りしかない。
しかも、トンネルの断面が矩形ではなくアーチ型なので、開削工法ではなく、山岳工法で作られたもののように見える。
敢えて施工の非常に難しい曲線形のトンネルを設けたことには、何か深長な理由があってのことだと思うが、この点は未解決である。(これだけ土被りが浅いと、地上の建築物云々とか地上権云々という問題でも無い気がするが、どうなんだろう…。)



いやはや、ものスゴいトンネルがあったものだった。

一応これで探索の目的は達成したが、せっかくなので、この道の行き止まりまで行ってみることにしよう。
地図で見る限り、道は最後まで一本道で、あと300m足らずで終点を迎える。
そして沿道には、入口のところに看板で案内されていた保養所やホテルやマンションなど、色々な建物がある。
どの建物も、この道以外にはアクセスする術が無い、“トンネル”の絶対的利用者である。

左の写真は、トンネルの50mほど先にあるヘアピンカーブだ。九十九折りの下から数えて二つめの切り返しだが、今度はトンネルではない(笑)。
しかし、勾配や線形はトンネルだった前の切り返しとそっくりだ。なお、ここで一台の乗用車に追い抜かれた。




こうして道はぐいぐいと登っていくので、路傍の眺めも急激に変化していく。
写真は、二つめの切り返しカーブの外側に見た景色で、目の前の白いマンションの3階辺りには、この道からアクセス出来る。
地上階へは、別の道からアクセスするようだ。

このように巨大な建物がすべて海の方向を向いてたくさん建っている。




二つめと三つめの切り返しの間の直線部分には、「サンライズ熱海」がある。
あるのだが、とにかく道は沿道のすべての施設へのアクセスを置いてけぼりにする勢いで、全く手心無く上り続ける。
いつものように自転車を足にしている私にとって、これは文章にする以上の苦しみだった。
どうせ行き止まりで引き返してくるのだから、自転車を残して歩いてもいいのかとも考えたが、やっぱり悔しいんだよね。
この場所に限らず、熱海の街は自転車にはとても厳しい。




三つめの切り返しは、今までの二つの切り返しのようなヘアピンカーブでは無かった。
地図でもそのように描かれているのだが、「カクッ!カクッ!」というふうに曲がる。
道路は道路でも、これは峠道などでは見られない線形の特徴で、新興住宅地や別荘地のような分譲地の道にこそ見られる特徴である。

正面の見上げた高さには、大きな豪邸が見えている。
そしてその右側に何台もの車が駐車しているのが見えるが、あそこがこの道の終点である。
あともう一頑張りだが、最後まで徹底して勾配は厳しい。




続いて四つめの切り返し。最後の切り返しである。

ここに来てようやく道が広くなり…というわけではないが、両側が駐車場として使われているせいで広く見える。
入口の看板に名前があった「マンション野中山」などが、この場所に建っている。
ちなみに、野中山というのは今いるこの山の名前と思われる。地図に山名は書かれていないが、この直下を貫いているJR伊東線のトンネルが「野中山隧道」、隣のJR東海道線のトンネルが「新野中山隧道」と名付けられている。(余談だが、開通のより古い東海道線のトンネル名に「新」がついているのは、伊東線の開業時に新設されたトンネルを東海道線と交換したため)

ここを曲がると――



14:01 《現在地》

終点です。

入口から380mの地点にあるここは、標高がちょうど100m。きっかり50mを登った。

それだけに――





← 眺めが最高!!

これは、南側の眺め。





こっちは、東側の眺めである。
海上に浮かんでいるのは初島だ。
その右の彼方には、うっすらと伊豆大島の山影も見えた。
一転、混雑の眼下に目を転じれば、ビルの谷間に車通りの多い道が見えた。
あれは、この道の入口に面していた市道である。
つまり、たった380mでこんなに(50m)高度を上げたのだ。

トンネルだからといって勾配の例外が許されることもなく、この短い道は、ほぼ全線が激甚な急勾配。熱海の財宝の如き土地を少しでも利用すべく、道は相当の無理を呑まされたのだと感じた。
もはや新しい道を開発する余地があるようにも見えないから、当分はこのトンネルを見る事が出来そうだ。



心地の良さを少しだけ越えてしまった疲労と共に、この奇妙なトンネルを後にした。





この手のヘアピンカーブ型のトンネルとしては、“日本一”R(アール:曲率半径)が小さく、また急勾配なのではないかと思われる、名の知れぬ道路トンネルについて、帰宅後に机上調査を試みた。

だが、「熱海市史」などの史料には参考となる情報を見つけられず難航しており、分からないことが多く残っている。


← 新しい          (歴代航空写真)          → 古い
@
平成24(2012)年

A
昭和51(1976)年

B
昭和24(1949)年

まず行ったのは、歴代航空写真の比較である。

平成24(2012)年、昭和51(1976)年、昭和24(1949)年という3世代の航空写真を見較べてみると、熱海という都市の順調な成長が見て取れた。
この60年ほどで海岸沿いの低地からは建物が溢れ、山の中に巨大な建物が幾つも建った。
低地の建物も低層から高層建築へと再開発され、人車鉄道時代の長閑であった海岸のいで湯は、世界的温泉保養都市へ生まれ変わった。

そんな変化の中で、我らが“トンネル”が明らかにあると分かるのは、昭和51年版からである。
このトンネルは、野中山の一帯を開発する上で、どうしても必要な生命線だったことが見て取れる。
なにせ、当時のこの山にあったすべての建物がトンネルに連なる今回探索した道に面しており、それ以外のアクセスルートが存在しない。

対して昭和24年版では、野中山にはまだ建物らしいものが見あたらない。
おそらく、トンネルも存在しなかったと思うが、それでも一部に樹木がない領域が広がっている。
これは畑として使われていたように予想する。

私は現地で、トンネルは昭和前半期の建設であろうと予想したが、昭和24年時点で存在しなかったのだとすると、この予想はだいぶ危うくなってくる。
果たして正解はどこにあるのか。
幸い、この基本的な疑問については、だいぶ確からしい答えを得る事が出来た。


このトンネルのものと思われるデータが、『平成16年度道路施設現況調査(国土交通省)』に収録されていた。

トンネル名:    ノナカヤマトンネル    道路種別: 市町村道(その他)  延長: 21m  幅員:  4.5m  有効高: 3.0m  竣工年度: 昭和27(1952)年  

『平成16年度道路施設現況調査(国土交通省)』より抜粋。

資料の性格上、分かるのはこうした数字のデータだけだ。
余り血の通った記録という感じはしないが、それでも非常に役に立つ。

まず、現地では謎のままだったトンネル名が、「野中山トンネル」であったことが判明した。少し無難すぎるか(笑)。
そして、一番気になっていた竣工年だが、昭和27(1952)年らしい。 …ぎりぎりではあるが、一応私の面目は保たれた。
また、そもそもこの資料にデータが掲載されていたことから分かるように、このトンネルのある道は、ちゃんとした市道に認定されている。

残念ながら開通の経緯は分からぬままの野中山トンネルであるが、活躍のエピソードを探したところ、面白い情報を見つけた。
このトンネルは、2013年にクイック氏が『穴と橋とあれやらこれやら』にレポートされている。ぜひお読みいただければと思うのだが、そのコメント欄に、今から30年以上も前に坂道の上に住んだことがあるというKENRICK SOUND氏のコメントが掲載されていた。
そのコメントによると、当時すでに使われてはいなかったが、坂道の途中数ヵ所に信号機があったというのだ。
現在でも自動車のすれ違いには困難の多そうな道であるから、信号機が設置されていたというのは納得出来る気がする。他にも、雨の日にはトンネル内が洪水状態だったなどという苦労が述べられていて、興味深い。
くわしくは前述のリンク先をご覧ください。



誰でも大手を振って通行が許された市道ではあるものの、勝手を知らない車が不用意に入り込めば困ったことが起こりそうな激坂の市道である。
沿道には密集して様々な施設があるので、交通量もさほど疎らではない。
もし探索目的で訪問されるのであれば、自動車以外の手段をオススメする。熱海駅から徒歩15分の好立地だ。



完結。


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