ミニレポ第228回 裏龍飛海岸遊歩道(仮称)

所在地 青森県外ヶ浜町
探索日 2014.11.11
公開日 2017.05.14

来歴不明、最果ての廃遊歩道


【周辺地図(マピオン)】

これは前回のミニレポの中盤で入口だけ紹介した、廃遊歩道物件である。
わずか40分程度で往復できる簡単かつ手軽な探索だったが、とても景色が良いこと、あまり存在が知られていなさそうなこと、そして机上調査では来歴が判明しなかったことなど、「世に問いたい」と思う理由があるので紹介する。
不明な来歴についてはもちろんだが、過去の状況についても情報を募集している。ご存じの方がいたら教えて欲しい。




2014/11/11 13:41 《現在地》 

前回のミニレポに登場した龍飛崎シーサイドパークが、今回のスタート地点だ。
ここはバンガローやキャンプ場などがある綺麗な海浜公園だが、北国の寒さが身に沁み始める11月の平日、しかもあまり空模様が冴えない今は、全く人影が見られない。
しかし風も波も穏やかなので、海沿いを探索するにはうってつけだ。

この段階では、当レポートの探索を行う予定はなかったのだが、単に海を近くで見たいという気持ちから、自転車に乗ったまま道を外れて海岸線に近づいてみると…。




海岸線に沿って北上していく、遊歩道らしい道が見えた。

雰囲気からして、あまり歩かれていそうではない。
でも、別に廃道という感じもない。

まあ、なんとなく気になった。
その程度である。
とりあえず舗装はされているらしいので、少し自転車で走ってみて、何もなさそうなら引き返せばいいだろう。




ちなみにこの遊歩道らしき道は、最新の地理院地図にも描かれている。
「現在地」から龍飛崎灯台の直下辺りまで、おおよそ800mにわたって続く「軽車道」の記号が見えるだろう。

龍飛崎は日本海と津軽海峡の境である。ゆえに本州における最北の日本海に触れられるのが、、この道かも知れない。
日本海好きな私がこの道に惹かれた原因は、そんなささやかなプレミアム感だったと思う。
あとは、入口に立った時点で肌に伝わるるうらぶれた雰囲気がね…、良かった。




地形図だと「軽車道」(巾1.5m以上3m未満の道路を示す)だったが、そんな道幅はまるでない。明らかに1m未満だ。

そんな見るからに頼りない道が、火星や三途の河原を思わせるような岩石ばかりの荒涼とした海岸線に、細くひとすじ続いている。
辛うじてでもなんであっても、舗装された路面が地表に露出してさえいれば、自転車の私にとってはそこは快走路。
普通ならこんな速度では危なっかしくてすり抜けられない岩山の隙間を、海岸ならではの平坦さと舗装の力に頼って力走するのは、自分が荒野の爆走機関車にでもなったような快感があった。



13:52 《現在地》

今までずっと波打ち際で平坦だった道が、突如として階段化して興を殺いだ。
なるほど、やっぱりこれは軽車道ではない。正しくは「徒歩道」の記号になろう。
階段には擬木コンクリートの手摺りが用意されていたが、荒天の度に波飛沫を被るという、鉄筋コンクリートには最悪の立地である。当然のように全身から錆色の体液を吹いていた。
相当のスピードで劣化しているだろうから、経年の程度はむしろ不明だ。

階段に足を止められたことで、“ふと気づいた”ときには、もう500m近く前進していた。
地形図に書かれた道を既に半分以上こなしていたので、こうなったらゴールまで行ってから引き返そうと決めた。

自転車の前輪を持ち上げながら、最初に見えた階段のてっぺんに着くと、その先は来た道の線対称でもあるかのように、快走路の“おかわり”が渚の奥へ延びていた。



ただいま、快走中!



13:55 《現在地》

さらに200mほど進行すると、行く手に初めての分岐地点が現れた。
直進か、右か。
地形図には右の道は描かれてなかったが……。

……とまあ、これは悩んだふりで、初めから直進しか選択肢はなかった。
だって、右の道はどう見ても、大変な山登りだよこれ。
見たところこのまま枯れ草の斜面を龍飛崎灯台のある小高い丘の上まで登るようだが、高低差はゆうに100m以上あるだろう。
階段も見えるし、とても自転車を連れていく気にはなれない。

そもそも、この道は廃道というわけではない。
無理に行かねばならない理由はない。
ここまでだって、ただ気持ちいいから引き返すタイミングがなかっただけだし…。




廃道かも知れねぇ!!

分岐地点に着いた瞬間、“前言”を取り消さねばならなくなる発見があった!

ここで突如「廃道かも知れねぇ!!」くなったのは、右ではなくて、私が行こうとしていた直進路の方!

分岐に立つ木製の標柱を遠目には分岐の案内板だと思っていたが、これがなんと、直進の道の通行止めを知らしめるものであった。
その理由は、「危険 Danger」ということらしい。
毎度のことだが、やっぱりそれしか教えてくれないのですな…。

また、看板はこの歩道の素性について、重要な情報を与えてくれた。
この道の正体は、「東北自然歩道」だったのだ。これについてはまた後述しよう。



なお、「通行止め」とされている直進路も、物理的に封鎖されているわけではない。
私もそのまま自転車で進行する。
果たしてこの先には何が待っているのか、いままでとは違った意味で、興奮してきた!

写真は、分岐を過ぎて50mほど進んだ地点だ。
道の作りとその狭さ、両側にごろごろと岩石が転がっている荒くれた風景などはこれまで通りだが、そんな岩石のうちのいくつかが路上に乗り上げ、塞ぐように転がっていることは、見過ごせない変化だった。
山側の岩場から転げ落ちてきたのか、それとも激しい波によって打ち寄せたのかは不明だが、これは「通行止め」に入ってから現れた“最初の変化”だった。




路傍に、ものすごい姿をした岩の斜塔がそそり立っていた。

表面というか全体が柱状節理をなしており、龍飛崎周辺に多く見られる粗粒玄武岩(火山岩の一種)とみられる。
凍てついた北の大地というイメージと裏腹に、地下は全国屈指の高熱を帯びている、そんな火山県青森らしい風景だ。

何かしら古くからの名前が付いているに違いない、見栄えのある奇景だが、辺りには案内板ひとつ見当たらない。もちろん人影もない。
一度は遊歩道をつけたと思われるのに、すっかり見捨てられてしまったのだろうか。




13:55 《現在地》

シーサイドパークから800m(「通行止め」から200m弱)進んだ地点には、謎の直角カーブが待ち受けていた。
これまでで最も波打ち際に近付いており、潮の香りが心地よい。
しかし今日は凪だから良いものの、少しの波でも簡単に洗われてしまいそうな位置に道が付いている。
そのことも、「Danger」の理由だろうか。
現に道の両側には退潮に取り残された水たまりがいくつも出来ており、寂静の風景に幾ばくかの生命感を与えていた。




しかし問題は、この直角カーブの先である。

これまでの岩場の突兀(とっこつ)が全て子供だましと見えるほどの大絶壁が、道の定位置であった浜を奪い去っている。
そこに残されたのは、かの親不知子不知を彷彿とさせるほどの荒々しい磯辺だ。
手元の地形図もこの状況を察してか、あと50mほど進んだちょうど絶壁の手前辺りで道を途絶えさせている。
おとなしく終点を迎えるのか。

なお、絶壁の上にあるのは龍飛埼灯台と電波塔が並ぶ、龍飛崎突端とされる海抜115mのピークだ。
ここからも電波塔らしいものが見えており、海岸線から起立する岩場の高さが100mを越えていることが分かる。




ふぐサン、決死のダイレクトアタック実らずか……(涙)。

ねっとり視線を浴びながら、直角カーブを通過。



直角カーブの直後、道は呆気なく砂礫の底へと消えてしまった。
地形図はここを道の終点としているが、本当だろうか。
そこまで諦めが良さそうな道には見えなかったのだが…?

そんな疑いの視線を向けられた前方大絶壁の汀線すれすれに、

言い逃れ不可能レベルの明確な道形がッ!!

また、この大絶壁帯を最後までくぐり抜けられれば、1時間ほど前に通過した龍飛漁港へ戻ることが出来そうだ。
別に戻ってやることなどないが、地形図から抹消された(?)“廃遊歩道”があるというなら、捨て置けない!



13:57 《現在地》

一度砂礫の下に消えた道形は、その後すぐにまた浮上した。
と思ったら、今度こそぷつっと道が途絶えている、本物の行き止まりらしい場所が現れた。
この地点が、地形図の「終点」だと思う。




そしてここにも2枚の案内板があり、片方は「高波・強風の時は通るな」、他方は私の進行方向に「通行止 CLOSED」とだけ表示されていた。
また、両方の標柱に「東北自然歩道」の表示あり。
これが、「分岐地点」に続く2度目の通行止め告知だった。
どうやら、「通行止め」の区間は、時間の経過とともに広がっているのかもしれない。

こんな状況だが、50mほど先の岩場に道形が見えているのは現実だ。
いまは通行止めだが、かつては龍飛漁港まで歩道が繋がっていた公算が高い。
確かめに行こう。

ただ、乗って進めそうな場所はもう少なそうなのと、どうせ戻ってくる(この後で袰内へ行く必要が)つもりだから、自転車はヨッシーばりに乗り捨てていくことにした。



斜面のきつい狭い礫浜には、全く道の気配がない。
だが、それでもこの先の岩場には明確な道形が存在している。
それは狭いなりにしっかりとした石垣の路盤で、上部の岩角は“片洞門”を彷彿とさせる嘴(くちばし)状の切り取りになっている。
なかなか本格派じゃないか!




ずっと見えていた岩場の道形に到達。
海面との落差が僅かだからか、手摺りはない。
波がなくて良かった。状況によっては簡単に決死の道になるだろう。

ここまで来ると海面に浮かぶ岩礁の数もだいぶ減り、沖が見通せる感じになった。
海上には小舟の姿。地元の漁師だろうか。
うっすら見える遠くの陸地は、もちろん北海道だ。海峡を挟んで20kmほどの隔たりしかない。




開放的な海上とは打って変わって、頭上にそそり立つ岩場の威圧感はすさまじく、陸に上がることを真っ向から拒否している。
さほどの未知はなさそうなイメージを持っていた明るい龍飛崎に、こんな場所があったのかと驚かされた。
観光ガイドには載らない龍飛の“裏景色”といった感じだろうか。

この岩場も何かしら名前が付いているのだろう。
地形図には先ほど過ぎた「分岐地点」辺りの山側に「屏風岩」の注記があるが、実際にそこにあったのは草原的な斜面だった。
むしろこの大岩盤こそ屏風岩であろうと思う。
単純な平板ではなく、山と谷の折り目がついたささくれ立った有様が、余計に屏風らしい。




岩場の石垣道は一旦途切れ、それからまたすぐに復活した。
この調子でもう100mほど進めれば、めでたく龍飛漁港にたどり着けそうだ。

頑丈に造ってあるコンクリートの路盤だが、すっかり破壊されている箇所もあった。上からは落石、下からは波浪という、道にとっても極限的に過酷な立地。
特に前者に対しては、道だけでなく通行人も無事を「祈る」ことしか出来ない状況だ。

この手の危険な道を遊歩道として使うことが許されなくなってきたのは、おそらくここ30年くらいの風潮だと思う。
そのために、数多くの景勝が観光の場面から遠ざけられ、忘れられてしまった。
だが理解もしている。旅行は自己責任の範疇ではあるけれど、観光というハレの場で防ぎようのない落石により死ぬことを、不運だったと納得するのは誰しも難しい。
だからこそ、安全を保証できない道は「通行止め」にする。そこで私のような馬鹿者が不運に遭っても、それは自業自得と自分も社会も納得する。
「通行止め」こそが、リスクを負っても訪れたい人間と、理不尽な不幸を生みたくない管理者という両者にとっての暗黙的な妥結なのだろうと私は勝手に考えている。



これは、いま通ってきた道を振り返って撮影した。

いい雰囲気だ!

谷積みされた石垣の不揃いな目地、石垣に埋め込まれたヒューム管、角の欠けた路肩の駒止……。
道幅の狭さゆえに“車道”ではありえないが、それでもふた昔くらい前の生活道路といった雰囲気がある。
この部分の石垣は、先ほどまでの【防波堤っぽい道】とは明らかに造られた年代が違って見えるのだ。
そのことに何か意味があるのかは、残念ながら判明していないが……。(判明させたい!)

“階段国道”になっている傾斜の急な山越えをすることなく龍飛崎の表と裏を結ぶこの海岸道。
ここに遊歩道としてではない別の出自があることを、どうにも期待してしまう。…そんな風景だった。



そしてこの風景ッ!!

なんだこの鍾乳石のバケモノみたいな岩は!


この眺めを見れただけでも、来た価値はあったと思った。

もちろんそれは、基部に怪しき道が付いていることを込みにした評価だ。



冒頭でも述べたとおり、この遊歩道の来歴はほとんど何も分かっていない。
だが、この道が見せようとしていた風景の核心がこの辺りにあるだろうことは、その圧倒的なスケールからして了解される。

「角川日本地名大辞典 青森県」の「龍飛崎」の解説に、次の文がある。

竜飛集落のある東海岸に対して、日本海に面する西海岸を裏海岸と呼び、一帯には汐吹き岩・オバケ岩・屏風岩などの奇岩、ヤマシメノ岬・ウタルメノ岬などの断崖、海食洞、顕岩岩礁があり、河鹿の浜・仮間峡谷・赤間の浜などと呼ばれる磯浜が屈曲した海岸線に沿って見られる。

ここに道の情報は何もないが、龍飛崎の海岸にこれだけ多くの“名付けられた場所”があることは注目すべきだろう。
今日の外ヶ浜町の観光情報を見ても、これらの場所がどこだったのかは定かでない(唯一、いまの地形図に名前があるのは「屏風岩」くらい)が、「大辞典」が編纂された昭和60年頃には、よく知られたものだった可能性がある。(この場面なんて、いかにも「オバケ岩」っぽいじゃないの?笑)

また、龍飛という地名はアイヌ語の「タムパ」に由来し、「刀頭の義の訛り」であるという(帝国地名辞典)が、なるほど刃物を思わせる鋭い岩場が多くある。



14:04 《現在地》

前3枚の写真から1歩も動かずに、今度は前方の風景だ。

ゴールとなる龍飛漁港の在処を伝える消波ブロックがかなり近づいてきたが、なにやらおかしげなことが起きている。

道が、海側と山側の二手に分かれている?!

これは、【防波堤っぽい】海側の道が新道で、
古色蒼然とした石垣に守られた山側の道が旧道ということを示唆する眺めだと思う。
なぜなら、2本の道はカーブ一つの先ですぐ合流し、また1本に戻っている。




海側の道から見る山側の道は、懐かしい「エキサイトバイク」のコースみたいだった(笑)。

岩を乗り越えるために無理矢理つけた感が半端ない。
おそらく、向こうの道が現役だった頃、こっちは波が打ち寄せるただの磯辺だったのだろう。




こうしてすぐに2本の道は1本に戻る。

この合流地点の路面の風合いも、どちらがより古い道なのかということを、示唆どころか完全に確言しているといえる。
明らかに、山側の道が老舗だ。
海側は、取って付けた感が半端ないッ(笑)。

では、なぜ道の付け替えが行われたかだが――




山側の道が、見ての通りの巨大な落石を食らったか、或いは食らいそうな状況を予感して、付け替えたのだと思う。(旧道側を塞ぐ構造物がないのは不自然だが、バリケード程度ならば波で流されたかもしれない)

よく古代生物や古代人の化石を調べる学者が、その生物が生存中に負った傷の治り具合に着目して、対象がどのように生きた(そして死んだか)を考察するが、道についても同じようなことが出来る。
廃止されて「死んだ」道が現役だった時代には、生きながらえるための改修や改良が行われていた。
その痕跡は、道が生きた時期や期間を知る手がかりになる。

とはいえ、それだけでピタリと時代を言い当てることは難しい。せいぜい、この道はさほど短命ではなかったろうという推察が出来る程度だ。




廃と現の境界を思わせる、無機質な消波ブロックの山。

とりあえず、道がちゃんと続いているか心配になる光景だったが…



辛うじて、海に浸からず通行可能な状況だった(汗)。

ただし、コンクリートや石垣による道形は完全に壊されている。
消波ブロックの隙間になっているせいで、このスペースには波が一層高く押し寄せるのかも知れない。

そしてブロック帯の先には、さらに頑丈で周到で現代的なコンクリートの防波堤と、
これまで見てきた岩礁の中でもひときわ大きい、半島最北の陸地である帯島
(もとは小島だったが、昭和時代に漁港を造るために本土と接続したそうだ)が現れた。



いよいよゴールは間近だ。

防波堤の向こうには、1時間ぶりの人家の屋根も見えている。

階段通路で防波堤を乗り越えると……



14:06 《現在地》

龍飛漁港に到着!

通ってきた道に向かって、申し訳程度に「立入禁止」のA型バリケードがひとつだけ置かれていた。
積極的に封鎖している感じではないが、とりあえず現役でないことは十分に感じとれる道のりであった。

防波堤を越えた地点から漁港の駐車場までの数十メートルも、明らかにうらぶれた公園的ノリの歩道が続いている。
傍らにある四阿(あずまや)は、多分この遊歩道とセットで考えられていたんだろうなぁ。
そう考えると、廃止はそんなに昔ではないのかも。
なお、廃止済みであることを物語るように、辺りに案内板は見られなかった。



龍飛漁港の外れにあたるこの辺りの風景は、廃歩道の隣にいた屏風岩の続きが、
そのまま集落の背後にもそそり立っている形で、頑丈に治山されてはいるが、物々しい雰囲気。
私が立っている広い駐車場ももとは帯島との間にある海峡だったのだから、
龍飛の集落とは本当に崖の裾にへばりつく立地だったのだと分かる。厳しい。

なお、この崖の続きを階段でよじ登る“階段国道”は、ここからわずか100m南である。



今回歩いた遊歩道の全体図は、右の通りだ。

私は自転車と徒歩を組み合わせて通過に20分を要した。全線歩けば40分くらいか。
全長は約1.3km。
区間の内訳としては、シーサイドパークから650m地点にある【灯台への分岐】までは、おそらく現役区間。
そこから250m先の【2度目の通行止め表示】までは、「通行止め」だがほとんど荒れていない。
問題は最後の400mほどで、大半が地理院地図から抹消されてしまっている、完全なる廃道区間。
特別に踏破が難しい場面はないものの、荒れ果てていた。
そして風景がすこぶる良かった。

なお、全線に通じて言えることとして、今日は凪だったから楽だっただけで、悪天時は場所を問わず死ねそうだった。



ところで、未だ明らかになっていなかったこの遊歩道の名称についてだが、龍飛漁港にタッチしたあとすぐに同じ道をシーサイドパークまで戻った私は、そこで前は気づかなかった1枚の地図案内板を見つけた。そしてそこには、“微妙な感じ”で遊歩道が描かれていた。

何が微妙って、地図の書き方の問題なのだが、崖と道の区別が付きづらいためにしばらく誤認を余儀なくされた。
どうやら緑色の線だけが道で、茶色の線は崖である(ようだ)。(黄色の点線が、実際に歩いた遊歩道の位置)

この案内板の地図を見る限り、海岸遊歩道」というのが、遊歩道の名称らしいのだが、道として描かれているのは私が歩かなかった【灯台への急坂道】の区間だけだ。

また、私が歩いた区間の途中2ヶ所で「東北自然歩道」の標柱を見ているが、それについては全く触れられていない。東北自然歩道と言えば、ハイカー業界(?)では有名な存在であるはずだが…。

う〜ん、謎だなぁ……。






さて、この遊歩道はどんな来歴を持って、いまの姿に到っているのだろうか。

正式な道の名称ついてさえも、「裏海岸遊歩道」は有力な候補だが、確定できないでいる。

野うさぎ.net」さんが公開している「龍飛崎と龍飛崎遊歩道」というレポートで、私が歩かなかった灯台ルートが紹介されているのを見つけた。
同レポート中には、灯台付近に立つ案内板の画像がリンクされているが、そこには「龍飛崎遊歩道」と案内されていて、名称が「裏海岸遊歩道」とは一致しない。また、廃道化が著しい終盤の400m区間は描かれていない。(さらに、この案内板に描かれている灯台ルートは、現状の【ここ】からではなく、【フグ地点あたり】)から分岐していることになっていたし、所在地不明だった「オバケ岩」が、【この階段の辺り】にあったらしい。)

ややこしいが、おそらく現役時代の間にも、いろいろと道の付け替えや路線名の変更があったのだろう。
そして現状の遺物の新しさから推測して、最新の名称が「東北自然歩道」なのだと思う。



全て「環境省サイト(NATS 自然大好きクラブ)」サイトより転載(一部加工あり)。

東北自然歩道というよりも「新奥の細道」といった方が、東北の人間には通りが良いかも知れない。
或いは関東圏の人にとってお馴染みの「関東ふれあいの道」が、正式名称は首都圏自然歩道という、同じ仲間の道である。

右図のとおり、全国10のブロックに総延長27000kmも存在するこれらの道の総称を、長距離自然歩道という。
環境省が昭和45年から平成24年にかけて営々と整備を続けてきた、道路業界の知られざる巨人的な一群だ。

このうち、青森県には東北自然歩道(新奥の細道)が合計37区間整備されているのだが、その第23番として、「龍飛崎と青函トンネル体験のみち」というのがある。
この区間についての環境省サイトの説明は、以下の通りである。

龍飛崎の象徴でもある龍飛崎灯台と岬からは、龍飛潮流の寒流と暖流が激突する様を見せ、日本海、津軽海峡、遠くむつ湾までも眺望することができる。
〈距離〉1.6km 〈コース適期〉5月〜11月中旬 〈難易度〉初級者向け
〈区間〉龍飛崎野営場 〜 龍飛崎灯台
〈みどころ〉龍飛崎灯台、青函トンネル記念館、太宰治文学碑、竜飛ウインドパーク

注目すべきは「区間」の欄で、龍飛崎野営場とあるのはシーサイドパークを指しているだろうから、結局この東北自然歩道「龍飛崎と青函トンネル体験のみち」(全長1.6km)というのは、右図に緑の線で描いたものであることが分かる。
この区間は、いまも現役なのである。

さて、東北自然歩道全体の整備期間が判明している。それは平成2年から8年までだそうだ。

以上の現地での発見と机上調査の情報をもとに、今回探索した海岸沿いの遊歩道の来歴について有力そうなストーリーを想像してみる。

この遊歩道は、龍飛崎一帯に強い観光ブームがあった昭和50年代〜60年代初頭(昭和50年津軽国定公園指定、57年龍泊ライン開通、60年青函トンネル本坑貫通、63年開業などのビッグニュースがあった)に、観光ルートの拡充を目指す村か県で整備したが、落石の危険が大きい北寄りの区間は短期間で閉鎖された。(【石垣の区間】はこの時期の整備と推測)
続いて平成2〜8年頃には、国の長距離自然歩道の事業を利用して全体の再整備が行われた。(【防波堤的な区間】はこの時期の整備と推測)
しかし、やはり北寄りの区間は落石の危険が大きく、短期間で閉鎖されて現在に到る。

……以上、断定的に書いたが、あくまでも私の想像だ。
また、石垣の区間については、もっと遙かに古い起源を持つ可能性もあるのではないかと期待している。



小粒だが、侮れない面白さを持った、まさにミニレポ向けのミニ廃道だった。

あとはスッキリ出来るような事情通の方の証言が待たれる。



完結。


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