今回は、まだ誰にも注目して貰ったことがなさそうな、地味な“不通県道”を紹介しよう。
本当に、「あ、通れないんだ、ここ?」 って感じの、地味すぎる不通区間がある県道だ。
今回の主役、青森県道45号十和田三戸線は、その名の通り、青森県十和田市と三戸町を結ぶ主要地方道だ。
全長は国道454号との重用区間5kmを含めて約47kmと長く、経由地としては、日本におけるキリスト伝説の地として知る人ぞ知る新郷(しんごう)村がある。
全体的に山がちな路線で、十和田湖の外輪山から広がる広大な丘陵地帯を横断するために、小さな峠と谷を数え切れないほど乗り越える。
そして、この県道が持つ膨大な“乗り越え”のうち、令和4年現在も自動車が乗り越えられない区間が、新郷村に1箇所だけ残っている。
いわゆる自動車交通不能区間であるが、その長さ、わずか500m。
50km近い長い県道に最後まで残された、たった500mの不通区間が今回の主役である。普通、こういう状況だと悪目立ちしそうなものだが、実際はなんか…、空気…?
そして、私が愛用している道路地図(=右図のスーパーマップルデジタル)だと、普通に繋がっているように書かれているようだ。
「冬季閉鎖区間」として表現されているが、実際は冬期じゃなくても通れないのに…。
こんなことがまかり通っている(=何年もクレームがなかったということ)という現実にも、この区間の空気っぷりが現われている。
それでは、地味な不通県道のフツーに地味な探索を見てもらおう。
2014/8/7 11:07 《現在地》
ここは新郷村の川代地区。
県道45号十和田三戸線を三戸側から十和田側へ向かう場合、ここで強烈な鋭角左折を求められる。
しかし、この交差点に県道の行き先を教えてくれるような青看はなく、この時点で、本県道を広域交通路として通行させようとする、道路管理者の意思の薄弱さを感じる。
まあ、左折直後に“ヘキサ”があるだけマシと思うかも知れないが、これが不通区間前の最後の“ヘキサ”である。
ここから不通区間まで約3.3kmあるが、ここまで、不通を示唆するような標示物は見当らない。
12%勾配という急な上り坂で一気に丘の上へ登ると、この荒巻集落がある。
時代劇村のセットを思わせるような木製の立派な半鐘台がシンボル?の純農的集落で、ここから先、県道は早くも1車線になる。
背後の雨雲に覆われた山々は、八甲田連峰である。
私が通りがかったときには、この写真の通り、大型のトラクターが2車線を完全に塞ぎながら、トラック荷台に巨大なフレコンバッグを積み込む作業をだいぶマイペースでこなしており、ふだんの交通量がとても少ないことが分かると思う。
こんな地味な県道でも、不通区間以外はグーグルストリートビューが完備されているので紹介は簡単に済ませるが、荒巻集落内には県道の進路をノーヒントで2択から選ばなければならない交差点がある。
青いギャンブレル屋根の建物が印象的なこの交差点がそれだ。
どちらも同じ道幅で、しかもどちらへ行っても数百メートル先で合流するので、真剣に選ぼうとするのは県道マニアだけかもしれないが、正解は左である。
(スーパーマップルデジタルは、なぜか両方の道を県道として描いている)
いわゆる“険道”や“迷路県道”と呼ばれるような県道を探索するときのテクニックとして、路肩に設置されているデリニエータ(反射材)のポールに書かれた道路管理者名のチェックがある。
今回は「青森県」と書かれているポールを辿っていければ良いのであるが、なぜか「青森県」のポールの同じ並びに「新郷村」のポールも混ざっていて、統一されていなかった。
そこに意味があるとすれば、「新郷村」のポールは県道認定以前から設置されていたものということになるだろうが、ぶっちゃけそこまで全面的に信頼できないケースも多々あるので、デリニエータはあくまでも参考程度だ。
(ちなみに、県道十和田三戸線の認定は昭和45(1970)年であるが、新郷村内のルートが認定された時期ははっきりしない。)
11:25 《現在地》
荒巻集落内でどちらの道を選んでも、この十字路に出て来る。
正解ルートを来ていれば、この十字路は直進で良い。
手作り感のある(つうか、手作りに違いあるまい)木標に従って「水沢」へ向かうのが、県道の順路である。
川代の交差点から1.7km来ており、不通区間突入まで残り1.6kmになったが、依然としてなんら警告のようなものは現れていない。
川代からここまで、県道だと認識できるアイテムは、「青森県」のデリニエータくらいである。
上記の交差点を過ぎると道は、丘陵の底を流れる「水沢」という小川を渡るが、この区間は下って渡って登り返すまでがセットとなった、ちょっとした山岳区間である。
私が探索したのが真夏の曇天だったせいもあるだろうが、1.5車線のブラインドカーブが続く薄暗い区間だった。
とはいえ、それ以上の強い印象を受けるような道でもなく、撮影魔を自認している私でさえ区間を通じてこの1枚しか写真を撮っていなかった。
11:39 《現在地》
「水沢」を渡って登った丘の上が「水沢」地区で、畑の周りに数軒の家屋が点在している。
キリストゆかりの村らしく、県道はここでも十字架の交差点を突っ切るが、当然のように、何の示唆も案内もない。
また、青森県が設定した冬期閉鎖区間がここから始まるが、これについてもゲートや看板など何もない。
青森県の資料によると、令和4年度の冬季閉鎖区間一覧に、この県道が記載されている。区間は新郷村田茂代(たもだい)から新郷村石無坂までの1.1kmとなっており、期間は11月25日から4月25日までの5ヶ月間に及ぶ。そして備考欄に小さく、「通行不能区間有」の表示がある。
そして、あなたが十和田市方面へ車で行きたいのなら、ここを右折することを強くオススメする。
それが、十和田方面への適切な迂回路となる。
相変わらず、なんの案内もないのだが……。
不通区間の始まりは、あと400mに迫っている。
もちろん私は、直進するぞ。
直進すると、道は緩やかな上り坂で、こんもりとした丘をほぼ真っ直ぐ乗り越える。
浅い切り通しのピークを過ぎると緩やかな下りとなり、その先に、この写真の場面が、現われる。
この先、またしても十字路があるようだ。
様子がおかしい。
十字路があるかと思ったら、標識は丁字路だった。
道自体は……? ないような、あるような……。
旧約聖書の有名な登場人物モーセは、海を割った奇跡で知られるが、
新郷村の県道は、トウモロコシ畑を割るという奇跡を見せてくれた模様だ。
スーパーマップルデジタルには、このまま直進する県道が描かれているが、
実際は、この地点から先が、自動車交通不能区間になっている。
新郷村公式サイトの冬季閉鎖路線情報のページには、「交通不能0.5km」とある。
全長47kmの県道のうち、たった500mである。
11:42 《現在地》
しかし、思わず笑いがこみ上げてくるくらい、「しれっ」と現われやがったな。
丁字路の道路標識からして、直進する道路は、道路と認識されていないのかもしれないが(苦笑)、
法的には、れっきとした供用中の主要地方道であるはずだ。しかし、
自動車交通不能区間にはつきものである、通行止とか車両進入禁止とかの規制標識もない。
あなたがここを道だと認識し、通れると思うなら、どうぞご自由にお入りくださいという感じである。
まあ、たった500mなら自転車でも突破出来そうなんで、
このまま突入するぞ!
“丁字路を直進”すると、ひどく泥濘んだ土道であった。
辛うじて四輪車の轍を感じるものの、誰もが先行きに強い不安を抱く道路状況と言えるだろう。
両側は背丈より高く育ったトウモロコシ畑であり、この泥濘の場所が道路だということを暗示する存在となっている。
この場所のグーグルストリートビューは、私が探索した3ヶ月前である2014年5月の撮影だ。
画像を見較べると、トウモロコシがないだけでまるで別の場所のような印象の違いがある。
新緑の5月は風景に透明感があり、この先の道路が再び谷越えに挑むことが景色から察せられる。
道はこれから、さきほど「水沢」でそれをしたのと全く同じように、今度は「項内川」という川を越えるべく、下り、渡って、それから対岸を登り返す。この一連の谷越えが約500mで、これがそのまま自動車交通不能区間になっている。
すぐに台地の縁に突き当たるが、私の探索時は盛夏も盛夏、廃道探索には最も不向きな季節だけに、必要以上のハードモードになっている。
この先に道があるようには見えず、一瞬本気で「ここで行き止り」と判断しかけたのだが、拙速な判断を踏み止まった自分を誉めてやりたい。
これも5月のストビューを見ると、その場所だけ笹藪が少し低くなっていて微かに区別できるのだが、この突き当たりは真っ正面ではなく、斜め右45度の方向に下り坂が続いている。
すなわち、この写真だと、ちょうど中央部分だ。
茶色い部分が見えると思うが、そこが下り坂の入口だった。
茶色く見えたのはササの枯葉で、これは少し意外だったが、この先の道路は最近の刈り払いを受けていた。
これはとてもありがたい。
入口の状況からは相当の激藪を覚悟したし、この季節に全く刈り払いのない道を走破するのは、たとえ500mでも相当に困難だったと思う。
腐っても県道、腐っても主要地方道なのだと、励まされた気持ちがした。
実際に道路管理者が道路管理業務の一環として刈り払いをしたのかは不明だが、ありがたく恩恵に与ろう。
ところで、ここまでスーパーマップルの地図だけを紹介していたが、最新の地理院地図だと、この区間は左図のように表現されている。
項内川を挟んで県道の着色は途切れているが、そこに無着色の徒歩道が描かれている。
この無着色部分がちょうど500mの自動車交通不能区間に対応しているようだ。
地図から読み取れる両岸の地形は対称的で、道はどちら側も約150mの短距離で30m近い高低差を克服している。これはかなりの急勾配であろう。
だが、谷底の細長い平地にも水田の記号が描かれているので、もし耕作を続けているなら、少なくとも片側の昇降路は維持する必要がある。ここにある新しい刈り払いの目的は、耕作にあるのだろうか。
そんなことを考えながら、自転車から下りて、濡れた刈り払い道を慎重に下りはじめた。
この道は、現代の県道、主要地方道としてはもちろん落第だが、人が通れる最低限の維持はされていて、自転車の通行も可能だった。
勾配も確かに急ではあるが、勾配を緩和するための蛇行も少しあり、車道の限界を逸脱はしていない。
これはいわゆる明治馬車道のような古い規格の車道ではなく、エンジンを持った軽トラの走行を念頭に置いた車道として、結構最近まで使われていた感じがする。
さらに下って行くと、法面に金属メッシュの蛇篭(じゃかご)が積まれている場所があった。
素材からしてさほど古いものでないのは明らかだが、この蛇篭工の施工は、道路管理者が道路管理業務として行った可能性が高い。
なぜなら、蛇篭工のそばに、県の道路防災点検用の施設管理番号である8桁の英数字が表示されていた。
平成18(2006)年に国が定めた道路防災点検の点検要領などの各種資料によれば、この「3045A020」という文字列は、道路防災点検の対象となった施設の管理番号である。冒頭の「3」は地域区分で、青森県の場合「三八地域県民局地域整備部管内」であることを示している。次の「045」は路線番号である。次の「A」は点検対象となる災害の種目で「落石・崩壊」を示している。最後の「020」は、その施設の管理番号である。
このような道でも、平成18年以降に道路管理者である青森県が道路防災点検を実施していたのである。見捨てられた存在ではなかったのだ。
その割に、不通区間の存在を道路利用者へ知らせることについては、だいぶ消極的なようだが(笑)。
探索としてのハードな展開を期待している諸兄には物足りないかも知れないが、私の本望は道路探索であるから、鮮明な道路があるおかげで出来る楽なら、大歓迎である。
一番嫌なのは、道を見失ってハードな展開になることだ。道がなければ、私にとっての面白みはほとんどないからだ。
今回は、季節や天候の面ではかなり不利な状況だったが、もともとが車道であったことと、刈り払いのおかげで、とても救われている。
下りはじめて数分後には、鬱蒼とした木々の向こう側に、明るい谷底の広がりが見え始めた。
案外に広い谷であるようだ。
それだけに、台地から台地へと橋を架け、上り下りを省略した最善の道を整備することは、簡単ではないのであろう。
11:58 《現在地》
“丁字路を直進”したところからちょうど5分で、谷底に辿り着いた。
チェンジ後の画像は、下ってきた出口を振り返って撮影したものだ。ちゃんとここまで刈り払われていた。
この谷底を項内川が流れている。
これから川を渡って、下ってきた分と同じくらいの高さがある対岸の斜面を登れば、不通区間を突破できる。
だが、谷底のどこを川が流れているのか、すぐには分からなかった。
いまいる右岸側に流れが見当らないということは、左岸の山際を流れているのだろうが、鬱蒼とした木々がその辺りを見えづらくしていた。
また、なんとなくそんな気はしていたが、地形図に描かれていた谷底の水田は、もう使われていないようだ。
道路の刈り払いが行われていた理由は、耕作ではなく、純然たる道路管理上の職務だったのか。あるいは、この写真にも電信柱が写っているが、おおむね県道に沿って谷を越える電線が存在しており、その関係かも知れない。
どこへ行くにも不便な谷底だが、水利の便があることは台地上より恵まれていて、
かつては両岸の台地上の住人たちが下りてきて、熱心に耕されていたのだろう。
県道もはじめは、農家の人たちが必要に迫られて整備した、農道だったのだと思う。
だがやがて、広域的な道路をこの地域に1本設けたいという政治を考える人があり、それが認められ、
既存の道を継ぎ接ぎにしてた県道がとりあえず認定された。それは将来の整備を前提とした前座だ。
県道は、無人になってしまった谷底で、生まれ変われる日を、いまも独りで待ちぼうけている。
休耕田を突っ切る形で、低い築堤上に畦道のような道があった。
これが県道であるらしく、ここまでより少しだけ雑に刈り払われていた。
そして、谷底の左岸側の端に近づくと、やはりそこに項内川が流れていた。
まあ、川といっても小川という表現がぴったり来る小さな流れなのだが、意外にも、ここで私は進めなくなってしまった。
なぜなら――
橋が朽ちすぎだ!
確かにここが道だったのは間違いなく、ピンポイントの位置に、木橋の残骸が架かっていた。
架かってはいたが、とても渡れるような状況ではなかった。朽ちすぎていた。
しかも、上流では相当激しい雨が降っているのか、狭い水面が濁流になっていて……、それでも川幅はたかが知れているので、浅い場所を見つけられれば無理矢理に渡れないこともないとは思ったものの――
どう見ても対岸には刈り払いされた道が全く見当らず、
挙げ句、渡ったすぐ先に大きな【土壁のような川岸の崩壊】が見えた。
これらを自転車同伴で乗り越えようという気力は、どうにも湧かなかった。
どうせ残りは300mくらいなので、ここが真に迂回困難な場面であったなら、覚悟を決めて、
自転車を担いで川を渡り、対岸をよじ登るような冒険の決断もあったかもしれないが、
ここまで来るのは易かったので、戻るのも易いわけであって、
そうなると、舗装された迂回路を使って不通区間の反対側に回り込み、
そこから改めて、徒歩でこの川を目指すことが、安全かつ利口であると判断した。
この判断も即決ではなく、10分近くも悩んだのだが、最終的に撤退を決断。
楽に越せるかと思ったら、橋がないなんて、酷い話だ!
なんか、道路管理者の優しさに包まれた気持ちになっていたけど、現実はやはり甘くなかった。
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