《周辺地図(マピオン)》
兵庫県の西端に位置する佐用(さよ)郡佐用町(さようちょう)は、中国山地の東に連なる西播磨山地に町域の大部分を預けているが、古より出雲街道と因幡街道が交わる交通の要衝でもあり、宿場には賑わいがあった。今日それらは国道、高速道路、そして鉄道となって、広域的な交通を担っている。
そんな自然と文化が肩を寄せ合う佐用の地に、また一つ、“私ウケ”に特化したかのような激マイナー県道(険道)が見つかった。
今回紹介する県道は、一般県道524号才金宗行(さいかねむねゆき)線。
まるで氏名のような路線名だが、佐用町の北西部、岡山県と接する山間部を縫って走る全長9.7kmという県道だ。
平成17(2005)年の合併までは、上月町才金と佐用町宗行を結ぶ越境路線だったが、現在では佐用町内に収まっている。
ところで、最新版であるスーパーマップルデジタル24(↑)では、この路線は佐用町の福澤で終わっている。
だが、路線名からすると、福澤から小さな丘を一つ越えた先の宗行まで伸びていないとおかしい。
実はこの部分に、約1.8kmの短い【自動車交通不能区間】道路法施行規則により、「幅員、曲線半径、 勾 こう 配その他の道路の状況により最大積載量4トンの貨物自動車が通行することができない区間」をこう定義して道路管理者が指定するがある。
スーパーマップルと、最新版の地理院地図を比較して見ると、地理院地図には福澤から宗行まで県道色の道がヒョロッと伸びている。
スーパーマップルでもこの道は描かれているが、全線徒歩道の表現であるため、(この地図の凡例により)着色はされていない。
だから、道路地図しか目にしない多くの道路ユーザーは、ここが県道であることを知らないと思う。グーグルマップも県道にはしていない。
マイナーな県道区間、こういうの大好き。
前述の通り、区間の長さは約1.8km。
山越えではあるが、両側からの比高は70m程度と小さく、かつ西側は峠のそばまで軽車道を示す実線の道も延びている。
自転車同伴でも突破出来る予感のする、たいへん手頃な険道っぽい。
遠征探索の隙間時間埋めに、まさにぴったり。
探索開始!
2024/3/2 15:27 《現在地》
ここは佐用町福澤の県道240号佐用下庄線の路上だ。附近の集落名は大塚である。
この県道は、佐用町中心部から江川川に沿って北上し岡山県美作市へ通じている。山を挟んで並走する佐用川沿いの国道373号(因幡街道・智頭街道)の裏街道的存在で、結構な交通量がある。
我らが県道524号だが、このすぐ先で県道240号と鍵形に交差している。
右から来て、一瞬だけ重複して、左へ抜けていく経路である。
で、そこに見えるのが右から来た県道524号との交差点である。
マイナー県道らしく青看はないが、最低限のたしなみとばかりに、いわゆる“卒塔婆標識”が設置されていた。
チェンジ後の画像は、その進行方向を覗いたもので、幅1.5車線、至ってどこにでもありそうなローカル県道の景色だった。この日は偶々、工事中で通り抜け出来ない旨の工事看板が出ていたが、普段は通れる。
ほとんどの利用者は、ここが県道524号の終点なり起点なり端っこだと思っていたと思うが、実は違うのだという証しを、これから立てに行く。
15:28 《現在地》
最初の交差点から県道240号を南下すること50m足らず。
地理院地図だと、この辺りで県道524号は左折し、再び単独区間へ突入することになっているが……。
これ見よがしに県道240号のヘキサがあるくらいで、それらしい分岐は…………。
(……見つからず、一度通り過ぎたが、すぐ戻ってきて……)
どうやら、ここです…。
歩道と縁石を横断しないと入れない県道って、これは相当だぞ(苦笑)。
道路交通法的には、入る車は一時停止が義務づけられている場面だな。
まあ、そもそも入る車が、ごくごく少ない区間だと思うが。
いやはや、初っ端からなかなかの(地味ながらパンチが効いた)インパクトだ。
ちなみに、今度は“卒塔婆”すら立っていなかった。
立ってれば、さすがにここまでマイナーにはならなかっただろうしな。
縁石を踏み、歩道を渡って、いざ県道!
入ると、ご覧の通り、その辺の集落にありそうな路地そのものだが、まあこんな県道自体は珍しいものではない。
地理院地図だとこの辺は一応軽車道の記号で描かれているが、SMD(スーパマップルデジタル)は最初から容赦なく徒歩道表現であった。
大塚集落の家並みを少し掻き分け進んでいくと(チェンジ後の画像)、あっという間に山際に触れ、集落背面の緩傾斜に広がる耕作地に出た。
県道らしいアイテムは何もないが、通行に支障は(まだ)ない。
15:30 《現在地》
それからすぐに道が二手に分れる。
線形的には直進がメインぽく、実際に県道は直進だが、もし峠の近くまで車で進みたいならここは右折する必要がある。
ここを右折すると、チェンジ後の画像のようないかにも(控え目な)県道の新道ですって顔した道が、目指す峠へ伸びている。
でも、忠実に県道を辿りたいなら道なりに直進だ。自動車で入るのはオススメしない。
直進すると、道のど真ん中に、蓋をされた井戸があった。
集落共同の井戸って感じで、雰囲気がある。
最近まで日常的に利用されていたのかも知れない。
県道は正面の道だが、いよいよ狭くなってきた。
とっくに自動車交通不能区間に入っているので、いつ進めなくなっても文句は言えない状況。
上り坂も結構キツく、漕ぎ足に力を込めて進むと、写真奥に見える車のすぐ先で……。
15:31 《現在地》
敢えなく、非車道化。
入口からたった200mの進行で、こうなった。
区間の残りはあと1.6kmほど。峠までなら800mほどである。
チェンジ後の画像は、振り返って撮影した車道の末端部。
ここまで全く通行止などの表示物はなく、あるがままの姿で供用されている状況だ。
そもそも、道路管理者に県道と認識されていない感がある状況だが、兵庫県が公表している「道路・街路交通情勢調査」では、ちゃんとここを県道として表現している。
この区間は、自動車交通不能区間ではあるものの、ちゃんと供用された県道である。
ここから先、地理院地図でも徒歩道表現の区間となるが、実際の道幅も1mほどで、確かに四輪の車は通れない。
だが路面自体は砂利で整備されており、私のような自転車が通るにはお誂え向きの雰囲気だ。
しかも山側をコンクリートブロックで固められている場所があり、この道幅でありながら、道路として最近まで整備を受けていた雰囲気があった。
現状では【並行する道】(おそらく農道)があるので、利用度は減っていると思うが。
激狭の県道は、山と耕地の迫間を単調な急勾配で登っていく。
耕地側に高い動物よけの柵があるので、道幅から受ける印象以上に走行感は窮屈だ。
ハンドルが触れそうで落ち着かない。ただでさえ上り坂でフラフラし易いのに。でも押して歩くにも狭いのである。
フェンス越しに、通ってきた大塚集落を振り返る。
この日の播磨地方は晴れたり曇ったり忙しく、しかも天候とは無関係にときおり雪が降った。それは中国山地の高いところの雪が、強い風で運ばれてきたものかも知れない。
最初のうちは草刈りが行届いていたが、100m、200mと進んでいくと、徐々に放置感が増してきて、通行の支障が大きくなってきた。
まず邪魔になったのは、道に沿って設置された電気牧柵の支柱が乱雑に倒れていたこと。
多分通電はしていないと思うが、過去に探索中何度もうっかり感電し、その度に「イッテーーッッッ涙」ってなっている私は、この柵が怖いのである。支柱を退けて進む時も、感電しないように、2本以上のケーブルには同時に触れないよう細心の注意を払った。
さらに進むと、いよいよ雑草も草も生えてきて、もはや道形があるというだけの廃道同然となった。
こんな状況が長く続くと、自転車を持ってきたことを後悔すると思ったが、幸い、“この区間”は、長くはない。
非車道化地点から、約350m頑張れば……
15:38 《現在地》
まともな車道(さっき分れた道の先)に、救出される!
この辺りも全て一連の自動車交通不能区間内でしかないが、実際の道路状況はだいぶ変化が大きい。
ここから先は、おそらくは農道であろう道の力を借りて、峠の近くまで楽に進めるのである。
というわけで、最初の障害となる区間は、無事突破した。
目指す峠から流れてくる小川に沿って、明るい耕地が細長く広がっている。
道は農道らしく何度か枝分かれしながら上る。
峠への道は、景色さえ見えれば間違うことはないだろう。基本的に直進だけだ。
15:44 《現在地》
舗装路を辿ること約300m、最初の入口から数えて約800mで、車の転回したタイヤ痕が多く残る小さな広場に突き当たる。
今度こそ自動車道の終点であるが、もはや峠までは残り200m弱、標高的にも2〜30mの至近まで来ている。
広場の奥側に防獣フェンスを越えるための扉となっている部分があり、ここを自分で開けて進む。
開けたら元に戻すことも忘れずに。
再び土道に。
峠直下をあまり曲折せず登っていくだけに勾配が強く、路面も少々泥濘んでいるが、自転車で走れないほどではない。
耕地内に農道が整備されるまで、集落を外れた先は全てこのような狭い土道だったのだろう。
とはいえ険しさとは無縁であり、夜に提灯一つぶら下げて歩いても大丈夫そうな里山の優しさが感じられる道だ。
おおっ! 峠が見えた!
そしてそこには何やら、茶屋かお社のような建物がある。
これはなんとも良い感じに時代錯誤がある景色だ。
手を加えなくても、そのまま時代劇の峠のシーンが撮れそう。
諸国漫遊の黄門様御一行とすれ違いそうである。ちょっと感激。
(ん? 江戸時代に植林されたスギ林があったかって? まあ、ないこともなかったと思うよ…。)
すぐ近くに見える峠と、雰囲気ある建物に誘われ、元気倍増の感で、最後の急坂の土道を力漕する。
山林管理用の車だけは出入りしているようで、四輪の轍も薄らと刻まれていた。
車種さえ問わなければ、一応は峠まで四輪の車が上がれるようだ。
意味深に残された杉の1本木立が、いい峠の目印になっていた。
峠自体は、良くある切り通し。
切り通される前の尾根自体も、だいぶここで大きく撓んでいて、天然の峠であったことを窺わせる。
県道としてはこのうえなく地味だが、歴史のありそうな道だ。
15:50 《現在地》
出発から20分強で、県道240号からは約1km東に入った峠の頂上に到達!
峠の名前は地形図などに記載がなく分からないが、長い歴史を感じさせる、典型的な前時代的峠の頂上風景であった。
これを越えた先、県道の終点である宗行の国道373号までは残り800mほどに過ぎないが、少々倒木が五月蠅そうな始まりが見えていた。
越える前に……
ふぉっふぉっふぉ、
助さん、格さん、ここで一休みしていきましょう。