ミニレポート第281回 吉野川市道の希望橋 前編

所在地 徳島県吉野川市
探索日 2024.02.26
公開日 2024.03.06

《周辺地図(マピオン)》

Facebookで教えていただいた情報を元に、世にも珍しい姿をした橋を探索してきたので、紹介する。

場所は、徳島県吉野川市山川町で、平成の合併までは単独で麻植郡山川町(やまかわちょう)だった地域だ。
山川町一帯は、四国の屋根を構成する剣山地より四国最大の川幅を誇る吉野川へ流れ出る川田川の流域であり、地名通り山と川の長閑な景観が広がる。今回探索する「希望橋」は、川田川の支流である奥野井谷川に架かる、小さな橋である。

最寄りの国道193号から現場へは、徳島県道248号奥野井阿波山川停車場線を奥野井方面へ約3km辿ることで到達する。
車でも自転車でも特に問題の無い道なので、今回は現場のすぐ傍まで車で乗り付け、対象の橋の姿が初めて見えた位置より徒歩で探索した。
それでは早速ご覧いただこう。



 ノーコメント、まずは橋を見てください……


2024/2/26 8:04 

これが希望橋のファースト・ショット。
奥野井谷川に沿う県道のカーブのすぐ下に、川を渡る橋の姿が見えてきた。あれが希望橋。

この段階で既に強烈な違和感を憶えた人もいるかも知れないが、おそらくそれは少数派で、予備知識なく一瞬これを見た程度では“違和感”というレベルまで異常を感知するのは難しいと思う。なんというか景色に溶け込んでいる。だから、 ん?! という程度のファーストインプレッションである人が大半だと思う。
ただ、私は事前情報を持っていたので、この時点でもう錯乱寸前まで頭の中は乱れた。



最初に橋が見えたところから30mほど県道を進むと、この分岐がある。
右の広い道が県道の続きだが、希望橋へ通じているのは左の狭い道だ。
特に行先表示などはない脇道だが、そちらへ進む。
希望橋は本当に眼と鼻の先にあるが、樹木が邪魔をしてここからは見えづらい。



8:07 《現在地》

分岐から20mほど進めば、希望橋の袂となる。
橋は直角左折の先に始まっており、普通に舗装された、普通のガードレール高欄を有する、普通の橋である。
ただ、あまり見られない個性があって、それは橋名を記す存在の位置だ。
よくある、親柱に取り付けられた銘板や、高欄に取り付けられた銘板ではなく、橋の四隅の一隅だけに建つ1本の標柱石(○印の位置にある)が、その役割を担っている。

チェンジ後の画像がその標石で、「希望橋」「62年2月竣工 藤原建設」と2面に分けて刻まれている。
これにより、橋名を知ることが出来るほか、昭和62(1987)年の橋であることも判明した。


… … … … 許せ。

白々しくも、冒頭で煽ったような“世にも珍しい姿をした橋”であることを、わざわざ隠して(少し隠しきれなかった)写真を撮った私を許せ。

でも、もう隠さない。(↓)





なんじゃこりゃー。



橋の下流側側面。

見事に、上段の橋と下段の橋が、重なっている。
ただ、下段の橋……高欄の古風な作りからして間違いなく旧橋だと思うが……の方が、微妙に上段の橋より“引っ込んでいる”ので、覗き込みづらいし、上から降り立つことも出来ない。



橋の上流側側面。

こちらも同様に、上段の橋よりほんの少し引っ込んで下段の橋が架かっている。
覗き込めない。降り立てない。鉄壁の守りである。

このように、上段と下段の橋は中央を綺麗に重ね合わせてあるようで、進行方向も同一だし、長さもほぼほぼ一緒である。橋の親子亀状態。
これまで私が目にした数万の橋の記憶を辿っても、ここまで新橋の直下に近接して綺麗に重なり合った形で現存する旧橋というのは記憶に無い。
せいぜい、こんな程度(上杉橋)の経験値だったから、これはもう次元が違う。



が、それでも両者の間には隙間があり、その隙間を通して、旧橋の路面らしきコンクリート面が見て取れるのだから、(オブローダー的には)堪らない!

廃道における最後の一通行者となることを目指して止まない私にとって、この橋(旧橋の方ね)は是非とも渡りたく候!!!
合わせて、もはや単独の旧橋なのか、それとも新橋の構造の一部に組み込まれているのかという区別も外見からは俄に判断しづらいこの状況で、旧橋に潜入して見えざる部分を解き明かすことで、構造的な関係性も見極めたい!


……とはいえ、どうやって下の橋に潜り込むか……。橋面を透過する呪文が使えたら良かったんだけど、あれはあまりに事故が多いから禁呪なんだよな…。



とりあえず、今までは左岸だけを見ていたので、右岸からのアプローチも検証すべく、希望橋を渡る。

渡り終える段になって、右岸と橋との異様な段差に驚かされた。
シャコタンの車は、ここで亀になって身動き不能になるのでは無いかというくらいの角ばった傾斜だ。

チェンジ後の画像が右岸橋頭を振り返ったものだが、一目瞭然に、旧橋上に新橋を乗せた分だけ、橋の嵩が上がっているのだと分かる。
橋を嵩上げすれば、単純に洪水で橋が流失することの対策にはなるだろうが、陸も上げなければ土地の被害は減らない。
洪水対策の嵩上げが、2段重ねの橋の目的だったというのは、最初に思いついた説だったが、その意義が少々疑わしくなるような光景だった。



9:08 《現在地》

で、橋を渡って辿り着く右岸の土地に何があったかといえば、小学校の跡があった。
校舎は残っていなかったが、水を抜かれたプールが橋の袂に野晒しであるほか、道を挟んだ向かい側には、大きな「誠」の文字の下に「川田山小学校創立百周年記念」と刻まれた石モニュメントもあった。 校舎跡に建てられたらしき公民館然とした建物は、「榎谷多目的集会所」になっているようである。
希望橋という橋名も、通学路の雰囲気に似つかわしい。

なお、道もここで終わりではなく、そのまま九十九折りで山を登って榎谷集落へ到達する生活道路になっているが、私は橋から先へは進まなかった。



私にとっての焦眉の急の仕事は、とにかく旧橋への到達である。
たとえば、「誠」の碑の背後に見る旧橋は、なんか上手い具合に陸から手や足が届きそうに見えたので嬉々として近づいたのであったが……

実際近づいてみると、チェンジ後の画像のように、目前にターゲットを捕捉しながらも、足を掛けられるような段差がどこにもないため辿り着けないという、手痛いなまごろしを食らったのであった……。
これ、最初の第一印象より遙かに辿り着きづらい高難度ターゲットな気がしてきた…。
マリオのしゃがみジャンプが出来ないと、入り込めないのでは…。



たまたま最後のチェックとなった右岸下流側からのアプローチも、

見事に駄目。

どうやっても、届きそうで、届かない。
どこかに縄ばしごでも掛けて攀じ登るしか無いのか?
いや……、でも…、掛けられそうな場所も無いんだよな。
上の橋よりも少し引っ込んでいることが、とにかく厄介だった。

ただ、こうやって四方からの観察を続けたせいで、旧橋のディテールはだいぶ見えてきた。
一番特徴的なのは、かまぼこ形に盛り上がった肉厚なコンクリート製高欄で、昭和一桁台とかの古いコンクリート桁橋にありがちな特徴だった。ただ、上の橋に雨風をがっちり防がれているせいだと思うが、コンクリートの色合いには古さがほとんど感じられない。廃橋としては凄い上等だ。
そしてまた、川の中央に建つコンクリート橋脚によって2径間の連続橋となっていた。

対して上の橋は橋脚が無い1径間だし、そもそも下の橋と上の橋は接していない(橋台の支承ももちろん共有していない)ことが分かったので、つまりこれらの橋はただ上下に重なっているだけの別の橋であると判断するに至った。

構造については、おおよそ観察からこのように理解できたが、


やっぱり潜り込みたいなぁ……。




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