ミニレポート第289回 大津市道北1273号線 向谷橋

所在地 滋賀県大津市
探索日 2025.03.23
公開日 2025.03.26

 無駄な橋じゃないって信じてる、向谷(むたに)橋の黄昏


この世の中に、真に無駄な橋など、ないはずだ!

できればそう信じたい私だが、この橋についてはいまのところ、過去、未来、現在のどこにも、その存在意義を見出すことが出来ないでいる……。




先日、私がはじめて滋賀県湖西エリアの探索を企てたとき、手軽な探索スポットを探してグーグルの航空写真を眺めていると、かつて日本道路公団が有料道路として整備した自動車専用道路であり現在は無料解放されている湖西道路(国道161号の大規模なバイパス)を跨ぐ、明らかに使用されていなさそうな跨道橋を発見した。

自専道や高速道路の廃跨線橋や未成跨線橋というのは、これまで何度か探索したことがあるテーマ(例1例2例3)であるが、見つけてしまった以上は気になるので、今回も懲りずに探索してみることにした。
まずは、私が見たGoogle Earthでの見え方を紹介したい。(↓)


画像中央に架かっている橋が、それだ。
明らかに、橋の前後の繋がるべき道がないように見える。
ただ、橋の東側にはいかにもニュータウンらしい街区が近接しており、橋から少しだけ道を延ばせば、街路の1本と繋がりそうに見える。
一方、橋の西側は真に緑の世界に見えるが、この橋を最新の地理院地図で見てみると、少し意外な描かれ方をしていた。(↓)


現場は滋賀県大津市の北部、「びわ湖ローズタウン」と名付けれた大規模なニュータウンの西縁である。
この場所を国道161号湖西道路と、その側道のような市道幹1008号線が並んで走っている。市道の路線名は大津市が公開している市道認定路線網図で調べたものだ。

この市道幹1008号線という道から分岐して、同線と湖西道路を立体交差で跨いでからニュータウンの外縁に突き当たるようにして終わる、市道北1273号線というごく短い市道が認定されている。この路線名も路線網図で調べた。
そして、この立体交差している跨道橋こそ、航空写真で見つけた、どこにも繋がっていないように見える橋の正体である。

航空写真だと、前後共に道がないように見えたが、地理院地図では、橋に対して直角に折れ曲がって繋がる前後の道が一応描かれている。
したがってこれらの前後の道は、現状、廃道状態ではないかと考えられた。

また、お馴染み2018年度全国橋梁マップにもこの橋は表記があり、そこから本稿の表題とした「向谷橋」と書いて「むたにはし」と読む橋名が判明したほか、竣功年が昭和60(1985)年であることや、延長49.5m、幅6.5mといった諸元が明らかとなった。
ちなみに、この区間の湖西道路が暫定2車線で開通したのは昭和61(1986)年であるから、当たり前だが、当初より跨道橋という目的で架けられた橋であるようだ。


地図上での印象としては、ニュータウン内の街路と湖西道路沿いの市道を接続することを目的に設置されたと思われる橋だが、未だその役割を果たしていないと思われる実態を、現地で確かめてみよう。本編スタート。





2025/3/23 8:43 【周辺図(マピオン)】【現在地】

さっそくだが、あそこに見えるのが、問題の橋である。

国道477号(琵琶湖大橋)と湖西道路が交差する真野ICの近くから、地図を見ながら目当ての市道幹1008号線へ入り、そのまま道なりに800mほど湖西道路沿いを北上すると、この場所に来る。

現われた跨道橋は、全くどこにでもありそうな普通の姿に見えたが、地図上そこへ繋がっていることになっている道……市道北1273号線……の入口は、案の定、空撮で見た通りの廃道然としたものだった。この写真左へ分岐している道があるのが分かるだろうか。

明らかに廃道っぽいが、立ち入りを規制するような表示物は特に見られない。
今回は目的地が近く、かつ探索後に戻ってくるつもりだったので、自転車はここに置いて突入した。



道は舗装されていない地道であるらしく、去年路上から刈り払われた雑草がそのまま干し草のように積み重ねられていた。
路外の藪がとても深く、約100m先にあるはずの目当ての橋は、全く見えなくなった。

(チェンジ後の画像)刈払いの痕跡があったのは最初だけで、30mも行かないうちに丈余の枯れススキが蔓延る地となった。
人が出入りしている様子は最早無いものと見えたが、イノシシかシカか何かの動物が通るのか、道幅の中を右に左に蛇行しながら続く微かな草分けが存在した。
それをなぞって進む。
するとすぐに……



8:46

出たぁ!

橋の袂までは完全に未舗装で、砂利などを使った路盤が整備されたことがあったのかも疑わしい状況だったが、橋そのものは、鋪装もされ、すっかりと完成した姿をしているようだった。
また、地図で見たように、道は橋の袂で90度右に折れて橋に接続している。たくさんの車が行き交うことは、あまり想定してなさそうな線形だ。あるいはこれは想定された最終的な線形では無いのかも知れないが…。

橋の入口にいわゆる親柱は無いが、金属製の銘板が向かって左側の高欄端部附近に取り付けられていた。



おおお! まさしく「高速道路の跨道橋」って感じのする銘板!

冒頭でも紹介したとおり、この橋が跨いでいる湖西道路は建設当初、日本道路公団が一般有料道路として開設した自動車専用道路であり、いわゆる準高速道路的な道路であった。その性格は無料化された今日も変わっていないが、公団が手がけた跨道橋に共通する(すなわち“高速道路”と共通する)独特の字体とフォーマット持った橋銘板と「日本道路公団建造」の文字がある製造銘板が、セットで取り付けられていた。
ご存知の通り日本道路公団は既に存在しないが、日本中に膨大な数の橋を残しており、珍しいということはない。

製造銘板に「1985年5月」と竣功時期が刻まれており、これは「全国橋梁マップ」に掲載されていた昭和60(1985)年竣功のデータと合致している。月のデータについては、この銘板が初出である。



……空虚。

この手の未利用跨線橋にありがちな、強い空虚が漂っている。

これは、強い光の傍にある影は、より深く強調されるという光学現象に似ている。
高速道路のような強い”威光”を放つ現道の存在が、それを跨ぐという大胆な形で隣接する、あまりにも利用度に大きな差がある跨道橋の弱小さを強調してしまう。しかも、現道が重要な道路であればあるほど、跨道橋の部分はそれが本来属している道路の要求よりもオーバースペックになりがちで、これがまた強いギャップを生むのである。

記録によれば橋の長さは49.5m、幅6.5mとのことであるが、実際の印象としてのスケール感もこれらの数字と差は無い。
ただ、全く歩道が無いので、幅6.5mという2車線を得られる幅よりは心持ち狭く感じる。
橋の上はアスファルトで舗装されているが、昭和60年の開通以来一度も打ち直されてないだろう。
ひび割れていたりはしないが、轍の模様が全くなく、未使用感が濃い。



振り返る、来た側の道。

……道?

道などあったのかと疑わしくなる光景だ。

ちなみに、私が立っている辺りの直下が、市道と国道を隔てる幅の狭い植え込みのエリアだが、橋としては完全に1スパンのものである。



眼下の湖西道路の様子。北方向、すなわち敦賀・マキノ方面を見ている。

地平線は言い過ぎだが、道路が見切れる末端まで直線なのが、むしろ高規格道路としては設計が古い印象を受ける。
実際の湖西道路の事業化は昭和53年であり、そこまで設計の古い道ではないと思うので、たまたまだろうか。
しかし、この年代にはまだ、中央道や東北道、中国道など、本州を縦貫する高速道路も途中までしか開通していなかったくらいで、それなりに年季が入っているのは確かだ。

また、この区間の湖西道路は完成4車線の設計だが、未だ暫定2車線で供用されている(片側のみゆずり車線が付加されているが)。
この跨道橋はもちろん、4車線を念頭に架けられている。
将来、4車線化が実現しても(今は隣接する区間の4車線化が進められているので、遠くない将来に実現すると思われる)、それを理由にこの橋が撤去されることはないはず……と、思う。



8:47 《現在地》

さて、約50mの向谷橋の終わりが間近に迫った。
大津市の市道網図によれば、市道北1273号線は、この橋を渡り終えた地点が直ちに終点である。
一方、地理院地図にはこの橋の袂から直角に左折して、ニュータウン外縁を北上する「軽車道」がヒョロヒョロと描かれている。

(チェンジ後の画像)向かって右側の高欄の終わり近くに「向谷橋」の銘板があるが、製造銘板はこちらにはない。

そして橋の終わり、すなわち、鋪装の終わりと同時に――




激藪地山未開削!

……という、明らかに、道はここまでしか作られなかったぞと思われる状態だった。

地理院地図にある、左折して繋がる「軽車道」は地形ごと全く見当らないし、これは地形図からは読み取れなかったことだが、この終点まで来ればすぐ先に見えると思ったニュータウンの街並みは、激藪と立ちはだかる土壁(高さは5mくらい)によって完全に隠蔽されていたのである。

踏み跡はおろか、刈払い、ケモノ道、水の通り道、これらいかなる形の隙間も見当らない兇悪なるネマガリタケの藪と地形の壁が行く手を阻んでいた。
障害物の規模としては普段立ち向かっているあらゆる山より小さいと見えるけれど、その煩雑さを以て、立ち入ることを躊躇させるに十分な壁であった。







8:48

突入!


うおーーー!!



―― 2分後 ――



8:50 《現在地》

私の前脚が、藪の上の空に掛かった。

たった数メートルだが、試練を感じる藪だった。
その竹木の密度の濃さと、胸突きのする急さは、この僅かな落差の斜面をして、完全に人の行き来を杜絶させる役割を果たしているものらしく、このような人家に近接した立地であり、かつこれまで一切立ち入りを制限する物が現われていないにもかかわらず、出入りされた形跡が全く感じられない藪となっていた。

しかしともかく、前人未踏(?!)を感じるわずか数メートルを、乗り越える。

果たして、笹の間より開けた視界の向こうには、地図に見たままのニュータウンの家並みが広々と展開する気配であった。



だがここで、大きな違和感。




びわ湖ローズタウンの地面が、想像より低い位置にあった!

そのせいで、向谷橋(市道北1273号線)と、タウン内の市道1294号線の間にも、思いのほか大きな落差がある。

その差は、繋がっていない部分を坂道として繋げることが絶対に出来ないほど大きいとは思わないが、しかしそのような坂道の造成が行われる気配が現状全くないことはよく感じられた。
そもそも、そのように繋げようという前提があって向谷橋が建設されたのかどうかも、正直疑わしいと思える現状の地形だ。
それに、こうして見ると全くの一直線上に2つの市道が並んでいるワケでもない。実際に見てみると分かるが、両者は少しずれている。



肉眼では、正面側の市道と背にした市道を同時に目にすることは出来ないが、全天球画像ならそれが出来る。
この全天球画像を見て欲しいが、背にしている向谷橋と、足元の先にある市道の間に、だいぶ高低差があるのが分かると思う。
そして、藪という存在が露骨に描き分けている人の暮らしのある側と、無い側の差。人は藪を好まないことがよく分かる。

2つの市道の高低差は、目測だが10mくらいだろう。
そしてこの10mの高低差を埋める余地である両者の距離的隔たりは、せいぜい50mほどである。
したがって、ここを直線の坂道で埋めようとすると、20%という物凄い坂道が必要になる計算だ。
明らかに違和感があると思う。

なお、私はこの街を見下ろす高台の一角から街中へ降りていくことはしなかった。
地形的に無理ではなかったが、そういう道形がなかったのと、降りていく必要を感じなかったからだ。
私がいた高台には歩道を含めていかなる整備された道もなかったし、そこはあくまでも街の外縁の区画線のような土地であって、内部とも外部とも繋がっていなかったように思う。



だが、帰宅後にストリートビューで街側にある市道北1294号線の末端側から見た風景を疑似体験してみた。(↑)
やはり、この斜面を突っ切って道を造る計画がかつて存在していたり、あるいは今も計画が生きているようには思えない。
山沿いの隣接区画ともども、そこでは未だ分譲が行われていないという点は、道を造る計画があったからだという“逃げ道”を残しているが、正直なところこれも落差の不自然さを埋めるほどの根拠ではない気がする。


結論として……これは現地での私の印象だけを根拠とした私的な結論であるが……向谷橋がニュータウン内の道路と接続する前提で建設されたと考えるには高低差に違和感があり、もし接続の計画があったとしても、その接続先は市道北1294号線ではなかっただろうと考えた。



といったところで、すぐに引き返すことにしたのだが……

さっきよじ登った激藪の急斜面を今度は反対に降りていく、その最中の全てを全天球動画で撮影してみたので見て欲しい。(↓)

今までいろいろな藪漕ぎをして来たが、ここまで不快感の強い藪漕ぎは稀だった。 ……まあ、見れば伝わると思う。

きっと不快さしかないので、一応閲覧注意。



これがリアル激藪漕ぎだ!

全天球動画なんで、好きなだけグリグリして、苦闘を演じる姿を見届けてやってほしい。



……で、脱出後は消耗が思いのほか激しく、そのまま現地を離脱。探索終了となった。






本橋は、高規格道路を跨ぐ、ほぼ未使用とみられる跨道橋だ。
このような跨道橋は全国に存在しており、格別珍しいというものではないが、個々に何かしらのイレギュラーがあったのは確かだろうし、大変興味深いものである。

高規格道路上に長期間利用されていない跨道橋が誕生する原因には、大きく2つの類型があるように思う。

高規格道路の開通後、それを跨ぐ橋を建設することは工事上の負担が大きいため、高規格道路の建設時点で将来交差する道路が作られる予定の場所に予め跨道橋を準備することがある。
以前紹介した青葉山橋太白山第二橋はどちらも都市計画道路と高速道路の交差箇所に設置された未使用の跨道橋であった。
この場合、幅が大きな跨道橋になるケースが多い。
本類型を便宜的に、未成型の廃跨道橋と呼びたい。

一方、高規格道路の建設によって地形ごと分断される、従前そこにあった道の機能を補償するために架設される跨道橋が多くある。しかし、結果として交通量がほとんどない跨道橋も生まれており、これが実質的な廃跨道橋になるケースがある。
以前紹介した東名千福橋は、おそらくこのパターンだった。
こちらは幅の小さな跨道橋になることが多い。
この類型を便宜的に、補償型の廃跨道橋と呼ぼう。

今回の向谷橋は、果たしてどちらの類型であろう。
大型車も通れそうな道幅と、近接するニュータウンとの位置関係からは、どちらかといえば前者のパターンを想定されるかと思う。
机上調査を試みた。



@
昭和29(1954)年
A
昭和58(1983)年
B
昭和61(1986)年
C
平成8(1996)年
D
地理院地図(現在)

当地の変化を歴代地形図の比較より概観してみる。

@昭和29(1954)年版、この“矢印”の位置に後に向谷橋が出来るのだが、そこを通行する将来補償の対象となりそうな道というのは特に描かれていない。
この時点で補償型の跨道橋であった可能性は下がるように思う。

A昭和58(1983)年版では、びわ湖ローズタウンと呼ばれる以前のニュータウン(NT)が既に半分ほど出来上がっている。このNTは、昭和45(1970)年に「堅田NT」の事業名で京阪電気鉄道が事業の許可を得て以来建設が進められたものであり、湖西道路に隣接する西側の区画(普門地区)の造成は昭和54(1979)年から始まったという。この図でもその様子が窺える。

B昭和61(1986)年版では、上記NTの区画がほぼ完成し一部入居も始まっている。と同時に湖西道路の建設が進んでおり(昭和53年着工、同61年開通)、それと隣接する市道幹1008号線の建設も進んでいる。“矢印”の位置に向谷橋が出現しているが(昭和60年完成)、やはりNTとは接続しておらず、むしろ幹1008号線の末端部として描かれているのが興味を惹く。

C平成8(1996)年版では、向谷橋の下を潜るように現在の幹1008号線が延長されている。
地図上からは、向谷橋の方が少し先に開通していたように読み取れるが、そのことに意味があるのかは分からない。

D最新の地理院地図である。向谷橋の東側が、NTの外縁を巡るような「軽車道」と接続したように描かれているが、現地でこの道は見ていない。実際には繋がっていないはずだ。
また、大津市の市道認定路線網図にもそこに市道は描かれていない。何かNT側で遊歩道のようなものを整備する計画があり、それを先んじて(うっかり)描いているのだろうか? 謎である。


結局、歴代の地形図を見ても、向谷橋がどのような目的を以て建設されたものかの判断は付かなかった。
ただ、補償の対象となるような分断された旧道が地図上には見当らなかったので、未成型の跨道橋である可能性が高いとは感じる。
道幅的にもそのように思う。

歴代の航空写真も見たが、ここでは昭和57(1982)年版と昭和61(1986)年版を比較してみたい。

前者ではニュータウンの造成が進んでいるが、向谷橋や湖西道路はまだ影も形もない。既に事業化はされていた時期だが、当地区での建設は始まっていなかったようだ。
それが後者になると暫定2車線の湖西道路が完成間際で、向谷橋や市道幹1008号線も概成している。車は見当らないので開通前のようだが。

また航空写真だと、向谷橋の行先が唐突な行き止まりになっていて、NTとの間に壁のような薄い森が残っていることも強調されている。
航空写真だと高低差は読み取れないものの、実際は高低差もある。
向谷橋から先へ延びる道の姿というものがどうにも予想できない。

向谷橋は、補償型ではなく未成型の跨線橋ではないかと予想したが、現状、この場所に都市計画道路が計画されていることはないようだ。
令和5(2023)年に大津市が公表した「大津市道路網整備計画」のp.32に現行の都市計画道路網図があるが、向谷橋の位置を通る都市計画道路はない。(過去にはあったのかもしれないが、調べはついていない。)

また、大津市議会の会議録の検索や、国会図書館デジタルコレクションでの関連キーワードでの検索も、成果は得られなかった。
向谷橋の規模からして予想が出来たことだが、文書化された情報はとても少ないようだ。

ここからは資料的裏付けがない考察だが、まず、時系列的に湖西道路よりも堅田NT(びわ湖ローズタウン)の方が先んじていたようだ。
NT側の開発計画の変遷を見ることが出来れば、あるいは湖西道路の計画の詳しい変遷を見ることができれば、向谷橋がどういう経緯で建設されたのか分かりそうだが、これらの資料は未発見である。

いずれにしても、NTの造成が始まっている中で、湖西道路や向谷橋の造成が後から始まったようである。
これらが隣接するところで両事業者(日本道路公団と京阪電気鉄道)がどのように折衝し、明らかに干渉する存在である向谷橋が誕生したのか非常に興味があるが、それを解き明かすにはまだまだピースが足りていないと感じる。

さすがに、生まれた時点で既に延伸の余地がないことが確定している橋だった……なんて悲しすぎることは無いと信じたいが。
どうにもNT側にはこの道を受け入れる予定が当初からなさそうに見えるのが気になるところ。
何かのボタンをどこかで掛け違えてしまったのか。それとも単に私の見方が間違っているだけで、将来的にまだ繋がりうる余地があるのか…。

はっきりしたことは何も分からないが、向谷橋や市道北1273号線の管理者である大津市は、今のところこの橋や市道を廃止する計画はないようだ。
というのも、最新の大津市橋梁長寿命化修繕計画表を見ると、向谷橋の修繕計画もちゃんとあり、最新の点検は令和2年度で、今後は令和7年度にも定期検査を予定しているようだ。当面、撤去や廃止の予定はないっぽい。




……現状での調べは以上だ。

今のところ、この橋が建設された理由や、活用されていない原因、さらに将来の見通しについても、ほとんど何も分からなかった。
分かっているのは、とても悲しい現状だけという。それはそれは、悲しい橋。
しかも、途中に藪はあるが塞がれているわけではないので、誰でも大手を振って訪れられる公道なのだ。一体どうしてこんなに寂しい状態になっているの?

幸い、この地には大勢の人が住んでいる。読者の友人知人も、住んでいたりはしないだろうか?
皆さまからの情報提供を心よりお待ちしております。
ぜひ、解明編を私に追記させていただきたい!
あんなにキチ●イ染みた藪にまみれたのだから、いつかは答えが欲しい!!


 向谷橋が建設された“理由”が判明した!!
2025/3/27追記

本編公開同日の夜には、複数の読者様から、ほぼ同じ内容の重要情報が寄せられた。
2020年2月21日に放送されたTV番組「探偵!ナイトスクープ」で、この橋が採り上げられており、出演者が橋を訪れただけでなく、橋が架けられた理由についての道路管理者の回答も放送されていたというのである。

この日の放送タイトルは、「どこにも繋がっていない謎の橋」というものであった。
その内容はまとめサイトなどで一部を確認できたが()、それによると、地元に住む中学生の少年が、行き止まりであるこの謎の橋を発見し、現地を調査する模様を取材したものだったようだ。
だが、番組そのものは配信サイトでの公開が終了しており、情報にあった“架けられた理由についての道路管理者の回答”に関する内容は不明であった。

だが、公開翌日となる本日(3月27日)夕方、上記情報をお寄せ下さった読者の一人であるずっしー。(Team R2L)氏X:@ginga03142008)より、ご自身が録画された放送のデータをアーカイブから探し当てたとの続報を頂戴した。(→ツイート
そしてそれから間もなく、“道路管理者の回答”の内容をお知らせいただいた!! (→ツイート

曰く、番組への依頼者(少年の父親)が、滋賀国道事務所の問い合わせフォームへ送った「向谷橋」に関する質問への回答として番組内で紹介されていた内容は、次の通りのものであったことが判明した。(下線部は強調のため私が付した)


この度はお問い合わせいただきありがとうございます。
当該橋梁は湖西道路(国道161号)の建設に併せて架設されております。
湖西道路(国道161号)が建設される前は、里道として皆さんが歩いて行き来できる程度の道がありましたようで、湖西道路(国道161号)によりその里道が分断されてしまうため、機能補償をおこなうため橋が架設されたようです。
このことから、以下の通りご質問にお答えいたします。

質問1 あの橋の名前
回答1 向谷橋(ムタニハシ)

質問2 そこに続いていた道がどこにあったか
回答2 里道としては現在もありますが、草等が生い茂り通行できない状態です

質問3 橋までの道が、いつ出来たか&いつ無くなったか
回答3 橋が昭和60年5月に架設されており、同じ時期に橋までの道もできたと思われます。

「探偵ナイトスクープ」「どこにも繋がっていない謎の橋」の回より

向谷橋が架設された理由は、湖西道路によって分断される里道の機能補償にあった!

追記前の本編にて私は、このような廃道状態である跨道橋が誕生する典型として、将来建設される予定の道路の先取り(未成型)と、分断される道路の機能補償(補償型)の大きく二つのパターンがあるとの解説をしたうえで、いくつかの根拠(橋の幅がやや広いこと、古い地形図に分断される道が見当らないこと)を示しながら、向谷橋は未成型の廃跨道橋の可能性が高いと推測をしたのであったが、これは間違っていた。

そしてこのように、根本的に橋の建設目的を読み間違えていたために、私の現地探索も、残念ながら、的を外したものとなってしまった。

改めて最新の地理院地図を見てみるが、本編探索で私が「実在を確認できなかった」と判断した向谷橋の東詰から北方向へ延びる「軽車道」の記号は、これこそが機能補償の対象となった里道の残存部だと思われる。

地理院地図以前の古い地形図には一度も表現されたことのない道だが、滋賀国道事務所の回答で、「里道としては現在もある」としていたくらいだから、道があった地形そのものは喪失していないのではないだろうか。ちょうどNTの外縁を成す尾根道であり、いかにも古い道っぽい感じはする。この文脈での「里道」とは、明治の道路制度にあった「里道」(公図では「赤道」と呼ばれた)のうち、現道路法の各種道路や林道や農道などになっていない公有地を指す。

地理院地図以上の解像度を有する地図として、全国地価マップの図面も重ねて表示してみたが(チェンジ後の画像)、この図でも橋の東詰から少しだけ地理院地図にある道が延びている。青線だから、私道ではなく公道の扱いになっているようだが、大津市はここを市道にはしていない。また、地理院地図のように長くは描かれていない。


@
昭和60(1985)年
A
平成2(1990)年
B
平成20(2008)年

航空写真も改めて精査する。

本編でも一度確認しているのが@昭和60(1985)年版であるが、私はてっきり“赤破線の矢印”のように道が延ばされる計画があるものと思い込んでいた。
しかし実際は、“黄色でハイライトした”位置にこそ、橋の続きとなる道が存在していたのだ。

橋の東詰から北向きに130mほど先まで、橋や橋の西側スロープ部分より狭い道がはっきり見える。橋の幅と比較して、道幅2.5m程度だろう。これも向谷橋の建設に合わせて整備されたに違いない。そしてその終わりの北側にも、未整備の里道らしき道形が続いて見える。地理院地図に描かれている「軽車道」はこの部分も含んでいると思われる。

A平成2(1990)年版では、早くも向谷橋の前後の道は草むらに隠されつつあるのが分かる。未整備だった里道部分は、もう見えない。
補償型の跨道橋にありがちな、建設したは良いけれど実際の利用者はいなかったという失敗パターンに、しっかりハマってしまったように思う。
NT内の街路にすんなり繋がるような道だったら、違った未来になったのだろうが…。

B平成20(2008)年版は、おそらく現在とほとんど変わらない状況となっている。すなわち、橋の前後の道はすっかり藪に覆われている。


私の誤った先入観は、ここに実在していた左折する道形を全く認識させなかった。

榊マリコ氏も確か言っていたと思うが、予断を持って事に臨めば目が曇る。私はその典型的な誤りを冒してしまった。

まとめサイトなどの情報によれば、番組内で少年はここを正しく左折し、当然ながら猛烈な藪に悪戦苦闘。しかし2時間を費やして、通り抜けることが出来たという。彼は大きな達成感を胸に、「どんな壁でも行けると思う!」と、高校への進学を決意したそうだ。

それはここにいる小汚い利口ぶった廃道オヤジには眩しすぎるゴールである。
今回は大人しく敗北を認めよう。○法が筆の誤るほどだから、ヨッキなど容易く道を誤る。ゴメンナサイ。(←謝れるだけ○法より良い。本音をいえば、もうあの藪には入りたくない。首筋から入り込んだ大量の枯葉の欠片でしばらく痒くて大変だった…)

といったように、私の探索と机上調査、両方に大きなミスがあった今回だが、読者諸兄の協力と少年の勇気によって、迅速に誤りを正すことは出来たと思う。

冒頭で、「この世の中に、真に無駄な橋など、ないはずだ!」と信じたいと表明した私であるが、向谷橋はぶっちゃけ、費用対効果という現実的な部分では大いに無駄………………少年と私には確かに価値はあったけどさ…。
イヤ、違うな。補償によって地域の了解を得たことで開通した湖西道路の大活躍は、補償の小さな無駄などとっくに穴埋めしているという評価が適切だろう。それこそ全く無駄のない道というのはないだろうし、湖西道路の開通が遅れることの方が遙かに損失は大きかったと思う。


このような追記を書いてい最中、驚きの読者さまコメントが追加された。
なんと、番組内で橋を渡ったご本人さまからコメントを頂戴したのである。 →コメントNo.56398
なんでも、橋から北へ向かう廃道になっている区間内にも、ガードレールや側溝があるのを見たという。
やっぱりこれは、私も再訪かな。 きついけど……。

ともかく、皆さまご協力ありがとうございました!




「読みました!」
コメント投稿欄
感想、誤字指摘、情報提供、つっこみ、なんでもどうぞ。「読了」の気軽な意思表示として空欄のまま「送信」を押していただくことも大歓迎です。
頂戴したコメントを公開しています→コメント公開について
 公開OK  公開不可!     

送信回数 178回

このレポートの公開中コメントを読む

【トップへ戻る】