新潟県道232号浦佐小出線は、浦佐(うらさ)駅に近い南魚沼市五箇と、平成の合併まで小出(こいで)町であった魚沼市の中原を結ぶ全長6829mの一般県道である。
全線にわたってアップダウンはほとんどない路線だが、特徴として、経路がやや迷走気味ということがある。
地図上で見る限り、この路線の起点と終点を結ぶ経路にそこまで大きな迂回はないように見える。だが、そもそも路線の起点と終点である浦佐と小出の間は、既にこの地域の圧倒的メインルートである国道17号(三国街道)が最短コースを結んでいる。だからどうやっても脇役にしかなれない県道浦佐小出線の経路は、国道17号の旧道というわけでもなく(部分的にはそうだが)、だいぶツギハギ感の強い、なんとも恣意を感じるルートになっている。
というのも、この路線は僅か7km足らずの道のりの中で、この地域を貫流する大河川である魚野川を3度も渡る。
国道17号も三国街道も1度しか渡らないが、県道は3度も渡る。それも、わざわざ遠回りしながら右岸と左岸を縫うように走る。川が蛇行しているとかでもないのに、県道が蛇行している。
この動きは…トキ! (えさ場を求めて川の両岸を行き来する…)
……とまあそんな冗談?はさておき、このように過剰に川を行き来する経路には恣意的なものを感じる。
つまりは、橋を県道として改良整備するために、この県道は何度も川を渡っているのではないかと。
ぶっちゃけ、これを「そうだ」と認めるような文献を見たことはないが、私はそう思っているぞ。
(角栄さんの銅像が浦佐駅前にあるように、ここは彼の地盤だ。そして、県道のルートを設定するうえでの内規的なものとして、建設省(国土交通省)が各都道府県知事に宛てた「都道府県道認定に関する道路局長通達」があり、その第一の項目が「交通の流れに沿うこと」なのであるが、あからさまにそれを無視した経路を有する県道が、彼の地盤であった地域に目立って多いと私は思っている。これは安い陰謀論などではないと確信しているが、この話は本編だけでは例示が足りないと思うので、今回はまだヨッキれんはそう考えていると伝えるだけに留めよう)
話が少しそれた。
今回紹介したいのは、この県道232号浦佐小出線の3箇所ある魚野川横断のうちの1箇所だ。
他の2箇所(福山橋、青島大橋)は、改良済みの至って穏当な道路橋であるので、今後も私が取り上げることはないと思う。
ただ、起点から間もないところに架かる1本目の橋……栄橋……これだけは、紹介しなければならない。
これが最新の地理院地図に見る、この県道の起点附近の様子だ。
左に見える国道17号との交差点が起点で、そこから直ちにひょろっとした栄橋で魚野川を渡る。
この川の中ほどが南魚沼市(旧大和町)と魚沼市(旧小出町)の境で、この県道の南魚沼市内の長さは90mしかない。
渡った先もしばらくは「軽車道」の細い記号のまま小刻みに蛇行しながら進み、起点から約1.1km進んだ岡新田で狭隘な区間は終わりを迎える。
今回のレポートはこの一連の区間を紹介するが、主役はあくまでも栄橋。
短いレポだしミニレポにはしているが、ぶっちゃけこの橋にはインパクトがある。
どんなインパクトがあるのか、皆さまも楽しみにしていてほしい。
なぁに、登場まで時間は掛からないさ。なにせ起点から始まる橋だから。
さっそく、ご登場願いましょう。
2025/6/18 12:20 【現在地】
ここは南魚沼市五箇の国道17号路上で長岡方向を向いている。
左は複線の上越線、右は幅の広い魚野川、これがら暫くのあいだ密着して並走しているが、間もなくの前方に、左右それぞれへ分れる交差点がある。左折レーンが用意されてるのが見えるだろう。
そしてこの交差点、山行がで登場したのが2回目である。
はるか18年も前の平成19(2007)年10月に探索・執筆したレポート「ミニレポ第122回 新潟県道387号吉水大和線 岩山不通区」のスタート地点も、この交差点だった。
前探索では、この先の交差点を左折して、表題の県道の探索を行っている。
同交差点の全体像。
左折レーンの先に踏切があり、その踏切が県道387号吉水大和線の終点である。
一方、右折レーンはないが(!)右折する道はあり、右折するとそこが県道232号浦佐小出線の起点である。
交通量の乏しい道路ならいいが、こちらは天下の国道17号だ。
特に右折禁止の表示などはないものの、後続車が近い状態で右折のために対向車待ちの停止をしたら、追突されて文句が言えなくなるかもしれない…(死人に口なし)。
だが一応はここにも県道の証しとなるものがあって、目立っていないが、いわゆる“卒塔婆標識”が県道232号と387号の両方分、それぞれ北行、南行用に設置されている。
が、これも2007年のレポートから既に指摘済みだが、県道232号の向きが間違っている。正しくは右向きに尖らせなければいけない。山行が以外に誰も指摘しなかったのか、まだ直されてなかった。(これでもう県道232号の利用度はお察し…)
……気を取り直して、県道232号へ足跡を刻もう。 右折。
即座に激狭の橋!
このインパクトが、本県道最初の見どころであろう。
手前の国道17号が直線で広いだけに、対比としても非常に際立つ。
国道上の1車線よりも遙かに狭い1車線だけの道路橋が、広い魚野川へ向けて飛翔していく。
背後の残雪の山並みも素晴らしい。魚沼三山と愛称される当地方の象徴的な三つの嶺が、空を支える一つの台座のようにまとまりを持って聳えている。
なお、この景色の名脇役である最大重量2.0tと最大幅2.0mの“にーにーコンビ”も、18年間健在であった。
露骨な規制ではあるが、逆に言えばこの規制を満たせる車であれば拒まれないということになっている。
しかし、拒まれずとも、実際に初めて足を踏み入れれば、この先にさらなる驚きが待ち受けているのである。行けば分かるさ。
魚野川に架かる橋の前に、実はもう一つ小さな橋がある。
用水路を跨ぐもので、現地には銘板など橋名を知る手掛りがないが、2018年度全国橋梁マップには本県道に属する「町屋1号橋」という長さ6m、幅2.5m、昭和45(1970)年竣功の橋が記録されているので、橋名や規模からしてこれが該当するとみられる。
少しだけ登っている「町屋1号橋」で水路を渡ると、魚野川の右岸堤防上に立つ。
チェンジ後の画像は、この堤防上にまとまって並んでいる標識や看板類。
「通行不能」などと書いてあるのは堤防路を指しているが、“にーにーコンビ”の標識は県道用だろう。
なお、2007年に撮影した写真を見返してみると、当時はこの位置の“にーにーコンビ”だけで、起点に近い側のそれはなかったし、暗渠の地覆上に並ぶガードパイプもなかった。少しだけだがこの道も改良されているのである。
これは堤防の上から振り返った起点の様子。
国道と線路の向こうにたくさんの家が見えるが、町屋集落という。
背後の山には平成の中頃まで浦佐国際スキー場があったので、今も微かにゲレンデの名残を感じるものの、18年前と比べると分かりにくくなっていた。
さて、今回の主役である橋だ。
ここは18年前の写真との比較もしてみよう。
時間の経過で欄干の塗装がだいぶ剥げたのが分かるが、もう一つ大きな違いがあった。
それは、幅員制限のための鉄骨の障害物が除去され、代わりに優しいラバーポールに変わったことだ。
規制自体は2.0mで変わっていないが、見るからに当りがソフトになっていて草w。これも時代か。
なお、2011年7月にもここを訪れていたが、その時はまだ鉄骨バーだったのを見ている。
そして両側に立つ親柱と、そこに取り付けられた銘板たち。
地形図には本橋の名前の注記がないが、この銘板で「栄橋」の名前を知った。
ただしこの名前の由来は不明である。地名ではなさそうだが。
もう1枚の銘板には、新潟県ならではのお楽しみである、路線名が記されていた。
「町屋岡新田線」とある。
現在の路線名は、県道浦佐小出線であるから、町屋岡新田線は本橋架設された当時の路線名なのだろう。
県道とも書いていないので、市町村道(年代にもよるがおそらく大和町道&小出町道)だと思う。
町屋は左岸の地名、岡新田は右岸の地名であり、ちょうど今回探索しようとしている一連の区間全てが、この1本の町道であった時期がありそうだ。
そうなると気になるのは竣工年だが、ここに竣工年の銘板はなく、対岸のそれに期待をすることになる。
渡橋開始!
対岸に視界を遮るものがずっと遠くまでないので、眺めがとても爽快だ。
(この時点で違和感を感じられる人は、察し力が高いと思う)
路面に刻まれた轍の跡と欄干の位置を比較して、幅2m規制が偽りではないのが分かると思う。
県道の橋としては稀に見るぎりぎりの狭さだが、それでも架かっているだけ有り難い。
このくらいの川幅になると、どうしても架橋が実現出来なくて、川による分断区間になってしまっている県道というのも、まだ各地にはいくらかある。ボロくても、細くても、●●までしかなくっても(?)、川を渡れるだけで有り難い。
なお、橋の下から右奥へ向けて伸びる白い河原が目立つ流れは、魚野川の支流であるその名も水無川という。魚沼三山から膨大な量の砂利が供給され続けた結果、地図上ではほとんど水面の描かれない広い川になっている。
栄橋は、両川合流地点のほぼ直下に架かっている。
12:23
渡橋開始1分後に異変が発生!
オイオイオイオイオイ!!!
まだ川を渡っている最中であるにもかかわらず、突然カックリと橋がうなだれ始めるではないか。
まるで、飛翔に力尽きたカモのように。
そんなところへ降りていったら、そこはまだ………。
そこはまだ河川敷だ!!
普通の橋なら辿り着くべき対岸の堤防は、まだだいぶ先にある!
しかも、これがイレギュラーな事態であることを橋自体も認めるかのように、この先のスロープ部分は、明らかに橋の年式が違うように見える。
銀ピカの高欄だけでなく、床板自体も新しいのでは?
何が起きたんだ?! この橋に。
改めて、地形図を見てみる。
現地にある堤防の位置を、チェンジ後の画像に緑色のハイライトで示した。
こうして見ると、橋は左岸の堤防から始まって、右岸の河川敷内に終わっている。
確かに、両岸の堤防同士を繋ぐようにはなっていない!!!
面白い!
これは奇抜で面白い。
対岸の堤防まで橋を通じていない事情は、今のところ定かではない。
だが、現状の栄橋はとりもなおさず、平水時の川を渡るという目的にコミットしている。
途中で河川敷内に降りてしまうということは、増水時にはそこが浸水するリスクがあることを受け入れることだ。
それでも、より安価に橋を架設できるメリットが大きいと、柔軟な発想で、この形に仕上げたのだろうか。
そして今は県道に認定されたことで、より完璧な橋への改良を待っている?!
次回は、奇抜な状況を詳細にチェックしよう。
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