ミニレポ第122回  新潟県道387号吉水大和線 岩山不通区

所在地 新潟県南魚沼市五箇 
探索日 2007.10.21
公開日 2007.10.25

忘れられたムラへの道 



 新潟県は県土が広く、かつ古くから米処として人口涵養力が高かったので、明治期には一府県として東京府を押さえ最大の人口を擁した。
自然と多くの自治体(マチやムラ)が立地したし、それらを結ぶ交通網が発達していた。

今日、新潟県内の道路地図を見ると、驚くほどに県道が多く存在することが分かる。
そして、それらの多くは明治以前からムラとムラを結ぶ道であったり、ムラの米を運び出すための重要な道であった。

 特に中越地方はその傾向が顕著であり、某大物政治家の出身地であることから多くの“はした道”が、強引に県道指定されているのだと捉えられがちである。
しかし、この地域の一部は米のトップブランドである「魚沼産コシヒカリ」の生産地であり、そこに古くから多くの人口と自治体が存在したことをふまえれば、必ずしも原因は政治的なものではなさそうである。県道の指定は、自治体の数が多いほどに、多くの路線が指定されやすい傾向にあるのだ。

 過疎化の進む現在となっては、ほとんど集落も無い山間部に幾筋もの細い県道が描かれている姿は異様であり、そこには一目見て繋がっていない道も多い。
 右の地図は、魚沼丘陵地帯の国道および主要地方道、一般県道の概要図であるが、国道沿道以外に見るべき人口地は無い。それにもかかわらず、網の目のように多くの県道が指定されていることが分かる。
 画像にカーソルを合わせると、2007年現在で自動車が通れない区間が削除される。
こうなると、いよいよ「不通県道天国」の様相を呈してくる。地域の国道に次ぐ幹線であるはずの主要地方道でさえ、ほとんど繋がっていないのだから。

 政治の問題か、歴史的に人口や自治体が多かったことが理由なのか、あるいはその複合なのか。
はっきりとした答えは分からないが、とにかくこの魚沼丘陵を含む中越地方の不通県道の数は、異常である。




 山いがではこれまで、この地域の不通県道として県道58号(小千谷大和線)および178号(山ノ相川下条停車場線)を取り上げてきたが、今回は387号(吉水大和線)の大和側を紹介したいと思う。

 この一般県道387号吉水大和線は、魚沼丘陵北東部を通過し、国道17号と258号とを短絡する。
しかし、南魚沼市と魚沼市の境を成す一帯は自動車通行不能であるばかりか、地形図にも一切の道が描かれていない。
そのために、途中どのように経由して、魚沼側と南魚沼側の同一路線が繋がっているのかは、推測の域を出ない。(追って道路台帳等を調べる予定)
ともかく今回は旅すがらに、この南魚沼側に立ち寄ったので、終端の風景をごらんいただきたい。

 なお、この路線名であるが、平成の大合併前の自治体名を一部引きずっている。
吉水は、旧堀之内町大字吉水であり、現在は魚沼市吉水。
大和は、旧大和町のことで、現在は南魚沼市五箇となっている。
旧大和町は上越新幹線の駅もある浦佐が中心地だったが、五箇はその北部に位置していた。
現在の住居表示からは大和町の名前は完全に消えており、このような場合、関連する県道の名前も改名されるのが通例だが、本線といい、やはり不通区間を擁する小千谷大和線といい、重要度が低いと考えられているのか改名されていない。



 道路地図で見ると、この県道387号の“虚しさ”が際だって見える。
幹線道路である国道17号から“ひげ”の様に伸びている387号は、沿道に唯一「町屋」の地名を見るだけで、そのまま途絶えている。
途絶えた先にも、おそらくは県道の予定線であろう小道が描かれているものの、それとて重々たる山塊の中で無為に終わっている。
事実、この反対側である魚沼市側の県道が現れるのは、この図を上に縦の幅の2倍も動かしてようやくと言った有様である。

 不通県道の中にも、「もしかしたら通じているのかも…」と淡い期待を抱かせる存在もあるが(前出の178号のように)、これなどは不通区間が開通区間の全長に匹敵するほどもあるから、最初からそんな期待は無い。終端の景色を確かめたいという、そんな気持ちでの、気軽な挑戦だった。

 しかし、お宝のような道路風景は、どこに隠れているか分からないものなのである…。







 2007/10/21 9:27

 南魚沼市五箇字町の国道17号上にある、県道387号の終点の様子。
横切っているのが国道で、奥へ分岐している細い踏切が387号である。
線路はJR上越線で、その向こうに見えるのが町屋の集落である。

 ちなみに、同地点は別の県道232号(浦佐小出線)が国道との重複区間から独自区間に変化する地点でもあり、左から来て、私の立ち位置より手前に分岐するのが232号である。



 信号はないが、横断歩道と左折レーン(下り車線のみ)が国道に用意されている。
そして、上り車線側だけにある歩道上には、写真の県道標識が設置されている。
それ以外の青看など、行き先を表示するようなものは一切無い。
また、232号の指示する方向が誤っており、本当は向かって右側に矢印を向けなければならないはずだ。



 本題からはずれるが、県道232号もまた通り一遍の道ではない。
分岐すると即座に魚野川を大小2本の橋で跨ぐのであるが、この区間の道の狭さが、すごいことになっている。
奥の大きな橋のたもとには、幅員制限2.0メートルと、重量制限2.0トンの、“険道ニーニーコンビ”の標識が誇らしげに掲げられている。



 ごらんの通り、橋は結構長い。
これで2トン制限である。
いま、軽トラが一台通行中だが、ここにもう一台軽トラが乗ると、制限ぎりぎりとなる。
対岸にはコシヒカリの美田が広がっており、通行するのもほとんどは農作業の車のようだ。
袂には幅2mの制限バーも立てられているから、普通車だとちょっと尻込みしてしまいそうだ。




 それでは本題である県道387号吉水大和線に入る。
まずは踏切でJR上越線を渡る。
踏切の名前は「町屋国道踏切」であるが、なぜ国道と付くのかは分からない。
おそらく上越線開通以前には町屋の集落内を国道が通っていたであろうから、この踏切も古くは国道の通路だった可能性がある。
線路を何度も平面交差で跨ぐ線形が嫌われ、相当に早い時期に今の魚野川沿いに付け替えられたのだろう。

 踏切を渡ると二手に分かれるが、県道は右である。おそらく旧国道も。



 少し進むと田んぼが両脇に広がる。
国道17号および線路に並行して綺麗な直線路が続く。

 左手には、本線が越えようとした魚沼丘陵の、丘というには些か険しい山並みが続く。
その前面には幾筋ものゲレンデが見えるが、この「浦佐国際スキー場」は数年来休止中である。



 踏切から約500mの直線を経て十字路にぶつかる。
旧国道らしい道が更にまっすぐ続くが、本線(387号)は左折する。
ここに至ってもなんら標識はなく、ここまでで県道を示すものといえば、終点の交差点にあった小さなヘキサだけだ。(数枚上の写真で紹介したもの)



 進路が90度変わって、越えるべき山へ向き直った。
こうなるとほとんど平地はなく、すぐに登りが始まる。しかも、かなりきつい勾配の登りが。

…貫通できないと分かっていて峠を目指すのは、ちょっと悲しい感じ。




 道は斜面に建つ民家の間を縫うように、数度大きく蛇行しながら登っていく。この集落は地形図に地名が無いが、岩山というようだ。
県道には歩道こそ無いものの2車線が完備されており、より集落内を通る旧道の姿も見受けられた。
立派な道だが、白線はほとんど消えかかっており哀愁を誘う。

 路傍に立つデリニエータに、「新潟県」の文字を見つけた。
県道の証と言って良い。字体がゴシック調なのは古い型だ。



 終点から約800m、左折して300mほどで集落の上端に達し沿道の民家がとぎれる。
代わりに、杉の木立に囲まれた神社が道のすぐ下に現れた。
静かな境内は意外に広く、赤い屋根の社殿も立派である。
神社の名前は、地図によると「股倉神社」という。ちょっと赤面してしまいそうな名前だが、どんな御利益があるのか。
とりあえず、境内にいたヘルメットを被ったお地蔵様に問うてみたが、答えは得られなかった。
まあ、山チャリストにとって股間は非常にデリケートな問題を抱えているのであるから、ここでの信心は無駄にならないだろう。



 9:36 【現在地:幅員減少地点】

 神社を過ぎてすぐに道は狭まる。
まるで、たった一基の墓に進路を奪われたかのように。
しかし、ここでの道幅の減退は予想通りの展開である。
道路地図などは、この場所で県道の色分けをあきらめ、以後はただの小道として描くようになっているからだ。
狭いとはいえ、路肩には白線の引かれた、まだ県道らしい雰囲気の道が続いているので、私は構わずに進んだ。



 1〜1.5車線幅となった道は、かなりの勾配で杉の植林地や畑の中を登る。
滅多に路傍の刈り払いもされないようで、カーブの視界は悪い。
集落を離れた道は、もはやその存在意義を失いつつあるようで、進むほどに寂しさが募っていく。



 巨大なカシワの朽ち葉が路上に大量に散乱し、滑りやすい。
よほど通行量が少ないのだろう。
舗装がいつまで保つのか、この急坂が終われば或いは…。
これまでの不通県道の経験を総動員して、カーブの先の景色について様々な想像をして楽しむ。



 9:39 【現在地:舗装終了地点】

 これまた予想通り。
登りが一段落すると、唐突に舗装が途絶えた。
終点から約1kmの地点である。
以前は放牧地か集落でもあったのか、そこはススキの生い茂る山中の小平地であった。
地図では左に分かれる道も描かれているが、県道は直進のようだ。
左折は車の転回場所として分岐部分が使われているだけで、奥はススキの藪に帰していた。

 舗装が途絶えると同時に、県道の断末魔ともとれる標識が現れる。



 ここまでの道のりには、一般のドライバーにとってそこが県道であると気づけるようなものは殆ど無かった。
我々のような愛好家以外には、この県道を走ってみようという者も少ないであろう。
だから実際には、このような行政の立てた通行止の標識で無知なドライバーが引き返そうと決断する場面は少ないと思われる。
むしろ、我々好き者を喜ばせるための標識にさえ思えてくる。
標識の下に小さく書かれている「南魚沼地域振興局」の文字こそは、ここが県道であることを主張しているのだ。

 在り来たりな標識の文字に説得力は皆無だが、近くに立つ手書きの看板『危険!入山禁止 岩山区長』は妙に真に迫っていて、「何事かあらん」という感じがする。




 後編では、思いがけないお宝に出会う。










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