早口森林鉄道 早口駅〜岩野目間 中編

所在地 秋田県大館市早口
探索日 2008.10.29
公開日 2009. 4.18

早口森林鉄道の里山部分を走破・踏破しようという今回の試み。
地形図に破線で描かれている軌道跡は、最初のうちこそクルマも何とか通れる状態だったが、やがて完全な廃道に変わっていった。

現在地は、早口駅(起点)から約3.5kmの本郷地区。
軌道跡はここで一旦車通りの多い市道にぶつかった。

次の中仕田地区までの約1km間には、地形図を見る限り小さな沢を渡るであろうところが2箇所ある。
そこに何らかの橋梁の痕跡を期待しての、踏破続行であった。





 まだ見ぬ「橋」の出現を期待しつつ… 




2008/10/29 14:06 

市道の先は、胸まで漬かる深い笹藪に覆われていた。
昔から秋田にはツツガムシ病という風土病があって、刺されて放っておくと死ぬ場合もある。
ツツガムシはダニの一種で、こういう里山に近いような笹藪や葦原に多く潜んでいるという。
今でも年に数回はその被害が(県内の)ニュースになるくらいだ。
もちろん私は刺されたことなど無いものの、こういう藪は嫌な気持ちになるのも確かだ。




藪は深いが、そこだけ木が生えていないので、軌道跡の存在は非常に鮮明である。
また、相変わらず電信柱が点々と現れる。

しばらくは、ただ黙々と藪を掻き分けて進んだ。

そして10分ほど歩いていくと、区間に2箇所ある「橋梁期待地」の1箇所目に辿り着いた。
前方が明るくなったので、その接近はすぐに分かった。




14:15  《現在地》

そこは、巨大な築堤であった。

見たところ、向こう岸まで橋は使われていないようだ。

だが、これはなかなか見応えのある築堤。
まるでダムのように谷を塞いでいる。

橋が無かったのは素直に残念だが、いかにも林鉄らしい幅と、緩いカーブと、電信柱とを身につけた、紛れもない「遺構」である。

2人はそこに一定の成果を認めつつ、これまで以上の笹藪に覆われた築堤へ進んだ。




谷は思っていた以上に幅広で、築堤もまた長かった。

カメラを目線よりも少し上に掲げ、なかば藪に溺れそうになりながら撮影したのがこの写真。

2人の肉体が笹との間に奏でる摩擦音が、獣の世界を彷彿とさせた。
そして築堤は、さらなる試練を我々に強いた。




ゴッソリ抜けてる!

しかもイバラが凄い!!

思わず顔をしかめる。

築堤の終盤、最も谷が深まるあたりだろうか、当初は完全な形で残っていると思われた築堤だが、ゴッソリと抜け落ちていた。
橋があったような感じではない。

先へ進むには、どうやってもこの谷を下って、渡って、登って…

それしかない!




一応「ナタ」は持っていたが、この密生をいちいち刈払っていたのでは日が暮れてしまうと判断。

私が先頭になって、“ケモノの動き”でこれに対処した。

すなわち、限りなく身を低くして這うように進むのである。
文明人にとっては些か抵抗のある歩行法だが、藪では決定的に効果が高い。
ただしこれは前が見えにくいので、ヘルメットを着用していないと頭を怪我しやすいことに注意。

こうして5mほどの谷を下りた。

そしてその底で見たものとは…




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そこには、ゴムタイヤを付けたままの車軸が一対、落ちていた。

これがどんなクルマの“部分”であったのかは分からないが、おそらく耕耘機のような農耕車両だと思う。

この沢の上流に畑はないので、故意に捨てたのでなければ、築堤の崩壊に巻き込まれたのかも知れない。
もしそうだったらちょっとした事件だが、詳細は不明。
いずれにしても、軌道の廃止後、車道として使われた時期のあったことを意味している。




そばには砕けたヒューム管の一部も見られ、ここが当初から築堤だったと分かる。
普段の水量からは、この巨大な築堤を崩した破壊力を想像することは難しい。




14:22

対岸の笹林をよじ登ると、そこには一本の作場道が横切っていた。
写真手前から奥へ続く道がそれである。
だが、軌道跡はそれを無視して、左の笹藪の中へ消えている。

再なる藪漕ぎの覚悟を決めた私の背後で、ようやく這い上がってきた細田氏の手には、先ほどまで無かった一本の棒が握られていた。

そして、この棒が我々に示した大いなる意味を知るのは、もう少し先のことであった。




再び笹藪の中を溺れそうになりながら歩いていく。

それにしても、ここまでは…



全滅だ。 


出発前に古地図と今の地図を比較して、橋の存在が期待できそうな場所に赤丸を付けて持ってきた。
その赤丸ポイントは、前回紹介した部分も合わせて、既に4箇所を数えている。
確かに痕跡のある橋もあったが、「架かったまま」で残っているモノには未だ出会えていない。

出会えて当然だなどとは思っていない。
私が秋田に滞在していた1ヶ月の間に、彼と2人で手近な県内の林鉄を10箇所ほど見て回ったが、そこで新たに発見できた橋は僅かだった。




ここに来て、地図にないモノを発見した。

軌道跡の10mほど下にもう一段の平場があり、そこは綺麗に草も刈られているのである。

よく見るとそれは現役の水路だった。

そして、軌道跡は水路を伴ったまま、第二の橋梁期待地へと近づいていった。




前方に、明るい空間の広がりを認識。

地図を見る限り、今度の沢は先ほどの大築堤よりも小さそうだが、どのように渡っているだろう。
また築堤か、それとも橋か。


あの、すっくと立つ電信柱まで行けば、沢の全貌が明らかになりそうだ。


 どきどき…

  どきどき…






ちょ

ちょっ!



やべー…。

細田さん、 やべーよ。

アルで。


 橋アルで。




14:31  

2番目の沢に、架かったままのガーダー橋を発見した!

久々に報われた。

細田さんが叫んでる!!

俺も叫んだ!




出たよ出たよ!

ガーダー橋。

木橋絶望の地「秋田」において、鋼橋はコンクリート橋とともに現存が期待できる素材。
しかも、我々2人にとっては、鋼橋はコンクリート橋よりも遙かに高価値!

しかもしかも、地図で見るより遙かに高いし、長い!

見たところ、石造の橋脚が2本。

すなわち、3径間連続ガーダー!

奥の方には、かなりの密度で枕木が並んでいる。

あの枕木が、この渡橋における最大の難関になるだろうと直感した。




そうともよ!
渡ることがそもそもの前提!

我々が廃橋を探すのは、研究のためでも、鑑賞のためでも非ず。


 スリル シンドローム!

     &

 アドレナリン ジャンキー!


ゴメンね、お父さん、お母さん。
スミマセン、細田さんの奥さん、子どもさん。

でもオレたち、これが止められないんですよ。




と、 い う こ と で …。

戦☆開始!


※以上、ナマで橋を見付けたときのテンションを表現してみましたが、我々はそれなりに経験を積んだ上で、冷静に状況を判断して橋に挑んでいます。

    …たぶん。






 渡橋実践中


この橋を無理に渡らなくても、対岸へたどり着くことは可能である。
だが、橋があれば渡りたくなるのが人情。

ぶっちゃけ昔は、渡れば格好いいだろう、人に自慢できるだろう、度胸自慢。
そんな気持ちで挑んでいた。
だが、今となっては理由は全て内にある。

こうしてサイトで紹介する必要さえ疑わしい。
別に渡らなくても、レポートとしては完結するし、むしろこんな事をするから山行がは万人受けではない。教育的指導を受けるのもやむを得ない。

だが、廃橋を目の当たりにしたとき。
あと、廃隧道を目前にしたとき。

この2つの場面における私&我々の「はっちゃけ」は、極めて個人的な楽しみなのである。
特に廃隧道と違って、廃橋の場合は「中の景色を知らしめる」というような「大義名分」も無く、まったく利己の追求である。

こんな「無意味なリスク」を晒すのは馬鹿げているとも思うが… 

遊んできます!




第一径間は、特に問題にはならなかった。

幅20cmほどの梁の上には一切障害物が無いので、平均台を渡る要領でスタスタと行った。

だが、長さ・高さの両面から主径間といえる第二径間は、一気にハードルが高くなっていた。

というか、単純に墜落時のリスクが倍加したと同時に、枕木が現れ始めるという悪条件に、気圧された。


い、 いや…





怖い。

なんか、すげー怖いんです。


細田さんも、少し後ろで固まっている。

そして、私の背中に呼びかけてくる。

「 店長。 オレやっぱり“衰えてる”すよ…。 」

私は振り返らずに言葉を返す。

「オレもこれ無理かもさね。 …枕木がウザイな。」




なんとか全体の中央くらいまで来たが、写真を見て欲しい。

既に当初の姿勢が崩されて、両側の梁に片足ずつを乗せるようになっている。
これがまず敗色濃厚の証し。
安定しているように見えるかも知れないが、障害物をかわしながら足を運ぶという意味ではかなり無理のある、いわば「守りに入った姿勢」。
ネコでいえば、耳を後ろに倒してしっぽを股の間に丸め込んでいる状況だ。

枕木を踏んで行けば楽勝だろう。

今にもそんな声が聞こえてきそうだが、私にはそれは絶対にでき無い相談。
だってこの枕木、固定されてないんだよ。(されてたんだけど、釘が腐っている)
足を乗せたところでゴロンと行かれたら、どうなるんだ。
しかも枕木自体もスカスカになっていて、下に梁がない部分に体重を掛けるなんて、絶対に自殺行為。




しかも、前方の状況はこれ。

ちょっと酷い。

突き抜けて育ち中の木が邪魔をして、両側の梁に足を乗せて進むことも許されない。
どちらかに避けなければ…。

その先の藪も、うるさそうだ…。

とにかくテンポ良くスタスタと渡ってしまうのが、「あのとき」私が身につけた渡橋術の王道で、色々考えながら時間を掛けて渡るのは苦手だ。

…ダメだ。 緊張感が保たない。




で、緊張感が保たなくなった結果がこれですよ。

ダセー。

マニアックな漫画ネタで申し訳ないが、“カイジ”ならもう死んだ。

しかも、こうやって一度梁の上に座り込んだら、もうダメだ。

ここから立ち上がるというのは、凄くバランス的に難しいし、かなり高いリスクハードルを越えなければならない。




気持ちを落ち着かせる意味も込めて、どっしりと体重を深く降ろし、息を整えた。

だが、ただそうしていては「怖くなって動けなくなっている」のがバレるので、カメラを股の間に潜らせたりして、橋の内部構造を撮影しているフリをした。


…内部構造は、こんな感じである。

枕木さえなければ、【フランジ】に足を置いて、ガーダーを抱えるようにして進む「変形梁渡り」が使えそうなのだが…。

それにしても、今まで慌てていて(←全然冷静じゃないじゃネーか!)全然気付かなかったが、石組みの橋脚が凄く良い味を出している。
明治44年当時の建造かも知れないし、そうでないとすれば蒸気機関車入線のために路盤を改良した大正末のものだろう。
立派な土木遺産である。
(なお、橋脚のカタチが変わっている部分に木の斜材を当てていたと考えると、当初は木橋として完成していた可能性が疑われる)






もう橋の上には立てなくなった私…。

四つん這いで戻るはめに…。


そして何とか安心できる第一橋脚上に避難しつつ……





スローリーな歩みを続ける細田氏を、伏して見送った。

その手に握られている棒の意味を、私は見逃していた。




細田氏、 挑戦中。


ちょうど私が断念したあたりだ。

なんだか、棒を使っている。

一応言っておくが、彼の手にしている棒は、途中に落ちていた松の枝である。
持ち手の部分はそうでもないが、ちょっと腐ってヌメりが出ているくらいの棒だ。
そんな物を手に橋へ挑んでいる彼のことを、私は心配で仕方がなかった。


彼は、私の断念地点で1分ほど固まった後、言った。

 「 やめるす。 」

そして、彼は橋の上でクルリとターンして、戻ってきた。

…歩いたまま。


敗北感に俯く私に対し、彼は言った。

 「 棒、 いいっすよ。 」

そんな棒に頼って渡るくらいなら、何も持たない方が良いだろう。
そう私は思ったが、彼は「まず一度試してみてけれッス」と、私にそのヌメリ始めた棒を渡した。
それは意外に重く、芯に秘めた堅さを感じさせた。


何がそんなに良いのか。

とりあえず、彼がしていたのと同じように、やってみよう。

すなわち、左の梁を渡りながら、右の梁に杖を立てる。




やっべ。
すげー、イイ!(笑)


最初半信半疑だったが、棒を手にした途端私はあっという間に最難所を通り抜け(もちろん立ったまま)、もう終盤にさしかかっていた。
そこで振り返る余裕まで見せた。
(棒を私に与えた細田氏が無事たもとに戻れるのか心配だったが…)


オブ四十八手 (第三七)
 棒渡り …開眼!




14:48

橋に出会ってから17分。
最終渡橋を開始してから僅か1分。

3径間の戦いは、私(と棒)の勝利に終わった。

というか最大の立役者である細田氏だが、渡橋自体を諦めた彼は手に持参のペンチを持って、一生懸命橋上の邪魔な枝葉を剪定している。
「時間があれば1日中やりたいすよ」
と言うほど剪定の魅力にハマってしまった彼はとりあえず忘れて、私は倒した獲物の大きさを測ることにした。







下から見ると、渡った実感以上に大きく、そして… 

美しい橋だった。

鋼鉄のメリットを最大限に利用したスリムな桁が、古色蒼然とした石の橋脚に真っ直ぐ渡されている姿は、本当に良く整っている。
これぞ林鉄の橋だ。

そして、管理された水路が間近にあり、当然、村人はこの橋を知っているだろう。
だが、こうして探しに赴かなければ、おそらく世に知られることの無かった橋だ。

その現実が、林鉄探索の難しさであり、また面白さなのである。






林鉄橋梁 (無名の沢)

 全長 推定 25m
 高さ 推定 10m
 竣功 推定 大正14年
 構造 3径間連続プレートガーダー 石造橋脚
 




 次回後編でも、さらなる発見を求めて北上を続ける。