早口森林鉄道 早口駅〜岩野目間 後編

所在地 秋田県大館市早口
探索日 2008.10.29
公開日 2009. 4.19

いつまでも橋上の整備作業(剪定)を止めようとしない細田氏を説諭し、いよいよ日の傾きつつある軌道跡の前進を再開。
橋から約10分で路盤を覆っていた笹藪が晴れ、砂利の轍が復活。
中仕田集落近傍に出た。

今回「後編」で紹介するのは、さらなる橋梁の存在が期待される一本木を経て、当初目的地であった岩野目まで、約2.6km。
時間的にも、この距離は明るい内に前進できるギリギリと思われ、少しだけ焦る。

まあ、二人なら暗くなっても寂しくないからイイか。





 さらなる欲を持って進むと… 


2008/10/29 15:07 

中仕田集落傍の工場裏にある砂利敷きの十字路。
近くに民家はない。
ここで、山に入っていく無名の林道と交差する。
軌道は直進。
ここからが、今回最後の区間だ。




しっかりと轍が刻まれた、しかしぬかるんだ軌道跡の道を進んでいくと、道幅いっぱいのトラクター?がエンジンをかけたまま停車している。

その背後に、作業着姿のオヤジあり。




細田氏、犬に絡まれる!(笑)

股間にぶら下げたクマ避けのカウベル(通称金玉)が機になる模様。

これだけ絡まれているのに、振り向きもせず一心不乱に何か作業をしているオヤジの無関心ぶりが楽しかった。




ぽつりぽつりと現れる電信柱が軌道跡と教えてくれる道。
ほぼ直線的に、集落からはやや離れた山裾を走っている。

最初から最後まで、地形図だとずっと同じ点線の表記だが、実際の利用状況には大きな違いがあるのが面白い。
当然のことながら、そこに今日的な利用価値があるかどうかが、道の生死を分けている。




キターー!

橋も隧道もないのに、何がキタ?


おばか!

これは最高のものですよ…。

私も細田氏も、一撃でノックダウンされた。
何がイイって、林業全盛時代を思わせるほど手の行き届いた杉林(普段は杉の植林地って煩い感じがして嫌いだが、このように管理が行き届いているのは別)に連なる、少しだけ盛り土された軌道敷き。
その路傍に傾き立つ、“ハエ叩き”を思わせる電柱(廃)。

今にも、8両連れの加藤製作所5tガソリン機が出てきそうな錯覚を覚える!




15:23 《現在地》

後編スタートの十字路から1kmほど進むと、遂に轍が途絶えた。

ちょうどここが植林地の終わりで、その先は雑木林になっている。
路上も藪に逆戻りだ。

橋の存在も期待される十ノ瀬沢(仮名)までは、あと500mほどか。




背丈に迫る勢いの笹藪。

写真はその最中に振り返って撮影。

いるはずの細田氏が、マジで行方不明!!!
金玉の奏でる音だけが彼の生存を伝えていた。

そしてこの状況は、十ノ瀬沢にぶつかるまで続いた。
双子山付近と並び「、今回の探索では最も深い藪だった。




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15:38 《現在地》

15分の格闘の末、期待の地、十ノ瀬沢に到着。

深い笹藪の先に、沢の全貌を見た。 

果たしてそこに橋はあったのか?


←細田氏のこの表情が、答えだ。




え? 分からない??

【さっきの顔】と較べて貰えば、結果は一目瞭然でしょ…。





無念。

橋は落ちていた。


そもそもが、期待していたほどに大きな沢ではなく、何より軌道面に対して浅いところを流れていた。
だから、仮に橋が残っていたとしても、先ほどの「美ガーダー」のような衝撃は無かっただろう。

だが、この場所はまた別の意味で「衝撃的」だった。




チェックポイント 1

川の中に発見された数本のレール。
その大きさ、錆び具合。間違いなく林鉄のレールだが、不思議なのはその位置だ。

両岸の橋台を結んだラインよりも少しだけ上流にあるのだ。

洪水で流されたという挙動ではない。
堰のようになっている現状を見る限り、それこそ堰として人為的に持ち込まれたように思われる。
川中のレールにありがちな湾曲も見られないことも不自然だ。




チェックポイント 2

小さい中州の正体は、傾いた橋脚の一部だった。
路盤に較べ高さが足りないが、おそらくこの上に木製の橋脚を乗せていたのだろう。

前回の橋脚と同じ、丁寧な石組みである。
比較的小さな沢でも、脆弱な木橋で済ませなかったところに、本線が由緒ある「一級規格」の「森林鉄道」だった名残を感じる。(厳密には、1級=森林鉄道、2級=森林軌道という呼び方の違いがあったが、当サイトではあまり厳密に区別していない)




チェックポイント 3

そして、本橋の失われた桁は、川下方向に文字通り「散乱」していた。

【あそこ】にひとつ。
そしてさらに下流にも、【もうひとつ】

一度の洪水でここまで流されたのではないだろうが、平水時の姿しか知らない我々にとっては、驚くべき破壊の惨状だ。

冒頭でも述べたように、この早口林鉄の廃線理由は一般的な林鉄とは違っていた。
昭和33年の洪水によって「上流部の路盤が壊滅的被害を受けた」(全国森林鉄道)ことが廃止の理由になったのだが、具体的にどの区間が上流なのかは分からない。
このあたりも全体の中では中・上流に属する部分であるが、或いはこの橋なども洪水の被害を受けていたのかも知れない。



十ノ瀬沢橋梁(仮)

 2径間連続
 コンクリートI ビーム橋
 橋長:約10m
 高さ:約2m
 竣功:大正14年頃?

両岸ともに橋台に構造物が見あたらないので、洪水による落橋と思われる。





 今回探索の終点 岩野目


15:50 《現在地》

十ノ瀬沢を徒渉して少し進むと、すぐに畑と一緒に砂利道が復活。
おそらくそう遠くないところで吠える野犬?の声に脅されながら尚も歩くと、久々に民家が現れた。
一本木の集落のはずれである。

ここまで6km近くも我々を誘導してくれた電信柱の最後の一本が現れた。
その先は、見るからに平凡なアスファルトロードだ。



そろそろ良い具合に暗くなってきたし、あとは地図を見る限り普通の集落道路になっているいるようでもあるから、ここで引き返してもイイかな…。

でも、せっかくここまで来たのだから、明るい内にもう一つだけ。
岩野目集落の外れを流れる沢(仮名:岩野目沢)の架橋状況を確認して帰ろうと言うことになった。
帰りは別に全部軌道跡を歩いて帰る必要もないわけだしな。




すっかり整備された軌道跡の大館市道。

行く手には、いかにも雪国らしい三角屋根を纏った、相当に巨大な建物が見えてきた。
なんとなくだが、集落の規模には釣り合わないような印象を受ける。
平地にありながら集落全てを見下ろしているような、一種異様な存在感を醸し出している。

…役場か?

しかし、建物にはまだ一つの灯りも見えなかった。




それは、廃校になった小学校だった。

地方の現状を理解しないがゆえの妄言と思われるかも知れないが、率直に言って信じがたい光景だった。
4階建ての近代的校舎、広大なグラウンド、冬にはスキーの練習をするに違いない裏山の緩やかなスロープ。置かれた数々の巨大遊具。
その素性を明らかとするモノは、全て残されていた。
だが、そこにあるべき親も子も教師も、消えていた。(この日は平日です)

廃墟と呼ぶには余りに真新しく、それ故に無機的で…
まるで未成道路にあるボックスカルバートのような校舎だった。


帰宅後に調べてみたところ、この廃小学校。
大館市立岩野目小学校は、平成20年3月で閉校になったそうだ。

その開校は、林鉄よりも遙かに古い明治8年。当時は早口小学校といっていた。
そして、閉校までの133年間に送り出した生徒数は、2740人。
1年あたりにするとたった20人だが、最後の年度の生徒数も21人だった。
ステレオタイプな山村過疎のイメージとも重ならない、恒久的に人の少ない地域だったことが伺える。

そして、この校舎は平成3年に新設された、5代目。
実際には4階建てではなく、3階が体育館になっているとのこと。


私には子もいないし、興味もない。
教育問題などといっても、私の言葉は限りなく薄っぺらい。
それを承知で言わせてもらう。
「田代町よ、本当にこの校舎は必要だったのか。」
全くの部外者的狭視野の発言で、不快に思う人もいるかも知れないが、公共施設の性格を考えれば、私の感じた違和感を表明するくらいは許されるだろうと思った次第。




岩野目集落に入った我々は、なぜか走っていた。

集落の前ですれ違ったJA帽を斜めに被った古老に、この先の軌道跡の遺構現存状況を質問したところ、凄い証言が得られたためだ。


 おじいさん曰く!

すぐそこに架かっている橋は、この線で一番高い橋だった。(細田氏通訳)


架かったままなの?! おじいさん!!!

我々は、ひどく興奮して、少し耳の遠くなったおじいさんに確認を取った!

そして走った!!!!




あっという間に集落の端に来たー!

そこには確かに、深い谷の存在が感じられた。

軌道跡をなぞっていた市道はここで左に下り、沢沿いの道に接続しているが、本来の軌道は築堤で赤屋根の祠の横に続いていたのだろう。




16:12 《現在地》

切断された築堤の残りが見える。
そこには犬小屋とその主の姿も。

橋があるとすれば、あの向こう側だ!!

どうする、細田さん!
こんな集落の中にめっちゃ高い橋が架かってたら。
たまんねーぞ、こりゃ!








架かってない!

そうですか……。

そうですよね…。

普通。架かってないですよね…。





おじいさんの“時”は、いつから止まっていたのか。

その答えは、我々に住み処を侵害された哀れな秋田犬の主によって明確となった。




ここに架かっていたのは、木橋だった。
凄く太い杉の材を使った、それは見事な橋だったという。

昭和30年代に林鉄が廃止された後、すぐにレールは回収されたが、橋自体は残っていた。
そして対岸の畑に向かう近道として、或いは山菜採りの道として使われていた。
だが、やがて落橋の危険が指摘され、いまから10〜15年ほど前に町で取り壊した。

以上が、この十ノ瀬沢橋梁(仮)の沿革である。
こうして見下ろしても、谷の深さは群を抜いている。
数キロ上流にあった「高落沢橋梁」(橋脚のみ現存)よりも高さでは勝っていたと思われる。
細長く華奢に見える石造の橋脚が1本、薄暗い河床の岩盤に、深々と突き立てられている。
内部の構造は分からないが、よくぞ持ちこたえていたものだ。

取り壊しさえなければ、もしかしたら…。

…林鉄探索には拙速に過ぎることはないということを、いつも以上に思い知る探索となった。

だが、それでも期待以上の成果はあったと言えるだろう。
特に、人里の近くとはいえ決して侮れない。
むしろ、河床と軌道敷きの高低差が相対的に高まりやすい麓においては、源流部以上に大型橋梁の期待が持てるという事も分かった。


十ノ瀬沢橋梁(仮)
 2径間連続木橋 (おそらく方杖形式)
 橋長 約20m 高さ 約15m
 竣功時期は不明だが、平成元年代に撤去。




長い歩きの帰り道、岩野目集落内で物置として使われている「トワイライト」な物件を発見。

おそらくロープウェーの車両で、塗装を含めて良く旧状を留めている。
見る人が見れば完全に特定できそうだが、皆様のご教示を待つ。



この車両は、八甲田山ロープウェーで平成15年まで使われていたもののようです。
「索道観察日記」サイト内のこの記事に、この車両が写っています。
たろすけ氏ほか、複数の方からご回答いただきました


20:36

終バスにも見捨てられ、トボトボ歩いた帰り道。

真っ暗になった軌道跡(前編で紹介した部分)を歩くのは少し怖かったが、慎重に歩みを進め、無事クルマに帰還した。

戻ってみると、愛車のフォグランプには熟れすぎたマムシ草が二本、まるで竿灯のような姿で挿されていた。

つうか、ヤラセです。ごめんなさい。
細田さんにやられました。
可愛かったので、このまま秋田まで運転して帰りました。
そして、細田さんの家の傍に捨てました。