1.この探索のきっかけは…
群馬県で上信の名を持つ鉄道としては、下仁田と高崎の間に路線を有する上信鉄道株式会社「上信線」が著名だが、開業には至らなかったものの実際に工事が行われた未成線として、長野原町から嬬恋村にかけての吾妻川沿いに、「上信鉱業専用軽便線」というものが存在した。
これはその名の通りの軽便鉄道規格で、上信鉱山の鉱石運搬用専用鉄道として太平洋戦争中の国策にて建設が進められていたものである。
この路線については、平成25(2013)年4月に一度探索し、平成26(2014)年11月に「干俣鉱石輸送鉄道の未成隧道」の名称でレポートを公開しているが、その最終回にあたる歴史解説編執筆の過程で、上信工業専用軽便線という正式名をはじめ、大まかな歴史や経由地などが判明したことにより、さらなる未発見遺構の存在を期待出来る展開となっていた。
そしてさらにレポート公開直後から、(これが公開の最大の目的でもあったのだが、)地元にお詳しい複数の読者さまより、「それらしい遺構を知っている」という証言 が寄せられたのである。
私としては、当然それを捨ておくことは出来ず、平成27(2015)年の雪解けを待って、情報に寄せられた箇所を中心に探索を実施した。
具体的には、前回探索の終点であった長野原町大津付近から、路線の終点が予定されていた嬬恋村芦生田付近までの、おおよそ9kmの区間である。
そんなわけで、本レポートは干俣鉱石輸送鉄道の未成隧道の続編である。
特に歴史解説編の内容を踏まえている(重複の解説は省略している)ので、当該回のみでも先にご一読頂くことを強くオススメしたい。
2.読者さんから寄せられた複数の遺構目撃証言
【情報1: 羽根尾発電所付近の橋脚群】
この情報は、2015年1月15日に当サイト感想コメント欄(おぶこめ)に寄せられた匿名のものであり、以下の内容を含んでいた。
http://goo.gl/maps/hZhSJ
添付リンクの地点付近に、恐らくこの鉄道に関わる橋脚が数本生えています。
遅沢川に架ける予定だった橋梁の遺構でしょうか。羽根尾発電所、羽根尾神社付近から観察可能です。
羽根尾駅から徒歩15分程度かかりますが、きれいに原型を留めています。
草木原側からアプローチすれば、かなり近寄れそうなのですが…
【情報2: 半出来集落付近の橋台他】/【情報3: 半出来温泉向かいのアーチ橋】/【情報4: 吾妻川を渡る橋脚跡】
この3件の情報は、2014年12月3日にmixiを経由して銅粉の湯氏より寄せられたものであり、手製の地図と共に以下の内容を含んでいた。
●橋台と橋脚、築堤が一部残っています。以前はトンネル付近まで路盤らしき形が残っていたのですが、
今ストリートビューで確認したところ、法面の工事で結構失われてしまったようです。ただ、トンネルの
先(羽尾方面)は藪になっていますので歩け確認出来そうです。
●半出来温泉の向かい側(国道を挟んだ反対側)に小さなアーチ橋があります。
橋があった事は間違いありませんが、アーチ橋であったかどうかはちょっと記憶が定かでは
ありません。
ここも以前は国道からよく見えたのですが、近年近くに家が出来てしまったので見辛くなりました。
●割と高さのある橋脚が一本ぽつんと残っています。
※情報2および3については、よっしぃ氏からも同様の目撃情報が寄せられている。
これら4件の現存遺構の位置を、既に探索済みの未成隧道1本と共にプロットしたのが、次の地図である。
探索の準備段階でこの地図を作ったとき、思わず「 すばらしい! 」と声が出てしまった。
それは、前回たったひとつの点にも等しい“坑口”の情報から始まった探索が、皆さまの力でこれだけの線として現れてきたことに対する興奮である。
やはり、遺構は一箇所だけではあり得なかったのだ!
これは前回の机上調査で明らかになったことだが、全長約11kmの専用軽便線は「羽根尾、半出来、芦生田と開さくされ」(『嬬恋村誌 上巻』)とあるように、終戦までに複数の地点で工事が行われていたことは明らかだったが、その具体的な位置は不明のままであった。
だが、皆さまから情報があった地点を1本につなぎ合わせることで、後に建設されたJR吾妻線とは相当異なる位置を通行しようとしていたことが判明するのである。
未だ情報がない遺構を新発見できる可能性もあるし、この推定計画線上での探索が可能となる春が、本当に待ち遠しかった!
そんなわけで、雪解けを待った平成27(2015)年4月8日に、単身私は現地へ乗り込んだ。