廃線レポート 上信鉱業専用軽便線(未成線) 第1回

公開日 2015.4.29
探索日 2015.4.08
所在地 群馬県長野原町〜嬬恋村


1.この探索のきっかけは…


【周辺図(マピオン)】

群馬県で上信の名を持つ鉄道としては、下仁田と高崎の間に路線を有する上信鉄道株式会社「上信線」が著名だが、開業には至らなかったものの実際に工事が行われた未成線として、長野原町から嬬恋村にかけての吾妻川沿いに、「上信鉱業専用軽便線」というものが存在した。
これはその名の通りの軽便鉄道規格で、上信鉱山の鉱石運搬用専用鉄道として太平洋戦争中の国策にて建設が進められていたものである。

この路線については、平成25(2013)年4月に一度探索し、平成26(2014)年11月に「干俣鉱石輸送鉄道の未成隧道」の名称でレポートを公開しているが、その最終回にあたる歴史解説編執筆の過程で、上信工業専用軽便線という正式名をはじめ、大まかな歴史や経由地などが判明したことにより、さらなる未発見遺構の存在を期待出来る展開となっていた。

そしてさらにレポート公開直後から、(これが公開の最大の目的でもあったのだが、)地元にお詳しい複数の読者さまより、「それらしい遺構を知っている」という証言 が寄せられたのである。

私としては、当然それを捨ておくことは出来ず、平成27(2015)年の雪解けを待って、情報に寄せられた箇所を中心に探索を実施した。
具体的には、前回探索の終点であった長野原町大津付近から、路線の終点が予定されていた嬬恋村芦生田付近までの、おおよそ9kmの区間である。
そんなわけで、本レポートは干俣鉱石輸送鉄道の未成隧道の続編である。
特に歴史解説編の内容を踏まえている(重複の解説は省略している)ので、当該回のみでも先にご一読頂くことを強くオススメしたい。



2.読者さんから寄せられた複数の遺構目撃証言


【情報1: 羽根尾発電所付近の橋脚群】

この情報は、2015年1月15日に当サイト感想コメント欄(おぶこめ)に寄せられた匿名のものであり、以下の内容を含んでいた。

http://goo.gl/maps/hZhSJ
添付リンクの地点付近に、恐らくこの鉄道に関わる橋脚が数本生えています。
遅沢川に架ける予定だった橋梁の遺構でしょうか。羽根尾発電所、羽根尾神社付近から観察可能です。
羽根尾駅から徒歩15分程度かかりますが、きれいに原型を留めています。
草木原側からアプローチすれば、かなり近寄れそうなのですが…


【情報2: 半出来集落付近の橋台他】/【情報3: 半出来温泉向かいのアーチ橋】/【情報4: 吾妻川を渡る橋脚跡】

この3件の情報は、2014年12月3日にmixiを経由して銅粉の湯氏より寄せられたものであり、手製の地図と共に以下の内容を含んでいた。

●橋台と橋脚、築堤が一部残っています。以前はトンネル付近まで路盤らしき形が残っていたのですが、
  今ストリートビューで確認したところ、法面の工事で結構失われてしまったようです。ただ、トンネルの
  先(羽尾方面)は藪になっていますので歩け確認出来そうです。

●半出来温泉の向かい側(国道を挟んだ反対側)に小さなアーチ橋があります。
  橋があった事は間違いありませんが、アーチ橋であったかどうかはちょっと記憶が定かでは
  ありません。
  ここも以前は国道からよく見えたのですが、近年近くに家が出来てしまったので見辛くなりました。

●割と高さのある橋脚が一本ぽつんと残っています。

※情報2および3については、よっしぃ氏からも同様の目撃情報が寄せられている。


これら4件の現存遺構の位置を、既に探索済みの未成隧道1本と共にプロットしたのが、次の地図である。

探索の準備段階でこの地図を作ったとき、思わず「 すばらしい! 」と声が出てしまった。

それは、前回たったひとつの点にも等しい“坑口”の情報から始まった探索が、皆さまの力でこれだけの線として現れてきたことに対する興奮である。
やはり、遺構は一箇所だけではあり得なかったのだ!
これは前回の机上調査で明らかになったことだが、全長約11kmの専用軽便線は「羽根尾、半出来、芦生田と開さくされ」(『嬬恋村誌 上巻』)とあるように、終戦までに複数の地点で工事が行われていたことは明らかだったが、その具体的な位置は不明のままであった。

だが、皆さまから情報があった地点を1本につなぎ合わせることで、後に建設されたJR吾妻線とは相当異なる位置を通行しようとしていたことが判明するのである。
未だ情報がない遺構を新発見できる可能性もあるし、この推定計画線上での探索が可能となる春が、本当に待ち遠しかった!



そんなわけで、雪解けを待った平成27(2015)年4月8日に、単身私は現地へ乗り込んだ。



群馬大津駅から、未成線遺構の捜索を開始


2015/4/8 6:05 《現在地》

群馬大津駅前なう!

なんだけど〜!!

雪が降っているぅ〜〜!!!!

確かに目論み通りに今冬の雪はすっかり溶けていたけれど、今日新たにボタボタのぼた雪が降っていました。
さすがにちょっと焦って来すぎたかもしれない。
濡れ雪の中での廃道や廃線探索は、嫌だなぁ…。
でも、ここまで来ちゃったしなぁ。
とりあえず天候の早期回復に期待しながら、エクストレイルから自転車を下ろし、未成線遺構の探索へ出発した。



昨年の探索の終点であった群馬大津駅から嬬恋方面へ出発し、最初の未成線遺構探しの舞台は、JR吾妻線の草木原トンネル沿い川縁であった。

ここは昨年から気になっていた場所で、長野原から大津までの区間の似た地形のところに未成隧道を含む路盤跡が存在していたことを踏まえれば、ここにもなにかの遺構があっても不思議ではないと思っていた。
事前情報は全くない場所ではあったが、私の中の期待度は高かった。

というわけで、この冬山に逆戻りしかけている白黒の世界で、私は目を皿のようにして探すのだった。
未成線と関連しそうな、平場を。




現在の地形図では未成線の擬定ライン沿いに道は描かれておらず、吾妻川に迫り出した険しい山腹が、草木原トンネルによって貫かれるだけの場所に見える。

また、その頭上には最近開通したばかりの国道145号バイパス(坪井大橋)が圧倒的な存在感を示していて、早くも地べたに這いずって細かな未成線の遺物を探す作業への意欲を折ろうとしてくるのを感じた。 …被害妄想か。

写真前方に見える町道の橋(橋名不明)から、向かって右の川上を仰瞰してみよう。




上流方向の眺め。
未成線の擬定ラインは向かって右側(吾妻川左岸)で、高さ的には、JR吾妻線や大津集落の地平と同じくらいと考えれば、目線よりもだいぶ上であろうと推察された。

だが、その辺りに見えるのは、水面まで直立するほどの険しい岩場と、枝にこびり付いた濡れ雪のため、新緑シーズン以上に見通せなくなった森であった。
日も射していないので風景全体が薄暗く、やはり今日を選んでしまったことを恨まずにいられない。
秋田のミリンダ細田さんは、今日が良いと言ってた気がするんだけどなぁ(笑)。



ん?
これは…。

遠くを見るのを諦めて、もっと近くの斜面を眺めていると、

ぶっといバイパスの橋脚の辺りに、うっすらと平場が見える気がした。

まあ、立地的に見れば、バイパスの工事用道路という感じもするんだが、とりあえず行ってみよう。
ここから眺めているだけでは、やはり埒があかない。




スタート直後だというのにあっという間に下半身や手袋がびしょ濡れになるのを
我慢しながら、濡れたササの斜面を橋の袂からよじ登る。

そうすると、平場の一端が前方に見えてきた。
高さ的には、おそらく期待した辺りにあるし、
しかもなんか、掘り割りっぽい?




6:13 《現在地》

とりあえず、掘り割りだ!

果たしてこれは、戦時中に突貫工事で進められた、軌間762mmの専用鉄道の路盤と関わりがある物なのだろうか。
それとも、無関係にこの場所に存在していた道路跡。或いは、人工的な地形でさえないという可能性も?
いや、さすがに後者の可能性は低いだろう。右山左谷の急峻な斜面の中腹にあって、これは明らかに掘り割りだ。

このラインを更に追い掛けてみよう。


写真でも分かりづらいと思うが、掘り割りの先にも微妙に踏み跡が続いていた。
そこは周りに比べて傾斜が緩やかな帯状の地形であり、川側の縁が非常に切り立っているために、下からは平場であるように見えたのだ。

ここは普段探索している多くの廃線跡よりも廃止の時代が古く、しかも未成線ということで完成した土工でなかったこともあって、山中に遺棄された痕跡は、このくらい薄れていても不思議ではないと思う。
前回探索した区間の路盤跡が良く原形を留めていたのは、そこが市街地に近いために崩れるに任されなかったことや、用水路として活用されていた事とも無関係ではないだろう。

…それにしても、川からの切り立ち方も凄まじく、濡れた斜面は本当に怖かった。



少し離れた所から振り返る、掘り割り跡らしき地形。

私にはこれが自然のままの地形のようには見えないし、国道バイパスの橋脚とも結構離れていて、関連があるようにも思えなかった。

このまま行けるところまで、進んでみよう。




全く気の休まらない、全体的に傾斜した斜面の薄い踏み跡。
ここを人が往来する理由も無いので、おそらくは獣道の類であろうが、確かに周囲に比べて傾斜の緩やかな帯状の地形が、水平に続いているのだった。
続けば続くほど、これが目当ての物である確証が深まると思ったが、この区間の終わりを告げるものが雪の彼方に見え始めていた。

それは、堂々たる現役のプレートガーダーの土手っ腹。吾妻線の草木原トンネルの出口に接して架かる橋であった。
そしてポイントは、私がいる未成線工事跡を疑わせる地形と、吾妻線の路盤が、ほぼ同じ高さで出会っていることだった。ますます確証が深まる。



吾妻線との合流地点手前は大きく斜面が抉れており、掘り割りからここまで緩慢に200mほど続いていた未成線遺構と思しき土工は、跡絶えていた。
だがそれでも、吾妻線の大きなPGに進路を遮られる直前の地点にも、まるで崩れ忘れたような小さな平場(写真中央)が存在していて、一連のものが偶然の地形ではないと最終的に判断させる決定打になった。

この急峻な川崖の中腹に、おおよそ200mにわたって断続的に連なる水平な緩斜面は、前回探索した隧道や路盤跡と軌を一にする、未成線の土工跡と判断した。




6:21 《現在地》

この先は草木原集落(大字は変わらず大津のまま)がある河岸段丘上の平坦地で、吾妻線は駅こそ置いていないが、その中央を貫いている。
だが、平坦な土地では未成線の遺構を探すのは無理(残っていない)だろうし、私は自転車を町道に置いてきていたので、ここで一旦引き返す事にした。

見ての通りの悪天候であり、同じ行動をするにも段違いに危険度が高い。
しかも、今のところは不確かな土工跡を見ただけであるのだが、私は早くも未成線探索の醍醐味を感じていた。
記録にないものを推測し、あるか分からないものを探し当て、原形を想像して、1本の夢の線を紡ぎ出す。
これが私の好きな未成線探索であり、今回は十二分に期待感を持たせるスタートとなった。




次回は、
【情報1:羽根尾発電所付近の橋脚群】 に迫る!!