2015/4/8 8:54 《現在地》
嬬恋村内に入ってからは、ずっと国道沿いに見る事が出来ていた専用線の未成路盤跡であるが、オツムギ川橋梁を過ぎて国道の山側に半出来集落が広がる緩斜面地に入ると、途端に消えてしまった。
これまでのパターン通り、集落があるような平坦な土地になると未成線の痕跡は判然としない。
これは集落内の工事が行われなかったのか、後年撤去されてしまったのか判別が付かないが、とりあえず集落は通過しよう。
(この路線はあくまでも鉱山専用線であったが、開業後に旅客営業も行うことになったら、この半出来に駅が設置されたと思う)
次の情報地点である【情報3: 半出来温泉付近のアーチ橋】まで、ここからもう300mくらいだ。
キタキタ。
やっぱり集落が終わると同時に出て来たよ。それも“定位置”の国道上段だ。
写真は振り返り気味に撮影しているので、奥が半出来集落である。
路盤が出て来た高さから逆算して、集落内でも改めて捜索したが、やはり明確な痕跡や用地跡は見つけられなかった。
なお、レポートでは大体省略しているが、こうして路盤と再開する度に一応上に登って状況を確かめている。
でも廃線跡ではないのでレールや枕木のようなものがはずもなく。
といったところで、早くも【情報3】の舞台、半出来温泉の付近へやってきた。
国道の川側に半出来温泉という看板が掲げられており、昔ながらの一軒宿っぽい感じだ。
問題の「アーチ橋」とやらは、どこにあるのか。
相変わらず路盤のラインは鮮明なので、これを目で追ってさえ行けば労せずに見つけられるだろう。
情報提供者様曰わく、「橋があった事は間違いありませんが、アーチ橋であったかどうかはちょっと記憶が定かではありません。ここも以前は国道からよく見えたのですが、近年近くに家が出来てしまったので見辛くなりました」とのことであるが、楽しみだ。
なんか見えた!
赤い矢印のところに、コンクリートのトンネルのようなものが小さく見える。
アーチ橋? 暗渠?
情報通り、そのすぐそばには民家が建っていて、その他にも障害物が多く、国道からは少し見えにくくなっている。意識していなければ見落としそうだ。
なお、青色のラインは沢の位置を示している。
オツムギ川よりも更にささやかな沢に見えるが、地形図には今井川の注記があり、本白根山の山頂直下から流れ出る意外に長い沢である。
9:00 《現在地》
キター!
このいかにも古ぼけた感じが、たまりませんな。
これまで見てきた遺構は石組みがメインだったが、ここで初めてコンクリート主体の構造物だ。
これはアーチ橋と言うより暗渠というのが当たっていると思うが、初めて川にちゃんと“架かって”いた。
今度こそ一度は完成した遺構であると思う。外見は地味だが、やっぱり素晴らしい!
初めてこの路線の構造物を使って、川を渡る事が出来た。
現在も一応は通路として使われている形跡があった。
私も軽く一往復した。
なお、アーチ橋とアーチ型をした暗渠の間に、構造の違いはあまりない(さらに言えばトンネルもそうだが)。
強いていえば、構造物の規模が比較的大きなものが橋であろうし、構造物の上に盛り土がなされているものは無条件で暗渠と呼べるだろう。本件は後者である。
また、鉄道構造物を管理する(国鉄の)台帳では、暗渠や開渠を「溝橋」、一般的な橋を「橋梁」という風にカテゴライズしており、概ね全長5mを境に区別していたらしい。
よって本件構造物の名称は仮に今井川溝橋としておこう。
写真は今井川上流側から撮影した今井川溝橋である。
暗渠のサイズは目測で高さ2.5m、幅2m、奥行き6mくらい。
上に盛り土があるので、線路幅よりはだいぶ奥行きが大きい。
内部を含めて全面的に場所打ちコンクリートで施工されており、今後も末永く今井川を跨ぎ続けるだろう。
【情報3】 は以上で完了! 順調、順調♪
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今井川溝橋を後に、いよいよ残り一つとなった事前情報の地を目指して西進を再開する。
相変わらず国道上部の定位置に明瞭な平場が続いており、国道を走るだけで状況が確かめられるのは非常に助かる。
今井川溝橋から500mほど進むと、しばらくぶりに沿道の地形が険しくなった。
国道も吾妻川に面する山腹を鋭く削りながら、ギリギリで2車線の幅を確保している感じとなり、専用線の痕跡はその固められた法面の前では少しも居残りが許されなかった。
さて、この冬はいつ明けるかな?
9:09 《現在地》
上の写真の一番奥のあたりまで行くと、そこに国道が通る大きな切り通しがあった。
削り残されて岩峰のようになった川側の岩場に、この切り通しを迂回するような道があるのではないかと探したが、全くそんな余地はなかった。
つまり、この地点に専用線を通そうとしたら、今の国道と同じようにここを切り通しか、あるいは隧道で、抜ける必要があったと思う。
…久々に意識される、隧道の2字。
今回の情報に隧道の話は無かったが、前回の探索で1本見つけているくらいだから、他にもあったとしても不思議ではない。
という問題(隧道問題)について、現地では解決を見なかったので、帰宅後の机上調査によることにした。
重要なポイントは、ここに初めて道を通そうとしたのが道路だったのか、上信鉱業専用軽便線だったのかである。
左図を見て頂きたい。
昭和27(1952)年の地形図では既に現在の国道の位置に太い道(当時はまだ国道ではなく府縣道中之条上田線といった。国道指定は翌年)が描かれているが、大正元(1912)年の版では、北側の今井集落に迂回するルートであった(当時は県道三等長野街道といった)。
太平洋戦争の期間を挟んで道路の位置が変化しているのであり、もしかしたらこの川沿いの新しいルート自体が、戦時中に建設が進められた専用線の路盤を利用したのかもしれないという、そんな意欲的な想像さえ許されそうだ。
もし本当にそうであれば、かつての隧道の有無よりも重大な問題と思える。
(隧道疑惑については、歴代地形図に描かれたことが無いので、当初から切り通しであった可能性が高い。)
だが結論からいえば、この川沿いの地に先に建設されたのは鉄道ではなく、道路の方だったようだ。
「嬬恋村誌 上巻」に、半出来三原間の県道が昭和8〜9年に現在の位置に下げられたという記述を見つけた。
さらに、昭和11(1936)年に新しい県道を渋川〜上田(長野県)間の省営バスが通るようになったとして、右の写真が掲載されていた。キャプションの通り、今井発電所(位置は上の地図参照)前で撮られたものだという。
ここに写っている橋は架け替えられたのか現在見あたらないが、大正14(1925)年に運転開始したばかりの今井発電所の平屋の建物も写っている。
結局、この切り通しを先に切り開いたのは道路で、後からそれを山側に拡幅するようにして専用線の工事が行われるも、後の道路の拡幅によって専用線の部分は失われたのだと結論したい。
切り通しを過ぎると、前方の切り立った斜面に今井発電所の施設が見えてきた。
そこに至るまで、おおよそ400mの区間は国道沿いの法面が切り立っており、専用線の痕跡を探し求めるのは難しそうだった。
だが、諦めたらそこで試合終了という格言(?)もあるように、無いと決めつけては見つかるものも見つからない。
…矢印の地点に、私は足を止める。
9:11 《現在地》
この“おにぎり”が立っているところの上の崖に、なんかあるような気がしないか?
例によって、平場のような気配が、あるような気がしないかな?
久々に、廃道探索らしい行動を取ってみようか。
自転車を路傍に乗り捨て、雪に濡れた斜面に取り付く。そして、ヨジヨジ。
これはっ!
崩れやすそうな火山灰質の岩場に、とても自然地形とは思えぬ“水平な段”を見つけた!
やはりそうに違いない!
専用線の工事は、この狭い川沿いの岩場でも確かに行われていたのだ。
大部分は国道の法面に呑み込まれてしまったが、ここに偶然残っていた!
もちろんこれも事前情報にはない遺構である。それに、ただ残っていただけでなく、
この山側の法面は当初の形状を良く留めていそうだ。嬉しい。
結局ここで見つかった岩場の未成線路盤跡は、今井発電所の敷地付近まで続いており、100mほど辿る事が出来た。
写真の破線の部分は法面によって失われてしまった部分、実線の部分は現存する路盤跡である。
次は、以前の羽根尾発電所の件で、何となく苦手意識が植えられてしまっている気がするが、今井発電所付近の探索となる。
ここも事前情報は無かったが、何か遺構を見つける事が出来るだろうか。
羽根尾発電所と同じく大正14(1925)年に運転を開始している今井発電所。
やはり水路式の発電所で、レトロな建屋の背後に2本の鉄管水路を背負っているのが見える。
発電所の常として、周囲を非常に高いフェンスで取り囲まれており、国道は施設と吾妻川の間を通っている。
(先ほど掲載した昭和11(1936)年当時の写真とは建物が変わっているし、県道が渡っていたアーチ橋も同じ位置で桁橋に架け替えられていた)
さて、専用線はこの発電所付近をどのように通行しようとしていたのだろうか。
その気になれば国道沿いを通る事も出来そうだが、直前の路盤は山側の一段高いところにあった。
やはり、その流れからいって………。
国道沿いではなく、発電所が背負う後ろの山腹を通行し、
途中で鉄管水路を渡るが、跨ぐか、しようとしていたと思う。
何となく今でもうっすらとそんなラインを、“想像の目”では、見る事が出来る気がする。
…
……
………!
いや、 これは想像力の産物なんかじゃないぞ !!
見える。 見えるんだ!!
明らかに見える!
発電所の背後に存在する明瞭なライン。それだけならば、単に発電所関連の通路かもしれなかった。
だが、そのラインが巨大な鉄管水路と交差しようとする直前に、細長い石造の橋台のようなものが、
肉眼でもはっきりと見て取れたのである。(写真だとむしろ分かりにくい)
9:18 《現在地》
高いフェンスで周囲を囲まれた今井発電所の背後の山に、情報にない明確な路盤や石垣(橋台か)の痕跡を認めた私は、国道からそれを遠望するだけでは飽きたらず、かといって発電所敷地内へ入ることも出来ないので、フェンスの周囲を通って路盤へ接近することにした。
ピンク色のラインの様に。
ガサゴソと獣のように地山を這いずって、濡れ雪まみれになることも厭わずに、ちょうど国道からは最も遠いあたりの発電所裏手まで回り込んできた。
道があるわけではないので、おそらく夏場にこうやって接近することは、相当に苦しいと思う。
幸い発電所内に人影は見えず、咎められることは無さそうだった。
さあ、鉄管水路の間近まで来た!
それに伴い、例の石造物が思いっきり間近に見える!!
この先は水路を囲むように高いフェンスが仕掛けられているので、
もう進む事は出来ない。ここが限界だ。
やはりこれは間違いなく橋台である!
冬枯れしないツタのような植物に覆われ、それが雪に映えて美しかった。
ここに自然界には存在しない石垣が有ったからこその秘密のスペシャルグリーン。
昭和20(1945)年当時から既にここには鉄管水路があったのだろう。
それを跨ぐ必要から、ちゃんと橋台の施工を済ませていたのである。
今回、情報にない場所でも多くの路盤跡を見つけはしたが、
情報にない橋を見つけたのは、ここが初めてである。嬉しい!!
橋が小さいのではない!
鉄管水路がでかいのだ。
間近でこの手の鉄管水路を見たことがある人ならば、肯いてくれるだろう。
ましてや軌間762mmのせんろ用にこしらえられた橋など、こいつの前ではミニチュアじみて見えてしまうのもやむを得ない。もし列車があっても同じだ。
お気に入りのこの橋にも適宜な仮称を与えたいが、何がいいかな?
自然河川ではない発電水路を跨ぐ鉄道橋の命名パターンが分からないので、名付けにくいな。
無難に、今井発電水路橋梁としておくか。
!
それだけでは終わらないのが、発電所という魔境の怖さだった!!
なんと、更に奥にもう1本の橋が!
鉄管水路と並行するように少し離れたところにもう1本の水路があるようだ。
ここから水路の中は見えないが、人工物らしく一直線に刻まれた地形と、その向こう側に小さく見えるやはり石垣の橋台の存在により、今井発電所裏手に2本目の橋があることが了解された。
今井発電所周辺の拡大図を用意してみた。
フェンスと2本の水路に挟まれた敷地内に、孤立するようにして専用線の路盤が残されている。
2基の石造橋台に挟まれた、本当に短い路盤。
ここから見限り、路盤上は深い笹藪になっていて、立ち入ったところで何があるわけでも無さそうだが、“高嶺の花”っぽさが良い。憧れる。
さてさて、見つけたからにはもう1本の橋にも近付いてみよう。
こちらからは無理なので、一度国道に引き返して、先ほどはスルーした発電所北側から路盤へアプローチする。
ここからフェンス沿いに発電所の裏側へ回り込んでみよう。
ちなみに専用線の路盤は右の竹藪の中にあるが、特に収穫はなかった。
前方の笹藪が特に深い部分に、水平に作られた路盤がある。
背丈よりも深い藪が雪の重みで“こちら”側にしな垂れており、その向きに反してよじ登るのに苦労した。滑るし、濡れるし。
フェンスの向こうに見えるのが、もう1本の水路であり、どうやらその正体は余水路(放水路)だと分かる。
この山の上に貯水池があるのだが、その水位が増えすぎた場合に溢れた水を逃がす水路である。
で、チェンジ後の画像は、苦労して路盤によじ登って撮影したもの。
猛烈な藪のため、ほんの2m先ですっぱりと路盤が切れ落ちているのも分からない。
そこにさっき見た橋台があるのだが、こちら側からは全く見えない。
キッツイ場所だ。
確かに対岸にも橋台らしい石垣が見え隠れしているが、誰も刈払わない藪がもの凄いことになってしまっている。
ちなみに此岸の足元にある橋台は、その上に立っているにも拘わらず見えなかった(苦笑)。
だが、フェンスの外からではこれが限界である。諦めよう。
橋の規模としては、先ほどの発電水路橋梁と同格と思われる。
まさに兄弟橋といった風情であり、こちらは今井放水路橋梁と仮称したい。
以上をもって、予想外の収穫にもとない複雑な動線で探索を行った、今井発電所周辺のレポートを終える。
次回は、
【情報4: 吾妻川を渡る橋脚跡】 だ!
いよいよ終盤だぜ!!
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