常磐線 旧隧道群11連発 その6 

公開日 2006.02.07
探索日 2006.01.21



刻一刻と迫る夕暮れ

遂にでた、国宝級レア?坑門

14:00

 一挙4隧道が犇めく小高〜桃内間。
これまで順調に3本の隧道をチャリにより貫通。
残るもう一本の隧道、泉沢隧道もまたすぐ傍に口を開けており、第三耳ヶ谷隧道の出口から既に見えていた。

 今回計画していた踏査目標は全11隧道。
現時点までで7本を攻略し、8本目も間近となっている。
しかし、時刻は既に午後の2時を指していた。
最後に待ち受けているだろう今回の最大の目的でもある、常磐線最長の金山隧道は全長1600m超級といわれ、その探索には少なくとも1時間を要するだろう。
日没は午後5時過ぎと思われるが、一杯一杯まで探索した場合には、ちょっとだけ、やばい事態も想定されるのだった。
ガソリン代を半分持ってもらう約束で秋田から連れてきた彼女と、仙台の駅前にて午後6時待ち合わせの予定がある。
明日は仕事なので、それ以上遅くなると心証をかなり悪くさせかねない。

 …つーか、私の山チャリ関連で待ちぼうけさせる事は今までも何度もあったのだが、これ以上繰り返すといよいよ、バカ軍団(BG)などという罵りでは済まなくなるおそれもあるのだ。
読者の皆様には「んなことはいーから、金山を見せろ!」と言われそうだが、私にとっては金山も大切だが、怒られないことも大切だ。



 さて、これ以上そんなことばかり書いていると読者に見放されそうなので、今回は時間の許す限り前進していこう。

 早速接近してきたのが、この区間最後の隧道である泉沢隧道である。
この隧道に関しては、鉄道廃線マニアならばたいがいが見たことがあると思う。
金山隧道の「日本鉄道株式会社の社紋」ほどメジャーではないが、全国におそらくここだけにしかない隧道意匠としてこの泉沢隧道も、そう言う類の本などにはよく引き合いに出される。



 ご覧の通り、この隧道の坑門は丸い。

 それだけっちゃあそれだけなのだが、珍しいと言えば確かに珍しいらしく、私もこの隧道の他にこんな形の隧道は見たことがないし、全国的にもどうやら他には知られていないようだ。

 常磐線の奇妙なポータルも、遂にここまで来たかっ という感じだ。
ほんの300mほど背後にあるあの城塞のような坑門も凄かったが、意表をつくと言う点では、この2重円形ポータルはさらに奇抜である。



 単純にアーチが二重になっているだけではなく、両側に壁柱が設けられており、その外側には翼壁が無い。
これは地形的に坑門が山肌からやや突出している為と思われ、単に奇抜さだけを求めてこの形になったのではなく、落石避けの坑門延伸と同様の効果を狙ったものとも考えられる。
…地被りがかなり小さいので、必要性は薄いといわざるを得ないのだが。

 個人的には、その制作された時代を問わず、機能的な美しさが私の好みなので、このようなデザインに凝った物はそれほど印象には残らない。
ただ、一つ一つはそうであっても、これだけ多くの隧道がそれぞれに個性的であるというのは、やはり見過ごせない。
前回も述べたが、常磐線工事に秘められた謎と言って良いだろう、これら隧道坑門の過剰な装飾の理由を知りたいものだ。



 この奇妙な坑門には、他にも何か驚くべき発見があるかも知れないと思い、笹藪を掻き分け、全身に枯れ葉をまとわりつかせながら、坑門脇の斜面をよじ登って、さらに坑口上に登ってポータルの裏を覗いてみた。

 結果的には、特別に変わったところはなく、構造は予想通りだった。
つまり、坑門の二重アーチの外側のアーチは完全にダミーであり、壁状のアーチの裏は蒲鉾状に膨らんでいて、つまり本来のアーチの外径が土の下に隠れているようだった。



 全長は200m足らずで、チャリの速度だと呆気なく通過となる。

 出た先ですぐに現在線と合流しており、その先にも傍に道路などがないことから引き返さざるを得ない。



 泉沢隧道の小高側坑門は至って平凡なデザインで、現在線の同名のトンネルのすぐ脇に口を開けている。

 私は、この姿を見て満足を得て引き返した。



 泉沢、第三耳ヶ谷の2隧道を引き返し、跨道橋傍のゲートから退出すると、県道120号線を来た方向に戻り、間もなく車へと戻った。

 往復35分足らずだったが非常に濃密な廃線探索であった。
ここまで楽をして、目に鮮やかな発見を多く得られる廃線跡というのは、貴重な存在である。
 また、どの隧道も保線用道路として最低限の利用があるせいか、特に補修された様子もない割に変状などの致命的なダメージを受けていない。
竣功がいずれも明治30年代初頭と極めて古いにもかかわらずだ。
地被りが少なく安定した地質に、一番の長生きの秘訣はありそうだ。

立野隧道 (桃内〜浪江間)

14:22

 次の桃内〜浪江間にも一つの廃隧道がある。
立野隧道と言い、相馬郡小高町と双葉郡浪江町の境をなす小稜線を直線的に貫通している短い隧道だ。

 隧道坑口が見える位置までのアプローチは極めて容易く、旧国道6号線、現在の県道120号線の町境の浪江町側に入り最初のT字路を右折すると、すぐに新旧二つ並んだ坑門の直上を道は跨ぐ。
この辺りに車を置いて、旧線跡へと接近することが可能である。



 浪江駅方向を見ると、ダイナミックな掘り割りの中に二条の直線を見ることができる。
手前はススキの生い茂る旧線跡で、奥が単線の現在線だ。
この二つは掘り割りの先で一つになっている。



 すぐ足元に煉瓦の坑口と旧線跡が見えているのだが、約45度の傾斜がある高さ10mほどの斜面を降りるのは思いのほか大変だった。
足元には枯れ草に隠されてはいたが、古い石垣があった。
一面の枯れ草の中には棘のあるものも少なくなく、軍手などを着用してこなかった自分を恨んだが、もはや車に引き返すのも時間が惜しく、体重に任せて着ぶくれした胴体で強引にイバラを押し切って進んだ。(帰りはもっと悲惨だったが、何とか生還。)

 おそらく、盛夏期にはこの最短ルートで坑口に降りることは出来ないだろう。



 下りきるとそこは薄い轍の残る旧線跡。
保線車輌が稀に通るらしい轍も隧道の南側ですぐに途切れており、旧線跡への降り口は隧道の反対側にあるらしい。
私は未確認だが。

 一見しては、これまで見てきた隧道に比べれば地味な短い隧道なのだが、実は秘めたる意匠は深いのである。

 接近してみよう。



 まずは、川子隧道にもあった翼壁の「謎の溝」。
さらに規模が大きくなって再登場である。
しかし、ここでもやはり何に使われているのかは不明のままだ。

 ちなみに、白く塗られている部分は隧道名を示すプレートが取り付けられていた跡だと思うが、プレートは見当たらなかった。



 これこそが、この立野隧道の最大の見所。
珍しい「雁木」という意匠である。(天辺の煉瓦が斜めに迫り出している部分)

 あくまでも見栄えのためだけに手間をかけて笠石の部分を幾重にも張り出させ、特にその内の一列だけを斜めに配し、雁木と呼ばれる意匠を形成している。
また、その下の煉瓦が平積みされた部分(胸壁)を挟み、「帯石」と呼ばれる部分にも、煉瓦を複雑に組み上げた模様が描かれている。
省略されることも多い帯石だが、表現される場合には石材を用いることが多いようだ。
しかし、この立野隧道では煉瓦だけで表現されている。



 さらに拡大した写真。

 興味のある読者さんはじっくりとご覧下さい。



 そして、今度は隧道を潜り抜け(残念ながら内部には特に目立った発見はなかった。)、桃内側の坑口の様子。
意匠は浪江側と全く同じで、より保存状態が良い。
 「謎の溝」は、両側の坑口共に向かって左側にだけ存在している。
また、プレートも残っていたが、残念ながら文字は消えていて読み取れなかった。



 旧線跡はその先も意外なほど長く現在線とは合流せずに続いているが、数百メートルで合一すると言うことのようで、私は引き返した。

 現在時刻は午後2時27分。
残る隧道は、いよいよ2本!
私は隧道の中も出来るだけ走り、斜面もイバラを掻き分け駆け上がり、先を急いだ。
ここまで来たのなら、金山隧道だけは制覇したい!


小高瀬隧道 (浪江〜双葉間)

14:47

 立野隧道の攻略では、枯葉や枝切れがたくさん、身につけていたパーカーに引っかかってくっついてきたが、車に戻ったときにそれらを丁寧に払い落とす時間も惜しいといった感じで、次の駅間にある小高瀬隧道へとアクセルを踏んだ。

 小高瀬隧道は浪江町と双葉町の境をなす小高い丘を潜る隧道で、立地的にはこれまでの多くの隧道と変わったところはない。
ただし、アプローチの困難さという点では、初めて、「廃線あるき」らしさを感ることになる。
隧道は国道6号線とその旧道のバス通りである町道との間の、おそらく線路が通る前は沼沢地だった低い部分にあるのだが、越えた先の双葉側は国道と坑口の間には幅広く猛烈な葦ブッシュが茂っており、接近が不可能である。
浪江側にのみ唯一アプローチの可能性を残すのだが、上の写真のように、現在線にそって大きなため池があるために、そのルートは限られる。



 隧道に最寄りの車を停められる場所と言えば、ため池の南の岸に面する小さな墓地のあたりだろう。
私もそこに車を停めて、その先の隧道までの約400mほどを歩いた。
正確には、走った。

 写真の通り、線路と池との間には線路脇の僅かなスペースの他に歩けそうな場所はなく、やむなくここを小走りどころか、息を切らせて走った。
今電車が来るのは、かなりマズイ。



 焦れば焦るほどに隧道のある峯は遠く、なかなか近づいてこなかった。
池には長閑に浮かぶカモたちの群れがいたが、愛でている余裕はなかった。
時刻表でも確認して電車が来ないと分かっているときに探索するべきだったと後悔したが、遂に現在線のトンネルが行く手に見えてきたので、適当に線路を跨ぎその手前で旧線跡へと飛び込んでいった。



 大きな右カーブの頂点に位置する小高瀬トンネル。
その内側の近接地に旧隧道が口を開けている。
 ここまでで探索した9本はいずれも、保線用に車が入れるようになっていたが、どうやらこの隧道は手つかずのままになっているようだ。



 短いが密度の濃い藪漕ぎを経て、赤茶けた煉瓦の坑門が間近に迫ってきた。

 厳密な意味での廃隧道はこれが初めてかも知れない。
同様に転用されずに残るという11番目の最終目標地「金山隧道」の予行練習としても、この小高瀬隧道はぴったりなのかも知れないが、線路脇を300m以上も歩かねばならないというのが、かなりストレスになった。



 緩やかな右カーブを描き町境を貫く隧道。

 藪に囲まれた坑口は様々な植物によって干渉を受けているが、冬でも緑を枯らさないツタと、煉瓦の赤とのコントラストは、文学的な趣さえ感じさせる。

 廃道には、廃道らしい趣というのがある。
それが最大に発揮されるのは、やはり人の手を完全に離れた場合なのであって、廃を求めて彷徨う私にとっては、意匠の多寡などよりも遙かに、このような廃風の明らかな隧道こそが、喜ばしい。

 山行が読者の多くもまた、そうではないかと私は考える。
(無論、そうあるべきだと言いたいのではない。)



 昭和42年の廃止時点から現在まで、レールと枕木が撤去されたほかには、おそらく何も変わっていないだろう隧道内の様子。
薄いバラストには、枕木の痕跡が鮮明に残っている。

 廃道歩きというのは、因果な趣味だとつくづく思う。
人にその楽しさを伝え、同好の士が増える度に、自分の首を絞めているのだ。

 私は、インターネットを通じ、廃道あるきの面白さを伝えてきた。
また、いずれは本と言う形でも紹介できるように努力している。
 しかし、廃道歩きが人に広まることは良いのだが、その楽しみが普遍化し、結局はありきたりな「懐古主義」「むかしは良かった」などという論調に着床してしまうことが怖いのである。


 一例を挙げれば、私が生まれたときにはもう廃道となっていた旧栗子峠。
その文化的な価値が徐々に認められつつある。
いまでは土木遺産としても正式に認定されている。

 いまはまだ、好きな人たちが探索という形でそれぞれその廃道の風景を含めて楽しんでいると思う。
しかし、いずれ廃道あるきのメジャー化、あるいは遺跡を保護するという面だけが一人歩きを始めた場合には、最悪廃道が改修されてしまったり、道中の遺構が整理をされてしまうおそれがある。

 廃道あるきを私がお薦めしたい理由の一番であるところの、いわば「面白さ」。
困難の先に発見があるという部分。
そこが、メジャー化によって失われる可能性が高い。



 では、どうするべきなのか。
私はサイトで人に廃道を紹介することも止め、一人だけで楽しむ道を選ぶべきなのか?

 それも違う。
同じ趣味の仲間と同人的なレベルで協力することは、楽しむ上でも失うもの以上に意義が大きい。

 はっきり言おう。
暴論かも知れないが。

 早い者勝ちなのだ。
人に驚かれ、もしかしたら羨ましがられる様な発見は、数に限りがあるのだから。

 廃道を真に体験したければ、人よりも早くその場所を見つけ、探索してしまうことなのだ。
それが叶わない人も多いだろうし、あくまでも安全な場所で見るのが好きだという人も多いだろうが、廃道を自分で体験することが三度の飯より好きな私にとって、生きている内に一つでも多くの廃道を体験し、自分がそこでどれだけ興奮できるかどうかだ。

 廃道伝道師になる覚悟も辞さないほどに入れ込んでいる私は、廃道のメジャー化に付きまとうだろう恐ろしい弊害を、自分なりにそのように考えて解決している。


 ガランとした隧道内には、なぜか竹製の梯子が二つ、立て掛けられていた。
これは、何のためにあるのだろう?

 隧道と無関係なものだという考え方も出来るが、おそらくそうではない。
以前にも、他の隧道で同じものを見たことがある。
多く発見されたのは、青森県の大釈迦隧道(2代目)であるが、貴方のお知恵をお貸しいただきたい。



 隧道を出ると、ちょうど列車が遠ざかっていった。
単線のレールであるから、今急いで車に戻れば、線路上で列車に鉢合わせることもないだろう。
私は、猛烈な藪と化した旧線跡が、おそらく数百メートルで現在線に合流するのであろうが、その行く手を見届けることをせずに引き返した。



 南北の坑口共に、目立った意匠のない小高瀬隧道である。

 しかし、この隧道で自分自身が感じた、ここまでの9本の隧道では感じなかった大きな興奮の理由を考えたときに、自分が廃道歩きに強く求める要素が、廃風そのものである事を、再確認したのである。


 その廃道にとっての自分が、オンリーワンに近いほど、私は萌える!



隧道 のこり本。
地球滅亡まで のこり …3時間と07分。