廃線レポート 木戸川森林鉄道 (乙次郎〜木戸川第1発電所) 第6回

公開日 2022.12.27
探索日 2006.12.09
所在地 福島県楢葉町〜川内村

 後半戦になっても、橋は続々と現れ続けた



2006/12/17 13:54 《現在地》

クランク谷の頂点に待ち受けていたのは、今日これまで見た中で圧倒的に深い切り通しだった。
長さ20m、道幅2.5m、そして荒々しい岩肌が魅せる圧巻の高さは10mを優に超えていた。
これほど深い堀割を建設するのは、むしろ隧道以上に大変そうに思える。

だが、堅牢な岩質であるようで、廃止から半世紀を経過しているが、ほとんど崩れておらず、路面に堆積しているのは倒木や落ち葉ばかりだった。
単純に隧道とするには土被りが足りなかったのだろうか。
いずれにしても、素晴らしい天造と人造が相成せる風景を見た。


(→)
切り通しを抜けた直後に、ヒヤリとする難所があった。
ごく短い桟橋「橋15」の痕跡は、渡った先の小さなコンクリート橋台だけで、桁は全く残っていないために、V字に切れた崖の縁を細いササを命綱として渡る必要があった。

チェンジ後の画像は、横断中に見下ろした崖下の眺め。
濡れた落葉があらゆる岩にへばり付いていて、それは容易に滑りかねず、恐ろしいことこの上なかった。


13:56 《現在地》

(←)
だがそこさえ越えれば、危険な“クランク谷”は終わりだった。
直後に現われた「橋16」は規模が大きく、4径間連続の木橋だったようだ。
遺構としては両岸の石造橋台と、橋脚のコンクリート基礎、そして傾いて立つ木造橋脚くらいだったが、地形が穏やかでホッとした。

チェンジ後の画像は、辛うじて立っていた木造橋脚。
これまで見た木造橋脚の多くはコンクリート基礎の上にあったが、これは地面に直接立っていた。当然、地面に直挿しの木造橋脚の寿命は短く、立っているだけでも十分に奇跡的だった。



14:02

それからまた5分ほど進むと次の橋が現われた。
もう橋の出現それ自体にはあまり驚かなくなっていたが、当然ながら全部の橋に違いがあり、架かったままの橋が現われる期待度も高かったから、その都度とてもワクワクした。
と同時に、地形との組み合わせ次第では命がけを要求される展開となるだけに、橋の出現を予見してから実際に全貌を確認するまでは、ハラハラドキドキする時間でもあった。

本橋、「橋17」も、連続4径間の木造橋で、全ての橋脚が倒れてしまっていたが、構成する部材はほぼほぼ倒れた位置にそのまま残っているようだった。
倒れてからあまり時間は経過していなさそうだった。


(←)
倒れた木造橋脚の近接写真。倒れていているが原型を止めていることが分かる。
根元から折れているが流失はせず、全ての橋脚が同方向へ倒れていたので、ドミノ倒しのように連鎖して崩壊した可能性が高い。

チェンジ後の画像は、昭和31年に出版された『森林土木』(朝倉書店刊)に掲載されている木造橋脚の一般図で、木造橋脚(橋杭とも呼ばれる)の構造および各部材の名称を示している。

通常、橋杭は3本から5本が1セットで、挟み貫および筋違貫で連結する。橋杭を地面に直接立てる場合、下端は2〜5m地中に埋め込まれている。切り揃えた橋杭上部に枕梁が乗り、その上に副桁(桁受木)を乗せ、最も上に主桁が乗る。各部材の固定にはボールトや鎹(かすがい)、臍(ほぞ)などが用いられた。これから木橋を見る度に思い出してくださいネ。



「橋17」の先は、再び腰丈よりも深い密生笹藪地帯となり、これ以上濡らす場所を残していない我々をダメ押しのように濡らし続けた。
地形的には久々に平穏で、谷はだいぶ広くなっている。

見下ろす木戸川の流れも、今までになく近い。
水面には、巨魚の潜んでいそうな群青色の淵がいくつもあった。
まるで原始河川のような姿だが、木戸川渓谷の上流は無人ではなく、人口約1800人の双葉郡川内村から集まった水がこの流れになっている。




14:08

カエルのような形をした巨大な岩が、道の脇に居座っていた。
不届きな通行人をにらみつけ、あるいはなにか謎かけか問答でもしてきそうな絶妙の位置関係は、物語を生みそうだ。
よく見ると、後ろ半分は箱座りした猫っぽくもある。 うん、かわいい。

なお、反対側は造形がよりシンプルで、作りかけで放棄された彫刻じみていた。
強いて言うなら、ヒヨコ? 某お土産物の…。



14:15

(←)
しばらくガサガサと藪を掻き分けて進むと、パッと藪のない場所に出た。
路肩を守る長い石垣が雨に打たれていた。

石垣の周囲では、直径1mもあろうかという巨大な針葉樹が倒れていた。
林鉄が健在の当時であれば、こうして放置はしなかっただろう。
沿線にはこうした巨木が豊富にあって、これまで見てきた大きな木橋の太い主桁材も現地で調達されたに違いない。

(→)
石垣から川の対岸に目を向けると、傾いた斜塔のように見える岩脈があった。
何かしか名前を与えて愛でたくなる風景だが、木戸川渓谷に林鉄があった頃の歩行記録は未発見だ。
岩脈直下の本流は、3mほどの落差を広い川幅そのままに落ちる豪壮な滝となっていて、ここは名所であったと思う。
ただ、我々に関していうと、雨が強く降っており、日没まで残り2時間しかなく、寄り道の余裕はない。



14:16

ちょっとだけ久々の、キターー!!

滝のすぐ上には、おおよそ15分ぶり登場する橋があった。
「橋18」は、崖に沿って架かる2径間連続の木造桟橋で、半壊状態ではあるが、半数の主桁は架かったまま残っていた!
頑丈なコンクリート橋脚を使ってくれたことで、落橋を免れたのだと思う。

第1径間は2本、第2径間には1本の主桁が健在だ。
朽ちてはいてもかなり太い主桁なので、体重を支えるくらいは出来そうだった。

そう思って、試みに足を乗せてみたところ、たちどころにグラグラして、これはアカンと察した。
(→)写真を見ると、落ちたらただでは済まない立地であることが分かると思う。眼下には本流の滝が見える。

怖い物見たさや、近道したさで身を躍らせるには、この橋はちょっとリスクがありすぎる。
大人しくトラバースで迂回しようとなって、チェンジ後の(←)写真のようなところを突破した。
こちらはこちらでちょっと怖かった。



14:18

すぐに次の橋が出現!

今回目撃した19番目の橋、「橋19」だ。

木戸川に注ぐ無名の小支流を跨いでおり、両岸は密生した笹藪に覆われている。
3径間の連続木橋で、橋脚1基が倒れずにほぼ原形を留めていたが、本日の“木造橋梁大豊作祭り”の中では別段衝撃的ではなかったらしく、写真はこれ1枚しかない。
(いま思えば贅沢過ぎる扱いだ)




きっつい!

今日これまででは最もハードな笹藪帯に突入している。
背丈よりも高い笹藪で、土砂降りの雨を受けて沈没寸前の小舟のように重く垂れた笹の葉が、掻き分けても掻き分けても顔を覆おうと迫ってくる。
鼻と口を繰返し塞がれて、息苦しい。
そして、手と顔が氷のように冷たい。
手袋を用意しなかったのは完全に失敗だった。

景色も全く見えず辟易するが、一本道なので進み続ける。



14:22 《現在地》

密生笹藪地帯を進んでいくと、渓流の音が大きくなったのを感じた。
少し周りが見える場所を探して川へ目を向けると、対岸に渓流が流れ込んでいるのを見た。

規模としては、我々がこの谷底へ下りるのに使った乙次郎の沢に近い。
ということは、乙次郎の沢と同じように、この対岸の渓流も地形図に描かれているのではないか。
このような考えから、GPSがなくしばらく現在地を特定出来ずにいた我々は、ここが「内川村下内川篠平より流れ出る支流の合流地点」であると判断した。

現在地が判明したことで、ゴールの木戸川第一発電所までの残距離は推定1300mになった。最初に軌道跡に辿り着いた地点を基準にすると、3分の2を攻略し終えた。




現在地が判明し、確かな前進の手応えを得たことで、ぐしょ濡れの気持ちは楽になったが、相変わらず過酷な笹藪道は終わらない。
そして強い雨が降り続いている。
ずっと懸念しているのは、最後の最後に予期される渡河のことだ。

ゴールの木戸川第一発電所には、今朝暗いうちに車を1台デポしてあるが、その位置は木戸川の対岸であり、橋があるかが分からない。
今のところ木戸川が増水している様子はないが、増水のために徒渉できず、車にたどり着けなくなるという心配があった。降り続く雨を悠長に眺める心境にはとてもなれないのである。

チェンジ後の画像。
くじ氏が、私のうまい棒にときめいているだけのシーンに見えるかも知れないが、彼の笑顔の半分は、別のものに由来している。
彼が立っている路盤の続きに注目して欲しい。右へカーブしていく路盤の続きに……。




14:34 《現在地》

ひゃっほーー!!

またしても現存度の高い大型橋が現われた!