廃線レポート 木戸川森林鉄道 第2次探索 (女平〜木戸ダム) 前編

公開日 2023.01.12
探索日 2019.01.22
所在地 福島県楢葉町


《周辺地図(マピオン)》

木戸川森林鉄道は、昭和8(1933)年から昭和36(1961)年まで、福島県の浜通り地方を流れる木戸川に沿って運行していた、本線全長21kmの国有林森林鉄道だ。
平成18(2006)年12月に第1次探索を行い、当時建設中だった木戸ダムの湛水区域の上端にあたる乙次郎付近から、木戸川第一発電所までの約4kmを踏破したが、それからおおよそ12年が経過した平成31(2019)年1月に、今回紹介する第2次探索を行った。

今回探索して紹介する区間は、女平集落の外れにある「新芝坂トンネル」の西口から、木戸ダムまでの約3kmだ。
この区間内の軌道跡は全て、福島県道250号下川内竜田停車場線に並走もしくは重なっており、以前探索した上流部とは比較にならないほどアクセスが容易である。したがって、未踏の廃線跡を切り開いていくというような冒険的カタルシスは弱いが、現在も使われている道路の傍にひっそりと残る林鉄の痕跡を拾い集めるという、気軽な宝探し的な探索を楽しめる区間だと思う。

まあ、どう言い募っても前の探索のようにボリュームがある区間ではないので、サクサク紹介していこうと思うぞ。
この軽めの区間にも、少なくとも一つは、私が文句なく「驚いた!」と叫べる発見があったのだが、その部分は意表を突いて探索の(そしてレポートの)一番最初に登場する。だからこのレポートを最後の方まで盛り上げるのは少し難しいなと書く前から諦めているのだが……(苦笑)、まあ力を抜いて読んで欲しいのである。


@
地理院地図(現在)
A
平成12(2000)年
B
昭和28(1953)年

今回、新たな机上調査はない。木戸川林鉄の歴史については以前のレポートの机上調査編を読んで欲しい。ここでは今回の区間が歴代の地形図でどのように描かれてきたかを確認しておこう。

@は最新の地理院地図だが、これと比較して欲しいのが、A平成12(2000)年版だ。
木戸ダムの竣工は平成20(2008)年であり、平成12年当時は建設中だった。
同ダムは平成4(1992)年に基本計画が決定し、翌年に工事用道路や付替県道の建設が始まった。そしてそれが一段落した平成11(1999)年にダム本体工事がスタートしている。

現在の県道はダム工事と関連して整備されたものであり、Aの地形図に描かれている道はそれ以前の姿である。そしてダム工事以前は県道ではなく、木戸川林道という名の国有林林道だった。この林道の路線名は、木戸川森林鉄道の正式名と同じだが、これは国有林林道としての林道種別が森林鉄道から自動車道へ変わったただけで、本質は同一の道であることを示している。

最後はB昭和28(1953)年版であるが、この版には在りし日の木戸川林鉄が描かれている。しかし残念ながらその描かれ方は、全般的に不正確である。
本当に不正確なので、ぶっちゃけ忘れて貰っても構わないレベルだ。……本当に。
この図だと林鉄は終始川べりに描かれているのだが、実際はもっと高い山腹を通っていて、基本的にはAに描かれている道路(木戸川林道)こそが林鉄のルートである。

以上のことをまとめると、今回紹介する「新芝坂トンネル〜木戸ダム」間の軌道跡探索は、県道250号の前身である(旧)木戸川林道の探索に帰結する。
今回は廃線レポートとしてまとめているが、同時に道路レポート的な探索になると思う。

ではお待たせしました。
上記@の地図中に示した「第2駐車場」の位置から探索をはじめるぞ。
そこは探索区間の西端でも東端でもない中途半端な位置だが、探索を時系列順に紹介するとここからになる。



 想定外の発見から始まった探索


2019/1/22 15:17 《現在地》

木戸ダムの1.2km手前に第2駐車場があり、大滝神社の参道入口になっている。
ダム建設以前から、この辺りは木戸川渓谷と呼ばれる紅葉の名所であったが、観光地といえるほど整備はされていなかった。だが20年近くも続いた一連のダム工事が終わってみると、かつて未舗装の林道だった渓谷沿いの道路は2車線の立派な県道へ生まれ変わり、ダム周辺整備としていくつかの遊歩道も生み出されていた。

ここに車を停めて、自転車へ乗り換えてから、軌道跡&旧林道の探索をスタートする。
軌道跡&旧林道は、この第2駐車場の地点で現県道と交差しており、上流と下流のどちらから探索しても良いのだが、まずは下流側から女平(の手前の新芝坂トンネル西口)を目指すことにした。そこまで現県道経由で約1.5kmほどである。

ということで、この写真の手前方向へ出発する。




下流へ向かうと直ちに新旧道の分岐があるが、役目を既に終えた旧道はガードレールで容赦なく封鎖されている。
現道にあるのは大滝橋といい、ダム工事用道路として整備された一連の橋の一つだ。竣工は平成11(1999)年。

もちろん私は旧道(旧木戸川林道)へ向かう。
基本的に、旧道=軌道跡であるが、林鉄の廃止は昭和36(1961)年で、それから平成時代まで長らく道路として使われていたので、林鉄時代の遺構はない。
それでも、探索すれば林鉄がどんなところを通っていたのかを体験できるし、旧道探索としての楽しさもある。




ところで、この旧道入口の山側には、崩土によって埋れかけている谷積の石垣がある。
このような谷積の石垣は、前回くじ氏と行った上流部での軌道跡探索でもたびたび目にしていたので、これは軌道由来ではないかと思われた。

……のだが、よく見ると、この埋れかけた谷積擁壁の手前に、妙に作りが雑な野積の石垣もあることに気付いた。
位置的には、こちらが旧林道時代の擁壁であるような気がした。谷積擁壁は旧道の路面位置から少し奥まりすぎているのである。
すなわち、この場所での軌道跡と旧林道は、ほんのわずかだが、ずれている?

とはいえ同一平面上での本当にわずかな差でしかなく、わざわざこうして取り上げるほど重要な気付きでもないと思い直そうとしたその瞬間、視線走り、雷鳴轟く、私の脳内! 画像の赤丸部分に注目せよ!




私も最初は、“ただの岩”かと思ったのだが…




隧道だ!!!

こんなところに、隧道?!


いやいや、でもこれ本当に隧道か? 決めつけは性急じゃないか……?



隧道みたいです!

ちゃんと貫通しているッッ!



慌てて先に中を覗いてしまったが、ちょっと落ち着いて状況を整理しよう。ナンダコレハナンダコレハ。

事前に、この隧道のことは全く予期しておらず、それを差し引いても、非常に意表を突いた隧道の出現位置だった。
どうやら左図に描いた位置に隧道は存在している。ちなみに旧版地形図にもこの隧道は描かれていないぞ。




まずもって、いまある地形からは、わざわざここに隧道を掘る必要性が感じられない。
すぐ脇には旧林道の広い路面が隧道と並走して存在しており、そのため本来は地中にあって見えないはずの隧道内壁の“裏側の壁”が、旧林道の法面のように部分的に露出している。それほど隣接して並走している。

このような現状から予想できるのは、旧林道を整備する際に狭隘だった林鉄隧道を廃止して、そのすぐ隣の山肌を削って道を通したということだろう。
それ自体は特別不自然なことではないと理解できるが、既に旧林道が存在してしまっている地形を前にすると、林鉄の時代には何か強い必要に迫られたに違いない隧道の存在意義を感じとるのは難しい。まるで不自然な存在であるかのように見えてしまう。

なお、この隧道の存在については、平成18(2006)年の探索時に車で県道の大滝橋を往復した時には全く気付かなかった。まあ、車で走り過ぎた程度では気付けないのも無理はないと自分を慰めたくなる目立ってなさだ。
さらに偉大な先達の探索に目を向けても、平成7(1995)年に現地取材をしている『鉄道廃線跡を歩く』にも、その翌年頃の探索であるる『トワイライトゾ〜ンマニュアル vol.6』にも、この隧道についての言及はない。
これらの探索時期は大滝橋の開通以前なので、隧道のすぐ隣の旧林道を探索者は通ったはずだが、それでも発見に至っていない。それほど目立たない意表を突いた存在位置なのだと思う。(あとダム工事中だったことによる、せわしなさも原因か)

今回私がこれに気付いたのも、車を停めた場所のすぐ傍にあった石垣の存在を呼び水にしたものであって、ほとんど偶然の産物だった。




 見たことのない断面をした隧道


発見された隧道への突入を敢行する!

とはいえ、このコンクリートの坑口は、すんなり入れる穴ではない。
本来の断面サイズを10とすれば、9.5は土の中という有様である。
土砂崩れで自然とこうなったのか、故意に埋め戻されたのかは分からないが、とにかく人は外聞もなく地面へ体を擦りつける儀式をしなければ、中に入ることは出来ない。

まあ私だって少しは打算というものがあるから、身体を捻じ込む前に頭だけ突っ込んで中を見た。
すると反対側の出口が見えたので、突入することと相成った。
もちろん、自転車は外でお留守番だ。まさか相棒も車を降ろされて20mも走らぬうちに置き去りとは思わなかっただろう。

チェンジ後の画像は、腰から外したウェストバッグ一式を先行して入洞させている場面。開口部の容赦ない狭さが見て取れると思う。しかも坑口を埋める土砂は硬く締まっていて、徒手空拳ではろくに拡幅もまかり成らなかった。そんなわけで、背中から降ろしたザックも自転車と一緒に留守番となった。



土埃と乾いた土の匂いを纏いながら、開口部より洞内へ。
そしてそのまま土砂の急斜面をずり落ちるように洞床へ。
洞床には、浅く水が溜まっていた。

(→)
なんだこの断面?!?!

これには驚いた。

この隧道、とても珍しい断面をしている!

断面全体の高さに占める側壁の割合が異常に大きく、その分だけ天井部のアーチが極端に扁平である。
いわゆる欠円アーチ断面の隧道なのだが、一般的に欠円アーチ(例:小牧峠隧道)の隧道は、高さに対し道路幅が広く取られているものが多い。欠円アーチのメリットは、幅を広く取りやすいことにあるのだから当然だ。

だがこの隧道では幅よりも高さが大きく、その点では林鉄らしい断面だが、そこに欠円アーチが組み合わされて、なんとも見慣れない不思議な空間を作り出していた。
天井はいかにも昭和時代のアーチらしく場所打さのコンクリートだが、側壁はこの林鉄の法面でよく見かけるのと同じ谷積石垣だ。

この、隧道の側壁が谷積であることも非常に珍しい。
一般的に側壁を石積みで仕上げる場合、煉瓦と同じような積み方である布積が行われることがほとんどである。というのも、谷積は布積と比べると垂直に積み上げることがやや不得意なので、垂直である側壁にはあまり向かないのだろう。

わざわざ、普通の隧道より遙かに側壁が高いこの隧道で、側壁を谷積の石垣とした理由ははっきりしないが、この路線の屋外の法面には多くの谷積石垣があるので、同じ感じで側壁まで仕上げたのだろうか。
あるいはもしかしたら……   ……いや、これについては隧道全体の観察を終えてから言及したい。




なんとも不思議な通行感覚のある隧道だ。

手で触れられる両側の谷積石壁と、手の届かない天蓋となって視界を遮る天井の小アーチ。
この見慣れぬ組み合わせによって、これまで幾千とくり返されてきた隧道体験が、新たな色を帯びていく。
新鮮。まさしくそれだった。活きの良さなど微塵も感じさせない石室のような空間が、
こんなにも新鮮な空間と感じられることは、大きな喜びだった。



非常に興味深い構造を持った個性溢れる隧道だが、如何せん短い。全長25mくらいか。
一度入ってしまえば、最初から見えている出口へ辿り着くまでは、どうやっても1分以上は使わないだろう。
しかも洞内は完全に直線で、内部の状況も最初から最後まで特に変化はない。

変化と言えば、洞床はほぼ全て水没しているが、水深は浅かった。
内壁は乾いており、洞床にある水の出所は両側の坑口から入り込んだ雨水だろう。溜まり水の逃げ場は全くないが、それでも水深が浅いのは両側とも開口部が狭いからだ。

(←)
アッというまでに出口へ近づき、歩き終えた洞内を振り返った。
返す返すも、隧道としては特筆すべき異様な断面。異様な構造物に見える。「○○みたいだ」という喩えさえ思いつかないぞ。


(→)
そして出口へ。

出口もご覧の通り相当に埋没している。
だが入口に比べれば、3倍は大きな開口部だ。
如雨露のように上方向へ空いているので、ここに穴があることを知らない人が遠目に脱出する人を見たら、地面に人が生えてきたみたいに見えると思うな。



天井に頭を当てないよう、身を屈めながら、地上へデュルデュルデュル。

ここはどこだ?

とりあえず、見覚えのある場所でない。




15:25 《現在地》

GPSの測位を待つまでもなく、すぐに現在地は判明した。
案の定、旧林道の道路脇に出ていた。
全長25mほどの隧道は入口から出口まで全体が地上にある旧林道と並行しており、ただ旧林道は少しだけカーブしているため、出口側の間隔は少しだけ空いている。でも直線距離なら5mも離れていない隣だな。
この写真の右に見える平らな部分が、旧林道だもの。

そしてこの通り、少しでも離れると隧道の出口は全く見えなかった。
ここに隧道があったことを知っていて地面を探せば見つけられるだろうが、そういう意識がなければ、わざわざこのちょっと窪んだ程度のぼんやりした場所を探したりしないから、この隧道がいままで発見されにくかったのは当然だ。入口も出口も揃って目立ってなさ過ぎだ。



これが隧道を出たあとの進行方向の眺め。
県道の大滝橋(平成11年竣工)を迂回するだけのミニ旧道区間、その一番奥まったところにいる。そして残りの下流側半分が見えている。

目の前の不必要に広い平坦地は、谷を埋め立ててある。
軌道だけがあった当時は、ここにも(以前の上流部探索で数え切れないほど見たような)石造橋台の木橋が在ったと思うが、埋め立てられたか全く痕跡はない。

さて、このまま先へ進むことは出来ない。
自転車とザックを隧道の入口に置き去りなのだ。旧林道を戻って回収するぞ。




逆方向から隧道出口がある辺りを見ているが、ここに分岐があって、さらにその奥に隧道が埋れていることに気付くのは難しいと思う。
それと分かって見れば確かにある、のだが、普通は分岐がありそうにない場所だ。まして隧道なんて、てんでさらさら無さそうな地形である。




奥に、第2駐車場に止めてきた愛車のフロントが見える。
まもなく、隧道の入口を見つけた地点に帰着する。
いま歩いているこの広い道が旧林道で、左の山土の中に、あの奇妙な谷積石垣の欠円アーチ隧道が埋もれている。

それこそ本当に、埋めて作った隧道なのかも知れないと思う。
そういう作り方をしたから、あの奇妙な構造なのではないか……という可能性がある。
いわゆる開削工法だ。地表から隧道を作る深さまで地面を掘り下げ、そこに側壁や天井となる構造物を作った後で、最後にそれらを埋め戻して完成させるのが開削工法。現代でも都市部などで広く行われているトンネルの工法である。

開削工法で作られるトンネルの特徴は、土被りが浅いことと、断面が四角形であることだ。
土被りが浅ければ強い地圧に抵抗する必要がないので、施工性とコストに有利な四角形の断面が選ばれる。
本隧道の位置は、土被りが浅いうえに柔い土山っぽいので、通常の山岳工法によって掘り進められたか疑問である。浅すぎて天井が落盤しそうに見える。

だから開削工法で隧道を作った。そして見慣れない断面の隧道が出来た。これはいかにも正しそうな理論であるが、しかしこんな古い時代に山地で開削工法の隧道を掘った前例は極めて少なく、ましてや林鉄の前例は聞いたことがない。


15:28 《現在地》

そもそも、これは入口を前にしたときにも書いたが、隣にこんな広い旧林道がある現状の地形からだと、もうこの場所に林鉄の隧道が必要だった理由自体が分からなくなってしまっているのだ。
普通に山岳工法で(少し変わった断面の)隧道を作ったが、後から林道を隣に開通させたことで、開削工法を疑いたくなるほど隧道の土被りが浅くなってしまっただけ、…なのかも知れない。

改めて、“きっかけの石垣”を見ると、なるほどこれは明らかに軌道跡のラインに沿ったものだと分かる。旧林道ではない。
谷積の石垣なのも、隧道内の壁とそっくりである。

形状的にとても不思議な感じがする隧道だったが、あれが工法に由来する形状だったのか、単なる施工者のオリジナリティに由来するものなのかは、解明出来ていない。
しかし、大発見に気を良くした私の探索は、ここからまだ続く。
もう盛り上がりのピークは過ぎちゃったけど、最後までお付き合い願います。