2021/4/24 6:32 《現在地》
前回の最後の場面、自転車で菅原集落へ辿り着いた私は、「遭難死亡者多発に伴う入山禁止」を伝える恐ろしい看板を発見し、そのおかげで霧ヶ滝線の軌道跡へ通じているとみられる廃歩道の入口をすぐに見つけることが出来た。
それでは入山だ! …という場面だったはずだが、“なぜか”、私はここで一度車を取りに青下土場跡へ戻っていた。
そして、今度は自転車ではなく車で菅原集落を訪れ、それから徒歩で入山している。
幸い、菅原から青下土場までの3.2kmの道は全て下り坂であるため、この往復にはさほど時間がかからなかった。それでも改めて歩道の入口に立つまで、おおよそ25分を浪費した。
なぜこのような行動をしたのか、これを書いている時点からわずか1年前の出来事なのだが、どうしても思い出せない。何か重大な忘れ物をしたのだったか…?
……ともかく、そんなことがあって、前回最後の場面から25分遅れての出発となった。
これがその問題の歩道の入口だ。
立ち入ろうとすると絶対に目に留まる場所に、【警告看板】があるものの、道自体はなんら封鎖されていない。
山の中の歩道を封鎖することは物理的に困難であり、敢えて柵などは設けなかったようだ。使用中止の登山道なんかも、だいたいは看板だけとかロープだけの緩い封鎖である。
たぶんこの道も、そして軌道跡も、登山道として利用されていた時期があるのではないだろうか。
(扇ノ山の古い登山ガイドなどをお持ちの方がいたら、確認して教えて欲しい)
ここで、いま別れを告げんとする人里を振り返る。
この菅原の集落は、かつて畑ヶ平林鉄による国有林奥地開発の拠点として大いに賑わった。
同時には存在しなかったものもあるが、インクラインと2本の索道が、この地から上部軌道へと伸びていた。
そんな上部軌道の一つが、約290m上方に始まる現在目的地、霧ヶ滝線であった。
探索が全てうまくいけば、夕方までには、正面奥の斜面に存在したはずのインクライン跡を経由して、ここへ戻ってこられるはず。
6:34 《現在地》
『林鉄の軌跡』を読む限り、相当の悪路であることも覚悟していた歩道だが、とりあえず最序盤はどこにでもありそうな地道である。
県道から50mも離れると、スギの鬱蒼とした人工林に入った。
人工林があるうちは、道の維持が期待できるかも知れない。
進路は最初から斜面の直登へ向いており、いかにも山仕事の道っぽい。
スギの林に入ると、ところ構わず散らばった下枝や木片のために、わずかな凹凸でしか周囲と区別されていなかった歩道は、たちまち不鮮明となった。
ただ、ところどころに指導標と思しきピンクテープの切れ端が付けられていて、まずはそれを辿って、あとはこまめにGPSの「現在地」が地形図上の「歩道」と大きく外れていないことを確かめることにした。
車道でないなら、忠実に辿ることにあまり拘っても良い結果を生まないことは、これまでの経験から学習済であった。結果的に上手く軌道起点へ登頂出来れば良いと考えよう。
ちなみに、県道からこの歩道へ入る入口も、地形図の位置からは微妙に外れていた。
今後、「現在地」を示す地図上に表示する桃色の線が、私が実際に辿ったルートである。
6:42 (登り始めて8分後) 《現在地》
最序盤だけ道を辿ったが、あとはGPS確認と地形読みを主体とした“自分本位”の登攀をしている。
そして登り始めて8分後、早くも高度は60mほど上昇したが、ここでスギの人工林が明けて、上には広葉樹の林が広がっていた。
ここまで伏流水のありそうな苔生した凹地を辿っていたが、この先は一段と急勾配になる。
だが見通しが良いので、まだこのまま凹地を登っていくことにする。
案の定、この低地は集落の古い水場であったらしく、伏流水を地上へ導くためのパイプや、その水を蓄えるためのバケツなどがあった。
水道が整備される以前、水源地の一つとして使っていたのだろう。
ちょうど朝日が射し込んできてとても気持ちが良かったので、今日初めての小休憩をここで取った。
休みながらGPS画面上の地形図を見ると、この辺りから歩道はやや左寄りに進路を変えて、南側の尾根へ向かうように描かれていた。
しかし、3分ほど休憩してから歩き出した私は、そのまま真っ直ぐ凹地を上り続けた。
左へ逸れていく歩道というのが見えなかったし、左はやや岩が多く露出していて歩きづらそうに見えたためである。
とはいえ、いつまでもこの凹地を直登していると、いよいよ歩道が描かれている範囲から大きく外れていくことになるし、例によって、この凹地が最後に山頂に突き上げる辺りは、歩道の描かれている尾根筋よりも遙かに等高線が密に描かれていて、ずっとここを上っていくべきではないとも考えていた。
どこかで一度登るのを止めて、南側へトラバースしようかな。
6:48 (登り始めて14分後) 《現在地》
そんな南方へのトラバースのチャンスが、思いがけず、明確な形をもって現われた。
予想外に、等高線を地形に描いたかような平場が現われたのである。
それはまるで、見慣れた軌道跡のように見えた。
……まあ、軌道跡を探索しようとしているときに見つける平場が、ぜんぶ軌道跡に見えるのは、オブローダーあるあるなんだけど。苦笑。
予想外の平場の出現に、色めき立つ私。
GPSで現在地を確かめるも、まだまだ霧ヶ滝線があるべき高さには辿り着いていない。ここは入口から80mくらい登ったところである。
もしも本当に未知の軌道跡だったら、大変だ。
見つけた平場は、これ以上北側には伸びていない(写真奥の岩場で明確に終わっていた)が、南側へうっすらと続いていた。
渡りに舟とばかりに、これを辿ってみることにした。
6:54 (登り始めて20分後) 《現在地》
軌道跡にしては造りが雑すぎるとは、辿り始めてすぐに思った。
幅が一定しないし、たまに途絶えて、すぐに数メートル先に現われるようなことが度々あった。
単純に道が途切れているのだとしたら、途切れるたびに少し上下へ高さが変わることの説明が困難だ。
うん…、なんだかよく分からない平場……。
おかげさまで、地形図に歩道が描かれている辺りまで楽に斜面をトラバース出来たが、そろそろまた登り始めたい位置に来ている。
そんなことを思っていたら、なんと同じような平場が10mばかり下の斜面にも平行しているのに気づいた。
ん? あれはなんだ?!
20mばかり下の斜面に見つけたものの正体は、古ぼけた鉄製の雪崩防止柵だった。
そしてこの瞬間、私を助けると同時に悩ました帯状の平場の正体が、ほとんど判明した。
おそらくこれって、雪崩を抑えるための古い階段工だったんじゃないだろうか。
道路絡みというよりは、谷底にある菅原集落を雪崩から守るための。
私は納得して、平場の終わりを見ることなく、再び斜面を登り始めた。
平場を後に、手頃な斜面へ取り付いた。
相変わらず、“歩道”は見失ったままだが、ここまでの感じから、歩道は明確なものではないようなので、深くは気にしないことにする。
幸いこの辺りは広葉樹が豊富に生えていて、地面がしっとりとして柔らかく、登るのは難しくなかった。
そしてこれ以降しばらく、特に発見というものがなく、黙々と斜面を登る時間が続いた。
直登ではなく、左上へ向かうことを意識しながら、道なき斜面を、たまに四つ足になりながら、ガシガシ登った。
7:11 (登り始めて37分後) 《現在地》
登り始めて37分を経過したところで、地形図に歩道が描かれている尾根の途中に出た。
そこには確かに、微かだが、道らしき微妙な凹凸が存在した。
これこそが、しばらく見失っていた霧ヶ滝線へ通じる歩道の続きだろう。
平場の地点から60mほど上昇し、はじめから登った高さは140mくらいになった。目的とする高度の中間くらいまで来たことになる。
道をほとんど見失っていたことを考えれば、まずまず順調と言って良いだろう。
7:13 (登り始めて39分後)
陽当たりがよい尾根まわりのごく狭い範囲にスギが植え付けられており、細かな適地も見逃すまいというような林業家の執念深さを感じさせた。
地形図を見る限り、以後この道は尾根から外れることなく登っていくようで、私も自信を持ってその通りに動けば良かったのだが、少しミスを犯した。
直前にうっすらと見つけた感じがした道が、ここで尾根から左に逸れて写真奥の明るい斜面へ入っていくように感じたので、それを辿ったのが失敗だった。
その方向はかなりの急斜面になっていて、乾いた地面に小石が大量に散らばる、とても滑りやすい状況だった。
早めに誤りに気づいて進路を尾根へ戻したので大事には至らなかったが、少しばかり時間をロスしてしまった。
もう、道が見えた気がしても騙されないぞ。この尾根からは離れない!
7:20 (登り始めて46分後)
尾根へ戻り、また黙々とアルバイトを続けている。
道はよく分からないが、植林地が点在しているので、どうとでもなる。
ただ、最初の頃に比べれば全体的に急傾斜で、すぐに呼吸が苦しくなった。
こまめに休むことで、疲労を貯めないよう意識した。まだ探索の本番前なのだ。ここで疲れたら話にならない。
一度、目立つ太いスギの根元で長めの休憩をとり、今朝鳥取市で購入したコンビニおにぎりを一つ食べた。そしてまた歩き出した。
7:39 (登り始めて65分後) 《現在地》
登り始めて1時間5分後、厳しく競っていた尾根が、急にだらりと弛緩した。
一瞬、登頂したのかと期待したが、GPSを見るとそうではなかった。
ここは海抜730m付近の緩斜面で、頂上に近い目的の高度までは50mほど足りない。
しかし喉元に迫っている。
集落から200m以上高度を上げたことにより、まわりの広葉樹の新緑は、より芽吹きに近いものに変わった。でも幸い、周囲に残雪は欠片もない。とりあえず、軌道跡が残雪に覆われているという最悪の事態は回避出来そうだ。
それにしても、見事な青空だ。いい探索になりそう。すっかり身体も温まり、出足に冷や水を浴びせられ、思いのほか心根をヒヤされた【看板】のことも、少しは忘れることができていた。
斜面を登りながら、南側に開けた谷を見渡した。県境の畑ヶ平高原の方向である。
そこは、菅原集落から霧ヶ滝線とは別方向へ伸びていた索道(『林鉄の軌跡』で「単材索道」として紹介されていた線で、昭和25年の霧ヶ滝線開設と引き換えに廃止されたらしい)があった場所で、索道上部から伸びていた上部軌道のラインが、路肩に残る雪の列として、はっきりと見えた。(↓)
もっとも、軌道跡そのものが見えているわけではなく、林道化した(そしていまは町道畑ヶ平線になった)道が見えているのだろう。
首尾良く行けば、数時間後にあの道を歩いて下山する予定である。
さすがにここよりも高い道には、路肩に残雪があるようだ。路面や地面にまでなければ良いのだが。
なんとなく、この探索が成功裏に終わった先に訪れられる場所ばかりが先に見える展開は、好きじゃない。
だって、プレッシャーがかかるんだもの。
その一方で、まもなく辿り着けるであろう霧ヶ滝線の状況については、本当に全く想像が出来ないのである。
分かっていることは、その周辺で平成初期に3回の遭難死亡事故が起こったということ、あとはレールとか索道とかは撤去済だということくらいだ。
おそらく、最後の登りにかかっている。
もうしばらく道らしいものを見ていないが、頑張ればどこでも登れる地形なので、GPSが表示している現在地を信じるだけの気楽な仕事だ。
ここまでの山登り、別に楽ではなかったが、恐ろしさを感じる場所はなかった。看板が伝えたかった危険は、この先のどこかにあるのだろうな…。
7:45 (登り始めて71分後)
なんかあるぞー!
ここまで、微かな歩道の痕跡を見たくらいで遺構らしい遺構を見なった。
もし『林鉄の軌跡』に詳細な地図が掲載されていなければ、この山を登っていく行為自体に大きな不安を感じていたに違いない展開だったと思うが、70分あまりの標(しるべ)なき登山が、実を結ぶ時が来たようだ。
私の直上25mくらいの斜面に、明らかに人工的な石積の構造物が見えた。
道を見失って進んで来たが、ドンのピシャで索道の上部盤台に到達したのかも知れない。構造物のいかにも頑丈そうな佇まいからして、それ以外考えにくいぞ!
登れー!!!
これは、何かの土台だな。
斜度30度ほどの土の斜面に、斜度50度くらいの石垣がある。
幅は4m、石垣の斜面に沿った高さは2m半くらいか。
かなり古いものらしく、苔生して、さらに太い木も生えている。
また、石垣のすぐ傍の地面に、大きな六角ボルトナットが落ちていた。
林鉄の構造物では木橋でよく見る、木柱同士を固定する金具だ。
この辺りに大掛かりな木造構造物があったことを物語っている。
石垣の上は、どうなっている?!
うひょうっ!
コンクリート製の頑丈そうな柱の基礎が2本、立っていた。
そして、その背後は久々の杉林であり、そこは……、
7:48 (登り始めて74分後) 《現在地》
真っ平ら!
すなわち
林鉄の起点だ!
菅原集落から約1時間15分、登山して、いまやっと本当のスタートラインに!
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