2号隧道の東口を発見。
なお、この隧道の 西口 は、発見されていない。
何度か通りがかりに探したことがあるが。
おそらく、既に地上には無いものと思われた。
だからこの東口に潜り込んでも、通り抜けが出来るという期待は、かなり低かった。
そういう状態での探索であったということを、先にお伝えしておく。
それでは、洞内探索スタート!
2号隧道の東口を発見。
なお、この隧道の 西口 は、発見されていない。
何度か通りがかりに探したことがあるが。
おそらく、既に地上には無いものと思われた。
だからこの東口に潜り込んでも、通り抜けが出来るという期待は、かなり低かった。
そういう状態での探索であったということを、先にお伝えしておく。
それでは、洞内探索スタート!
2009/10/30 15:13
こういうことを書いて恥をさらすのもどうかと思うが、一時ここから 出られなくなって焦った。
外へ通じる隙間がちょうど人の厚みくらいしか無く、しかも下が濡れた腐葉土の45度斜面で手がかり足がかりが乏しいことから、そういうことが起きた。
もちろん、そのまま本当に脱出不能になるとは思わなかったが(時間をかけて内側から土砂を掘って斜度を緩くするなど、対策はいくつも考えられた)、それでも 「あ!思うように出られない!」 と分かった瞬間の寒気は、一人探索だったこともあり、心底ぞっとした。
皆さんがもしこの隧道に入るなら、予め十分に開口部を掘り出しておくか、ロープなどを準備することを、精神衛生上オススメします。
ちなみに私は、左の岩が露出した側壁部分に片足を踏ん張って落下を防ぎながら芋虫的な蠕動運動をして少しずつ脱出した。(おかげで全身泥まみれになった)
話が前後してしまった。
出られなくなるなどということを考えるより先に、当然洞内を探索していたのだ。
ここからは、その模様をお伝えする。
…先に結末を書いてしまったような気もするが… まあ、いい。
そんなことよりももっと驚く光景が、目の前には広がっていたのだから。
うげぇ…
気持の悪い支保工が、たくさん…
昔から、これ苦手なんだよなぁ…。
腐った木の手触りと、少し甘い臭いが苦手。
あと、墓の中ってこんな感じかと思うような、土臭さ…。
こちらも全開バリバリで、土色の壁と最高にマッチしていた。
この段階でフラッシュ撮影に支障が出るほど水蒸気ムンムンだし、
「結末」は、もったいぶるまでもねぇ…。
足の踏み場もない。
崩れ落ちて洞床を埋めているのは、崩れ落ちた支保工が主のようだが、その上にもたくさんの土が落ちている。
壁も天井も、少しずつ崩れているに違いない。
探索時点ではまだ「黒磯市誌」を読んでおらず、「土山のため坑木を組みながら進んだ」事を予期はしていなかったが、見た風景が、そっくりそのままそれだった。
朽ちた木製支保工の隊伍が、ライトの届く限り、数十メートルに亘って続いていた。
私は昔から、こうした支保工の列を見るたびに、それを兵になぞらえる連想が働く。
しかもその兵は、生きた将を守るものではないし、兵自身も生きてはいない。
結局のところ、それは古代中国の墳墓と、そこに安置された無数の俑(よう:兵などを模した像)の連想であり、「隧道」の語義に通じるものだと解釈している。
こうした廃隧道に残る木製の支保工が、僅かであっても外周全体を覆うかたちで残っているのは稀なことだ。
それは上の写真にも見えているが、おかげで本来の支保工の全体像が掴めた。
このように“への字型”の枠組みを、合掌式支保工という。
後光ばり式(外部リンク:「Tunnel history」参照)などに比べると簡易なもので、支持力はだいぶ落ちるが、施工が簡単なほかに、断面の大きさを確保できるメリットがある。
将来の巻き立てを前提とした隧道工事で、かつ地盤が良くない場合には、後光型を用いることが多かった(巻き立て時に撤去)が、この隧道の場合ははじめから巻き立ての予定が無く、かつ木材搬出のために高さも十分に必要であったため、(あまり地盤は良く無さそうだが)合掌式支保工を用いたのだろう。
また、支保工の破損した箇所からは、留め金として用いられていた「鎹(かすがい)」が露出していた。
こういうものも、最近の土木構造物ではまず見ることが出来ない。(これも土木構造物…で良いんだよね?)
このように、資料的にはそれなりに興味深い支保工たちではある…。
だが、イカントモシガタイ気持ち悪さを醸しているのも事実で、ときおり触らずには進めないのが、苦痛だった。
進める空洞がある限り進むわけだが、心の中は、興奮よりも、不快さと怖さが勝っていた。
また、全長420mという数字もこの時は知らなかったが、地図でかなり長かろうとは思っていたので、憂鬱だった。
なにより、これをきっと戻ってこなければならないだろうという予感が、鬱々だった。
本格的に落盤しはじめた…。
この部分の支保工が妙に低く見えるのは、天井が崩れて洞床に土砂が積もったためであろう。
床を埋め立てるほどの膨大な量の粘土質の土砂だが、これだけ崩れてなお、支保工が一部現存しているのに驚く。
上手い具合に支保工の間を崩土がすり抜けたのだろうし、崩壊も一挙ではなく、徐々に進んでいるということだろうか。
どちらにせよ、身を屈まなければ通り抜けられない場面。
支保工の匂いがひときわ鼻についた。
ちなみに、このあたりで入口から50mくらいか。
振り返っても既に入口は朧(おぼろ)な反射光としてしか見えないので、距離感が失われつつあった…。
一度始まってしまった落盤は、もう止まる術がないのだろうか。
本来は同じ高さに有るはずの天井が、相当に凹凸しているのが見えている。
さすがに支保工の屋根の部分も、みな抜け落ちている。
洞床には、天井から抜けた分と同量と思われる土砂が、堆(うずたか)く積もっている。
こいつは本当に劣悪な土山で、この探索の1年ほど前に潜った、これにそっくりな隧道を思い出していた。
…きっと結末も、同じなんだろうなぁ。
入坑から100mくらいは進んだだろう。
“一荒れ”どうにかやり過ごしたようだが、相も変わらずの屍の列は続いていて、気が滅入る。
支保工は地盤の悪いところに だけ 設置されるのが普通だから、まだまだ劣悪地盤が続いているようだ。
現在の県道が、わざわざ遠回りするような位置に別のトンネルを掘っているのも、分かる気がする。
もしこの廃隧道の条件が悪くなければ、拡幅して転用することも出来ただろう。
ただしその場合は、木の俣地蔵の移転や参道の大規模な移設が必要になっただろうが。
ん? 奥に土砂の壁が見えてきた。
うえ…
上 じゃなくて、 うえっ…。
終わってねーのかよ…。
ぶっちゃけ、もういいよ。
もういいよ。
もう十分だよ。
風もないし、よどんでるし、どうせ閉塞だって…。
……ガラガラ…
いま私は、本来の天井よりも高い位置に立っている。
崩れた分だけ、天井と床の両方が高くなっているのだ。
そしてこの小高い瓦礫の山の上に立って、奥へ光を向ける。
そこには、“すり鉢状”の空洞が…。
空洞には、兵たちの姿も見えない。
なるほど…。 このすり鉢の底でさえ、本来の洞床よりは高い。
落盤量の加減で、洞内に2つのコブを持つ山が、出現していたのだ。
このすり鉢状の部分は、2つの山の間の底部なのである。
この崩れ方…、どこまでもフリーダム…。
15:23 入洞より10分経過
2つ目の山というか…峠に登頂。
今度こそ登ってきた分を下って本来の洞床に向かうようだが…。
こんなところに下っていきたいと、誰が願うだろうか。
いや、誰も願わない。
はっきり言って、気持ち悪すぎる。 この隧道。
潔く今のところで閉塞していても、誰も文句はいわないぞ…。
……ガラガラガラ…
うひー…
…ねりょねりょ…
第2ステージの始まりってとこか…。
ちなみに、フラッシュを焚かないと
(つまり探索中の肉眼での見え方は)
上の写真くらいだ。
――暗い。
死屍累々。
再び中規模の落盤で、天井がかなり抜けていた。
そしてその天井が、少し赤茶けてきたな。
別の地層というか、地質に変化し始めている感じがある。
どうなるんだ、この先…。
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