2011/2/13 7:32 《現在地》
昭和8年の地形図に描かれていた隧道は、現存していた!
しかし、どうも様子がおかしい 気がする。
非常に短そうだということは分かるが、なんかそれだけではない不自然さを感じる。
とりあえず、近付いてみよう。
私が最初にたどり着いた地点から見て、隧道は砂防ダムが連なる小さな谷の対岸である。
うっすら雪が積もって滑りやすくなった谷を、注意して横断する。
谷の両岸とも人工的な壁になっており、隧道がある右岸には一切橋台は見あたらない。
谷を上りきると、即座に隧道だった。
普段なら、坑口を見てから洞内といった流れになるが、斜面を登った時点で既に洞内に入っていた。
そして、ここに達して隧道の異常性がより明らかになった。
短いのである。
異常に短い。
先ほど見た土被りの量を考えても、隧道である必要を感じないレベルだ。
そして高さもおかしい。
軌道だったにせよ牛馬道だったにせよ、立って歩けないという高さはあり得ないだろう。
しかし、天井側に崩れた形跡は見られない。綺麗な半円形をしている。
ということは、床がだいぶ埋め戻されたのだろうと考えられる。
そして、その床にはなにやら“へ”の字型の木材が数本落ちている。
これはおそらく、天井を支えていた合掌形支保工の一部であろうと思われるのだが(参考画像:山形県の笹立隧道)、こういうものが残っているのはかなり意外だった。
というのも前述したとおり、この隧道は史実通りなら昭和18年には廃止されているのである。
よく木材がこれだけ原形を留めていたものだと思う。
そして出口へ。
隧道の長さは5m弱といったところで、これまで見た林鉄隧道の中でも最短レベルである。
ほとんど隧道探索をしたという実感のないまま、ただ、発見できたという事実だけが残った感じだ。
そうして、これを出た先にもまともな路盤はありそうにない。
まあ、先にこの景色を見ているので、ある程度予想は付いていたわけだが…。
とにかく普通ではない環境にこの隧道はあり、隧道の形自体も既に大きく変貌している予感があった。
隧道を出てみると、こんな場所に出て来ましたよ。
路盤がない代わりに、スノーシェッドとその山側を抑える人工地盤が少し下に見えた。
…ちょっと迷ったが、とりあえず行けるところまで行ってみよう。
あはははは…
こんなところに来てしまったよ。
…すごい眺めだ。
凍てついた、スノーシェッドの屋根である。
所々に氷の帯が走っており、そこを踏めばきっと転んでしまうだろう。
さすがに幅が広いので、外に転げ落ちることはないと思うが…。
肝心なのは、果たしてこの先に路盤があるのかどうかということだが、
…多分無いと思う。
無いと思うけれども、とりあえずもう少し…だけ。
同地点で振り返って撮影。
左端に見えるのが、今くぐってきた「1号隧道」である。
こうして見ると、やはりそれは尋常の形ではない。
おそらくこれは、本来はもっとこちら側に長く続いていた隧道を地山ごと削り取ってしまったものと思われる。
こちら側の坑口は、その上の尾根のてっぺんまで、全てコンクリートが吹き付けられている。
この部分はすべて、県道の拡幅なり、スノーシェッドの建設なりで、新たに切り開かれた部分ではないだろうか。
そうでなければ、これほど短く地被りの少ない隧道の存在意義が不明だし、5万分の1地形図に記載されるとも思えない。
と同時に、完全に隧道が破壊されていてもおかしくなかった状況でわずかこれだけ残ったというのも、奇跡かも知れない。
こんなところまで来てしまった。
スノーシェッドの途中からは、完全に“雪道”になったが、とりあえずここまで来た。
何かスピードスケートか何かのコースのようだが、自転車で走ろうものならきっと、右の谷底に滑り落ちていくだろう。
遠くには、今回の探索のスタート地点である板室温泉の温泉街が見えた。
それにしても、引き返すきっかけもなくここまで来たが、はっきり言って何かの遺構がある雰囲気はない。
7:42 《現在地》
スノーシェッドが終わった。
もう、どうにもならないな。戻るしかない。
右には石垣の上に山地があるが、そこに路盤がある様子はない。
というか、もう牛馬道の終点を過ぎているのかも知れない。
そうでないとしても、とっくに下の県道と合流していると思う。
牛馬道の本来の終点ははっきり分からないが、市史には「坂の途中」とあった。
下の路面をもう少し進むと、坂道を登り切って峠となり、そこが「谷地田原」という場所だ。
とりあえず、こちら側の探索は終了する。
さて、隧道に帰ってきたぞ。
今のところこれが唯一の遺構らしい遺構だが、洞内から対岸(最初に上った場所)を見ると、そこにははっきりとした路盤の痕跡…堀割…が見通せた。
今度は向こう側を探索してみよう。
また、谷を下りて…上って… よっこいせっと。
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7:48 《現在地》
堀割だー!
と、ちょっとはしゃいでみる。
前も書いたとおり、これは軌道跡ではなく牛馬道跡の可能性が高いのだが、見た目は軌道跡そのものだ。
レールも枕木も無いけれど、雰囲気がそう言っている。
そしてこの小さな浅い堀割の向こうにも、また小さな谷が見えている。
さらにその谷の向こうにも、また小さな堀割だ。
等高線をなぞるが如し線形が、愛おしい。
堀割を抜けると、先ほどよりはすこし大きい谷がある。
道は左にこれを巻いて、浅くなったところで対岸へと続いていたようだが、そこにはまたしても砂防ダムが横たわっており、橋も橋台さえも存在しない。
隧道が残っていたのがむしろ奇跡的で、さすがに橋が架かったまま残っているというのは、期待できないようだ。
なお、左端に見えるのは簡単な石垣だ。
本当に簡単な、取るに足らない空積みの石垣。
一方、目の前の谷の上流に白く横切っているラインは、県道369号のガードレールである。
比高は20m程度だろうか。
前述の通り、県道369号とこの道は無関係ではなく、昭和18年にこっちを廃して建設したトラック道が、向こうである。
軽い既視感を憶えつつ、2つ目の堀割。
先ほどよりは、やっぱり少し大きくて長い。
そして、結構な勾配で上っている。
先の方は右に曲がっていて、その外側は空にひらけている感じがする。
那珂川対岸の高い山肌の一端が見えている。
また、堀割の両側にはたくさんの針葉樹…ヒバかな?…が生えていて、なかなかの森林美だ。
さて、このちょっと素敵な堀割だが、振り返ってみる景色も、やっぱりちょっと素敵だった。
越えてきた2本の谷を真っ直ぐ視線は突き抜けて、
1号隧道 を射抜いていた。
2つ目の堀割を抜けると、そこには小さな貯木場でもあったものか、少し窪んだ20〜30m四方の平場があった。
だが、この場所を最後に、道はよく分からなくなってしまった。
これまでの進路と高度を維持して北に進もうとすると、右のような崖に突き当たってしまい、それ以上は進めなかった。
谷底に見えるのは、板室温泉街である。
この巨大な崖地は、少し上手を並行する県道369号の直下にまで達するもので、牛馬道の路盤が単独で横断し得たとは思えない。
7:59
右図で赤いラインで示したのが、ここまでに確認できた牛馬道跡と思われる路盤である。
最後は広場になっていたが、その先は絶壁で、道があった様子もなかった。
一方、その終点の広場の手前からは、ピンクで示したような道があり、これが速やかに県道369号に繋がっていた。
ただし、これは今までの道よりも幅が広く、おそらくトラックが通る車道である。
地形が緩やか植林地のため、明瞭な痕跡が失われたとも考えられる。
ちょっと玉虫色な決着ではあるが、とりあえず白湯山林道の3本の隧道のうち、1本の状況(限定的現存)が確認できたのは収穫だった。
つづく。
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