白湯山林道(森林軌道) 最終回

公開日 2011. 3.21
探索日 2009.10.30
所在地 栃木県那須塩原市

激闘の闇 第2号隧道 深部




2009/10/30 15:25 

お!

おお!!


なんか、気持ち悪くなくなったぞ?

朽ちた支保工の列が、始めて無くなった。

もしかして、突破したのか?
地質の悪い地帯を、見事に。





おおおーっ!!
キタキターッ!

これは来た!
ありがたき “普通の” 素堀隧道!




これは振り返って撮影。

洞央にもたれかかるような死者の列から、ようやく開放された。

ほんと私は朽ちた支保工が嫌いだ。これがいなくなると思うだけで、ずいぶん嬉しい。 




ここまで入洞から13分経過。
進行した距離だが、おそらく200m以上は来たと思う。
これまでの洞内を模式化したのが右図で、ここに来る直前まではずっと支保工が続いていた。
それがいま初めて途絶えたのである。

全長420mというのは確定しているので、残りは長くて半分くらいか。
ここまでは非常に辛い道中だったので、この先は楽がしたいな…。

もうこれ以上、二重化したリスク(おそらく往復せざるを得ないだろうという予想があった)を、重ねたくない…。




いいぞ、いいぞ。順調だ。

不気味な支保工軍団も完全に居なくなった。
地質が粘土質から岩盤質に変わり、その必要がなくなったのだろう。
地上から何百メートルも隔てられた光の全く届かない地中だと言うことさえ気にならないなら、とても平穏な場所だ。
ゴツゴツした周囲の岩盤は一見崩れてきそうな荒々しさだが、そうではないことは目前に証明されている。

また、始めて冷静に見ることができる洞床の様子にも、注目したい。
この隧道は果たして牛馬道だったのか、レールが敷かれた森林軌道であったのか、はっきりしない位置にある。
だが、この洞内の床の堅そうな部分を見てみても、枕木を敷いていたような凹凸が見られない(待避坑もない気がする)。




そういうことから考えて、おそらくこの隧道は牛馬道であったと判断できる。
ただ、牛馬道と森林軌道で明確な建築限界の違いが規定されていたわけではない(営林署の林鉄でさえ全国的な建築規定が設けられたのは昭和30年代であるし、牛馬道についてはそういうものもなかったと記憶している)のではっきりとは言えないが、見た感じの断面の大きさは、そのまま林鉄としても使えるのではないかと思われた。
牛馬道になったのが予算的な問題であったとすれば、隧道については林鉄としても使える大きさで掘られたとしても、不思議はないだろう。

…いくらか平穏になったとは言え、これまでがこれまでである。
洞内でこんな考察をしたわけではない。あくまで今写真を見直して書いたことだ。
それに、この程度の平穏でさえ、長くは続かなかった。
再び壁の色が目まぐるしく変わり始めたことが、何かの合図だった。




15:27

ぐしゃ…

っと来た。

掘った人が一番そこの崩れやすさを知ってるわけで、ぴったりと崩壊にあわせるように支保工が再開されたわけだが、本来は安堵の助けになったはずの支保工も、今は全くありがたくない。

結局、平穏だった硬岩地帯の通過時間はわずか1分ということで、距離も数十メートルだったと思う。

この隧道、本当に恵まれない。

……ガラガラ…




……ガラガラ…

もう救いようがない。

崩れに次ぐ崩れで、本来の坑道の中心線も不明になっている。

右の壁が落ちていれば、その側に寄って新たな空洞を通行し、左ならその逆となる。




また天井が落ちていれば、その瓦礫の山に登って、朽ちた支保工の列を見下ろすのである。

また、序盤は粘土質の土がドサッと落ちて積もっている感じだったが、今はもっと粒の大きな岩塊が、ごろんと転げている感じ。
どちらが好きとか聞かれれば、前者の方がマシかも。
岩の塊は、乗り越えている最中にもグラグラ動いたりするし、指とかを挟まれたりもしそうで、余計に恐い。




支保工たちは、この崩壊に対して何か少しでも抵抗し得たのだろうか。

土がぽろぽろ落ちてくる程度ならば止めようもあるだろうが、こんなイノシシやクマみたいにデカイ岩がボトボト落ちようとするのを、防げるとは思えない。

現代のトンネル技術なら、こういうところでも地盤改良なんかをしながら安全なトンネルを完成させられるだろうが、ただ掘って終わりという素堀トンネルの限界だろう。
木の支保工は、気休めだ。

むしろ、ここまで酷く崩れているのにも関わらず、一向に私を納得させる閉塞が現れないことに、悪意さえ感じ始めていた。




読者さまにおかれましては、同じような光景がモニター越しに続いておりますが、省略はしません。

絶対にせんぞ!!


…長いんだよ。

普通、ここまで劣悪な隧道なら、洞内に潜り込めただけでもラッキー(?)で、中はせいぜい50mも行かないで閉塞終了というのがオチだった。
そもそも、こんなに劣悪な隧道が、こんなに長く掘り抜かれていたということだけでも、驚きなのである。




昭和6年までに事業者が破産するほど苦労して掘り抜いた隧道であるが、昭和18年に別会社が自動車道へ改良する際には、1号隧道と共に真っ先に放棄された。

1号隧道の放棄は、隧道自体の問題というより前後の取り付きに問題があったと思えるのだが、こちらは線形面で明らかに恵まれた隧道を捨て、それを回避する大迂回ルートを取っているのだ。(現在ある深山隧道は昭和44年の開通)

つまりこの隧道は、長めに見積もっても12年間しか使われていないことになる。…大失敗作だったんだろうな…。

→ 画像は再びフラッシュを切っての撮影。
前回「きもちわるい」と不興を買ったので、懲りずにまた公開。
あえてこういう撮影もしている自分を、ナデナデしてあげたいお。
つうか、完全な消灯撮影もしてます(当然何も写ってなかった)。




15:31 入洞から17分経過。

ここで懲りずに、またキター!

いい加減300mくらいは来てくれていると思うんだが、まだ坑道は続く。
何度か消灯して確認してみたが、出口の光も見えない。

しかし、二度目の平穏が私を包んでいた。


生者を拒絶するような、沈黙の平穏が。




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洞床には、浅く砂が堆積していた。
今はひけているが、水に満たされていたような痕跡もある。
洞内の勾配の状況は分からないものの、地下水の多寡によっては、浅く水没することがあるのかもしれない。

また、砂の表面に小さな凹みがたくさん見えるのは、かつて“隧道ネコ”なるUMAの存在を疑ったものだが(肉球型の凹みになっている)、実際は天井から滴る水が穿ったものなのだろう。
この隧道の禍々しさは野生にも訴える本物らしく、UMAはおろか1匹のコウモリさえ見なかった。
またこんな状況でありながら、無意識のうちに人の足跡を探していた自分が、可笑しかった。




壁。

地球の、私には生々しいとしか感じられない、肉の壁。

機械は使ったにせよ、人が削った表面であるはずだが、そういう方面の温もりは、微塵も感じられない。
生々しいという表現と矛盾するようだが、間違ったことを書いてはいないつもり。

ただ、この壁からは隧道を崩そうとする意志は感じられない。
背負ってしまった300mくらいの獄門は恐怖の対象だが、この壁だけならば信頼できると思った。




これは、なんだったんだろう。

支保工やその付属品を除けば、洞内で見たただひとつの人工物である。

なにか薄い布のような、繊維質のものの残骸に見えるのだが、壁の岩の出っぱりに掛けられたような形で、10cm四方くらいが残っていた。

これまで隧道内でこういうものを見たことはなく、正体不明である。




むわッ!

ちょっと予想外のタイミングで、突然来た。

支保工が現れないまま、これまで最大規模の崩壊斜面が突然出現。

やばいぞ、やばいぞ、やばいぞ、なんだかんだいって、終わるかも知れないと思うと、ドキドキするぞ。







15:33

入洞からちょうど20分。

今まで頑張ってきたけど、今度こそ終了です。


坑道の奥から吐き出されてきた膨大な吐瀉物は、天井部までギチギチに詰まっていた。




↑ この通り!

風もなければ、光も無し。消灯にて確認。




実は心底ホッとしたよ。この瞬間に。

これで、心置きなく生還できると。あとは帰るだけだと。

もう、これ以上の恐怖を味わうことはない。




最後に、もう一度振り返る。

結局ミラクルなんてものはなかった。入洞前か、遅くとも入洞10秒で感じた気配が、すべて現実だったのだ。

悔しいとは思わなかった。
予想通りだったので。
いま知りたいのは、ただひとつのこと。

この壁が、どこなのかということ。

そして、その答えに繋がり得る手がかりがあった。
閉塞壁の瓦礫に混入した、大量の木片だ。
地上に近い土砂が流入しているのだとしたら、ここは西口に相当近いということだ。
またこれが人工的に積み上げた残土だとしたら、この向こう側に何らかの人工物がある期待が持てる。(具体的にいうと、現県道法面など)

正解がどちらかは分からないが、どちらかは正解だと思っている。




15:34 撤収開始。





15:46 入洞地点に復帰。

帰りはノンストップでガシガシ帰ってきたが、それでも13分かかった。
もし時速1km/hなら約220m、時速2km/hならば約440m歩いたと考えられる。

ムハッ ムハッ ムハーッ

ハァハァハァ…  むおーッ!




15:56 生還!

前回書いたとおり、脱出に手間取ったので、ここで10分かかった。

クソバカだ。

全身、余りに汚れすぎた。

この後で輪行する予定もあるのにどうしようかと思ったが、その辺は強引にフォローした(沢水で洗ったわい…苦笑)。

マジ魔窟だった。 もう入らんよ!この穴には。





オマケ程度に… 西口坑門擬定地?



これは別の機会に撮影しておいた、2号隧道の西口が期待される付近の画像。

もっともこの位置は、旧版地形図と現在の地形図の比較および等高線から推定されたものであり、確定ではない。

また、改めて地図上から距離を測定すると、位置が確定している東口とこの深山隧道の西口は、360m程度しか離れていないことも判明。

420mの直線を引くとなると、西口は右図上のピンクの円の辺りになり、左写真にピンクで示した擁壁に埋め戻されたという可能性が強く疑われる。

しかしそうではない可能性もあるので、再訪したら右側の山林をもう一度チェックしたい。(仮に坑門の残骸があっても、高さ的に開口は期待できないと思うが…)



お疲れ様でした。 俺。