廃線レポート 白砂川森林鉄道 第1回

公開日 2023.11.13
探索日 2021.05.15
所在地 群馬県中之条町

 はじまりの関門


2021/5/15 4:07 《現在地》

翌朝は、朝と言えるかも微妙な午前3時に車中で起床し、それから車を動かした。そして向かった場所が、この写真の橋だった。昨日の偵察で登場した橋の名前によく似ているが、こちらは白砂川大橋という。
初めて来る場所で、予備知識は全くない。でも、途中の長い山道が封鎖されておらず、マイカーで乗り付けられたのは朗報であった。

橋の下を流れているのは、橋名通りの白砂川だ。
轟轟という大きな水の音が谷に響き渡っている。谷を渡る風にもしっとりと水気が含まれている。昨日は青い静かな湖面しか見せなかったこの川の本当の姿を、私は闇の中に音だけで察した。

……この川を遡ってくる林鉄は、きっと険しい道のりだろうな……予感した。




暗いうちにここへ来た理由は一つ。

自転車のデポだ。

車から降ろした相棒(自転車)を、橋の左岸の袂に隣接する広場に立つ保安林看板に立て掛けた。そして、無事ここへ歩き辿り着けることを、我が身の振り方次第と分かっていても、願った。
このとき、自転車に掛けるチェーンキーを持ってくるのを忘れたことに気付いたが、まあ今日中に回収できるはずの計画だ。大丈夫だろう。(私は、盗まれることよりも、不法投棄物と思われて処分されることを恐れている。過去に痛い目に遭ったことが2度もある)




早朝に自転車をデポした場所(現在地)は、ここである。(→)

昨夕の偵察現場であり、初めてこの林鉄跡を確認できた引沼の「バーデ六合」近くから、地理院地図には全く川沿いの道が描かれていない白砂川を6〜7km遡った所に架かるのが、この白砂川大橋だ。

これは国道405号から町道万沢線という林道同然の道を約4.5km進んだ位置で白砂川を横断する橋で、この川に架かる最上流の道路橋である。そして、国道405号の白砂大橋からこの白砂川大橋までは、川沿いの道も、川を渡る橋も地図には描かれていない。

引沼起点から最長9.2kmに達した林鉄だ。この辺りまでは、ほぼ確実に到達していると思う。
ゆえに、これから引沼側から軌道跡の探索を行う私が到達すべき“脱出点”として、ここに自転車をデポしたのだ。

このデポ計画は、いろいろ選べる中からの選択ではなく、ここ以外考えられなかった。それくらい、この川沿いに車で近づける道が少ない。
事前に想定できるエスケープルートが少ない(皆無に近い…)ことは、今回の探索の大きな不安材料だと考えていた。
歩き出したら、ここまで辿り着くか、引き返してスタート地点へ戻るかのどちらかにしか、生還の道筋が見えない…。



4:48 《現在地》

自転車デポから約40分後、今度は引沼の「バーデ六合」近くの昨日見つけた“広場”へ車を乗り付けた。
広場の隅っこに車を駐めて、探索の装備を調える。

世界も明るくなってきた。もう日の出の時刻だが、あいにくどんよりと湿気った空だ。天気予報は曇り予報で、ところにより一時雨。降ったとしても強い雨はなさそうだ。信じよう。正直、川沿いの林鉄探索にはベストではない予報だったが、自宅からの遠さやヤブの生育具合を考えると、あまり贅沢も言えない。探索の内容としては、出発から6時間程度で6〜7km上流の白砂川大橋にデポした自転車に到達出来る見込みを持っていた。

まだ薄暗いなか、出発する。

4:48 探索開始!



4:50

勝手知ったる動きで、最速最短で軌道跡へタッチ。
ここを最短化できたことが、昨日の慌ただしい偵察の最大にして最高の成果である。もし偵察無しなら、昨日の行程を今日の最初にやる必要があった。自転車デポ作業を含めて、心穏やかではなかっただろう。

なお、この地点は本林鉄の起点ではない。起点側になお1km前後の距離があると思うが、これについても後で時間を作って探索する予定だ。とりあえず、どれだけ時間がかかるか読みにくい奥地方向の探索を優先して先に行うのである。

ずっと曇っているせいか、朝露による結露が見られないのはラッキーだ。朝の探索を濡れずに過ごせるかも知れない。




1.5車線の坂道を登りながら、右と左を交互に何度も観察した。
道から左を見下ろすと、白く光を反射させる水面が20mほど下に静まりかえっている。道と水面の間は樹木が茂る斜面で、軌道跡らしい平場は見えない。

チェンジ後の画像は、道から右の斜面を見上げている。
私の想像だと、この視界の中を軌道跡が横断していると思うのだが、とりあえず明瞭なラインは見えない。地形的にはあっても良さそうだが、笹が生い茂っていて、遠目には軌道跡のような微地形は隠されてしまっているかもしれない。




4:54 《現在地》

数分後、昨日の偵察で見つけた看板に着いた。
今日はよろしくと声を掛ける。出来ればこいつの背中を見ることなく探索を完遂させたい。

改めて軌道跡の状況を確認するが、道幅はおおよそ2.5m。軌道跡としては標準的だろう。路上にレールや枕木など、軌道に由来する直接的な遺構は見当らない。国有林森林鉄道の例に漏れず、廃止時にしっかり撤去を行ったようである。

この林鉄の廃止時期は、区間によって相当に差があるが、昭和24年から32年(おそらくこの区間は昭和32年廃止区間に含まれる)と全国的に見てもやや早く、撤去したレールを他の林鉄へ転用し易い時期だったから、撤去には万全が期されたと想像される。
廃止が早い林鉄は、荒廃した年月が長いというだけでなく、レール現存の期待度が大幅に下がる傾向があるというのも、探索者にとってはネガティブな要素である。



4:55 

そしてさらに1分後、昨日の引き返し地点に到達。

荒れている。

もうこの時点で、通常の道でないことは明らかだ。地形図に破線さえ描かれていない道は、間違いなく廃道だったのだ。それも初っ端からこれというのは、本当に先が思いやられる気持ちがした。先人の踏み跡が見えないのである。獣の道さえ察知できない。

地図になくても山仕事や山菜採り、渓流釣りなどで多く人が出入りしている山道では、分かり易い難所に怪しい存置ロープがあったり、最低限の道標としてピンクテープがあったりするもの。だが、この道に入って最初の分かり易い難所にそれらがないことは、この道が本当に“知られざる軌道跡”だったのではないかという、好悪両面の感想を私にもたらした。



もちろん、進めない難所ではないので前進する。

地形図でもここは、崖の記号が川べりに櫛比している、分かり易い難所だった。
それゆえに、もしかしたら隧道があるやもという期待もしていたが、いまのところない。

軌道跡があるのは川べりの崖の中腹で、水面から40mくらい高いところだ。
見下ろす青い湖面は空とぶ鳥の視界のようで、足元の崖の切り立ち方が分かって恐ろしい。
軌道跡を埋め尽くした赤土の崩土斜面からうっかり滑り落ちたら、この崖にボッシュートで人生エンドはほぼ確実。土を踏みしめる両足に神経を集中し行動した。出発から10分でいきなり命のやり取りを強要とか、今日の廃のミッションは厳しそう。

チェンジ後の画像は、最初の崩土斜面を振り返って撮影。
大した傾斜ではないが、踏み跡がまったくないのと、斜面全体が良く締まっていて爪先があまり刺さらず意外に怖い。怖いというのは危険と言うこと。最速この時点で、人にはおススメしにくい軌道跡となった感が。




そして、行く手もまだまだ険しい様子。

同じような気の抜けない崩土斜面が、当分続く様子である。

この軌道跡を発見する重要な手掛かりとなった森林計画図だと、
ここに森林管理用の歩道があることになっていたが、例によって、
それが現在も整備され、利用されているかは別の問題だということが、
今回も明るみに出てしまったな。(こういうことはよくあることだ)



5:00 《現在地》

ゆっくりとしたペースで着実に連続崩土斜面地帯を前進していく。
大きな岩場の岬を回り込む行程が続いており、先はあまり見通せないが、ここでやっと一息付けそうな平らな場所があった。
岩場を削って作った小さな切通しが崩れずに残っていた。

体力的にはまだなんの心配もないが、一旦心を休める小休止としよう。




休んだ場所から足元を覗き込むと、青い湖面はもう終わり、白っぽい川原の石が見えるようになっていた。相変わらず落差は大きいものの、湖面が途切れたことは、私にとっては良い情報。軌道跡が通れない場合に川べりに迂回する展開はあるだろうからな。川らしい瀬音も聞こえている。ただ、デポ地のような暴力的な音ではない。

また、写真には桟橋の残骸を思わせる太い木の柱が、路肩の土中から中空に伸びているのが見えるが、工作物であるかは不明だ。廃止時期を考えると容易に原型を止めた木橋があるとは思えないが、この程度ならば残っていても不思議はない。




5:03

再出発直後、これまででは最も急な土斜面を横断した。
写真は振り返って撮影。前述した“木柱”も右に見えている。
確かに桟橋があったっぽい位置だと思う。

この後も数分間、全く気の抜けない土砂面横断タイムが続いたが…。



5:06 《現在地》

無事、最初の関門を越えたようだ。

そして同時に、嬉しい石垣の発見も!

軌道跡で石垣は地味な存在だが、こういうしっかりした土木構造物の存在が、
確かにそこが“車道”であった証しを与えてくれる。まちがいなく、ここが軌道跡だ!
実を結んだ。僅かなデータの羅列から、廃の実景を探し求めた私の探求が。




見上げた斜面から、険しい岩場が退場し、代わりに新緑の森が広がった。
人工物の気配は全くないが、どこまでも登って行けそうな気分が頼もしい。
まあ、地形図を見る限り、この上にも崖の記号が並んでいるが。




一方、石垣越しに見る眼下には、清楚を絵に描いたような静かな渓谷が見えた。
小さな湖面のあるせいで、この辺りに入渓するのは手間であろう。橋に近い上流以上に知られざる渓やも知れぬと、静かな眺めに独り満悦。



そしてこれが軌道跡から見通す、この道の行く先、白砂川の上流の眺めだ。

その名の通りの白い河原が、新緑の森を透かしてよく見えた。
最初の難所を越えてこの先、見える範囲に地形の破綻は無さそうだ。
だが、地形図曰く、300mほど上流から先は再び崖の記号に左岸は埋まる。



5:14

いつも以上に、先が読めない、

完全未知の軌道跡。

その酸いも甘いも、いまはすべてが、私の独占物my Exclusive


特等席で、堪能しよう……。




 奥地への門戸


2021/5/15 5:19

湖を見下ろす最初の難関地帯は越えたと思ったが、全く油断は出来ない。
かなり大掛りな土の斜面が行く手を阻んだ。
火山灰質なのかもしれないが、この赤っぽい土の斜面が至るところにあり、しかも良く崩れている。

土の斜面というと、同じくらいの斜度の岩の斜面よりはなんとなく優しげに見えるものの、安全と言えるかは微妙なところだ。少なくとも、私がミスって滑り落ちた回数は、明らかに土斜面の方が多い。




万が一ここでミスって滑り落ちたら、途中の岩場で“なます”にされかねないので、慎重を期して崩壊地の上を大きく巻き越えた。これに約4分間を費やした。

いまはまだまだ体力にも時間にも余裕があるので、躊躇わずに安全最優先の判断が出来るが、疲れてくると体力優先の選択をしたくなってくるんだよな…。まあ、時にはそれも必要なことだと思うけど。




それからまた少し進むと、前方に再び谷の気配。
今度も切れ落ちた斜面に、道は敢えなく寸断されているご様子。

……ん?


5:26 《現在地》

橋梁跡!

寸断箇所にて、これまた石垣に続いて林鉄跡定番の遺構である、橋跡の橋台だ。
残念ながら桁は架かってはいない。それどころか、桁(木材に違いない)は残骸さえ残っていなかった。
廃止時期が早い林鉄でこれはやむを得ないところ。鉄橋とかコンクリート橋なら期待も出来るが、木橋はさすがにな。

とはいえ、自然石材を積んだ橋台が良い具合に苔生していて、遺跡然とした美しさがあった。
使っている石は不定型な現地採集石のようだが、概ね六角形に切り出されており、それらが丁寧に隙間なく積み上げられているのは、職人の技の確かさを思わせた。まるで城壁の亀甲積みのよう。目地にモルタルを充填して強度を高める工夫もされている。そのうえツラはとても平らに揃えられていて、全体に極めて緻密な仕事ぶりを感じさせる逸品だ。

間違いなくここに林鉄があったんだなぁ……(しみじみ)。


5:27

(→)橋跡を越えて、ゆったり幅の路盤を前進中。
川の音は微かに聞こえるが、40mの大きな落差があるので、常に見下ろせるわけではない。

経験上、川に近づくほど軌道跡は荒れるので、このくらいの高さをキープして貰った方がありがたい。
もっとも、川沿いの林鉄の大半は、上流へ向かうほど増す河川勾配によって谷に追い上げられ、最後は水際で終点となる訳だが…。この林鉄については、今のところ終点の位置や状況はまるで分からないからな。




この辺りの路上からは、対岸の山がよく見えた。
一見すると一面ただの山のようだが、よく見ると白いガードレールの九十九折りや段畑の若草色が集まっている一角がある。

そこには白砂川沿いでは最奥の集落である和光原がある。見ての通り、川からはとても高い南向きの斜面(谷底との比高は約100〜150mの範囲)にあり、決して低くはない軌道跡からでも見上げる高みである。
今朝、自転車のデポのために、車であそこを走っている。国道が通じている。

そして実は、自転車をデポした白砂川大橋と和光原は、ほぼ同じ標高である。
つまり、あと6kmほど川を遡る間に、あの高度まで川も、そしておそらくは軌道跡も、登っていくということだ。




5:33 《現在地》

おおっ! なかなかの切り通しだ!

GPSですぐさま現在地を確かめると、軌道跡へ入った最初のところから約700m進んだ尾根の上だった。この前進に要した時間は約40分。決して速いペースではないが、一応、時速1kmという私が目安にしている林鉄の探索ペースは保っている。序盤が大荒れだったことと、そうでない場所も踏み跡がないため総じて歩きづらいので、ペースは上がりにくい。

そして、地形図を見る限り、この先はまた白砂川の左岸に崖の記号がずっと連なって描かれている。
その“地図風景”を見る限り、序盤のようなキツイ展開も想像されるが、果たして……。



5:37 

いや、むしろ逆に、軌道跡を取り巻く地形はとても緩やかなものに変化した。

前方、小沢を中央に置いた袋状の平坦地が広がっている。
軌道跡もそこへ入り込んでいくが、地形の起伏がなさ過ぎて、どこが軌道跡か分かりづらい。築堤とか作らなかったのか?

なお、この辺りの地形が私の予想に反して緩やかなのは地形図の誤記ではなく、白砂川の川べりが崖の地形で、その上に緩斜面が広がっているという状況があり、軌道跡は緩斜面側に入り込んでいるためだ。これは助かる。




5:38 《現在地》

う〜〜ん……?

この小川を軌道も渡っていたはずだが、橋台らしいものも、築堤も、全く判別出来ない。
茫洋とした浅い笹原に、道の気配を見いだせない。
軌道跡をロストしてしまった。

おそらく谷の規模的に、橋ではなく、簡単な土堤にヒューム管でも通して通過していたのだろう。
あまり拘っても仕方がないので、適当に小川を超えて先へ進むと……



好き! メッチャ好き!

地表に現れ出た等高線のような、滑らかカーブ。

レールも枕木も残ってないけど、トロッコの姿を容易に想像できる。

……けど、そういえばこの路線の運材方法については、今のところ情報がない。
機関車が入って運材列車を走らせていたか、機関車で台車を運び上げて下山は
単車で行う乗り下げ運材だったか、はたまた畜力や人力で全てを完結させる
手押し軌道だったか、いずれであろうか。情報が欲しいところだ。



5:03

小沢を渡り、次の小沢との境をなす小さな尾根を回り込む場面。
ここもゆったりとした風景だ。ゆる軌道だ。

ここまでの沿線風景にも、他にはあまりない特徴を感じる。
それは、ここまでスギの人工林が全く見られないことだ。原生林(太古から手付かずの森)ではなく自然林(伐採後自然に更新されている森)だと思うが、広葉樹の森がずっと広がっていて、これが風景を多彩にしている。季節に天気に樹木の枝振りにと、人工林の退屈がほとんどない。樹冠が高く地上にあまり日が注がないのか、下草の繁茂も全体に穏やかで見通しが良いことも大変な美点だ。

ひとことで言えば、歩いていてとても楽しい軌道跡である。
そのうえ、先の展開が読めないのだから、探索者冥利に尽きる大冒険だ。テンション上がる!




来た道を振り返り気味に、川との位置関係を撮影した。

明るく広い渓谷を高みから見下ろしている。
地形図に描かれている、恐ろしげな崖記号の櫛比する姿は、上からだと窺い知れない。足元の斜面を降りていけば、最後は崖に突き当たるというのか。まあ、必要がなければ近づくことはないし、それに越したことはない。寝た子は起こすなだ。

なお、地形図だと対岸の低い所に白砂大橋の右岸から始まる「軽車道」が描かれていて、もう少し上流で行き止まりになっているが、この道は入口から東京電力の【専用道路】で立入禁止のうえ、「この先、山の崩落が激しく、川に転落する危険があるため、釣り等での立入はご遠慮ください。許可なく、立ち入った場合は、各種法令に基づき処罰の対象となります。また、発見した場合は警察に通報いたします。」と、過去に重大事故があった気配濃厚の強面な【警告】が掲げられている。幸い、軌道跡にこの警告はない。



5:49 《現在地》

軌道跡進入からおおよそ1km地点に到達。
ここもまた広い袋地で、中央を小川が流れている。背の低いササが一面を覆っているが視界は広く通る。

軌道跡は浅い掘り割りで小川に差し掛かるが、その直前に右方向の分岐があり、分れた道は右の山手へ登っていくようだった。
もっとも、その道は明らかに軌道の勾配ではなく、山仕事のために作られた歩道のように見えた。行先も分からないが、地形図にはここから100mほど高い山腹に1本の徒歩道があり、おそらくかつて「葦谷地」と呼ばれていた土地に通じている。これは事前調査で軌道の通り道として登場した地名である。地形図の徒歩道の正体は古くからの山仕事道と思われ、地形図にないこの分かれ道もその関連ではないかと思った。




小川を渡る地点に橋はなかったが、代わりにヒューム管を埋め込んだ築堤があった。
既に半ば崩壊し、割れたヒューム管の残骸が谷に転がっていた。




しばらく緩やかな展開が続いていたが、再び険しさの足音が忍び寄ってくるのを、行く手の景色に感じ取った。
土っぽい谷が、路盤を断絶している。
架かってはいないが、橋があったっぽい。本日2本目の橋跡か。



5:56

うん! 2本目の橋跡だ!

土の斜面に取り囲まれた小谷を渡る橋で、矢印の位置に両岸の橋台があるが、対岸のそれは土砂面に埋れかけていて、渡った先の路盤も斜面の一部に内包されている。

ここは前の橋より少し長く、単径間の木橋だったと思うが、かなりの長材かつ大径材を要しただろう。方杖型式を選ぶ手もあるが、それには橋下の空間がやや狭い印象だ。
どちらにしても、桁は全く残ってない。
橋台の構造も前の橋と全く同じである。

チェンジ後の画像は、橋跡を巻く最中に谷を見下ろして撮影した。
すり鉢のような形をした谷であり、引きずり込まれそうな威圧感があった。極力お近づきになりたくないな、この険しさは…。



5:59

続いて現れたのは、橋台と同じ積み方をした高い石垣。手前側は崩壊しているが、奥の部分は良く形を留めている。地味だが、いぶし銀の遺構だ。
国有林森林鉄道の建設といえば、いかに人目に付きづらい山奥で行われがちであったとしても、国の土木事業の一環をなすものであり、技術者の人材も全国に通じていて、凡百の田舎道とは一線を画す技術力で行われることが多かった。それが難地形での難工事となればなおのことだ。




6:03

続々出現! 3本目の橋跡である!

そして、前の橋よりもさらに大きな橋であった様子。
残されているのは相変わらず遺跡然とした苔生した両岸の石橋台だけであるが、こちら岸は橋台の脇に幹回り3mはあろうかという巨木が生えていて、この写真のアングルだと対岸の橋台をほぼ隠してしまっている。此岸の橋台は、巨木の根張りを潜在的な支柱として築設されていそう。




6:06

3本目の橋跡も土斜面をトラバースして突破。写真振り返って撮影。
相変わらず先行者の気配は全くない。よほど知られていなかった路線と思え、探索者冥利に尽きる。

なお、白砂川という渓流自体は、決してマイナーではないと思う。
特に三国山脈に突き上げる源流部については、谷の奥深さと景観の雄大その両面から、沢登りの古典的探検地としてかなりの人気を集めたらしく、その攻略の歴史が地元の『六合村誌』にわざわざ項目を立てて詳述されるほどだ。

だが、その入渓の起点はもっと上流の私が今回自転車をデポしている白砂川大橋のあたりであった。それより下流を沢歩きの対象として紹介した文献を見たことはなく、この林鉄は、たまたま人々の興味の対象のエアポケットにはまり込むようになって意識されづらかった可能性がある。確かに川沿いに現役の軌道がある場所をわざわざ探検したいとは、多くの冒険家は考えないだろう。




6:09 《現在地》

おおっ?!



実はこの先、探索前の森林計画図(↑)でのルート検討の時点で、気になっていた部分だ。

見ての通り、道が尾根を大きくショートカットして越えており、隧道があっても不思議じゃない線形だ。

森林計画図に、隧道は描かれていないが……、果たして……!??




おっ!?





6:11

おおーー!!!

隧道じゃなかったけど、メッチャかっけえ!

深いなー。この掘り割り! 

おそらく本来なら隧道にした方が工事量が少なく済みそうな深さだが、
見ての通り、脆い土の地質のために隧道が適応しにくかったのだと思う。
両側土砂面の安息角に落ち着いた高い斜面と、石垣の土留めが、それを窺わせる。

しかし、緩やかなカーブを描く深い掘り割りは、いかにも鉄道のそれだ。
次なるステージへの期待感を、否が応でも昂ぶらせるシーンであり、
出発から約1時間20分が経過した、これより奥地の門戸という気配がある。

ここで一度目の大休止とする。