廃線レポート 白砂川森林鉄道 第2回

公開日 2023.11.17
探索日 2021.05.15
所在地 群馬県中之条町

 そのとき私に悪寒が走った!


2021/5/15 6:11〜6:22 (休憩) 《現在地》

スタートから約1.4kmの地点に待ち受けていた、切り通しとしては不合理と思えるほどに深く掘られた大掘割。
地盤条件が悪く隧道を選べなかったと推測される広い崖錐斜面の底に、石垣に護られた狭い路盤があった。

ここは、本林鉄の遺構としてはこれまでで最大の発見であると同時に、
爽やかな谷風が吹き抜ける切り通しは単純に居心地が良く、
薄暗い時分の歩き出しからほぼ1時間半近く行動を続けた疲れもあり、
本日最初の長めの休憩を採って、朝飯代わりのコンビニパンをかじった。



休憩しながら、辺りを観察。
大掘割の出口からは、僅かに白砂川の上流を見通すことが出来たが、
少し前に見た時と比べて水面との落差が大幅に減っているように見えた。

地形図にはこのすぐ下流に大きな2段の堰堤(砂防ダムか)が描かれており、
その高さの分だけ、河床が一気に上がってきたのである。
またそのせいで谷底は広大な砂利河原と化していた。



約10分の休憩を終え出発する。最後に大堀割の出口を振り返って撮影した。

こちら側から見ても、盛大な深さとダイナミックな線形は、とても魅力的だ。
白砂川を大きく蛇行迂回させている険しい尾根は、痩せ馬の背のように頂上部分が
骨張った岩尾根になっており、ここが奥地への門戸であるという隔絶のイメージを演出していた。



6:26

おおっ! 綺麗なカーブの石垣だ!

歩行を再開してから僅か100mばかり進むと、今度は山側の法面を抑える美しいアールを描く石垣が現れた。
これまでの橋台で見た石垣とは異なる形状の石材を用いており、積み方もだいぶ違う。
四角形の石を使うことが多い谷積みを、米粒型の丸石で行っている。ジグザグの目地がリズミカルで面白い。
また、目地をモルタルで埋めること(=練積み)も行われておらず、素朴な空積みになっている。



6:31 《現在地》

いままでで一番大きな橋の跡!

土の斜面に深く切れ込んだ枝谷を渡る橋だが、これまでの4箇所の橋跡では最も規模が大きい。
その証拠に、(チェンジ後の画像)対岸の橋台に径間を拡大するための“特殊な構造”が残されていた。(此岸の橋台も同様の構造があったはずだが、崩壊して確認できない)

ここに見えるような橋台前面の構造は、架けられていた桁の型式が方杖桁か上路木造トラスであったことを物語っている。
残念ながら、そのどちらであったかを判断できる材料はないが、もし後者であったとすればより貴重で、仮に現存していたら旧落合橋に次ぐ発見となった。

橋台もこれまでの橋と同様の構造だが、目地を埋めるモルタルの量が多いのか、目地の部分が白く目立っている。巨大な桁を支えるために、それだけ強度が必要だったということだろう。

本橋は、方杖ないしは上路木造トラス桁を用いることで、単径間で大きな谷を渡っていた大型木造橋であり、このような大掛りな橋を設けても採算を見込める大規模な事業計画を持っていたことが窺える。



橋の向こうの路盤にも、法面を支える長い石垣の列が見えた。
ここに来て、大掛りな石造の遺構が矢継ぎ早に続出している。
これはいよいよ、探索の成果という面で“お宝林鉄”である匂いがしてきた!

距離のうえではまだ中盤にも入っていないが、この先も複雑な地形が予想されており、それらをどう克服していくのか、全く情報がないだけに、楽しみで仕方がない。
先ほどは果たせなかった隧道の出現も、まだまだ可能性があると思っているぞ。




6:35

見えていた石垣の前にやって来た。
傍らに見える広い河原が、これらの石垣の材料の供給源だろうか。
白い河原に、白い石垣、共通している。

とても順調だった。




6:36 《現在地》

危ないあぶない!

路盤のすぐ直下に川が迫り、その影響か、大規模な崩壊が起きていた。

崩壊は路盤のほんの2mくらい下まで迫っており、そのうえ拡大の兆候を示している。

保修される可能性はないので、遠からず路盤を切断してしまうことだろう……が、

でも、今日はまだ通れた!



が!

直後、前方に悪寒を感知!!!




ぎゃーーー!涙

抉れっちまってる!山が!

崩れたのは最近ではないらしく、樹木が育っているので分かりにくいが、

尋常ではない斜度の崩壊斜面だ。ちょっと通過出来るイメージが持てない規模だ!



少し引いて斜面の全体を見てみると、

ここは巨大な地滑り地形らしいと分かる。

山肌が大きく凹んでいて、前後の斜面と不連続になっていた。
その不連続の部分が特に険しく切れ落ちていて、ほぼ崖になっている。
そのため、ここを横断していた軌道跡は、全く行方不明になっている。

そして、凹んだような地形の範囲は驚くほど広く、おそらく奥行き100mはある。
そのうえ、高巻きも容易ではないほど上まで影響が及んでいるように見えた。



そしてこの巨大な崩壊地は、おそらく地形図にも表現されている。
この先、川沿いに描かれた崖の記号がひときわ深く陸に入り込んでおり、
上部の等高線も密で、典型的な通過困難を予感させる地図風景となっている。

ここは、横断困難な致命的崩壊地かもしれない。

正直、軌道跡が切断された狭い先端部から見える視覚情報は不十分で、
次の行動を選択するには、見えにくい部分について、想像して補う必要があった。
なまじ崩壊から時間が経って緑化が進んでいることが、私に不利に働いた。

だが、見えない部分を補足してくれる地図風景は、極めて悪い。
そのため、ここを正面から横断することは困難で、仮に成功するにしても時間を要し、
最悪、大変苦労したうえに結局越えられず引き返す羽目になるかもしれなかった。



6:40

迂回を決断!

直前に見下ろした崩壊地(これも巨大地滑りの連鎖かも知れない)を上手く利用し、
河床へ一旦下りて迂回することを決断した。高巻きよりは高低差が少なく済みそう。

だが、改めて見下ろしてみると、この崩壊地も気楽に下りられるようなものではない。
下が河原でとても広いので、高さが縮小して見えるかも知れないが、実に30mはある。
仮にマンションやビルの階数に換算すれば、7階〜9階の高さから降りようとしている。
崩壊に巻き込まれて下の方に倒れている木々は、いずれも生長した高い木だ。
それと比較すれば、この斜面の高さや広さが感じられると思う。



出来るだけ傾斜が緩そうな部分を慎重に見定めながら、下降した。
不安定な岩石が散らばっているのが崩壊斜面なので、大きな岩でも踏めば動くことがある。
そのことも念頭に、出来るだけ重心を低くして、尻餅上等で下って行った。

そして7割ほど下ったところで撮影したのがチェンジ後の画像だ。
この崩壊地を下降ルートに選んだことが正解だったと分かる眺めだ。

というのも、崩れる前の川岸は、見ての通りの高い垂直の岩壁になっていて、
これはとても下ることは出来なかった。経験上、そんな予感がしたから、
敢えて崩壊地を下降ルートに選んだのだ。ガレ場は、時に通路として有用である。



6:45 《現在地》

下降成功!

約5分を費やして、下降という、迂回の最も難しい第一段階を終えた。

次は、崩壊地の先まで眼前の河原を前進する第二段階だが、
これは楽そうだ。下流の砂防ダムの影響で一帯は広い砂利河原になっていて、
障害物がとても少ないので、どこへでも自由に歩いて行けるだろう。当分は。



6:48

あー、迂回を選んで正解だった。

この写真は、崩壊地の全貌を確認するために、
敢えて遠回りして岸から離れた河芯の辺りから左岸を見たのだが、
この通り、巨大な地滑り地形の中央付近には、より険しい核心的な崩壊斜面があり、
そこだけは間違いなく正面突破出来なかったと思う。

私が引き返した位置からも、この茶色が微かに見えたが、
色だけでどういう地形かは分からなかった。でも嫌な予感がしたのだ。
嫌な予感を信じて行動して、正解だった。



6:55 《現在地》

河床へ下りたって10分後、約200m近く上流へ進んだ。
川の水はほとんど伏流しているようで、地表に見える川には流れが感じられない。
だが、天然の濾過装置に晒されている水は清澄で、怖いほど青みがかっていた。
視界は開けているが、360度どこを見ても一切の人工物はない。深い孤独を感じた。

このまま河床を歩けば、当分は楽に林鉄の終点まで距離を詰めて行けそうだが、
私の最大の目的は“軌道跡歩き”であるから、そろそろ軌道跡に戻る第三段階の行程へ移ろう。
ちょうどあの辺り(チェンジ後の画像)の斜面が少しだけ緩やかそうなので、そこを上がろう。



キチーー!

出来るだけ緩やかそうな場所を選んだつもりだが、それでもこの傾斜だ。
根本的に急傾斜で、しかも足掛かりや手掛かりになる凹凸が少ない見通しの良すぎる斜面。
軌道跡があるだろう高さは、河床から約30m上方だ。それだけ登るのは、なかなか大変だった。

が、



7:00 《現在地》

20分ぶりに、軌道跡へ復帰!

写真は、崩壊地を上流側から振り返って撮影した。

この崩壊がいつ発生したのか分からないが、仮に軌道の現役時代であったとしたら、
その命運を断ちかねない規模であった。復旧のためには、かなり大掛りな工事を要するはず。

ここまでが順調だっただけに、唐突に路盤から振り落とされて
長い迂回を余儀なくされた展開には少し驚いたが、無事突破出来たので――



さらなる成果を求めて、

前進継続!



 無人の山間平地、葦谷地


2021/5/15 7:03

出発からおおよそ2時間10分が経過した現時点で、軌道跡を2.4kmほど踏破した。
もっとも、直前に約200m連続する大きな欠壊地があり、そこは谷底へ迂回している。他にも難所の高巻きなどで余分に歩いた距離が少しある。
しかしともかく、まずまずのペースで最初の2時間を着実に前進することが出来た。

そうして辿り着いた現在地は、最新の地理院地図(→)はおろか、歴代の全ての地形図に、地名も、人家も、なんら人工の物は描かれていない”透明な場所”だ。
だが、おそらくこの場所こそが、探索前の事前調査で名前が出た「葦谷地(あしやち)」だと思われる。

復習になるが、昭和28(1953)年の『群馬県地下資源調査報告書 第3号』に、「葦谷地とは、花敷温泉の北東部に当り、白砂川に沿ってトンネルをくぐって3Kmほど登った左岸(南岸)の地名である。ここには営林署の軌道が通じていて、歩行及び物資の運搬には至極便利となっている」と出ている。引沼の起点から3km地点とあるが、私は起点から歩いていないので、3kmより手前で辿り着けるはずだ。

この場所では褐鉄鉱の鉱床を示す露頭が発見されていたらしく、「鉱床の位置は白砂川の河岸段丘と山地との変換点の境界、小さな谷の底の部分にあり、その名の示すように、よしや湿地植物類の繁茂した小流の上にある」とある。地形図を見る限り、引沼から3km付近で白砂川の河岸段丘という条件に該当しそうな場所は、この辺りだけだ。そして同書は最後に、「試掘の価値あり」と結論づけていた。



さて、探索の風景に戻るが、前方は直前の大崩壊地より一転して、河岸段丘の存在を窺わせる広い緩斜面が見えてきた。
ただ、その一方で、水平であるべき軌道跡のラインが、見えなくなった。
チェンジ後の画像の点線の位置にあるべき軌道跡は、なぜか全く見えない。
緩やかな斜面だが、ここも地滑りの跡なのかも知れない。




軌道跡を見失ったが、それまでの高度を維持することを強く意識しながら、緩やかな斜面を歩いた。このとき、足元の斜面の下には、これまでは見なかった広い土地が河原まで緩やかに広がっていた。
ここが鉱石が発見された段丘面なのかは判断出来ないが、下草がほとんど生えていないせいで、山中にありながら驚くほど見通しが良い、不思議な場所だった。



また、軌道よりも高い位置にも人工的な雰囲気を感じさせる平坦地が点在していた。写真は軌道より10mほど高い土地である。
だが、決定的に人工地形と判断できるものはない。石垣や土管の一つでもあれば、そう判断できるのだが。

なお、前述の『地下資源調査報告書』を受けて、実際に葦谷地での試掘やそれ以上の開発が行われたかについても、記録がなく不明である。
葦谷地という地名が与えられていたことからも、全く人間が関与した歴史を持たない土地ではないと思われるが、少なくとも林鉄が積極的にこの地を利用した形跡は見られない。林業の拠点ならばほぼ必ず見かける一升瓶などの人間の痕が見当らないのである。林鉄は、ただここを通過していただけのように思える。




7:12 《現在地(全体図)》

一時見失った軌道跡は、50mほど進んだところで無事再開できた。
崩壊とは無縁そうな緩やかな地形の中で、なぜかこの間の軌道跡は緩斜面と同化していた。自然に崩れたのだろうか。辺りには大木が多く生えていて崩壊の気配もないのだが、不思議な喪失だった。

ともかくこれで葦谷地とは別れだ。
葦谷地は、この林鉄の起点と終点以外の通過地点で唯一、地名や起点からの距離が事前に確認できた土地であった。
ゆえに、ここを越えるとますます予期の及ばぬ領域へ入る。
距離のうえでも起点から3km(歩き出しから2.4km)を越え、記録にある全長の約9kmを三等分した場合の“中盤”に入ることになる。あるいは、自転車をデポしてある白砂川大橋を起点から約7km地点と推定しているので、そこを探索の目的地とするなら“中間”も近づいている。



7:20 《現在地》

豹変した、周囲の景色!

数分前の緩やかさが嘘のように、川岸の崖が険しくなった。
だが、軌道跡自体はむしろ鮮明になって、分かり易いといえる。
水面から20〜30mの高さに軌道跡はあり、両側が崖でだいぶ前から抜け出せる余地がない。否が応でも行く手に現れる障害物を乗り越えて進まねば、大幅な手戻りを余儀なくされる展開であり、緊張する。




7:21

久々となる、5本目の橋の跡が現れた。
これまでで一番小さな橋で可愛らしいが、すぐ脇が垂直に切り立っている崖で、逃げ出せない展開が続いているので、緊張感は途切れない。
まあそれでも、いざとなったら葦谷地まで戻って河原を歩くという迂回路が目に見えているだけ、一切の迂回が思いつかない地形よりはマシか。




7:23

おっと! きやがった!

この軌道跡の定番である、嫌らしい土斜面の崩壊地。
踏み跡が全くないので、どの高さをどのように超えるかなど、自分で全て決めなければいけないのがプレッシャーだ。
しかも、土は石より粘着質なんで傾斜が急になりやすい傾向がある。これで下までずっと土の斜面なら、万が一滑り落ちてもそれほど危険はないように思うが、ここみたいに本来の路肩の位置から下は垂直の崖だったりすると、落ちたらジエンドである。危険極まりない。




7:28

うーー! 長いな!!

シビアな崖道が、200m以上も全く緩まず続いている。写真は振り返って撮影した。
谷は広く明るいが、典型的なV字谷の地形で、両岸が非常に切り立っている。
白い谷底に青い流れが映えて見え、この爽快な明るさは、私の故郷の秋田県にある有名観光地の抱返渓谷を彷彿とさせる。

チェンジ後の画像は、軌道跡から見下ろした白砂川の広い谷の風景だ。
日本屈指の肉厚なる山容を誇る三国山脈の深遠から、長大な源流谷を流れ下ってきた清流は、広々としてとても美しい。
観光地としても通用しそうな美景だが、完全に独り占めだ。



7:29

ぐわーッ!

逃げ場のない展開の先に、さらなる責め立てが!

きっついな、これ………。いままでで一番傾斜のキツい崩壊土斜面だ。
しかも、最近も崩れたらしく、黒い濡れた部分が抉れているのがよく見える。
そしてその向こうには、鼠返しみたいに土がオーバーハングしている部分まである。

んーーーー……、

これを越えるか、200m以上戻って河床へ迂回するか……。

ただ、下手に下りると、この先当分軌道跡へ上がってこられない畏れもあるんだよなぁ…。



7:33

ここはさすがに足を止めて悩んだが、最終的には、

土砂面を岩場の下まで大きく高巻くルートを見出して、越えた。

越えはしたけど、これは出来るだけ戻りたくない、“後門の狼”を呼び覚ましてしまった感が…。





7:34 《現在地》

“前門の虎”だぁー!!!

変なこと(狼)を言うから、セット(虎)で出てこなきゃいけなくなってしまったじゃないかーー涙。

この逃げ場のない状況で、はアカンよ……。

地形図には、こんな滝の存在、全く描かれてないのに…。

つうか、軌道跡はどうやってここ越えてたんだ?!



そこ行くよな〜!

正面突破たぁ潔良い!!

滝の目前を悠然と渡る、第6番目の大きな橋跡を発見!

向こうの橋台に生えてる木も、ちょっと太すぎて不気味なほどだが、

いくっきゃねーよなぁ……!



しかし、進むほどハードになっている気がするが、大丈夫か? 不安だ。