なぜここにこの高さの橋脚が立っているのか?
一度、周りをよく精査する必要がある。
!!!
あそこにあるのは、橋台と路盤じゃないか?!
この場所がどこかと言えば、直前に2本の橋脚を見つけた地点から数十メートル上流だ。
橋脚の30mばかり上流の林道上から、さらに20mほど上流の対岸にある橋台と路盤を見つけた状況。
この瞬間、察しの悪かった私も、ついに、「察し」た。
ここに、なにがあったかを。
次の写真は、橋台から始まる対岸平場の行く先を、
ほぼ同じ立ち位置から、カメラの向きだけを下流方向へ変えて撮影したものだ。
……こういうことだったんだな。
“ループ線”の跡だ。
次に、もう一度上流を見る。
破線で描いた部分の路盤は、残念ながら遺構が残っていない。
そこは、林道によって上書きされたり、橋が消失してしまった部分なのである。
だが、現状残っている対岸の路盤と、2本の「橋A」「橋B」だけでも、
ここにループ線があったことの証拠としては、十分だろう。
次に、全天球画像上にルートを表示する。
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実は私、いままで各地で数多くの林鉄を見てきたが、はっきりループ線と分かる遺構を見つけたのは、初めてだった。
普通鉄道におけるループ線は極めて珍しい存在で、また道路上でも数は少ない。だが、林鉄ではしばしばループ線があったといわれる。
秋田県内だけでも、ループ線があったといわれる林鉄を、2ヶ所は知っている。
だが、その遺構となると、なかなか今まで発見できなかった。
私は、既知の2ヶ所ではないこの場所で、予期せぬ、初めての発見を果たした。
初めての、感動と、興奮を、噛みしめた。 ひしひしと!
次に、地図を示す。
強引か? 周到か?
必殺のダブルループ線ッ!!!
この山から下ろされるトロッコ列車は、ぐるぐる、ぐるぐると、
渓流を流れ落ちる木の葉のように回りながら、我々の街へやってきた。
そして私が、「間接的な形で、前回の謎を解明した」というのは、この地図の通りであった。
明確な痕跡を持つループ線を発見したことで、謎だった前回の構造物も、同様のループ線の一部と判明した。
分かってから、前回、前々回のレポートを振り変えると、私が感じた疑問は全て、“ループ線”で解決することが分かる。
“第1ループ線”の回想シーン
広場があって、その先で林道が急勾配になったが、
軌道跡はこの急坂に入らず、緩やかに川べりを進んでいたはずだ。
林道の急坂の先にひょろ長い橋脚と砂防ダムが現われるが、
軌道跡は、この橋脚の根本付近の斜面に埋没しかかっている玉石垣の高さにあったのだ。
そのまま軌道跡は砂防ダムに突き刺さり、堆土の中へ埋没!
埋没したまま、砂防ダム上流で川を渡りつつ切り返し、
それから地上に再露出し、現存する対岸の路盤を登って……
ひょろ長橋脚の橋を渡って、林道の高さへ復帰!
以後、第2ループ線の手前(今回1枚目の写真のあたり)までの200m程度は、林道=軌道跡である。
冒頭の謎解きの総評だが、予想以上に多くの読者さまが、
ちゃんと「ループ線」という正解に辿り着いていて、優秀さに嫉妬した。
と同時に、私が提示した情報だけで正解に辿り着ける事実が分かったことで、
私がある程度まで現地の景色を正しくレポートできていたのだろうと、嬉しく思った。
ちなみに、今回の探索で私が伝えたかった“二つの大発見”とは、
1.激薄の橋脚 2.ループ線の遺構
……であったので、大発見は打ち止め。 次回、ゆる最終回。