廃線レポート 藤琴森林鉄道滝ノ沢支線 第3回

公開日 2019.11.10
探索日 2019.10.28
所在地 秋田県藤里町

大発見! ついに見つけた、原型を止める○○○線


前回のレポートに対して、普段以上に多数のコメントをありがとうございました。
たくさんの「オブローダー探偵」の推理を堪能させていただいた。
今回は、その答え合わせとなる回だ。

もっとも、正解の解明は直接的に行われたのではなく、もっと間接的なものだった。
私を正解へと導いた展開とは、どのようなものだったのか……?
さっそく、ご覧いただくとしよう。


2019/10/28 10:11 《現在地》

薄っぺらな橋脚を持つ橋の“行方”はよく分からなかったが、それでもこの険しい谷間にある“道”と呼べる空間はこの林道しかないので、気持ちの悪さを抱えた心境で、前進を続けていた。

薄っぺらな橋の所に砂防ダムがあったが、それから200mほど前進すると、再び砂防ダムが現われた。(地形図には描かれていなかった)
今度も直前に奇妙な橋脚を見つけたらどうしようかと思ったものの、そんなものはなく、ただ林道が脇を通り抜けていくだけ。その林道も全体的に急坂ではあるが、林鉄跡ではないと断定できるほどの勾配ではなかった。

第2の砂防ダムを過ぎ、さらに50mばかり進むと……




さらに林道の勾配がきつくなった!

さすがに林鉄の路盤とは思えぬ10%程度の急勾配。
だがそれもそのはず、林道が添い遂げようとしている滝ノ沢は、いまや小刻みに滝をいくつも連ねる連瀑状態へと突入していた。
有名な奥入瀬渓流のミニチュアを思わせる美に目を瞠ったが、その目の行く先に――

再び、屹然たる2本の橋脚!

数分前に私を煙に巻き、未だ解決の果たされてない“謎の光景”が、次矢をつがえる暇もなく、またも我が行く手に現われた!

ぐぬぬぬぬ、二度までも……!
この謎、次こそ晴らさで置くべきか!!




10:14 《現在地》

今度の橋脚は、異常に薄っぺらということはなく、常識的な太さを持った、いかにも林鉄用橋脚と思えるものだった。

正面から見た時の全体のシルエットは、デジタル数字の「8」にそっくりで、厚みを太くする代わりに中抜きをすることで、部材の節約を図っているようだった。
高さは前回の橋脚と同程度で、2本ある橋脚間の距離(径間)も同程度である。
敢えて同じ形の橋脚にしなかった理由は分からないが、表面の風化の程度は、同時期に建設されたものと推測させた。つまり、これも戦前の建造であろう。


今回注目すべきは、橋脚の構造云々ではなく、橋脚の高さの不自然さだろう。

この写真の通り、橋脚の上面は、林道の路面よりも明らかに高い。

比高は1m程度だが、もし林道の路面上に軌道が敷かれていた場合、この橋とは接続出来ないわけで、明らかに、林道を軌道跡だと考える説と矛盾する状況だった。




なぜここにこの高さの橋脚が立っているのか?

一度、周りをよく精査する必要がある。



!!!

あそこにあるのは、橋台と路盤じゃないか?!


この場所がどこかと言えば、直前に2本の橋脚を見つけた地点から数十メートル上流だ。

橋脚の30mばかり上流の林道上から、さらに20mほど上流の対岸にある橋台と路盤を見つけた状況。

この瞬間、察しの悪かった私も、ついに、「察し」た。

ここに、なにがあったかを。




次の写真は、橋台から始まる対岸平場の行く先を、

ほぼ同じ立ち位置から、カメラの向きだけを下流方向へ変えて撮影したものだ。




……こういうことだったんだな。


“ループ線”の跡だ。



次に、もう一度上流を見る。



破線で描いた部分の路盤は、残念ながら遺構が残っていない。

そこは、林道によって上書きされたり、橋が消失してしまった部分なのである。

だが、現状残っている対岸の路盤と、2本の「橋A」「橋B」だけでも、

ここにループ線があったことの証拠としては、十分だろう。



次に、全天球画像上にルートを表示する。



Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

実は私、いままで各地で数多くの林鉄を見てきたが、はっきりループ線と分かる遺構を見つけたのは、初めてだった。

普通鉄道におけるループ線は極めて珍しい存在で、また道路上でも数は少ない。だが、林鉄ではしばしばループ線があったといわれる。

秋田県内だけでも、ループ線があったといわれる林鉄を、2ヶ所は知っている。

だが、その遺構となると、なかなか今まで発見できなかった。

私は、既知の2ヶ所ではないこの場所で、予期せぬ、初めての発見を果たした。

初めての、感動と、興奮を、噛みしめた。 ひしひしと!



次に、地図を示す。



強引か? 周到か? 

必殺のダブルループ線ッ!!!

この山から下ろされるトロッコ列車は、ぐるぐる、ぐるぐると、

渓流を流れ落ちる木の葉のように回りながら、我々の街へやってきた。



そして私が、「間接的な形で、前回の謎を解明した」というのは、この地図の通りであった。

明確な痕跡を持つループ線を発見したことで、謎だった前回の構造物も、同様のループ線の一部と判明した。

分かってから、前回前々回のレポートを振り変えると、私が感じた疑問は全て、“ループ線”で解決することが分かる。



“第1ループ線”の回想シーン

広場があって、その先で林道が急勾配になったが、
軌道跡はこの急坂に入らず、緩やかに川べりを進んでいたはずだ。


林道の急坂の先にひょろ長い橋脚と砂防ダムが現われるが、
軌道跡は、この橋脚の根本付近の斜面に埋没しかかっている玉石垣の高さにあったのだ。


そのまま軌道跡は砂防ダムに突き刺さり、堆土の中へ埋没!


埋没したまま、砂防ダム上流で川を渡りつつ切り返し、
それから地上に再露出し、現存する対岸の路盤を登って……


ひょろ長橋脚の橋を渡って、林道の高さへ復帰!

以後、第2ループ線の手前(今回1枚目の写真のあたり)までの200m程度は、林道=軌道跡である。




冒頭の謎解きの総評だが、予想以上に多くの読者さまが、
ちゃんと「ループ線」という正解に辿り着いていて、優秀さに嫉妬した。

と同時に、私が提示した情報だけで正解に辿り着ける事実が分かったことで、
私がある程度まで現地の景色を正しくレポートできていたのだろうと、嬉しく思った。

ちなみに、今回の探索で私が伝えたかった“二つの大発見”とは、

1.激薄の橋脚  2.ループ線の遺構

……であったので、大発見は打ち止め。 次回、ゆる最終回。