2016/2/21 11:42 《現在地》
大黒崎ではこれといった成果が得られなかった私は、国道に戻って終点・熱海への走行を再開した。
相変わらず国道は登り坂で、海抜は100mほどになった。
探すべき軌道跡は、相変わらず国道よりも下の山腹を並走していると推測されるが、やがて両者は一つになる。
その合流地点の位置や現状についても、事前に調べた資料には一切記載されていなかったが、旧地形図を見る限り、ここから900mほど先にある稲村集落の少し手前から併用軌道になっている。
ようするに、そこまでが今回の“純然たる軌道跡”探しの「正念場」である。
ここでようやく国道の海側に建物が無くなり、思うように視界が開けたので、落差100mに及ぶ海岸の急斜面を俯瞰した。
この辺りは、先ほど大黒崎の別荘地から遠望して、「正直、オブローダーとして、ピンとくるものがない!
」と評した一帯であったが、こうして別アングルから間近に眺めても、評価が変わることは無かった。
地表の細かな起伏は密生した植生のため窺い知れないので、幅2m程度の狭隘な軌道跡であれば、ましてそれが震災の影響で断片化しているならば、ここに隠されている可能性は捨てきれない。
そうは思うが、いざ絡み取られたあとの苦痛が容易に想像出来すぎるだけに、自転車を乗り捨てて斜面へ躍り込むような勇気は持てなかった。
遺構が有るか無いかは重要だが、その観測者はいつだって人間だ。
まずは、やる気にさせてくれるような、何かの取っかかりが欲しかった。芋づるが欲しい…。
11:43
県境の千歳橋から1.8km、ずっと上り続けてきた国道は、ここで絶頂を迎え、緩やかな下り坂に転じている。
そしてこのサミットの海側には、かつて今よりカーブが多かった時代の旧道の名残と思しき、広い平坦な空き地があった。
稀には駐車場として使われているようだが、柵がしてあって今は車は入れないようになっていた。
私は、その向こう側に目を向ける。
実はこの場所、出発前から目を付けていた。
地形図(→)を見ると一目瞭然だが、現在の海側は、この区間で珍しく等高線の密度に手心が感じられるのである。
ある程度緩やかな斜面なら、特にアクセスルート的な道が用意されていなかったとしても、直接に踏み込んで広い範囲を捜索することが可能だ。
このような捜索方法は、一定の範囲内にあるはずの廃道や廃線跡を探すとき、極めて有効なものである。
自転車を停め、今回2回目の国道外での廃線捜索をスタートした。
これは、素晴らしい!!
おっと、誤解なきように。
“まだ” それを発見したわけでは無い。
だが、先ほどまでの全く取っかかりのない状況が、ここで一変した。
この状況の一番大きい変化は、藪が森になった事である。
これだけで、探索に成果が加わる可能性は桁違いにアップした。
しかも、ただ藪が無いという程度ではなく、ここにあるのは完璧に条件の良い森だ。
すなわち、色々な人手が加わっている人工林でなく、立派な枝振りの巨木が林立する、美しい天然林である。
この見るからに安定した立地条件ならば、仮に廃止から100年近くを経た廃線跡であっても、痕跡を完全に失っている方がむしろ不自然ではないか!(みんなもそう思うだろ?)
ここまでは、「存在しない事を確認するのも重要な成果だ」と、正論を心の拠り所に半分以上諦めていた“路盤発見”への期待感が、この明るい森に入った途端、一気に現実のレベルに高まったのを感じる。
ひどく気持ちが高揚している!!
こんなの、読者にとっては突然の告白と感じる事だろうが、私は実に10年以上前から、この発見を夢見ていた。
現場は地形図に描かれたとおりの地形であった。
ご飯茶碗を伏せたような地形と言えば分かり良いか。
国道が通っている場所を頂点に、球面のような傾斜が三方に落ちている。
はじめはとても緩やかで、進むほどに勾配を増し、間違いなく最後は断崖となって海に落ちているだろう斜面である。
私はこのお椀状の尾根の中心を、ほぼ真東の方向へ下って行った。
このルートを選んだ根拠は、そこにピンクテープが点在する明瞭な踏み跡が存在したからだ。
ごく最近も人が通った気配があった。
これは、いかなる先人の刻んだ踏み跡であろう。
どちらにせよ、心強いものがあった。
写真は、その踏み跡に沿って海へ下って行く途中である。
木々の隙間が青く見えているのは、海面だ。
国道から100m、高低差にして30mは優に下った辺りで、
いよいよ絶壁のため、もうそれ以上は進めさそうな“地形の切れ線”が、三方同時に見えてきた。
そして、その“線”は天然地形としてはいささか不自然な連続性と幅を有するように、私には見えた。
斜面下方を半周するように刻まれた、まさしく典型的な路盤跡を彷彿とさせた。
興奮のせいか、急斜面を踏む足がもつれた。
もしもこれが“件”のものであるならば、余りにも鮮明で逆に驚くレベルだが…!
!
平場がある事は、もう間違いない!
あとは、この平場の正体。
これが、明治28(1895)年に人車鉄道として開業し、同40年に軽便鉄道となり、
そして今から93年前の大正12(1923)年に役目を終えた、
数多の記録と追憶に彩られた、かの廃線跡だろうか。
…いや、もう冷静ぶるのは止そう!
立地的に、他は考えられないだろ!!これ!
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人車鉄道跡は本当にあったんだ!
11:50 《現在地》
ひっきりなしに車の行き交う国道135号から、おおよそ120m離れた、海抜60mの斜面中腹に、
斜面に沿って南北方向に通じる、極めて明瞭な平場が隠されていた。
現在の地形図には全く描かれていない道だが、
路盤跡、それも廃線跡に違いないと思った。
立地から消去法的に考えてというのが一番の根拠ではあるが、
海側の路肩が一段高くなっていることが、私の目には、これが単なる廃道や林鉄跡ではなく、
“お客さんを運ぶための鉄道”としての、最低限の安全対策であったように映った。
国道からここまで、5分とかからずに辿り着いている。
さすがにこんな条件で、私が初めてこれを発見したのだ、という事にはならなかった。
国道からここまで点々と付けられていたピンクテープが、私よりも先にここを抑えていた。
ただ、私にとって少しだけ嬉しかったのは、このピンクテープがおそらく
軌道跡を指し示していたものでは無かったということだ。小さなプライドがナデナデされた。
ピンクテープの目的と見られるものは、さらに海側にあった。
海側には、まだ真新しい落石防止ネットが大量に施工されていた。
この絶壁に近い傾斜の下には、熱海ビーチラインが横たわっている。
路面はここから直接見えないが、車の音は聞こえてくる。
この法面工事が行われる前の路盤跡には、今とは違った、
さらに廃然とした光景が広がっていたものと思われ、その点では少し残念。
だがそんなことは、大きな発見の喜びの前では無視してもいい小事だったろう。
やりました!
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