2011/11/5 08:04 《現在地》
第3の切り返しで登山道と分かれ、いよいよ未成道区間へ。
網張側の既設区間8kmのうち、残りはあと1.2km。
地形図上では、大きな大きな切り返しひとつ分という感じに見える。
この大きな切り返しで、最終到達高度(1250m)まで上り詰めるのだ。
そして、いま目の前にあるのは、これまででも最急クラスの上りだ。
しかもそれが、見渡す限りに続いていた。
ハードだが、クライマックスへの助走(序奏)としては、むしろ望ましいかも知れない。
行く手に太陽が浮かんでいた。
今、それは辛うじて路傍の草むらに塞がれているが、もう少し進めば遮るものは無くなる。
そして、太陽を囲む空に雲はひとつもない!
みなさん…… これは期待して良しだぞ。
これならきっと、大丈夫。
峠道らしからぬ、見渡す限りのロングストレートな、登り坂。
未成道区間といいつつも、ちゃんと舗装はされていて、路肩の白線も一応はある。(消えかけているが)
一見したところこれまでの道と違いはないようであるが…。
いや、あった。
路肩のガードロープが、「ダルンダルン」してる。
まさかこんな事が“伏線”になるとは思っていなかったが、前回にもガードロープの話をしていた。
ガードロープは毎年の冬期閉鎖期間中、支柱から取り外して置くという話だ。 もしも面倒がってそれをしないと…
←こうなっちゃうワケですよ… 雪に押し潰されて…。
これは推論だが、登山道県道の開通によって、この末端部の県道認定が解除されているのではないかと思う。 もしかしたら“廃道”かも。
この直線的(多少の曲がりはあるが)な上りは、第4の切り返しまで約800mも継続する。そして80mも登る。
現在はその1/3を来た辺りだ。
ここに来て、道幅が多少狭くなったように感じたのは錯覚ではなかった。しかし、道の規格が変わったというわけでもなかった。
山側の路肩から、ススキが土を伴って路内へと進入し始めていたのである。
本来は路肩の白線の外側にも50cm程度は舗装された路面(路肩)があって然るべきなのに、今は白線の上まで植生が進んでいた。
それが道幅減少と錯覚した原因だった。
このような堅牢そうな舗装路に対しても、着実に自然の復元する力は功を及ぼそうとしているのが分かる。
しかし、仮に廃道になっても、完全に元通りになるには、気の遠くなるくらいの時間が必要だろう。
“木”が遠いせいで。
もう一つ気になったことがある。
それは、木の遠さだ。幅5mの道の山側に、道幅の倍くらいありそうな空白地(笹原)が設けられている事の不自然さだ。
この空白地の正体は、道を作る際に地表を削った範囲だと思われるが、法面の傾斜をもっと急にすることで、その範囲を減らすことが出来たのではないかという気がする。
ここは前面を遮るものが何も無い南向きの斜面であり、空白地の幅を少しでも少なくすることは、そこが風の通り道になって沿道に“風障被害”を及ぼす事を減らす為のセオリーだと思うが、敢えて反したことをしているように見える。
よもや、道のすぐそばに立ち枯れ木が立ち並ぶ事によるイメージダウンとか、法面に擁壁を設けることで将来の2車線化が難くなるといったような“懸念”から、このようにしたのではないか …というような推論は、邪推だろうか。
素朴な疑問として、この空白地帯の広さは気になった。
ちなみに、個人的な風景の好みとしては、この広々とした雰囲気が好きである。空が広く見えるのはイイ!
事業向けの林道とは一線を画する、観光道路らしい雰囲気が出ている。
空白地帯(法面)には傾斜が幾らか急な部分もあり、そういう所には表土の流出に先手を打つべく、ゴツゴツとした治山工事の跡が見て取れた。
山岳道路が周辺環境に及ぼす悪影響の一つとして、沿道からの土壌の流出→渓流の荒廃という流れがよく知られているが、この辺りは山頂に近い集水域の狭い場所なので、谷沿いを走る道のようには心配しなくても大丈夫そうである。だが、この辺りの土壌が流出して地下水層が地表に露出した場合、最悪は山上にある三ツ石湿原の水が抜けてしまうようなことも、考えられたのかも知れない。
地形的には少し大袈裟な印象を受ける場所にも、後顧の憂いを断つべく、厳重な治山的処方が施されていた。
(敢えて法面の傾斜を緩くした理由も、その辺にあるのかも知れない)
なお、こういう付帯工事が多く必要になったことは、昭和40年代と現代とで、山岳道路建設により多くの手間とお金がかかるようになった理由である。
昔は今に較べれば、遙かに大雑把だった。
直線的上りの2/3くらい進むと、路面に大量の砂利が現れ始めた。
これはもう、“アレ”の前兆に違いないのである。
また、路肩には積雪深を計測するためのポールが立てられていた。
環境調査か何かの目的で立てたのだろうが、役目を終えても撤去されずに放置されていた。
実は11年前にもこのポールはあって、先端に赤とんぼが休んでいた。
その寂寞としたムードに、終着間際という印象を一層深くした憶えがある。
8:10 《現在地》
網張温泉から7.3km、標高1220m附近。
遂に極めて具体的な、道路未完成の風景が出現した。
舗装が、途切れてしまった。
もちろん、計画では全線舗装される予定であった。
それが不完全だというのは、工事が打ち切られた証明に他ならない。
ここまで、巧妙と言っても良い手口(登山道化)で未成道らしさをひた隠していた本路線であるが、登山者の目が届かない領域に立ち入って、遂に破綻した。
もっとも、良くある普通の砂利道と外見が決定的に違うわけでもないので、経緯を知らなければ驚くような風景では無いのだが。
さて、この未舗装化を合図にしたわけではないが、私にとってこの再訪の大きな目的となっていた光景との再会が、いよいよ差し迫って来た。
見えてきた!
第4の切り返し。
眩しすぎる日の光を満面に浴びながら、清涼な森気を胸に満たして、力振り絞って前進する。
目指すはあの一等地。
次のカーブから得られる眺望こそは、
この道が完成した暁に我々が手にした、(おそらく)最大の感動である。
全国屈指。
この風景はここでしか見られないという当たり前の事ではなく、我が国の山岳道路の車窓として、おそらく全国に優れる迫力を持った眺め。
本路線を観光道路として設計した人間が、もっとも誇示したかった風景であると信じて止まない。
…今日もそれが得られるかどうか、遂に晴天の決着となる。
まさかの雲海によって、夢、断たれる。
上に雲が無いと思ったら、全部下にあったでゴザル…。
私が期待していた(私が11年前にここで目にするも、当時のカメラの性能上?不本意な写真しか残っていない)眺めは、
この風景から雲海だけをそっくり全て除したものであった。
雲海の下に何が見えるかはご想像にお任せするが…(嘘です。後でお見せします)、
…これはこれで… すごい。
呼吸が苦しそうな眺めだ(実際は爽快)。
地上ではなく、宇宙の傍から地表を眺めているようだ…。
太陽が、凄く近くに感じられる。
宇宙と地上の距離を思えば、標高1200m台など全然低いはずだが、
これはそういう感じの光ではない。
ちなみに、雲海の左奥に突出しているのは、早池峰山だろうか。
盛岡市の市街地は、右の方に棚引いている山々と早池峰山の間の、
もっとも雲海が濃くなっている世界の下に存在している。
なんか住み心地悪そう(RPG的)だが、そんな事はもちろん無い。