岩手県道212号雫石東八幡平線 網張工区 第4回

公開日 2012.08.23
探索日 2011.11.05
所在地 岩手県岩手郡雫石町

“宙(そら)への直登路” 


2011/11/5 08:04 《現在地》

第3の切り返しで登山道と分かれ、いよいよ未成道区間へ。

網張側の既設区間8kmのうち、残りはあと1.2km。
地形図上では、大きな大きな切り返しひとつ分という感じに見える。
この大きな切り返しで、最終到達高度(1250m)まで上り詰めるのだ。

そして、いま目の前にあるのは、これまででも最急クラスの上りだ。
しかもそれが、見渡す限りに続いていた。
ハードだが、クライマックスへの助走(序奏)としては、むしろ望ましいかも知れない。

行く手に太陽が浮かんでいた。
今、それは辛うじて路傍の草むらに塞がれているが、もう少し進めば遮るものは無くなる。
そして、太陽を囲む空に雲はひとつもない!


みなさん…… これは期待して良しだぞ。

これならきっと、大丈夫。



峠道らしからぬ、見渡す限りのロングストレートな、登り坂。
未成道区間といいつつも、ちゃんと舗装はされていて、路肩の白線も一応はある。(消えかけているが)
一見したところこれまでの道と違いはないようであるが…。

いや、あった。
路肩のガードロープが、「ダルンダルン」してる。

まさかこんな事が“伏線”になるとは思っていなかったが、前回にもガードロープの話をしていた。
ガードロープは毎年の冬期閉鎖期間中、支柱から取り外して置くという話だ。 もしも面倒がってそれをしないと…

←こうなっちゃうワケですよ… 雪に押し潰されて…。

これは推論だが、登山道県道の開通によって、この末端部の県道認定が解除されているのではないかと思う。 もしかしたら“廃道”かも。



この直線的(多少の曲がりはあるが)な上りは、第4の切り返しまで約800mも継続する。そして80mも登る。
現在はその1/3を来た辺りだ。

ここに来て、道幅が多少狭くなったように感じたのは錯覚ではなかった。しかし、道の規格が変わったというわけでもなかった。
山側の路肩から、ススキが土を伴って路内へと進入し始めていたのである。
本来は路肩の白線の外側にも50cm程度は舗装された路面(路肩)があって然るべきなのに、今は白線の上まで植生が進んでいた。
それが道幅減少と錯覚した原因だった。

このような堅牢そうな舗装路に対しても、着実に自然の復元する力は功を及ぼそうとしているのが分かる。
しかし、仮に廃道になっても、完全に元通りになるには、気の遠くなるくらいの時間が必要だろう。
“木”が遠いせいで。

もう一つ気になったことがある。
それは、木の遠さだ。幅5mの道の山側に、道幅の倍くらいありそうな空白地(笹原)が設けられている事の不自然さだ。
この空白地の正体は、道を作る際に地表を削った範囲だと思われるが、法面の傾斜をもっと急にすることで、その範囲を減らすことが出来たのではないかという気がする。

ここは前面を遮るものが何も無い南向きの斜面であり、空白地の幅を少しでも少なくすることは、そこが風の通り道になって沿道に“風障被害”を及ぼす事を減らす為のセオリーだと思うが、敢えて反したことをしているように見える。
よもや、道のすぐそばに立ち枯れ木が立ち並ぶ事によるイメージダウンとか、法面に擁壁を設けることで将来の2車線化が難くなるといったような“懸念”から、このようにしたのではないか …というような推論は、邪推だろうか。

素朴な疑問として、この空白地帯の広さは気になった。
ちなみに、個人的な風景の好みとしては、この広々とした雰囲気が好きである。空が広く見えるのはイイ!
事業向けの林道とは一線を画する、観光道路らしい雰囲気が出ている。



空白地帯(法面)には傾斜が幾らか急な部分もあり、そういう所には表土の流出に先手を打つべく、ゴツゴツとした治山工事の跡が見て取れた。

山岳道路が周辺環境に及ぼす悪影響の一つとして、沿道からの土壌の流出→渓流の荒廃という流れがよく知られているが、この辺りは山頂に近い集水域の狭い場所なので、谷沿いを走る道のようには心配しなくても大丈夫そうである。だが、この辺りの土壌が流出して地下水層が地表に露出した場合、最悪は山上にある三ツ石湿原の水が抜けてしまうようなことも、考えられたのかも知れない。
地形的には少し大袈裟な印象を受ける場所にも、後顧の憂いを断つべく、厳重な治山的処方が施されていた。
(敢えて法面の傾斜を緩くした理由も、その辺にあるのかも知れない)

なお、こういう付帯工事が多く必要になったことは、昭和40年代と現代とで、山岳道路建設により多くの手間とお金がかかるようになった理由である。
昔は今に較べれば、遙かに大雑把だった。



直線的上りの2/3くらい進むと、路面に大量の砂利が現れ始めた。

これはもう、“アレ”の前兆に違いないのである。

また、路肩には積雪深を計測するためのポールが立てられていた。
環境調査か何かの目的で立てたのだろうが、役目を終えても撤去されずに放置されていた。
実は11年前にもこのポールはあって、先端に赤とんぼが休んでいた。
その寂寞としたムードに、終着間際という印象を一層深くした憶えがある。




8:10 《現在地》

網張温泉から7.3km、標高1220m附近。

遂に極めて具体的な、道路未完成の風景が出現した。

舗装が、途切れてしまった。

もちろん、計画では全線舗装される予定であった。
それが不完全だというのは、工事が打ち切られた証明に他ならない。
ここまで、巧妙と言っても良い手口(登山道化)で未成道らしさをひた隠していた本路線であるが、登山者の目が届かない領域に立ち入って、遂に破綻した。

もっとも、良くある普通の砂利道と外見が決定的に違うわけでもないので、経緯を知らなければ驚くような風景では無いのだが。

さて、この未舗装化を合図にしたわけではないが、私にとってこの再訪の大きな目的となっていた光景との再会が、いよいよ差し迫って来た。




見えてきた!

第4の切り返し。

眩しすぎる日の光を満面に浴びながら、清涼な森気を胸に満たして、力振り絞って前進する。
目指すはあの一等地。

次のカーブから得られる眺望こそは、

この道が完成した暁に我々が手にした、(おそらく)最大の感動である。
全国屈指。
この風景はここでしか見られないという当たり前の事ではなく、我が国の山岳道路の車窓として、おそらく全国に優れる迫力を持った眺め。 本路線を観光道路として設計した人間が、もっとも誇示したかった風景であると信じて止まない。

…今日もそれが得られるかどうか、遂に晴天の決着となる。







まさかの雲海によって、夢、断たれる。


上に雲が無いと思ったら、全部下にあったでゴザル…。


私が期待していた(私が11年前にここで目にするも、当時のカメラの性能上?不本意な写真しか残っていない)眺めは、

この風景から雲海だけをそっくり全て除したものであった。

雲海の下に何が見えるかはご想像にお任せするが…(嘘です。後でお見せします)





…これはこれで… すごい。


呼吸が苦しそうな眺めだ(実際は爽快)。




地上ではなく、宇宙の傍から地表を眺めているようだ…。

太陽が、凄く近くに感じられる。
宇宙と地上の距離を思えば、標高1200m台など全然低いはずだが、
これはそういう感じの光ではない。

ちなみに、雲海の左奥に突出しているのは、早池峰山だろうか。
盛岡市の市街地は、右の方に棚引いている山々と早池峰山の間の、
もっとも雲海が濃くなっている世界の下に存在している。

なんか住み心地悪そう(RPG的)だが、そんな事はもちろん無い。





“宙のカーブ” からの眺め


2011/11/5 08:12 《現在地》

車両通行止めゲートから自転車に乗って進むこと31分。
遂に私は、今回の探索でぜひ再訪したかった目的地である、第4の切り返しカーブに到達した。

標高1230m、大松倉山が南の葛根田渓流に降ろす急峻な尾根の上にあるこの場所は、この時分、見渡す限りの“雲海”へ望む“岬”の突端になっていて、私はこの神聖な眺めに驚嘆した。

ここは全長8kmの網張工区内で最も眺望に優れる地点であり、おそらくこの道が観光道路として成功する為の鍵を握る風景であった。
少なくとも、岩手県内にはこれほど広く遠くを見渡せる道路上のビュースポットは他に見あたらず、その眺めの中に県都周辺を包容することも魅力であって、本県随一ではないかと思う。

そして、このようなビュースポットが登山道からわずか800mを隔てて「立入禁止」の道に置かれて知る人ぞ知るになっているのは、“宝の持ち腐れ”というより他なく、勿体ない。
どうしてここまで一般解放しなかったのか、理解に苦しむところである(登山道にこれを越える眺望があるのだろうか)。

太陽が近く感じられるこの場所を、私は例によって勝手に…「 宙(そら)のカーブ 」と命名しておく。



↑ 前回も見ていただいたこの眺めは、南東の小岩井農場や盛岡市が方角である。

しかし、この“宙のカーブ”からは、南東〜南〜南西〜西までの広いパノラマが得られる。

つぎの写真は、の方角を撮したものである。 ↓



左側の白い光が満ちている空間は、雲海の縁である。

そこは見慣れた“雲”というよりは、“霞”が幾重にも重なって、それが最終的に地表が見えなくなるくらいの厚いヴェールになっている様子だった。
そしてその“霞”は、眼下に広がる巨大な谷間にも、何層もの水平線を描きながら入り込んできていた。

この谷間を刻んだのは、本レポートの冒頭の写真で渡っていた、葛根田(かっこんだ)川である。
彼我の高低差は、700mにも達する。

そして、谷の向こうに迫り立つ複雑な凹凸を見せる山は、右側が笊森山(1541m)、左側は高倉山(1408m)である。
笊森山は奥羽山脈の主脈上にある一座であるから、その裏側は秋田県ということになる。
また、奥羽山脈の支脈上のピークである高倉山の“肩”の所には建物が見えるが、あれは雫石スキー場の第1ゴンドラである。
車道が無いので、夏場にあそこへ立つのは相当大変だと思われる。



今度は、西側の眺め。

この方角に見えるのは、葛根田川の源流に立ちはだかる山壁であり、これこそ奥羽山脈の主脈である。

しかし、奥羽山脈は確かに肉厚ではあるものの、純然たる高さという意味においては、岩手県第一の高峰である岩手山を背後に擁するこちらに分がある感じで、少々、中央分水嶺としての説得力を欠いている感は否めない。
特に黄色い矢印の所は目立って低く、そこからは山脈を乗り越えて、向こう側(秋田県)を見通す事が出来た(下の写真で拡大)。

なお、本編との直接の関わりはないが、乳頭山の近くの赤い矢印の辺りを越えて秋田県の乳頭温泉郷へと抜ける道路が、かつて検討されたことがある。
今なお路線名としては両県を結んでいる、県道194号西山生保内線である(前にここで分かれた)。

しかし県道194号の岩手県側は、県境の8km以上も手前でストップしたままであり、葛根田川の源流地帯は今や白神山地の次くらいに有名なブナ林の聖域となっている。




正直、私にはこの風景が“宝の持ち腐れ”のようなものかもしれない。

この“宙のカーブ”からは、本当にたくさんの山々が望まれ、中には名山と呼ばれている山もある。私がもし歴戦の“登山者”だったら、いくつもの思い出をこの眺めに重ねることが出来たに違いない。

だが、私は道ばかりかまけてきた男である。
そして、この方角に見える景色には、まったく車道が存在しない。
なので私には、この山々を自分の言葉で語ることは難しい。それをやろうとすれば、だいたい地図の受け売りになってしまう。

だから、少し別の観点からこの眺めを語りたい。
無理に語るわけでなく、これこそ本稿を執筆した重要な動機である。

ここに立つと、奥羽山脈の“窓”から秋田県内の山々が見えるという事実は、とても興味深い。

あれはいかにも峠向きな鞍部だと思うが(標高は950mで、ここより300m近く低い)、岩手側も秋田側もアプローチの谷が長すぎて、道路の開発は免れた鞍部である。 もちろん、峠名もない。

奥羽山脈はこういう山容だから、秋田・岩手両県のほとんどの県民にとって(県北部に例外地域あり)、奥羽山脈の向こう側にある隣県は決して「居ながら」には見えないものだという、固定観念がある。
両者を隔てる奥羽山脈と、それを越えるいくつかの峠の存在が、肌に染みついている。
だが、(物理的には全く当たり前の事であるが)山脈よりも高い所に立てば、その向こう側が見通せるのである。

地図の上では、盛岡市と秋田市は90kmも離れていないが、その近さを風景的に実感出来るような場所は、地上に存在しないと思っていた。
しかし、盛岡市の近傍といって差し支えない(雲海がなければ見通せるのである)この場所から、秋田市の手前に並ぶ太平山地が、実際に見えたのである。
あの太平山地の向こう側は日本海になっていて、その岸辺に秋田市があるのだ。
さすがに秋田市街は見えはしないけれど、あの(見慣れた)太平山地の霞み方は、距離感として“真っ当”である。
自転車で、かつ道が平坦ならば、ほんの数時間で詰めれるくらいの「近い見え方」だと感じた。

このことは私にとって大きな発見であり、ぜひ自慢したかった。



奥羽山脈の“窓”から見えた秋田県内の山は、具体的には“何山”だったのか。
私は漠然と太平山地だと判断したが、それは正しかったのか。
yan629氏がカシミール3Dを使って検証を行ってくださったので、その結果を以下に転載したい。

地図に表記されている方向線が実際より若干南よりだなと思ってカシミール3Dで調べてみました。
鞍部に見えている山は太平山地の中でも太平山より北側にある山々のようですね。

・鞍部から見える山
 【画像1】

・少し引いて太平山方面も。
 でも太平山はかなりのチョロ見えのようです。
 【画像2】

・太平山ドアップ。
 遥か手前の大仏岳の尾根からちょろっとしか見えないようです。
 【画像3】

実際にこの場所から太平山を視認するのは難しそうですね。
尾根上には十数メートルの木々が生い茂っていたりしますし。

…との検証結果であった。

窓から見えていたのは確かに“太平山地”の一部で間違いはないが、県都秋田市の近くにある“太平山”の周辺ではなく、かなり北側のいわゆる阿仁部(北秋田市)の山々だったことが判明したのである。
しかし、“宙のカーブ”の山側にある高い法面に登れば、太平山を見る事が出来るかも知れない。



2012/8/27追記 yan629氏の協力による


もしも→→雲海が晴れていたら  〜前回(平成12年10月)撮影の眺め〜


2000/10/19 日中 (時刻記録なし)

これは平成12年10月の“宙のカーブ”。

11年経過した今回との違いは、路肩に多少の草が生えていたり、カーブの外側の部分に灌木が茂り始めていたりで、決して植物の生育に適しているとは思えない高所だが、確実に経年というものが感じられた。

だが今しばらくは引き続き、路上の変化ではなく、路外の眺望に目を向けたいと思う。
前述の通り、このときには雲海が無かった。
当時のカメラの性能の限界もあり(まだコンデジの普及黎明期であった)、私があのとき憶えた感動を残らずお伝えするには少々心許ないが、ともかくご覧頂こう。




わくわく、しない?

雲海ありヴァージョンの方が、お好みですか?

個人的には、雲海は美しいと思うけれど、
やはり地上が“見えるッ”てことのドキドキには敵わない。

“山ばかり”の風景には思い出の少ない私だけど、
こっちに見える“地上の世界”には、数分前から十年以上前までの思い出が、詰まってる。
あれも、あそこも、あっちにみえるのも、行ったことのある場所だ。
懐かしい場所だ。



さっきまで、「盛岡市街が見えた」なんて書いていたが、写真を見直してみたところ、だいぶ印象が美化されていたようだ。
写真にはっきりと映ってなかったし、実際にも見えていなかったと思う。
しかし、間違いなく盛岡市がある辺り(北上川沿いの低地)は見えるし、もっと空気が澄んでいたら、もっと色々建物が見えるとも思う。(盛岡の辺りに見えた「白い点」の正体が知りたい。)

それにしても、繋温泉があると思われる辺りに白煙が上がっていたのだが、あれは湯けむりだったのだろうか。



南西から西にかけての眺めは、11年前も今日も、ほとんど違いはなかった。
だが、この日は葛根田川の谷間の林間から点々と昇る湯けむりが、よく目立っていた。

これは、当時岩手山が噴火活動を活発化させていたこととの関係はなく、今も葛根田川の谷間は“高熱源地帯”として、大規模な地熱発電所を稼動させている。ちなみに、この道が辿りつくことが出来なかった終点の松川地区にも、やはり地熱発電所が存在する。
この地域は、穏やかで大らかな山容が見せる外見に似合わず、地球の熱い息吹が感じられる日本有数のホットスポットなのである。

なので、この道が開通していたら、それに因んだ愛称がつけられていたかも知れない。“ほっとロード”とか。


↑これはオマケのパノラマ画像。あまり出来は良くないけど…。


以上、11年前のビュー体験は、こんな感じでありました。



無念の工事打ち切り地点まで、あと400m!