2014/11/12 10:58 《現在地》
現在地である市道交差点の標高は約300m、スタート地点の焼山交差点が210mだったので、90mばかり登ってきた。おそらくこの5割は階段による上りだったろう。
当面の目的地であり、高原の端にあたる湯ノ台の標高が450mくらいなので、まだ結構登らなければならないし、最終目的地の仙人平ともなれば約600mの高さがあり、先は長い。
市道を横断すると、すぐに第10番目の階段が出迎えてくれた。
全部で16段くらいで、久々に短めの階段だったが、登りきると、はじめての光景が待ち受けていた。
← なんですか? この“四角いの”は?
植物が枯れてしまった花壇の跡?
形はそれっぽいが、道の真ん中だぞ…。
近付いて観察してみると、この四角い土地の広さは幅3m奥行き5mくらいで、周辺の路面との高低差は無い。また、この土地の分だけ道幅が左右に広がっている。
内部は未舗装だが、土はよく締まっていて、普通に自転車でも走る事が出来るた。
なお、その向こう側に見えるのは、これまで階段の度に設置されていた「自転車を降りて通行して下さい」の看板で、奥は直前に登ってきた階段である。
謎の四角いスペースの先の道は、こんな風になっている。
道幅はすぐに従来のものに戻り、それとともにセンターラインや路肩の白線が復活する。
四角いスペースから始まるこの辺りの路面は全く平坦であるが、その平坦な路面が、さも九十九折りの山道のように右に激しくカーブしているのは、何だか違和感がある。
さっきの階段なんて作らなくても、この辺り全体を坂道にすれば十分な快走路が出来ただろうに。
なお、左奥に見える広いアスファルトの路面は、今しがた交差した市道である。
この市道も十和田湖温泉をスタートして湯ノ台へ向かっているが、ほんの3km弱で200mの高さを上るだけあって、自転車に対しても正当に手厳しそうだった。
少なくとも下り道ならば、向こうの市道の方が遙かに爽快なサイクリングを提供してくれるだろう。
結局、「四角いスペース」の正体は判明せぬまま、先へ進む事にした。
まああれはきっと、不人気で植木が枯れてしまった花壇だったのだろう。
そんな風に自分を納得させながら、平坦なヘアピンカーブ(←シュールだ…)を回り込むと、そこには1枚のL字型路上看板が向こうを向いて掲げられていた。
この形の看板も、この道でははじめて見る。
もしかして、さっきの「四角いの」の正体が分かるかも?! ワクワク↓↓↓
……………
クソいらねぇ…(真顔)。
【いらない】←強調。
仮にてめぇのチャリが貴方の自転車が、ここに下ってくる途中でブレーキがぶっとんでしまったとしても、この(←)とても長い平坦に近い部分で十分に減速して停止出来るはずだ。
仮に1000歩譲って、高速のままここを突破したとしたら、そこに待っているのは“平坦ヘアピン”(↑)。
こんなバンクのかかっていないヘアピンカーブを高速で曲がれるわけもなく、確実にコースアウト大破だ。
そんな二つの全く矛盾した道路状況を、なぜか高速のまま突破した超能力サイクリストだけが、あの(→)「非常停止施設」を活用できるというのだから、設計者には補助輪付き自転車を進呈したい。
この自転車道用の「非常停止施設」は、これまでの階段連打が児戯に思えるくらいの衝撃だった。
笑いすぎて、しばらく顔が引きつってしまった(しかもなぜか右足を痙ったwwイテェw)。
まだニヤニヤしたまま漕いでます。
凄く、すごく、坂道が緩やかです。
ネタのつもりでは無いと信じていますが、どうしてもさっきの物々しい「STOP 非常停止施設」の看板が脳裏にチラ付いてきて、顔が明るんでしまいます。
やっぱりこれは、人を笑顔にするための粋な計らいだったのでしょうか?
そういえば、階段がありませんね。
階段はサイクリングの邪魔者だという、自転車に乗る小学生の97%が知っている真理に、ようやく建設省の担当官も気付いたのかも知れません。
そうであることを祈りましょう。
祈るのです。
祈って!
みんなも祈って! おれもう階段イヤダヨー(本音)。
あれあれ?!
これは本当に“改心”した? しちゃった?!
急に階段を使わなくなったぞ。
そのかわり、従来以上にゆるやかふわふわとした線形で秋の森を登るようになった。
相変わらず非常に緩勾配なので、下り坂でスピードを出す爽快感は望むべくもないが(絶対にさっきの非常停止施設は要らない)、登り坂として体験するなら楽でいいかも。
ゆるやかな九十九折りを登っていくと、やや眺望に優れた場所があった。
ただ、(前話公開後の読者さまコメントでも指摘があったが、)私がこの道でここまであまり眺望の話をしないのは、単に大したことが無いからだ。
八甲田山や奥入瀬渓流、さらに十和田湖といった、この道が結ぼうとした周辺景勝地の卓然たる眺めと比較してしまうと、ここまでの眺めは平凡といわざるを得ない。
ときおり眺望が開けても、見えるのは奥入瀬川下流の丘陵地だけというのは残念だ。
今後に期待したい。
さらに進んでいくと、周囲の地形がますます緩まってきた。
これでは階段を要さないのも道理と思えるが、まだ湯ノ台や仙人平がある高原上に辿りついたわけでは無い。
おそらく高原は、木々の向こうに透けて見える稜線の上だろう。
そこまではまだ結構な高低差が見て取れるし、今の緩やかさもたぶん一時的なものと思われる。
といったところで、この道でははじめて見る道路標識があった。
この標識自体は見馴れたものだし、恐らく皆さまも見たことがあるだろう。
案内標識のひとつである「待避所」だ。
わざわざ白線で上下線分離がされているこの道に、なぜ待避所が必要なのかという疑問は置いておき、この標識のデザインが実は旧式だ。
このデザインの標識は、昭和39年に「避難所あり」として初登場したもので、以来「待避所あり」「待避所」などと名前は変遷しつつデザインは長く変わらなかったのだが、昭和61年になって今のデザインに変更されている。(今のデザインの方がマイナーかも…)
まあそんなわけで、こんな標識からも本路線の整備時期が昭和61年より前と分かるのだ。
11:06 《現在地》
「待避所」の標識の先にあったのは、その名前で呼ぶよりは「休憩場」としたほうがしっくり来そうな広場であった。
自動車専用道路にあるサービスエリアが自動車でしか訪れられないように、この休憩所は自転車でしか来ることが出来ない場所である。
だから何だと言われると、答えに窮するが。
とりあえず、ここには木椅子と木机と木看板があるだけで、眺望も開けないが、森林内は全方向とも見える限り広葉樹ばかりが生えていて、いい気分だ。
終点で見たものから数えて3枚目の案内板だが、ようやく2.5km来たらしい。そして残りは9.0km。
…体力的にはまだへっちゃらだが、緩やかさをひたすら重視したせいだろう。目的地までの迂遠が半端ない気がする…。なかなか目的地が近付かない。
ちなみに、前回の1.3km地点にあった看板も今回の看板も、現在の国道103号は「県道青森十和田線」という、平成5年の国道昇格以前の表記のままだった。
当時は「青森県道青森十和田線」と「青森県道青森十和田湖自転車道線」という、似た路線名の県道が接続していたということになる。ややこしい。
この休憩所から出発した私は、それから少しの後、
新たな衝撃に身を灼かれるのであった…。
階段を使わなくなったと思ったら、
またろくでもない事を始めてしまった気配が…。
上の写真は、そんな“新たな衝撃”を予感しつつあった私が、
休憩所(写真右奥に見える)辺りを見下ろして撮影したものである。
これだけならば、普通に美しい道路の俯瞰写真であるかもしれない。
そして次の写真は、これから4分走った後に、
やはり同じように来た道を振り返って撮影したものとなる。
↓↓
何を伝えたいか、お分かり頂けるだろうか?
いや、やはり写真では上手く伝わらないであろう。不十分であろう。
これは動画でなければならない! ぜひ次の動画を見て欲しい。
山行が史上、最も(撮影している最中の)私が笑った動画である。(多分)
↓↓↓
wwwwこの森の中にwwwwなんぼ一杯道引いたんだよwwwwwwwwww完全に三島通庸を越えてるだろwwwwwwwなんぼうねうねしてんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwww
(ミッチー風評被害ww)
ほんと、なんでここに来て急に、
「階段なんてあり得ない!」
みたいになってんだよwwww
ここなんて、序盤の勢いなら階段3つでクリアだったろw
さっきまではそうしてたじゃねーかよww
なんで「非常停止施設」一つを、ここまで活かそうとするんだよwww
もうアレは失敗作と認めていいから、階段イっちゃえよw
いくら道幅が狭くて排ガス公害も無い自転車道だからって、
なんぼ執拗にこの穏やかな森を蹂躙しまくる気なんだよ!!
この辺りのルートをGPSログから地図上で示すと、まるで腸のようだった…。
さすがに今どきの小学生でも、ここまで足弱じゃねーだろうさ。
つうか、“死んでもスピードは出させない作戦” が、マジで狂気じみて来てるぜ。
笑いながらも、ちょっとだけ怖くなってきた。
マジで大規模自転車道は伏魔殿だったんじゃねーか…。
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