ドナドナ… ドナドナー…… (涙)
当サイト初となる愛知県道のレポートは、レッカー移動される先代愛車“ワルクード”の姿という、衝撃的なシーンから始まる。(この年の秋に本当にお別れしたわけだが…)
平成26(2014)年4月に自身初となる三河地方の探索へ出かけた私は、そこで当初の計画を大幅に上回る時間を過ごした。
原因は、ワルクードの突然の故障である。
初日の探索が終わり、新城市内の夜道を移動している最中、突然クラッチペダルが作動しなくなったのである。
自走不能に陥った私は、JAFに救援を要請したが、その場では原因が不明で、応急修理も不可能だったため、豊川市内へのレッカー移動となった。
この夜の私は、急遽豊川IC近くのビジネスホテルに宿泊し、翌朝一番で修理工場へ車を運んだ。それが写真の場面だ。
この段階では、故障の原因も、無事に治るのかも、それに何日を要するのかも全く分からず、非常に不安な気持ちのまま、全く土地鑑のない所に放り出された形であった。私にとって、初の三河がこうも厳しい探索地になろうとは。
旅先に車を残したまま一度帰宅することも考えたが、せっかくならば、この時間もオブローダーとして有効に活用したいと思った。
とりあえず2〜3日で修理が終わることを願いつつ、またそれを前提として、前夜に泊ったホテルを根城に(普段は車中泊である)、豊川周辺で探索をしながら過ごすことに決した。
幸い、探索のための道具は全て揃っている。
しかし、計画にない探索を急遽行うにも、用意したネタがない。
そこで地図と睨めっこして、地図上に見えている分かりやすい地雷…じゃなくてネタである、いくつかの不通県道に注目した。
困ったときは不通県道に行くのが、私の探索処世術(笑)。
今回紹介する愛知県道368号豊川蒲郡線は、そのような事情から臨時に探索を行った不通県道のひとつである。
ドナドナを見送った4月8日に、いつになく心の中に不安をたくさん抱えた状況で行った探索だ。
なお、この故障は結局、クラッチペダルに繋がっているケーブルが断裂していたという単純な原因であった。
そして部品の入手には2日を要したため、私は計画よりも2日長く豊川に滞在して探索を行った。
秋田から東京へと転居した私が、たった2日間だが、根城をもって道路探索へ出撃した“第3の地”豊川の道を、ご覧いただこう。
根城となったビジネスホテルがある愛知県豊川市の豊川ICから、西へ約8km離れた同市内に、東海道五十三次の宿場として名の知れた御油(ごゆ)町がある。
東海道を受け継いだ国道1号上の追分交差点を起点に、西へ向かって国坂峠の山を越え、三河湾(渥美湾)の湾奥に位置する蒲郡(がまごおり)市の中心部にある、国道473号上の終点へ至るのが、全長約17kmの一般県道、愛知県道368号豊川蒲郡線である。
その名の通り、豊川と蒲郡の両市役所間を最短距離で結ぶ経路にあたる。
全線の最高所である市境の国坂峠(海抜200m)は、数年前まで有料の観光道路だった三河湾スカイライン(県道525号)の南口にあたる土地で、交通量もそれなりにある。ゆえにこの道は路線名に恥じない越境の機能をちゃんと果たしているのだが、その本題から少し外れた豊川市内に、短距離ながら未整備の区間が残っている。
それは、豊川市御油町と同市御津(みと)町金野(かねの)の間にある、灰野坂という、海抜たった140m弱のささやかな峠越えだ。
私が探索時に持ち歩いているメインの地図は二つあり、スマホにインストールした「スーパーマップルデジタル」と、同じくスマホのアプリで閲覧できる「地理院地図」だ。
右図は、前者の地図で見た県道368号の灰野坂付近である。(「灰野坂」という名前は、現地探索中に初めて知ったが、レポート中でも先取りして使う)
元の地図だと、灰野坂の前後約2.1kmの区間について、県道を示す色塗りが途切れており、俗に言う“不通県道”らしい表現になっている。
だが、その区間内にも細い峠越えの道自体は描かれており(私が赤く着色したルート)、概ねその道に沿って「道路の予定線」を示すグレーのラインも敷かれている。将来的に新道が計画されているのは間違いない。
私は、この赤く着色したルートを自転車で探索した。
なお、「地理院地図」は峠西側の一部について、“赤線”とは違うルートを県道として塗り分けている。だが、豊川市がインターネット上に公開している都市計画図(外部リンク)では、私が探索した“赤線”のルートを県道としている。このことも探索の前夜に確認していた。
それでは、県道の起点である御油町から探索をスタートしよう!