道路レポート 福井県道209号五幡新保停車場線 中編

公開日 2016.1.26
探索日 2015.9.14
所在地 福井県敦賀市

路地から始まる県道のゆくえ。


2015/9/14 15:47 《現在地》

本当の初っ端からもの凄いインパクトのある、県道209号の起点。
とりあえず昨日「前編」を書いて公開した直後から、早速にして読者さまから、「(探索しようと思ったけど)起点の交差点を曲がろうとして断念したっきりでした」とか「カーナビに県道があるのに入口が見あたらなくて不思議だった」というようなコメントが寄せられ、私としては、「やっぱそうだよね〜」と、早速ほくほく顔なのである。

まあそれはさて置き、探索レポートの続きである。
意を決して(ニヤニヤしながら)足を踏み入れた“路地県道”であるが、30mくらい入った所で振り返って撮影したのが、この写真だ。
奥の突き当たりが国道8号と日本海。向かって左に軽トラが見えているが、紛れもないこの道の利用“車”である。
車体の大きさと比較しても、この道がまさに“軽トラ専用サイズ”であることが、お分かり頂けるだろう。




最初「だけ」が極端に細いみたいな、そんな子供だましではなかった。

その先も、容赦なく狭い路地が続いていた。
微妙にカーブもあるので、見通しは良くない。キツイ。
両側に家並みが密集しているが、明らかにこの道からしかアクセス出来ないお宅が沢山ある。
なんとか5ナンバー車も通れないことはないだろうが、車庫入れとかを考えれば、やはり軽自動車以外をマイカーにするのは現実的で無い気がする。

なお、一応はこの県道の西側50mほどのところに、地形図や各社の地図になぜか全く描かれていない1.5車線の道が並行しているので、狭隘区間を回避して県道の先へ進む事自体は可能である。グーグルの航空写真を見るとその道が見えるが、地図に描かれない理由は不明である。(住民用の私道?)



15:51 《現在地》

狭いが一応車道ではある県道は、起点から150mほど進んだ所で1本の路地を右に分け、直後に自身は左へと直角に折れていた。
この屈折の正面に見えるのは西勝寺というお寺で、背後の山はこれから向かうウツロギ峠に繋がる尾根だ。
小さくギュッと密集している五幡集落は、このお寺の辺りで、もうほとんど山側の端まで達している。

ようやく路地という狭路からの解放なるか。
変な期待にニヤニヤしながら、直角カーーーブ!!




直角カーブの先も狭いままだったが、お寺の外壁に沿って30mほど進んだ所で、ようやく極端な狭さからの解放となった。

ここで左から合流してきた1.5車線の道は、前述した地図になぜか描かれていない通りで、ここで県道を掠めた後に、今度は直角に折れて正面の田圃へ向かっている。
この田圃は、先ほど未成の新県道で一往復した場所であり、ここからも新道の姿が微かに見えた。

だが、県道の進路は、この直進ではない。
ここにもまた、本県道を圧倒的に日陰の存在へと陥れる、凶悪の罠が待ち受けていたのである。
再度の直角狭路侵入 という。



我が進路は、
完全なる日陰のおばあちゃん社交場と化していた。

これは、何か聞きたいことがあるときには嬉しい配置だが、今のようにただ通りすぎたい
(残念ながら、この先の行程を考えると、余り余裕がない)場合には、気の重い配置だ。

おばあちゃん達と、おばあちゃん達の標準車であるシルバーカー&猫車によって、
狭すぎる県道はほとんど路上封鎖の状況になっていたのである。



潜り抜けて進むと、間もなく道は集落を離れて、山際の風景に融け込んだ。
だが、相変わらず狭いまま。
土地には余裕がありそうなのに、道だけは拡げられる気配が無い。

おそらくは、古い時代の一般的な道幅である六尺道(6尺=1間=約1.8m)のまま、今日に至るまで、現代的な道路整備からほとんど乗り残されてきたのであろう。
一応は鋪装がなされ、農道程度の役割を果たしてはいるが、峠を越えて地域と結ぶという広域交通路としての機能を期待される県道としては、明らかに無理がある。

この先にあるのは、ウツロギ峠という、地図にも名前の出ている峠である。
資料を求めるまでもなく、確実にかつては重要な道だったのだろうと思うが、時代に見合う整備がされていないため、今ではせいぜい趣味の需要を満たすだけの存在に甘んじている。



もはや集落を離れて久しく、道路状況が改善する要素はもう消え失せた。
申し訳程度に続いていた鋪装さえ、次のカーブで終わる模様。
この様子だと、傍らの田圃が尽きたときが、とても心配。
あえなく廃道化し、この季節では猛烈な草藪に埋もれたとしても、あまり意外とは思わないだろう。
さっきも書いたが、今から大立ち回りというのは時間的に厳しい。日は傾き始めている。

始めて来る土地での探索で、土地勘は皆無。
そこで立ちはだかる峠路への不安。
こういうとき、多くの人が同じような心境になる。
現代人であっても、こんな場面に身を置いたときに出来る事は、さほど変わっていない気がする。
すなわちそれは、神頼みの心境。
ここに残された昔人の形跡を、私もきっと、同じ心境で眺めている。



路傍にあったのは、もはや何の碑であったかも判別しがたいほどに風化した碑を中心にした石仏群。
形も大きさも違う3体の地蔵が、石碑や石灯籠の頭だけのものの周りに、リズミカルに散りばめられていた。

豪華ではあるが置き去りに久しい造花の花束には感じがたい、生きた信心に満たされている。
一緒に供えられた4杯の茶碗にも、全て透き通った水が注がれている。明らかに今日の手入れだ。

廃道寸前のように思えた道に、血が通った気がした。



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物言わぬ石仏に励まされつつ、遂に鋪装の途絶えた県道へ。
いよいよ田圃も終わりそうだ。
本格的に足元の轍の数が心許ない。

もし、敦賀土木事務所がこの辺りに“ヘキサ”の一つでも建ててくれれば、いきなり全国区の“道路名所”になれるんじゃないかと思ったりもするが、多くの道路管理者は未だに道路趣味者に媚びるような真似はせず、実直に堅実に必要性だけに根ざした仕事を続けてくれている。「階段国道」が全国区の観光名所として知られている今日、流石に全く存在が知られていないわけでもなかろうに。だが、管理者が真面目一辺倒であるからこそ、我々は真剣な考察のし甲斐があるともいえる。

ここは県道でなければ、ただの、本当にただの、畦道である。
しかし、県道であるという事実は、道がしょぼいほどにギャップの魅力を強く放つのだ。
そしてそんな風景のことだけでなく、「なぜ県道か」という思索の味が、また深い。



15:56 《現在地》

県道起点の五幡交差点からおおよそ600m、畦道から山道へと移り変わる時が来た。
そしてここで思い出したように、敦賀土木事務所の「通行止」看板。
今さらである。ここまで進んできた人ならば、確信犯しかいないだろう。当然無視されてしまう定めだ。

また、それなりの覚悟を決めてきた場面だっただけに、寧ろこの先の山岳区間の方が、道が良さそうなのは意外だった。
轍は相変わらず細く、たかが知れたような交通量だが、いきなり廃道の可能性もあると思っていただけに嬉しい。

これは、左からここで合流してきた道のお陰かも知れない。
この道は新道の終点から伸びていた、あのゲートの閉まった道に通じているようだ。
ゲートは“関係者”ならば開けられるだろうから、“関係者”が今までの狭い県道ではなく新道を迂回して、この先へ入っているのかも。



「通行止」の看板を脇目に山の中に入ってから、既に6分ほど経過した状況である。
この間、路面には常に四輪の薄い轍が付いている状況で、相変わらず道幅は狭めであるが、県道だと思わなければ、例えば林道だったなら、良くあるくらいの道路状況だ。

また、流石に山間部に入ると、田圃の中にいた時よりは上り方もはっきりしていて、海岸から標高170mの峠へ直に上り詰める行程に必要な仕事を、順調にこなしている感じがした。

最近は特に変わった風景にも出会えてないが、今回は「突破すること」こそ最大の目的であるから、奇をてらった展開にはならなくて、宜しいのである。このままで願いたい。



16:09 《現在地》

さらにもう7分ほど自転車を漕ぎ進めると、結構キツイ登り坂の途中に、建物が見えてきた。
遠目に見ても何かが分かるお馴染みの佇まいは、看板を見るまでも無く、集落の配水池なのだと判断出来た。(果たして、敦賀市が管理する「五幡配水池」であった)
これは簡易水道を利用する地区には付き物の施設で、ここまでの道に僅かながら現役の轍が刻まれ、電信柱が続いていたのも、これがこいつがあるお陰ではないかと思った。

…となると、この先がちょっと心配だったりするが…。

ちなみに、GPSによれば現在地は起点から1.3km地点で、標高は80mほどのところ。
だいたい峠までの半分くらいを登ってきたことになる。
また、地形図だとこのだいぶ手前で道の描き方が実線から破線へ変わっているのだが、現場の道路状況には特に違いが見られなかった。



配水池の前には車が辛うじて方向転換出来るだけの広場があり、県道はさらに先へと続いている。
細い轍がぬかるんだ路面に刻まれているが、自転車のサイズと比較しても、いかに頼りなさげなものであるかが分かるだろう。
好天の割に道がぬかるんでいるのも不思議だが、昼なお薄暗い日陰というだけではなく、配水池があるくらいだから地下水も豊富なのだろう。

ところで、この小さな広場の周りの斜面に、見たことがある黄色いものが、いくつも埋もれているのに気付いた(赤矢印の辺り)。

その正体は、道路封鎖の定番、A型バリケードだ。
おそらくは、この場所で道路を封鎖する任務に就いていたのだろうが、何者かに退かされて、斜面に立て掛けられているうちに、すっかり緑に絡め取られてしまったものと想像する。




我ながら、こういうものに対する自分の嗅覚は、時々凄いと思う。

埋もれかけたAバリの一部を頑張って発掘してみると、「福井県」の名前の入った、「通行止」の看板が出て来た。

これ自体は別に珍しいものでも無いが、ここで県道が封鎖されていたという過去の事実が発覚したわけだ。




「やっぱりこうなったか〜。」

案の定、ここまで車が入っていた最大の目的地とみられる配水池を過ぎて間もなく、路面状況が急速に悪化した。
今はまだ泥のぬかるみと、岩がごろつく荒い路面のために、草藪は路上まで進出していないが、四輪車を通すための整備は既に放棄されている雰囲気だ。

意外だったのは電柱と送電線がまだ続いていることだったが、それだけでは車道として整備し続ける動機には弱いのか。



ぬーん…。

やっぱり避けきれなかったかな…、これは。