本編を既にご覧頂いている前提で話を進めたい。
現在地は、不通区間の東側の端である伊達市霊山字上小国。
写真は不通区間の入口にあたる三叉路を撮っている。
向かって右の砂利道が、県道318号の不通区間だ。
傍らには、日焼けした「車両通行止め」の標識も立っている。
とまあ、私の通常の認識はそんなところだが、道路台帳を見るともっと詳しい事が解る。
例えば、厳密に言うと「自動車通行不能区間」はここから始まるのではなく、この分岐から35メートル50センチ入った地点からである。
幅員、勾配、カーブのR、路面状況。そういった情報も記載されている。
R=3m、最大勾配23%という、自転車では砂利に車輪が空転してしまい登れないほどの急坂急カーブを経て、上の地点から約150mでここに至る。
ここは何かというと、前回県道と信じて辿った「里道」と、本当の県道との分岐地点である。
写真にカーソルを合わせると、里道を赤、県道を黄色で表示する。
ちなみに、里道とは「さとみち」と読み、国・都道府県・市区町村道・私道のいずれにも該当しない道路のことをさす行政用語である。
道路台帳は、確かに私の辿った道を里道として表示していた。
これが本邦初公開。
道路台帳の“写し”の一部である。
原図は縮尺500分の一程度の地図面を中心にした極めて大きな紙幅であり、一本の国道や県道の管内区間を、数枚から数十、長い路線では数百枚の図で網羅している。
様々な土木事業や地図会社の基礎資料として用いられている。
図中に赤いハイライトで示したラインが県道である。原図中では道路中心点を結んだ一点鎖線がそれを示す。
そして、青いハイライトのラインが里道であり、私は前回の探索でこれを越えて県道実踏を確信したのだった。
この県道のラインは、切り通しの真下を貫通する隧道の存在を容易にイメージさせるものだ。
実際に隧道工事が行われたという証言もあるのだが、図中に坑口を示す記号は描かれておらず、隧道部分は「予定線」表記となっているようだ。
ともかく、山腹深くまでねじ込まれるような切り通しの県道が実測のものとして描かれている。
その姿を確かめたいものだ!
ちなみにこの図面の発行年は平成初年代あたりだったと思うが、道路状況に変更のない限り書き換えられることもないので、現在もこの図は最新であると思う。
2007/12/8 7:17
上の写真と同じ地点から、県道の進行方向を望む。
ここには一軒の大きな民家があり、入口から続いてきた車の轍も庭先でぷつりと途絶えている。
その先に続く道があるようには思えない。
…それに、如何にも私有地、私道っぽくてちょっと立ち入りがたい雰囲気がある。
だが、
手元の道路台帳は、ここが天下の公道であると言っている。
寝起きのこの時間に住人に見られればかなり不審がられそうだが、来てしまったからには行くしかあるまい!
うーーむ。
やはり道路台帳は曲者である。
図中ではまっさらな道路面が描かれているが、あくまでもそれは図面の中である。
実際の道路状況は、藪である。
しかも、どう見ても民家の裏庭なのである。プランターとが置かれてるし…。
ドロボーだと思われないだろうなぁ……
あのときも道路台帳を頼りに不通県道へ突撃し、散々苦しんだあげくに敗退する羽目になったが、その辛い思い出が甦る。
“チャボトリアリマス” を思い出す。
小屋の中のチャボたちが、ポッポポッポいいながら不審気な視線を私に送って来た。
「安心しろ。」
俺はお前達に興味はない。
ただ、お前達が騒ぎ出して、家人が何事かと窓を開けるのが怖いだけだ。
藪だけでなく、色々な障害物が置かれた県道をさらに進んでいく。
ますます藪が深くなり、視界が利かなくなる。
台帳曰わく、坑口予定地まで50mも無いはずだが…。
民家が見えないところまで来てホッとする。
気付けば、そこは両側が杉林の斜面に囲まれた、掘り割りの名残を思わせるような風景になっていた。
路面の藪が深すぎてはっきりと道だと確信出来ないが、人工的な地形の臭いはプンプンする。
道キターー!
こいつは明らかに道だ…。
あったんだ…… 俺の知らない県道の正規ルートが、あったんだ…。
嬉しかった。
二つのチカラ、ギアと車輪がガッチリとかみ合って、
この発見へと私を導いた実感があった。
いまから60年以上も前に建設された新道は、既に森の下地へと戻っていた。
路面を避けて路肩に並ぶように育つスギの壮木は、いつ誰がどんな意図で植えたのだろう。
そして、この不思議な並木の先に、穏やかな終着地が待っていた。
7:19
最初こそどぎまぎしたが、距離相応にあっけない幕引きではあった。
民家の裏手を入ること50mほどで、終点が現れた。
そこは、どう見ても隧道を“待っている”地形だった。
徐々に深くなって来た掘り割りが、真っ向から粘土質の急な斜面に突き当たって消えていた。
もう70mほどで市境に達し、さらに同じくらい地中を進めば反対側の坑口予定地に達する筈だ。
全長150mほどの隧道で用は足りたはずだが、結局ここまで作って工事は終わったようだった。
地表の土が取り除かれ、粘土質の地肌が露出している正面の急崖。
すぐにでも隧道掘削を始められそうな準備地形だ。
下端部分から堆積した土砂で埋もれつつあり、いつかは自然地形と全く見分けが付かなくなってしまうだろう。
だが、今ならばまだ工事も再開できそうだ。
一応は今も県道がここに指定されているのだから、可能性が完全に消えたわけではないと思う。
昭和30年以前の工事が中止になった原因として挙げられていたのは、「費用問題」と「合併問題」。
この山を貫通する新道を作っても、確かに費用対効果は余り期待でき無さそうである。身も蓋もないが。
合併問題というのは詳しく解らないが、調べてみると、ちょうど昭和30年には、隧道のこちら側の旧小国村が霊山町に合併し、向こう側の大波村が福島市に編入されていた。
要するに、隣村同士を繋ぐ山越の道という使命が、両村の広域的な合併によって軽視されるようになってしまったのではないかと考えられるのだ。
そして私は、このあとに向かった山の反対側でも、同様の道路痕を発見することとなった。