福島県道53号会津高田柳津線 赤留不通区 前編

公開日 2011. 2.22
探索日 2010.11.27
所在地 福島県会津美里町

福島県道53号「会津高田柳津線」は、会津盆地の西南端に位置する歴史ある商都高田と、奥会津の玄関口に位置する寺と温泉のまち柳津を結ぶ、全長20kmの主要地方道である。
起点と終点付近以外は会津山地の山中を通る山岳路線であり、赤留(あかる)峠と市野峠という2つの峠が控えている。
また、柳津と高田を結ぶ交通量自体あまり多くないことから、比較的閑散路線といえる。

とはいえ現役の県道であり、この程度の縮尺の地図では特に“異変”に気づくと言うこともない。
というか、ドライバー的には全くそれで問題がない。
あなたが普通に道路標識に従って車を走らせていれば、ちゃんとこの県道は高田から柳津、或いはその逆へ移動させてくれる。

問題ない。




だが、縮尺の大きな道路地図(左画像は「スーパーマップルデジタル11」)で、この赤留峠と市野峠の間に挟まっている谷…二岐(ふたまた)地区を見てみると、小さな“異変”に気づくことになる。

……

………

…お分かりいただけただろうか?


図の右側、高田から赤留峠を越えて下ってきた県道53号は、中ノ山というところを過ぎて仏沢に入ると、突如県道ではなくなってしまう。
しかし道自体は続いており、1kmほど進むとまた県道に合流する。
だが、よく地図を見るとこの県道は元の53号ではなく、59号の「会津若松三島線」なのである。

そしてそこから上流の二岐へ向かうが、二岐を過ぎたあたりから先は、今度は県道53号と59号の重複区間となっている。
厳密にどこから重複区間なのかは地図上で分からないが、ともかくこんな感じに県道53号は不自然に途切れ、そしてまた復活している。

どうして、仏沢地区だけ県道の指定から除外されているのだろう。




この謎を解決する最大の手掛かりとなったのは、オブローダーはみんな大好きみんなのヒーロー、お馴染み人文社の1/50000広域道路地図「福島県」の平成3年版だ。



ふっふふふ。



どうやら、…あるみたいだ。



今の地図からは消えた県道が。


距離は短いようだが、これは行かねばなるまい。





気づかぬうちに離れ、そしてまた戻っている “騙しの県道” その手口を公開。


2010/11/27 12:12 【現在地(マピオン)】

起点の高田から最初の2kmは、広大な田んぼを真っ直ぐ突き抜ける2車線の快走路だったが、峠前集落であるこの赤留に着くと、突然1.5車線に狭まった。
決して大きな集落ではないが、緩やかな登り坂の両側には家屋が密集しており、道が近世の「赤留越え銀山街道」(山中通りともいった)に由来することを思い出させた。

集落付近の標高は約300mで、その背後に明瞭な鞍部を見せることもなくダラダラと連なっている山並みの中に、海抜550mの赤留峠がある。




赤留集落の外れから狭い沢をしばらく上り、最後に急な斜面に喘ぎながら5,6回切り返すと、思いのほか深く掘り割られて日蔭になった赤留峠に到着した。
舗装は比較的新しいようだが、路肩の白線をぼうぼうに育ったススキが侵しており、交通量の少なさを感じさせる。
集落外れから峠まで、約3kmあった。

この赤留峠は町や村の境ではなく、大字の境でさえもない。
峠の表も裏も同じ会津美里町であり、赤留地区である。
日常的に歩くとしたら決して無視できる大きさの峠ではないが、歴史的にこの峠は“境”ではなかったのだろう。




《現在地》

峠の西側は勾配が緩やかで、特に大きなカーブもなく1kmほど下ると、西向きの斜面に広がる小さな集落が現れた。
大字としては引き続き赤留だが、中ノ山という集落である。
標高はまだ480mほどあり、これは峠の中腹といって良い高さだ。
なにせ、これからもうひとつの峠である市野峠(海抜500m)に上る前に一旦渡らなければならない佐賀瀬(さがせ)川の河床は、海抜360m付近にある。
ここはまだ“下り半ば”なのである。




峠から中ノ山集落までは2車線だったが、集落を出るとまた1.5車線に逆戻りし、それと同時に雪国の県道とは思えないような、もの凄い下り坂が始まった。
左の写真は、中でも急さが際立っていた切り返しのカーブで、九十九折りというか雷光型に落ちていく感じだ。

しかしこれでも集落の生命線であり、冬は除雪もされ通行が確保される、れっきとした県道である。(逆に中ノ山〜赤留間は冬期閉鎖となる)

.




そろそろ、かな…。

そろそろなはずなんだけどな…。


分岐…。

分岐があるはず…。

人文社の地図に描かれていた本来の県道が、左に別れていく場所が、このあたりにあるはずなんだけど…。





…あらら。

どうも、呆気なくスルーしまった感じだ。
おそらくここはもう仏沢集落。
標高は430m前後で、谷底までは段丘崖をもう一段下りれば着くことになる。

風景的には先ほどの中ノ山とあまり違いは見られないが、この仏沢は大字が変わり佐賀瀬川となる。
そして、平成17年までは町村も違っていた。
これまでは旧会津高田町、ここからは旧新鶴村の領分である。




《現在地》

仏沢集落を過ぎるとまた急な下り坂がはじまり、数回切り返して遂に佐賀瀬川沿いの道に突き当たった。
この突き当たった道が県道59号であり、すぐそばに一軒の廃屋と、仏沢下というバス停がある。(時刻表を見る限り、往来は1日2本!)

右の写真は同交差点を県道59号側から振り返ったものだが、県道53号からは左の道を下ってくる。
一応青看も設置されているが、県道の表記は無い。
前説でも述べたとおり、ここから始まる道は県道ではなく、会津美里町の町道(旧新鶴村道)に過ぎないのだ。




引き返して“本当の”県道の分岐を探したかったが、うっかり下ってきてしまったので、先に県道53号と59号の重複が始まる地点を探してみることにした。

県道59号「会津若松三島線」を、仏沢下から二岐に向かって南下する。
佐賀瀬川をさかのぼる方向なので、当然登り坂だが、勾配は極めて緩やかである。
そして、まだ重複区間ではないものの、実質的には県道53号と59号の2本の交通量が集中している区間であるにもかかわらず、道幅は1.5車線で、実際の交通量も多くはなかった。




《現在地》

佐賀瀬川沿いを進むこと700m少々で二岐に着くと、突然道が立派になった。
人文社の地図ではまだ開通していなかった新道である。

ここは昔から佐賀瀬川が二岐川と西ノ沢に別れる場所なので、二岐と呼ばれきた。
そして交通の面においても、ここは佐賀瀬川沿いの街道(戦国時代には越後と関東を結ぶ主要な道であった八反道)と、赤留越え銀山街道が分岐する二岐であった。

そしてさらに今は、まったく別の二岐が出現していた。
直進するのが県道59号だが、ここで右折する同じくらい立派な2車線舗装路は、元大規模林道の飯豊檜枝岐線である(現在は市町村道らしい)
この先の区間で長い間工事がストップしているので、道は立派だが交通量はごくごく少ないし、入口にはそれと分かる標識さえない。




そして、上の写真で赤い小矢印をつけた地点。

そこまで行くと、突然、県道53号のヘキサが現れた。

ということは、このあたりで県道53号が県道59号と合流し、重複区間が始まったのである。

ヘキサの周辺に【人文社の地図】に描かれていたような分岐は見あたらないのだが…。



まさか…。

この背後のススキの藪が……。



いや、そんなはず………。









とりあえず、一旦戻ろう。


最終的な下降点が分からないという気持の悪さを胸に秘めたまま、

今度は当初の計画通り、

高田側から本来の県道53号を下ることにする。


そのためには、仏沢の分岐を確定させなければならないが…。



途中、怪しい場所は……


1箇所しかなかった。


それは、【ここだ】。








13:07 《現在地》

先ほどは「そろそろ…」と思いながらも、何となく通過してしまった、この地点。

ここが旧会津高田町(中ノ山)と旧新鶴村(仏沢)の境であり、地形図では寺沢という沢が道を横断していることになっているが、それは見あたらない。
しかし、確かに道は微妙に弓なりに、沢を越えるようか感じにしなってはいる。

上から下ってきた県道と、下から上っていく町道が、寺沢の一点でぶつかっている…。




  なるほど……これは…

  反対側(上)からだと、全然気がつかなかったが…。







県道…みつけた。


よっしゃ!