2010/11/27 13:07 【現在地(マピオン)】
こんなこと、オブローダー以外は意識する必要がないと思われるが、ともかく福島県道53号の本当の指定ルートは、この矢印のようになっている。
そこに道があることに気づくだけならばいざ知らず、ノーヒントでこれが県道だと気付けというのは、ちょっと無理がある。
だが、県の資料その他を見てみても、確かに平成22年現在、県道53号にはわずか400mばかりではあるが、自動車交通不能区間があることが記録されている。
ここから始まるのだ。
たしかに…
こうやって見ると…、
道があるのはある。
完全に廃道というわけでもなく、わずかに草刈りなどもされているのかも知れない。
そうでなければ、このふかふかした下草の絨毯というのもあり得ないだろう。
周りは笹藪なのだから。
ここが県道であると言うのは、さすがに資料無しでは知り得ないことだが、道自体は(気づいてしまえば)明瞭だった。
そうだ、
これは予想外にいい。
予想外に、しっかりした道ではないか。
【これ】を見る限り、谷底までの50m近い高低差をほとんど無視して直下降するような、“車道ならざる道”を想像していた。
そもそも道自体が図面上でしか存在しないか、仮に存在するとしても、それはいわゆる“登山道県道”のようなものではないだろうかと、そう予想していた。
しかし、実際にはご覧の通り、常識的な車道としての勾配と幅員を有する、かつては本当に車を通じていたのではないかと感じさせるような道があったのである。
これは嬉しい誤算だった。
もっとも、さすがに人文社の地図の通り、昭和60年代までこの道が県道として車の通行を許していたとは思えないが。
オブロー道は褒めたら駄目だね。やっぱり(笑)。
「意外にまともじゃん」なんて思っていたが、まもなく道幅は1mくらいに縮小してしまった。
しかし、本来はもう少し広かったのだろうとも思う。
これは、おそらく路肩が崩れてこうなったのだろうと。
斜面をトラバースする勾配は、むしろ現役区間の方が急だったと思えるほどで、やはり本来は車道としての通用を想定していたのだと思うのだ。
石垣ひとつ見あたらないが、落ち着いた、いい古道の風情だった。
順調に推移している。
等高線はかなり密だが、道はそれを意外に上手く乗りこなしている感じだ。
これはほんとうに、下までちゃんと続いているかも知れない。
下でそれらしい合流地点を見出せていないのは、大きな不安材料だったが…。
そして、何かが見えてきた。
予想外の… 屋根だった。
13:10 《現在地》
それは、よく見れば地形図にも記載されている建物だった。
地形図だと2軒あるようだったが、現存するのは1軒だけか?
ここへ来る唯一の道がそうであったように、この家にも日常から人が通っているふうではない…。
雨戸も全て閉ざされ、おそらくは無住。
ただ、外見的には廃屋と言うほど荒れておらず、庭木と周囲の森は明確に区別しうる。
ここも集落としては一応、中ノ山集落に入るのだろうか。
ポツンと離れているものの、この県道が現役の道だったならば、そう不便な場所でもなかったと思う。
県道云々は関係ないとしても、この道在ってこその家だった。そういう立地である。
道の雰囲気が、露骨に変わったと思う。
写真だとそこまで分からないかも知れないが、自転車を押し進める私にとって、路面の変化は明らかだった。
…荒れだした。
人の住まわぬ一軒の民家を境に、何が変わったというのか。
それはおそらく、村の内と外の違いだと思う。
ここまでは、少し離れているとは言え、やはり中ノ山集落としての一体感があったのだと思う。
道も最低限の管理が続けられていたように感じられた。
対してこの先は歴史的にも地理的にも隣組・隣村である二岐への道であり、更に遠くへ続く街道である。
それは村内交通と言うよりも広域交通を担うべき道だが、その役割はとうの昔に仏沢経由の町道に奪われてしまったのだろう。
向こうは2kmばかり遠回りになるが、それも自動車ならば大した距離ではない。
案の定、廃道化した。
日なたになると、藪になる。
いつものパターンだった。
そして、これまでは見通すことが出来なかった、空間の広がりが感じられるようになった。
目指す二岐…佐賀瀬川の谷間が、大きく視界に広がったのである。
想像していたよりも、随分と高いところだった。
ここから谷底の道へ、どうやって下っていくのか。
そもそも、道はちゃんと通じているのだろうか。
…不安が急に大きくなった。
ガサガサガサガサ
ガサガサガサガ… あっ
おおっと!
ちょ! ちょ! ちょっと!
こんなところに出てくるのかよ!
ビックリした。
これでは、どおりで“明るい”わけだ。
藪の底には、半分くらい地面が無かったわけだから。
そこにあったのは、佐賀瀬川沿いの県道バイパスの幾段にもなった法面であり、現在地はその最上段の縁だった。
もちろんそこに、ガードレールなどというものはない。
唐突に、縁だった。
しかしともかく、ともかくこれでゴールは見えた。
眼下にあるのが二岐の集落(おそらくは無人集落)である。
後はこの斜面をくだりさえすれば、無事“合流”ということになるのだが…。
でも、出来ることならば最後まで“道”を辿りたいものである。
そもそもこの足元にある斜面。空身であるならばいざ知らず、自転車を担いで下るなどと言うのは、ちょっと怖い。
というか、多分無理。
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13:14 《現在地》
だが、よくよく見れば道はまだ、残っていた。
確かに路肩は法面に削られていたが、それでもまだ車が1台通り抜けられるくらいの幅が、笹藪の中に存在していた。
笹とススキの絡み合う藪が非常に密であるために、カメラを向けてもそれとは分からないが…。
私はこの藪を半ば自転車の重さに任せるようにして、グイグイと押し進んだ。
幸いにして道はかなり急な下り坂になっており、見た目よりは簡単に突破できた。
反対に上ってこようとは、まず思わないが。
そして、法面上の藪20〜30m区間を突破すると…。
嬉しいことに、まだ道が存在していた。
やはりここには、もともと1本の道が存在していたのである。
それがやがて使われなくなり、さらに県道バイパスの開通によって、地図からも消えてしまったのだろうと思う。
いよいよ眼下の県道バイパスとの高低差は、20mくらいになった。
もうひと息で合流できそうだと思ったが…
前方に再び奇妙な “明るさ” が。
そこは一見すると、体の良い平場だった。
しかし、それが道ではないことは、明らかだった。
それは、おおよそ人の手など加わっていない、崩壊斜面の一角。
たまたま崩れ落ちた斜面の途上に、重力の都合で平坦な部分が生まれただけに違いなかった。
そう判断できる理由は、辺りを見回せば数多かった。
写真は、平場の上を撮影した。
明らかに、まだ崩れてからそう経っていない崩壊地だ。
雨が降れば、いまも崩れ続けているのかも知れない。
私が来た方向以外、周囲に道はなかった。
道はこの平場で道は行き止まりで、そこから先…
土と岩の崩壊斜面の向こう側にも、道の続きはなかった。
もうゴールは目前なのに、正直、途方に暮れた。
もうまるっきり地形が変化してしまっていて、最後の道を探ることはどうしても出来ない。
仕方がないので、見覚えのある土嚢が積まれた路肩に向け、崩壊斜面を直下降することにした。
正直最後が今ひとつ締まらないが、一応これで…
最後まで道を辿ってゴール出来なかったのは不本意だったが、それでも私が溜飲を下げることが出来たのは、ちょうど下り着いた地点の真横に、県道53号の久しぶりのヘキサが立っていたことである。
この位置にヘキサが立っている意味を考えれば、私が下りてきた崩壊斜面が本来の道だった可能性は、十二分にあると思うのだ。
仮定が正しければ、こうなる。
この場所こそが県道53号と59号という、2本の主要地方道の分岐地点なのだ。
目にはそれと分からぬ…幻の分岐地点。
もっとも、この眼前の土砂崩れが発生する前はちゃんと道が通じていたのか…と言われれば、それも微妙かもしれない。
この県道のバイパスが平成になって開通したことで、本来の県道は切断されているのかも知れない。
結論から言うと、ここのゴールははっきりしない。
明治や【昭和初期の地形図】を確認すると、やはり元々は仏沢経由の現在の町道ではなく、いま辿ってきた県道ルートが使われていたことが分かった。(自動車が通っていたかは判然としないが)
そして昭和末期の状況を【人文社の地図】で見ると、県道のバイパスが出来る以前、2本の県道は右図のように接続していたと判断できる。
既に本題の不通区間は踏破し終えたわけだが、最後にすぐ近くの二岐集落内にある旧県道同士の分岐地点を確認しておこう。
そこがちょっとばかり香ばしい…、良い景色なのである。
…オブ的に。
旧県道59号の若松側から、旧県道53号との分岐地点を見る。
周りは二岐集落だが、人の気配が感じられない。
そして一応2本の旧道は現役だが、この2本が合流して市野峠へと向かう奥の道、つまり重複区間の旧道は、入口から「通行止め」になっていた。
今回は紹介しないが、この奥の旧道は相当にひどい。
藪という意味で。
あと、バス停…。
気づいただろうか?
このバス停に、本当にバスは来るのだろうか?
破れかけた時刻表は、幾重にも貼り替えられ、重ね貼りされた形跡がある。
おそらく時と共に本数を減じてきた、その痕跡である。
このひとつ手前の「仏沢下」バス停でも同じことを思ったが、本当にバスは来るのか?
しかし、来ないならばバス停自体撤去されていそうだし、そうでないまでも、廃止の旨が何か表示されていそうなものだ。
一応、最新のスーパーマップルではバス路線として描かれており、この二岐が終点になっているが…。
2枚上の写真の左端に写っている建物は廃屋なのだが、作りは旅籠屋か旅館のようであった。
いままで、廃村といえばまともな道のない場所というイメージを持っていたが、この二岐の奇妙さは逆である。
主要地方道同士の分岐地点という“現代の交通の要衝”にありながら、しかしそれでもやっぱり生活には不便で…、廃村になった。
すぐそばを走る2車線の県道バイパスが、空しかった。