道路レポート 和歌山県道221号市鹿野鮎川線旧道 深谷隧道 中編

公開日 2015.02.27
探索日 2014.03.25
所在地 和歌山県田辺市


漆黒の闇を賑わす、無数の声


2014/3/25 6:37 《現在地》

「祖国再建」の扁額を潜り、全長654mの隧道内へ進入する。

緩やかに洞内へ向かって空気が流れ込んでいるのを感じる。
そしてその反対に、洞内からは「ゴロゴロゴロゴロ」という、
有機的で奇妙な軽音楽が、絶え間なく聞こえていた。

まあぶっちゃけてしまえば、明らかに、アノ音だと分かるのだが。
ただ、アノ音がなぜ、トンネルの中から聞こえてくるのか。それもこんなに激しく。



この雰囲気、相当にキテマス。


こういうのに慣れすぎていて、素直に「怖い」と表現できない自分が残念だが、
現役の隧道をして、これほど陰気な雰囲気を醸しているものは、珍しい気がする。
もちろん、そう感じる理由はいくつもある。 余裕のない狭さ。 先の見えない暗さ。
そして、出所が未だに分からない声。 際限なく繰り返される声。



坑口から50mほど進むと、突然隧道の断面が変化した。
すこし広くなったが、その代わりに巻き立ては簡易なコンクリート吹き付けに変化した。
それに、広くなったと言っても相変わらず車同士のすれ違いは出来そうにないので、余り意味は無い。

おそらく、ここまでの巻き立ては開通当初からのもので、
この先のコンクリート吹き付け区間は、当初素掘だったのではないだろうか。
坑口付近は地盤が不安定で崩れやすいので、優先して巻き立てたと思われる。



ついに、洞外にまで響き渡っている盛大な音声の出所と、その正体が判明した。

出所は、隧道両側の水が溜まっている排水溝の中。
正体は、カエルたち。(黒くて大きな、ガマガエルに似た、或いはガマガエルそのもの)
目的は、愛の行為。
理由は、水温、水深、薄暗さ、全ての条件が地上よりも愉快であったこと。(推定)

ただし、動画で見ても分かるが、これだけ盛大に声を出していて、そこに沢山いることはあからさまだというのに、私がライトやカメラを向けると巧みに水底の泥の中に隠れてしまうようで、そのものの姿は結局一匹も見る事が出来なかった。

この不自然な事実は、実はカエルの声はブラフであり、より重大な秘密をカムフラージュしているという疑念を誘発する。(ウソだ!)




姿を見せないカエルたちの大合唱は、狭い洞内に反響して、本当に凄かった。
現役の県道だった当時から、毎年のようにこの合唱が繰り広げられていたのだろうか。
思いがけない隧道の効用だと、カエルたちがここを生活圏に組み入れてから、どれだけの時間が経過しているのか、想像出来ない。

そんな状況の中で、探索は進む。
コンクリートが吹き付けられた壁面に、所々、見慣れない形の碍子が取り付けられていた。
隧道内に照明が取り付けられていた痕跡は見られないが、何らかの電信線が通じていたのは間違いないだろう。
碍子の金属部分はすっかり錆びていて、相当に古いもののように見えた。




この賑やかさのままに654mを楽しく終えるのかと一瞬は思ったが、そんなことはなかった。
彼らが暗がりで愛の季節を謳歌していたのは、壁面がコンクリート吹き付けに変わった地点から少しの間だけで、更に奥へ進むと急に後へと遠ざかっていった。
理由は単純で、洞内が上り勾配であるために、奥へ進むと排水溝の水位が下がり、遂に乾いてしまったためである。
ここから先は、私が孤独に闇を切り進む洞内。
まだ、500m以上はあるだろうと思った。

さらに100mほど何事も無く進むと、待望の出口の光が彼方に見え始めた。
地図で見たとおり、まっすぐなトンネルだということが分かる。無駄がないとも、力技だとも、愚直ともいえる、長い長い直線隧道。このことが既に古色を纏っている。
またこれも予想通り、洞内は中央部付近を頂点(サミット)とする、“拝み勾配”になっているようだ。
進むにつれて形を変える出口の光が、その証拠である。
今はまだサミットの向こうに見え始めたばかりなので、弓形に見えていた。



6:44 《現在地》

入洞から6分を経過した時点で、ようやくサミットを過ぎた。
洞内の勾配は常に緩やかで、自転車でなければ気づけない程度であるが、サミットがおそらく中間地点だと思う。
前にも後にも、ほぼ同じ大きさで、ほぼ同じ形の光が見えたから。

ここまで途中に立ち止まって撮影したり、カエルと戯れたりしたので、自転車といえども徒歩並みの進行ペースではあった。
それでも6分を要したところに、この隧道のリアルな長さが感じられる。
もし、この辺りで急に闇から逃れたいという衝動に駆り立てられることがあっても、それは叶わない。
“隧道のような場所”が苦手な人は、この隧道には来ないほうがいい。

……ほらまた、何か得体の知れないモノが見えてきた…。

見慣れぬ物の辺りからは、ボタボタボタボタという、滴る水の音がした。



たぶん、はじめて見る構造物だった。

正体は、天井の漏水に対する水除けのようだが、こういう作りは珍しい。手の凝り用からから見て、県道現役時代のものだとは思う。
長さ20mほどにわたって、内壁の上半分(アーチ部分)が、光沢のあるパネルに覆われている。そして、このパネルある部分の壁面は、コンクリートの吹き付けもされていない素掘りのままだった。

このように、吹き付けとパネル施工が排他的な関係にあるのは、わざとだと思う。コンクリートの吹き付けには防水効果はあるが、ある程度以上激しい漏水は抑えきれず、むしろ水を溜め込んでしまい、壁面の剥離から通行人に重大な危険を及ぼすことになる。だから特別に漏水が多いこの部分(地下水脈)では、敢えて壁面を素掘にすることで水を溜めずに出し、その水が路面を濡らさないようにパネル施工をしたのだろう。

冷静に考えれば、車が水に濡れても余り問題は無いはずだが、冬季の路面凍結を恐れたものか、或いは歩行者の便宜を考えたか。そこまでは分からない。



集中豪雨の20mを出れば、また何事も無かったかのようにカラッとしていた。
ここは、隧道を掘り抜いた人々にとっての試練であったと思う。
当時の技術では、おそらくこれといった止水の術も持たず、ただ全身をびしょ濡れにしながら掘り進んだろう。
異常な出水で坑道が潰滅するような恐怖にとらわれながら。(現に付近の天井には、崩落跡と思われる大穴が…)

そしてここで再度、断面の形が変化する。
路面に見える轍の位置が中央にないことに注目して欲しい。これは断面が左側に少し切り広げられているからで、この隧道内では初めての待避スペースと思われた。たぶん当初からのものでは無いだろうが。

待避所の奥行きを分かり易くするためだろうか、蛍光テープが巻かれたロープが壁に伝わっていた。
なんというか、手作り感が微笑ましいと思った。
だが、この待避所には、私をすこぶる残念な気持ちにさせるものもあった。



いかにも鬼気迫る感じがある隧道が怖いといっても、集団心理に任せて訪問した挙げ句、そこに記念の落書きやスプレー缶や人形(なぜかタバコを咥えさせられていた)を残していくのは残念だ。隧道の心霊スポット的な見なされ方は、時を経たそれが人心に訴えかける力の強さを証明する現象であり、私はステータスだと思っている。
だから、隧道の怖さが魅力的であることには私も100%共感する。だが、そこは得体の知れない洞窟ではない。同じ人間が作って利用してきた場所なのだから、怖さだけでなく、共感と愛情をもって接して欲しいと思う。




残る洞内は出口に向かって緩やかに下る一方なので、次第に加速していく自転車に任せて走った。
そして隧道を抜け出す直前まで、遙か後方からカエルの合唱が聞こえていたが、長い坑道の全体が
巨大な管楽器のように音を加工するのであろう。最後には、大勢の男たちの歌声にしか聞こえなかった。



入洞から16分後。

大きな山を貫通し、とうとう出口へと辿りつく。

この明るさは、今日最初の太陽が出迎えに来ているな。



6:55 《現在地》

よし、抜けた!

深谷隧道は、今日も見事な働きぶりだった。