2段目の展望台が待っていた。
朽ちたベンチが無ければ(あっても?)、山奥の選鉱場か、はたまた廃城の跡のようである。
対岸から見たときは、この大量の石垣や平場がなぜか見えなかった。
だが、想像以上にこの展望台は巨大であり…
大勢の観光客が訪れることを期待していた。
…こいつは結構、マジな観光地だったんじゃ…。
今度は下を覗き込んでみると…
まだ下にも展望台があるし!
斜面が階段状に造成されており、そこに上中下と三段もの展望台が出来ていた。
改めて、城塞のよう…。
そして私はここを、下へ下へと重力に促されるように進んでいった。
もちろん、チャリも一緒だった。
下れば下るほど戻ることは難しくなり、チャリがあればそれはなおさらなのだが、もう行けるところまで行くつもりだった。
ここは一番下にある展望台で、私は「第三展望台」と名付けた。
三つの展望台の飛龍橋との距離はほとんど同じで、“見え方”もそう代わり映えのするものではなかった。
ただそれでも、飛龍橋にとっては価値あるビューポイントなのだろう。
この飛龍橋をいくらかでも見上げるような迫力あるアングルで撮るには、大間ダムに船を浮かべるのでもない限り、この展望台以外にない。
まあ、現状では雑草や木々の繁茂が視界を遮っており、あまり写真映えしなかったが…。
袋小路になっている第三展望台を撤収し、第二展望台傍の分岐を「夢の吊橋」方向へ進む。
18:15
この先に…、
あの“絶壁の廃道”が、あるのだろうか。
現地ではあまり深く考えなかったが、いま写真を確認してみると、ここもロープと木の柵で塞がれていたようである。
この先の道と展望台施設の廃止が、同時ではなかった可能性を感じさせる。
そしてもしその通りならば、先に廃止されたのは道の方だろうと思う。
始まったっぽい。
手摺りが無くなるだけで、ここまで道の雰囲気が変わるとは…。
もうこの先は、一丁前の廃道の姿である。
遊歩道というよりは、明らかに、「廃道」。
大丈夫なのかな。
展開が早い!
短い廃道であることは分かっているが(そうじゃなきゃこんな夕暮れに入ってこない)、それだけに行き急ぐというか、死に急ぐというべきなのか、展開がとても早い。
少し前まではコンクリートや石垣で堅牢に固められていた、その同じ道の続きとは、ちょっと思えないくらいの豹変ぶり。
ただでさえ狭い道に、牛のような大きさと形をした落石がごろんと邪魔をしている。
最初は手摺りもあったのだろうが、崩落で根こそぎイかれたに違いない。
う〜ん、マンダム。
とってもハードな展開。
ハード過ぎて、振り返っての撮影になってしまった。
ワケは、ここが通り抜けられるかどうか気が気でなくて、
とても悠長に撮影しながら進む気になれなかったから。
すみません…。
撮影よりも、自分の心の平穏を優先しましたです。
先ほどとは反対に、今度は対岸の林道がよく見える。
そして、まだ結構大間川の水面は遠い。
このまま川べりを下流へトラバースしていけば、
もう200m足らずで「夢の吊橋」に着けるはず。
しかし、高低差はどうやって克服するのだろう…。
それは対岸からは確かめられなかった部分だ。
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よし。
これでとりあえ一段落。
手摺りが復活したということは、崩壊の山場を越えたと言うことだろう。
道を覆い隠す木の緑も現れ、対岸からは見通せなかった領域に入る。
まだ油断は出来ないが、とりあえず第一の難関は突破だ。
18:18 《現在地》
なるほど、謎はもう解けた。
夢の吊橋との高低差は、再び現れたつづら折りの階段が埋めてくれるようだ。
切り返しは2回と少ないが、階段なので話は早く、あっという間に水面が見えてくる。
幸い階段の周りはたいした崩壊もなく、自転車を小脇に抱えて下るのは難しくなかった。
もちろん、戻ってくる姿を想像するとえらく苦痛だが。
それにしても、この道はどんな歴史を持っているのだろう。
寸又峡が観光地として全国的に著名となったのは、昭和43年に「金嬉老(きんきろう)事件」が寸又峡温泉を舞台に発生し、これが大々的に報道された時と思われる。
それはちょうど森林鉄道が廃止される代わりに車道が開通し、自由にマイカーで訪れることが出来るようになった時期にも重なる。
あれだけ広大な展望施設を設けるくらいの客入りがあったのは、昭和40年代と思われるがどうだろう。
また廃止の時期についても、現在のところ分からない。
分からないが、擬木の手摺りが多く用いられている所から、昭和60年代くらいまでは現役だったのではないか。
おそらく、この遊歩道を現役当時に歩いたことがある人は、大勢いると思う。
皆様の記憶には残っていないだろうか。
トラウマという言葉を安易に使いたくはないが、
この水の色が嫌いだ。
路盤は再び、絶命の危険を伴う水際へ。
そして、危険な場所に限って、手摺りがない。
これはもう、オブローダーにとってはジンクスみたいなものかも知れない。
写真では木が邪魔で目立たないが、右前方50mほどの位置に、水面を跨ぐカテナリーの曲線が見えてきた。
夢の吊橋だ。
目的地は近い。
もう、残す難所はひとつだけだと思う。
そこさえ越せれば、見事ゴールだ。
…来い! もう、来てしまえ!
きて…
!
きた…!
見えてきた。
あー#&〜〜=
本当に逃げ場のないシチュっぽい。
青い水面から、逃れられない…。
次の画像をずっと見ていると、人によっては不安な気持ちになったり、不快な圧迫感を感じるかも知れない。
少なくとも、自分はそうだった。
…あえて意地悪して、大きな画像で貼るけど…。
ぎりぎりだった。
本当にもう、ぎりぎり。
まるで、天と地が申し合わせていたような巡り合わせ。
噛み合わせた歯と歯の間くらいの、本当にぎりぎりの隙間しかない。
でも、そのぎりぎりの通路が一目見て分かる堅牢な岩盤であったことは、唯一の救いといっていい。
もしここにビッシリと雑草が茂っていたり、或いは倒木の一本でも横切っていたならば、たちまち怖じ気づいてしまったと思う。
そう。
おそらくこれは、踏破できる。
出来る。
出来る。
出来るのに…。
この野郎がッ……
おえっ。
チクショウ…
クソッ。
このチャリがッ!
ガッ!
ガッ!
なんで持って来ちゃったんだろ…。
狭くてチャリが通れない。
チャリには、飛んで貰うしかない。
チャリは捨ててませんよ。
小脇に抱えて、もちろん私が地面にしっかり足を着け、
チャリは青い水面の上空をスイーッと移動した。
チャリを小脇に歩くなんて廃道では日常茶飯事だけど、
流石にこのシチュエーションは印象に残った。
怖いからって、左の壁に身を寄せすぎても身動きが取れなくなるし、
その状態になると、次に動き出すときは壁を押すわけだから、超怖い。
そうなっちゃイケナイので、適度に壁と距離を空けながら歩く必要がある。
流石に写真は撮っていないが、最も細い部分の道幅は、靴幅と同じだけ。
そこには左右どちらかの足を、一度だけ乗せないとイケナイ。
攻略完了。
当たり前だ。
ここでミスっていたら、これを書いてはいない。
生死以前に、書く気にはなれなかっただろう。
岩場に刻まれた恐怖の5mは、私の勝利で幕を閉じた。
改めて、この現場を観察してみる。
元々はもう少し道幅があって、路肩には手摺りも設けられていたようだ。
しかし、人が築いた分の道幅は完全に崩れ落ち、今残っているのは岩盤に刻まれた部分だけだ。
これがなければ、完全にお手上げになっていた。
18:24
一瞬の正念場を終え、これ以上崩壊現場が現れないことを祈りながら進む。
藪はさほど深くはないが、それは土がほとんど無いからだ。
また、錆び付いた手摺りは、おそらくこの道が出来た当時からのものだろう。
地形の険しさがここで少しだけ緩み、緑が帰ってきた。
道幅も少しだけ広がったが、ちょうどそこに大量の「A型バリケード」が捨ててあった。
否。
現状では捨ててあるようにしか見えないが、当初は道を塞いでいたに違いない。
やはり、上の展望台とこの地点までの“絶壁歩道”が、最初に崩壊して廃道化の原因となったようだ。
そりゃそうだよな…。
うおっ!
…これか。
こうなっていたのか!
道理で、ゴールに近付いても、こちら側から人が入り込んでいる気配のないわけだ。
塞いでいる自体が目立たない、この「案内看板を置く」という作戦は、対オブローダーとして優秀な防御策となる。
相手が一般の観光客ならば、なおさらだ。
この道が現在の遊歩道で、尾崎坂展望台と夢の吊橋を長い長い階段で結んでいる。
これは旧遊歩道が崩壊したために作られた新道だと思っていたが、【古い地形図】を見る限り、実は明治以来の道らしい。
もちろん、当初はコンクリートの階段ではなかっただろうが。
まさかここが廃道の入口であるとは思わない。
視界を遮る看板で、巧みにカムフラージュされている。
なお、夢の吊橋の説明文は、次の通りである。
夢の吊橋
昔から寸又川には、多くのつり橋がありました。その一つが夢のつり橋です。
つり橋は谷と谷とを結び、山仕事などの作業道、集落への交通手段でもありました。この橋は、長さ90m、高さ8mで大間川と寸又川の合流点にかかっており、日ごとに変色するダム湖や寸又渓谷が展望されます。
新緑や紅葉が大間ダム湖の深い水に影と映り、また四季おりおりに変化と調和をもたらすところから、「夢のつり橋」と呼ばれたそうです。
このつり橋のまん中で、若い女性が恋の成熟を祈ると夢がかなえられるとも伝えられており、エメラルドグリーンの湖面にかかった「夢のつり橋」に向かい願いをかけると、夢がかなえられるともいわれております。
今日の湖面は、エメラルドグリーンだったでしょうか。
はい!
今日の湖面は…
新橋色です!
エメラルドグリーンじゃないお…涙
…幸い、誰もいない。
時間が時間だけにな、誰もいない。
なので、心おきなくチャリで通れそうだ。
別にチャリ禁止じゃないよね?
そういう標識は、少なくとも私が辿ってきたルート上にはなかった。(でも、他の人がいたら超顰蹙買いそうなのでやめませう。)
で、無事に渡り遂せると右岸にたどり着くわけだが、
さきほど70mの谷を下った分だけ、こちらでも登り返さないといけなかったりする。
階段混じりの急な歩道が300mほども続き、最後は大間堰堤事務所の通路を兼ねた金属製階段をさんざん上らされて、ようやく元の林道に復帰できたのである。
この作業も、たっぷり13分かかった。
チャリは持ち込まない方が幸せです。 はい!