2019/6/26 15:27 《現在地》
いつものように自転車で出発する少し前からシーンスタート。
ここは、北陸自動車道の能生ICを降りたところにある交差点で、この丁字路を右折すると県道246号、左折すると県道88号と246号の重複区間である。
ICへ出入りする車の過半数が、ここを左折して国道8号へ抜けるか、旧能生町(平成17(2005)年に糸魚川市の一部となる)中心市街地へ向かうようであるが、私は今回初めて右折して、能生川上流を目指す。
交差点に設置されている大きな青看には、右折の行き先として「西飛山」の地名だけが書かれていて、市町村名ではなく大字クラスの小地名を案内するという、ローカルな行き止まり県道らしさを滲ませていた。
西飛山は、ここから約11km先にある。
県道246号は能生川のゆったりとした谷底平野の左岸にあり、道は直線的で走りやすい。集落と田園を交互にみる長閑な景色の中を、どこにでもありそうな二車線道路が伸びている。
写真は能生ICから5kmほど起点方向へ進んだ槙(まき)地区の道路風景である。沿道はヘキサも点々と設置されていた。
槙地区で遡る谷の方向が東から南東へと変化し、行く先の背景に新たな山容が現われた。
特に高い三角形の頂が目を引いたが、地図で確かめると、上越市境に聳える(上越市の最高峰である)標高1430mの不動山らしい。
能生川の源流に聳える山の一つであり、県道の「起点」であって、私がこれから目指そうとしている「飛山ダム」も、あの山頂の3kmほど北西の谷底にある。
槙地区から西飛山周辺まで、この特徴的なピラミダルの山容は、県道車窓の正面にあり続けた。
15:50 《現在地》
能生ICから車を走らせること20分少々、流域&沿道最奥の集落である西飛山へ着いた。
地点の標高は290mで、河口に近い能生ICは20mくらいであったから、11kmで300m近く登ったようだ。とはいえ、山道らしい坂道は集落の直前に数百メートルがあっただけで、行程の大半は勾配に気付かないくらい緩やかな谷底平野の道だった。
写真は、私が車を駐めた、チェーン着脱所の標識のある広場で、脇に西飛山のバス停もあった。奥に見える三角の山は前述した不動山だ。
バス停があると書いたが、ここが路線バスの終点で、平日は8往復、日曜は4往復ほどの便があるようだ。
最奥集落とはいえ、ここまでの道が良いことや、高台に開けている解放的な景色のおかげで、辺鄙な感じはあまりなかった。
明るい、そしてこの日に関しては、ギンギンに暑い場所だった。
なお、探索開始時刻である現在現在は15:50と、例によって遅めである。
これから往復14〜5kmの自転車探索を予定しており、その半分は廃道状態が危惧される通行止めの県道であるが、この道でしか辿り着けないダムがある以上、そこまで状況は悪くないと予想していたし、日が十分に長い時期ということで、中途半端なこんな時刻から探索することにしたのだった。
15:51 いつもの自転車に跨がって、西飛山集落を出発!
引き続き、県道246号を進むわけであるが、これまで沿道数ヶ所にあった青看の唯一の行き先地名を達してしまった現状、この先の新たな行き先を示す青看は現われていない。もし、道路の状況が真っ当なのであれば、この辺りに「飛山ダム7km」の青看があっても良さそうだが、ない。
ただ、青看ではないが、スキー場私設の案内板が民家の壁に取り付けられているのを見つけた。
「シャルマン火打スキー場」が4.5km先にあるとのこと。
県道の通行止め規制区間の始まりは、このスキー場の入口付近とのことで、ここから3.7kmほど先である。
青看がない一方で、特に県道の通行止めを予告するものも、見当たらない。ここまでの車窓にもそれはなかった。規制のせいで飛山ダムに行くことができないはずなのだが、そのダムの存在感がとても薄い。というか、地図以外ではまるで皆無だった。本当にあるのかと疑わしいレベルで……。
西飛山集落の標高は約290m、スキー場入口は約480mで、最後の飛山ダムが約500mである。
なので、集落を出発した私は、「登るぞー!」という山チャリ的覚悟を決めていたのであるが、現実の風景は真逆で、集落を出て川の上流へ向かっているはずが、いきなり強烈な下り坂に臨んだ。
地形図をよく確認していなかった私のミスで、集落を出た県道はすぐさま海抜260mくらいまで下り、そこで南又川という支流を渡ってから、ようやくスキー場への上り坂に入るのであった。
これから上るのに一旦下らされるのは微妙だが、この坂道では、これまで見えなかった能生川源流左岸側山稜の遠望がすばらしかったので、爽快だった。
前方の斑模様にゲレンデが縦横している山を放山(1189m)といい、飛山ダムはあの山頂の真東の谷底にある。
遙か奥に見える残雪の山々の最も高い部分が、日本百名山として知られる火打山(2461m)だ。
このアングルでは左に見切れているが、例の三角形をした不動山を含め、すべて頸城山塊の峰々であり、その最高峰が火打山である。
火打山は、県道の行く先真っ正面にあるように見えるし、実際その通りなのだが、この能生側からの登山ルートは全く存在せず、ただ見るだけの美峰になっている。
15:56 《現在地》
下り坂をあっという間に走り抜け、出発地点から900mにある南又橋を通過した。
前述の通り、県道はここで底を打ち、あとはずいぶん長い上り坂が続くことになる。
なお、見ての通り、道路はすばらしく良い。
先に大きなスキー場があるせいだろうが、夏場のいまは全く交通量に見合わない道の良さを感じる。
こんなにいい道はもちろん最近出来たものであるようで、所々では並走する小規模な旧道の廃道を見つけた。
旧道も一応は舗装されていたようだが、1車線で狭く、それが夏草に埋もれていて、敢えてこの時期に入り込もうとは思わなかったし、時間も潤沢ではないのでスルーした。
急に古びた感じの九十九折りが始まった。
一応2車線の道幅があるが、ロードサイドの草刈りが不十分なため、実質的には1.5車線くらいになってしまっている。
夏の当区間の存在価値の虚弱さを感じさせる風景だった。
この写真にも写っているが、沿道には数百メートルおきにm「シャルマン火打スキー場まであと○km」のカラフルな看板が設置されていた。
看板も雪の中にある姿をイメージしたような明るい配色で、草いきれのする夏草に埋もれているのは、正直うるさかった(苦笑)。
出発から1.8km、切り返し2回の九十九折りで出発地点と同じくらいの高度へ上り返したが、坂道はまだまだ終わらない。こんどは、馬力がある自動車なら爽快だろうなと思える直線的な坂道が長い。
路肩は急な傾斜が、50m以上も下を流れる能生川の谷底まで続いている。
ガードレールがあるのかどうかも、夏草のせいでよく分からなかった。
このような急斜面の山腹をトラバースしていく県道の周囲は、豪雪と雪崩の影響か高木が少なく、見晴らしに恵まれているのは楽しかったが、直射日光を浴びながらの坂道には、この日の気温が高かったせいもあって、少なからず辟易させられた。
豪雪と言えば、6月末の標高300m未満だというのに、見下ろす能生川対岸のガレたところに、雪渓の残骸が大量に残っているのには驚かされた。
土の下に隠されることで日光を避けられるために長持ちするのだろうが、連日25℃にもなっていても残されているのは、元の雪量の尋常ならざることを訴えている。
この先、路上に影響しないことを祈るばかりである。(ちなみにこの県道に冬季閉鎖区間はない。あるいのは通年閉鎖区間のみだ)
16:13 《現在地》
集落から2.3kmほど行くと、相変わらず右山左谷の上り坂が続くなか、道の下の僅かに開けた緩斜面に、平地に較べれば猫額と言える小さな水田が孤立して存在しているのを見た。
辺りの県道は標高370mくらいであり、田んぼも350mはあるだろう。そして、付近に人家は全くなく、県道がなければ集落から耕作に通うのも容易ではなさそうな立地だ。しかし、午後のだいぶ遅いこの時間でも満々と日光を浴びているのを見るにつけ(県道は既に山の日陰に入った)、耕地の少ない山間集落の人々が昔から大事にしてきた場所なのだろうと思った。
無雪期のこの県道にも、真っ当な生活利用者が少しは存在することを理解したところで、更に厳つく高度を上げていく道へ意識を戻す。
この道は能生川の河床勾配を遙かに上回るペースで上っているため、渓谷の道という感じは全くしない。山腹のトラバースに終始している。
谷底は浸食が進んでいて、両岸共に複雑で急峻な地形をしており、そのうえ土砂崩れや雪崩も多発しそうな地形である。
これらのリスクを避けるために、傾斜がいくらかは緩やかな高所のトラバースで上流を目指すような道を付けたのだろう。
それでも雪崩の危険は大きいようで、大仰なスノーシェッドこそないものの、膨大な数の雪崩防止柵が頭上法面の夏草に埋もれているのを見た。
また、(チェンジ後の画像→)新潟県のオリジナル標識とみられる「なだれ注意」の警戒標識も、数ヶ所に設置されていた。(この標識は県内の他の場所でも見たことがある)
個人的にこの標識のデザインは秀逸だと思っている。
遙か下方に去った能生川だが、その浸食力は旺盛であるようで、道がある辺りの高度でも、山腹がギザギザに波打っている。
道はこのギザギザを素直に拾いながら、8%前後の急な勾配で上り続ける。
ギザギザの突出している部分、つまり尾根の部分は見晴らしが良いところで、そこに崩れかけた小さな木の小屋が建っていた。
この時点では、特に意味を考えるほどの発見ではなかったが、少し後に、この小屋の存在がちょっとだけ気になる展開が待っていた。
16:21 《現在地》
出発からちょうど30分後、2.8km地点にいた。
ここもギザギザの尾根の突端で見晴らしの良い場所だが、やっぱり小さな小屋があった。
そして、小屋の前に立って麓の方を見ると、先ほど紹介した壊れた廃小屋と西飛山集落の家屋が、共によく見えた。
道路を含め、地上の大半のものが緑に遮られて見えない中、これらの建物だけがあまり良く見えるので、
この眺めと小屋の配置は、もしかしたら意図されたののだったのではないかと思った。根拠はないが。
これらの尾根の上にある小屋で狼煙か光の信号を使えば、電話などなくても、集落と通信が出来そうだ。
いまから帰るから飯の支度をしておいてくれとか、そんな日常的な連絡にも便利そうだし、
冬場などはこの小屋で吹雪をやり過ごすなどして、命を繋ぐ場面もあったりしなかったか。
……いまの県道には似つかわしくない用途不明の古小屋は、私の想像をかき立てた。
この妄想に近い想像はさておき、とにかく素朴で景色の良いところである。 “いい道”だと思う。
工事現場では、なにやら法面を切り崩しているところだった。
工事看板によれば、県の道路改築工事とのことで、拡幅をしているようである。
ここまではICからずっと2車線道路だったが、この先は1車線の幅しかなく、それを2車線に広げようとしているのだろう。
この工事をするよりも、通行止めのまま19年も経過している区間をどうにかする方が先のような気もするが、優先順位は、あくまでスキー場までの改良が上ということだろうか。
なお、この現場を自転車で通り過ぎる際、そろそろ夕暮れだというのに、行き止まりの県道へ汗だくになりながらMTBを漕ぎ進める私の姿が不審だったのか、作業員から「どこへ行く?」という趣旨の問いかけを受けた。
私は咄嗟に、本当のことを言うと立ち入るなと言われる気がして(たぶん無関係の作業員ならそうは言わなかったろうが)、「スキー場まで」と安い嘘をついた。気まずかったです。
ごく短い拡幅工事中の現場を過ぎると、いよいよ地形図にも描かれている“特徴的なカーブ”が近づいたことを予告する警戒標識が現われた。
特徴的というのは、県道はこれから矢継ぎ早に二度切り返して、いわゆる九十九折りの線形で先へ進んでいくのであるが、その二度目のカーブの地点こそが、スキー場方面と県道本線の分岐地点になっているのである。
そして、スキー場へ行くには、切り返しは一度だけでいい。
そのことを知った上で、(チェンジ後の画像→)この警戒標識に描かれた矢印の形を見て欲しい。
矢印は、二度切り返すように描かれている。
つまり、これは県道の線形を表現したものである。
しかも、よく見慣れた「つづら折りあり」の警戒標識とはデザインが微妙に異なる、オリジナルの標識だ。とてもカーブが深く描かれていて、いかにもキツそう。
スキー客を乗せた大型バスも走るのだろうが、かなりアールのキツい一度目の切り返しカーブ。
アールだけでなく勾配もキツいので、これまでの道路風景の中では一番“険道”的だ。
冬期間は雪の壁で見通しも悪いだろうから、あまり雪道に慣れていないドライバーがマイカーで来ると、大変な恐怖の旅になりそうだ。景色からも感じると思うが、標高もかなり上がってきている。
先ほどの警戒標識の表示通り、すぐに二度目の切り返しカーブが現われるはずだが、この位置からだと、それが恐ろしく目立っていない……!
右にカーブミラーが見えるが、そこが二度目の切り返しであり、県道と(おそらく)市道の分岐地点である。
正面に続いている道は、県道ではない。
消えかけた路上のセンターラインが途切れるところに、道を横断するように流水溝の蓋があるが、そこから先は県道ではない!
では、我らが県道はというと……
香ばしいっ!!
警戒標識の線形通りに車を進めることは、もはや出来ないのである。
ここから先は、全面通行止め区間!