2019/6/26 16:36 《現在地》
能生谷の最奥集落である西飛山を自転車で出発してから45分後、約3.7km前進した地点に、待ちわびた分岐があった。
2車線幅の道から、1車線幅の狭い道が、ほとんど逆方向へ切り返すように分かれていた。
案内標識は全くないが、県道の正しい順路は、ここを180度曲がって狭い道へ入るというものである。いわゆる“険道”らしい風景だ。
だが、この特徴的な線形は、150mほど手前で見た【古ぼけた道路標識】に描かれていた通りであり、スキー場へ通じる直進の広い道が後付けだということを示唆していた。
県道へと案内する標識はないと書いたが、それどころか反対に、県道は封鎖されていた。
もっとも、驚きはない。このことは事前に知っていたし、むしろそれ故に、この先にある起点を極めんとする探索を企てたのである。
ここからが、今回の本番だ。
県道の終点近くから走ってきたが、一度も封鎖の予告などなかった。
にもかかわらず、起点まであと3.6kmを残したここで、唐突に県道は封鎖されていた。
封鎖の状況を見ることで、この奥で何が起きているのかや、どのくらい荒れてるかといった情報を“読める”と思ったが、この封鎖からはどちらかに振り切れるほどの特徴は感じられなかった。
コンクリートの大きな障害物と、その隙間に置かれた施錠チェーンによって固定されたA型バリケードが、直接的な封鎖の役割を果たしていた。歩行者はもちろん、自転車でも持ち上げて簡単に越えることができるので、厳重な封鎖とまでは言えないだろうが、施錠されている点は厳重である。
このバリケードに全く開けられた様子がなければ、廃道状態が固定化していると予想できたが、そうはなっていないようだった。先の路面にも、古くはなさそうな轍が見える。
バリケードに取り付けられている看板類は、全て「通行止め」「立ち入り禁止」に関する内容であったが、道路法上では掲示が義務づけられている「封鎖理由」「封鎖期間」といった情報が欠落していた。もっとも、だからと言って封鎖が法的に無効だなどと宣うのは屁理屈だ。
16:37
辺りに見咎める何者もないことを確認後、失礼してわるにゃんし申す。
もちろん、自転車も一緒。
先の状況はまだ読めないが、とりあえずゲート直後は自転車で進めそうなので、同伴一択である。
写真はゲートイン直後に分岐地点を振り返て撮影。
こちら側から見ると、ますます脇道扱いが酷い感じだ。
この封鎖は平成12(2000)年のことだというが、それ以前から、本線待遇はスキー場方向だったのだろう。
背後にひときわ存在感を見せる突兀とした山は、権現岳(1104m)と鉾ヶ岳(1316m)で、西飛山集落の背後に聳えている。
西日の日本海を背にしているだけに、影絵のような強烈なシルエットが印象的で、今回の不通区間探索は、絵画的な美の中で始まった。
今後を占う、区間入場直後の道路状況を念入りに観察。
ひと目で分かる。
明らかに、手入れがされている。
この季節、完全放置なら路肩が草に埋もれてしまうはずなのに、そうなってはいない。谷側の路肩が綺麗に見えるのは、最近に刈り払いが行われたからではないか。
路面。
ゴムタイヤの轍が幾筋も見られるが、こういう痕跡がはっきりしているのは、むしろあまり使われていない証拠である。通行量が多ければ、こんな1台ごとのタイヤ痕が分明にはならない。とはいえ、交通量皆無ではない証拠でももちろんある。
また注目は、タイヤ痕がゴムタイヤのものだけではなく、無限軌道によるものもあることだ。除雪車か排土用の車両かはわからないが、いずれにしても、道路維持のために重機が出動している証しだと思った。
まだ入場して5mほどだが、この段階でもう、管理が放棄されているわけではないことがはっきりした。
やはり、事前に予測したとおり、この先にダムがあることがポイントになっているのだろう。一般車両の通行は排除しても、関係者の出入りは途絶えていないということだと思った。
読者諸兄におかれましては、これが屈強な完全廃道ではなさそうだということにがっかりする向きもあるかも知れないが、私が今回こんな時間から探索していることからも分かるように、それを求めてはいなかった。
むしろ、これからダムまでの一往復、無人の絶景県道を独り占めする、そんな爽快なサイクリングが楽しめそうだという予感に、喜びを感じていた。
先へ進む前に、この先の見通しを、地理院地図を使って述べておこう。
現在地は、県道246号西飛山能生線の起点から3.6kmの位置である。
ここから同県道の起点を目指して進む。
標高270mの西飛山集落を出発し、約3.7kmで標高480mの高みへ上ってきた県道だが、この先の区間の勾配は、意外に抑制的だ。
川の源流域を目指す行き止まりの道というと、河川勾配の変化に従って奥へ進むほど急勾配になるのが普通だが、この道にはあまり当てはまらない。
区間の最初の800mだけは、これまでと同じ調子で高度を上げ、70mほど上昇するが、そこで標高550mに乗ると、あとは起点の500mほど手前まで、ほとんど平坦(2.3kmで20m程度のアップダウン)である。
もちろん、勾配が平坦だから地形も平坦なわけではなく、急峻な山腹を丁寧にトラバースしていくようだ。
そして、最高標高570m地点を過ぎて間もなく迎える最後の500mだけは、一転して急な下り坂となる。
ずっとトラバースで上流を目指していた県道が、最後の最後で全く意思を翻したように谷底を目指す。この変化は見所だと思う。
そうして一気に70mほど高度を下げた先に、飛山ダムが、まったく終点にしか見えない“起点”として、待ち受けているのである。
以上が、地理院地図から読み取れた、この先の見通しである。
全線にわたって、いかにも土砂災害や雪崩災害の恐れが大きそうな、険しい河谷斜面を通過していく道になっており、ダムがなければ建設もなかったのではないかと思うほどだが、その封鎖された区間の実態をこれから見ていこう。
さあ行くぞ!
16:38
おうふ…
路肩がゴッソリ落ちてるぞ…。
まだ入口から50mほど来ただけで、路下には少し前に通った【ヘアピンカーブ】が見下ろされる位置だったが、早くも道路の健康状態に異変あり。
やはり、ただ封鎖されているだけの道ではないということか。
そりゃそうだよな。
道路法の道路は一般開放が原則で、封鎖されるには当然深い理由がある。
利用度が少ないというそれだけの理由で、税金で建設した県道を、一般の用から除外することは許されない。
県の通行規制情報は、この県道の「全面通行止め」の規制理由を「落石の危険のため」としていたが、やはり落石を含む“地面関連”の災害を受けている感じが、早速してきたぞ。
上の写真の数メートル先の状況。
この写真だと分かりづらいと思うが、看過できないような段差が路上に生じていた。そして段差の周囲の舗装が一部剥がされていて、下層の砂利が露出していた。
チェンジ後の画像は振り返って撮影したもので、こちらは段差が分かり易い。舗装がわざと剥ぎ取られているのは、段差を埋めるためなのだろう。舗装を剥いで、そこに砂利を盛ることで、どうにか車が通れるように“修繕”されていた。
ただし、こんな修繕はいかにも応急処置的で、本復旧にはほど遠い。
この一事をもってしても、一般に開放されている道との隔絶を感じてしまった。物理的に通れる通れないという問題は別にして、思想レベルで一般道ではない気がした。専用林道とか、ダム専用道路っぽい。
さらに30mばかり進むと、また段差が現われた。
さっきは下がる段差だったが、今度は上がる段差だ。
つまり、この二つの段差の間の約30m区間の道は、地山ごと陥没しているのである。
土砂災害に特別詳しいわけではない私でも、こんな状況が健全でないことはよく分かる。
崩落にはまだ至っていないようで、地面に大きな亀裂を発生させることもなかったかもしれないが、たまたま舗装された道を巻き込んだために、地山の滑動が発覚したパターンと言えるだろう。
これは大いに不気味な状況であり、もし本格的に復旧するなら、滑動が完全に停止するように大規模な地山の改良が必要になるはずだ。
通行止めになってから、既に19年目だ。
本復旧の工事を行う時間的な猶予は十分にあったはずだが、未だ無理矢理感の漂う応急処置だけで関係者を通行させているのが実態である
巨費を投じて本復旧させる意思を、新潟県はもう持っていないのかも知れないと感じた……。
初っ端から、不気味な壊れ方を見せる県道。
道の置かれた自然環境の厳しさを窺わせるが、それは景色の美と隣り合わせであるらしい。
次の写真は、この段差があるカーブの路肩から眺めた、能生川渓谷上流方向の風景である。
絶景だ。
眼下の峡谷には名も知れぬ滝が虹を見せていた。手つかずの自然を感じられる風景。
早くも飛山ダムの姿が見えるかと期待したが、まだその資格は与えられていないようだった。
しかし、この先に谷を堰き止める巨大人工物が存在するとは、とても思えない景色だ。
孤独と無垢を愛する人は、ここへ来てみるといい。心が洗われるはずだ。
舗装はされていても、その厚みを私は既に知ってしまった。
こいつはえらく薄っぺらなのだ。
いわゆる簡易舗装というやつで、砂利道に僅か数センチ厚のアスファルトが乗っているに過ぎない。
災害に対する耐久力は、ほとんど砂利道と変わらない。
それでも、一応はこうして舗装路の体裁を整えていたのは、一般県道として開放されていた時期があったからだろうか。
白線がペイントされたのも、そう昔ではないように見える。
また、路肩のガードロープも現代的なアイテムだ。
しかし、いまは支柱だけが虚しく立っていて、肝心のケーブルは外されたまま地面に置かれていた。
このように支柱からケーブルを外しておくのは、冬期間の通常の対応である。
おそらく現役時代もこの区間は冬季閉鎖されていたはずで、推定で12月から5月まで半年間続いた冬期閉鎖の解除予定日が、平成12(2000)年5月25日だったのだろう。
だがその日に閉鎖は解除されず、そのまま通年通行止め規制に変わって、今日まで続いているのだと思う。
つまり、全面通行止めの原因となった何らかの災害は、1999年から2000年までの冬季閉鎖期間中に発生したものだと推定可能だ。
16:47 《現在地》
ゲートインから10分が経過した現在、約400m前進して、標高520m付近まで上がってきた。初っ端にかなり怪しい場面があったものの、その後の道は平穏さを取り戻していた。
上り坂なのでペースは上がらないが、順調と言えた。それに、この坂道の終わりは、もう遠くないはずだ。
現在、この辺りは灌木が密林化しており、路外の見通しがほとんど利かないし、土地利用といえるようなものを全く感じないのだが、最新の地理院地図には県道谷側の広大な東向き斜面に、結構な広さの水田が描かれている。
県道が封鎖されて19年も経過しており、耕作が継続しているはずもなかったが、地図の修正はなされていないし、修正を提案する報告者もなかったのだろう。
言われてみれば、人が関わりを持った土地の匂いが、微かに感じられる気がする。
軽トラを停めておくのにちょうど良さそうな路傍の空き地に、農間の休みに心地よい日陰を提供してくれそうな大木も。
県道が舗装されていることが少し不釣り合いで、廃村周りのような雰囲気だった。
しかし、ここまで来ると最後の集落からも4km以上離れており、車の通る県道がある前提ならばともかく、それ以前にはおおよそ田作りに通うのも難しそうな立地だ。
でも、健脚な昔人達は通ったんだろうなぁ……きっと。
16:53 《現在地》
来たぞ! 長かった上り坂の終わりが見えてきた!
ゲートインから17分後、約800m前進し、標高550mの等高線を踏むところまで来た。
地形図の表現は正確で、確かに坂が緩くなった。
そして次のカーブまで行くと(チェンジ後の画像)、まったく坂道を感じないくらいまで平坦化した。
起点まで、あと2.7km。
路線中の最も山深い領域へ突入しながら、勾配だけは平地同然という、不思議な水平路が始まった。
うっひょー!
これは気持ちいいぞ〜!
ほとんど水平になったので、思うがままに快走する。
往復探索では、上りも下りもない水平路が一番有り難い。気負い無く楽しめるから。
全体的に荒廃していることを恐れていたが、それは杞憂だったようだ。
とにかく、自転車で走るのにはうってつけだな、この封鎖区間。
お馴染みの三角峰の不動山も、いまや手の届かない高さではない感じに。
遠慮せずにガシガシ漕いでいるので、ゴリゴリ進む。
西日が山に隠されたのと、単純な高標高のため、暑さがかなり薄れてきた。気持ちがいい。
この写真の場面は、なんてことのないワンシーンのようだが、濡れ場を踏んだタイヤ痕の生々しさに注目した。
今日か昨日かは分からないが、ごく最近にも車が出入りしているに違いない痕跡だった。
雨が降れば消えちゃいそうなタイヤ痕が残っていたからね。
やはり、往来はダムの関係者だろうか。
もっとも、飛山ダムが何目的に作られたのかを調べずに来たので、人が常駐しているかどうかも知らないのだが。いずれはっきりするだろう。
16:55
自転車の機動力をフル投入し、モリモリ前進!
これまでは大河のようにゆったり流れていた峡谷の眺めが、ドンドン展開していく。
気付けば1km地点を越え、1.1…1.2…みるみるトリップが増えていく。
峡谷の上流が新たな方向に“開き”始めるのを、いまから見ようとしている。
それはさながら天然の窓で、開けば山壁の向こう側の隠されていた風景が明らかになる。
漕ぎ進むほど開く窓の向こうに、私の視線は釘付けに……
↓↓↓
16:58 《現在地》
うぅぅー(←期待感)
火打山、天衝く展望!
視覚を溢れた興奮が、瞬時に私の脳を焼く!
県道を究めても辿り着けないそれは、
圧倒的な“神”の存在感だった。
その荘厳と、それが私だけに供されているという事実に震えた。
そして、神の元に黙して蹲(うずくま)る者を見た。
下を見ろ!!!
幻のダム、目視に成功。
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