道路レポート 鳳来湖湖底の宇連旧道 第4回

所在地 愛知県新城市
探索日 2019.05.23
公開日 2023.02.09

 ゴロッとしたものが湖底にたくさん


2019/5/23 13:51 《現在地》

遺跡の如き威容を見せてくれた旧橋を、離れる前にもう一度振り返る。
裸体となった景色の中に、私の大好きなものが際立っている。まさに至福の眺め。

チェンジ後の画像は、望遠で覗いた対岸だが、距離感が圧縮された結果、
もう架かっていない橋が、まだそこにあるかのような眺めになった。

そしてまた新たな発見が。スルーしてきた対岸の橋頭近くに、
別の橋台がもう一つ存在していることに気付いたのだ(矢印の位置)。



この橋台については、帰り道で出来るだけ立ち寄ろうと思うが、
その正体は、地形図ではなく、昭和21(1946)年の航空写真(↑)が教えてくれた。

このレポートの最初のシーンとなった砥沢沿いにも、
水没した旧道の跡があったのを覚えているだろうか(写真)。

今いる宇連川沿いの旧道から分岐して砥沢沿いに伸びていた旧道。
その入口に架かっていた橋が、ここで見つけた橋台の正体だった。



宇連川を渡って右岸に移った旧道は、満水時の湖岸より鋭く切れ落ちた崖の下、岩壁と崖錐斜面が接する辺りの高さをほぼ水平に通っている。
この場所が、旧道と旧々道の分岐地点だったとみられるが、分岐そのものは残っていない。地形的に確実と思われるだけである。

(←)
そして旧道、旧々道の他にもう1本、この湖底で“分岐する道”が見つかった。
緑の矢印の位置に、下半分が崖錐に埋没した階段がある。

(→)
階段は、現在地から15mくらい高い満水位を突き抜けて、そのまま緑濃い尾根へと消えていた。
かなり急な階段だが、片側には金属製の手摺りが取り付けられていた形跡がある。
ダムと一緒に整備された湖周辺の管理用通路的なものかと思うが、正体は不明だ。

ちなみに鳳来湖の右岸湖畔に道路は全く存在しないが、この尾根をずっと登っていければ、登山ルートとなっている宇連山の縦走路がある。なので、もし湖を横断する湖上遊覧船でもあれば、変化に富んだ登山ルートが楽しめそうではある。


(←)
こちらは、旧々道側の風景だ。
先ほど発見した旧々橋の橋台へ向かって、緩やかな下り坂が続いていたようである。
ほとんど痕跡は見られないが、「矢印」の位置にわずかな石垣が残っていて、これと前述の橋台が旧々道に残された数少ない遺構である。

しかしそれにしても、満水時には水に隠れて見えなくなる左の湖畔斜面が見せる、これぞ“安息角”といわんばかりの一定の傾斜に支配された斜面は壮観である。
ほとんど均質な地質が、ほんんど均質な環境下に置かれていると、ここまで均質で単調な斜面になるものなのか。




さあ、前進開始!

広々としていた左岸とは打って変わって、湖岸の急傾斜地をそのまま湖底まで引き延ばしたような岩場の道となる。
そしてここで初めて、本日の貯水率約10%程度時の湖面が、現れ始めた様子だ。
奥の方に見える宇連川の水は、湖のバックウォーターっぽい深さになっている。しかしまだ旧道の路面との比高は15mはあるので、これが0になるまでとすれば、当分進み続けられるだろう。

あ! そうそう、うっかり書き忘れていたが、旧道へ連れ込んだ我が相棒の自転車は、【3番目の暗渠】に置き去りにしてきていた。さすがに連れ歩いたまま湖底の横断ををする気にならなかった。というか、あの暗渠を潜ったばかりに旧々道の存在に気付いてしまい、そのままなし崩し的に右岸まで来てしまったので、本当に自転車のことを一時忘れていた(苦笑)。誰も質問してこなかったしね。
まあ、いくら目立つところに自転車が置き去りになっていても、誰も湖底に取りには来ないだろう。



壮観!

ここまでに見た中では最大の湖底平地が、今いる崖の対岸に広がっている。
そこはダム湖が水を湛えるまで鬱蒼とした大森林だったらしく、
遠くから見てもそれと分かる巨大な切り株が無数に点在している。

ずっと奥に見える橋は、このレポートの始まりの地となった八石橋の副径間。
その左に見える建物は、現県道沿いにある鳳来湖キャンプ場か。



ガレた岩場を慎重に踏破して、旧橋から150mほど前進してきた。
満水時のバックウォーターである県道の宇連橋から約1.4km下流のこの地までは、
流れる川の水があるだけで、湖としては完全に干上がっていたのであるが……



この先は、遂に湖が姿を現わした!

冒頭でも紹介したとおり、探索のわずか4日前は貯水率が0であった。
ダム湖の貯水率0は、厳密にダム底に水が全くない状態をいうわけではなく、
ダムが利用可能な貯水量が0であることを意味しているわけだが、
それでもこの辺りの湖底は完全に干上がっていたと思われる。

しかし、干上がったダムといえば、もっと濁った水面を想像するものだが、
この辺りは普通に川の清流が続いているような透き通った青さがある。
湖底の岩の様子まで見通せるので、実際の深さが分かりづらい。



うっ! 嫌だなここ…。

この先の斜面、いかにも不安定そうなザレた斜面だ。
陸の重力下では長く安定できなさそうな急な傾斜で瓦礫が折り重なっており、
踏みつけたことをきっかけに大規模に崩壊するんじゃないかという怖さがあった。
それに巻き込まれたら、周りの瓦礫ごと一気に15m下の湖面まで落ちそうな気が…。

どうやっても横断するよりなかったので、ひんやりしながら突破した…。

ひんやり…。




13:55 《現在地》

ホッとする、新たな地平の出現!

怖さに負けてだいぶ高巻きをしたので、本来の道は10m近く下にある。
だがもう下りて大丈夫そう。深みの色を増す湖を見下ろしながら下った。



この風景をよく見て欲しい。この先、結構凄いことが起こる。


まずは、皆様に質問です。

この風景を(特に奥の方の様子)を見て、どう思いました?

私は、こう思いましたよ。

“大きな岩”がごろごろしているな、 と。



↓ さらにズームで見る ↓



“大きな岩”というレベルか、あれは……?




“ゴロゴロしている大きな岩”の一個目が近づいてきたんだが…




デカイ!

隣にある岩との間を、まるで
切り通しのように
道がすり抜けているのだが…、

現役時代からこういう岩の隙間を抜ける道だったのか、

湖底になってから巨岩が転げてきてこうなったのか、分からないぞこれ…。




13:58 《現在地》

大迫力の切り通し!

3階建てくらいの大岩の奥には、本当に切り通しがあった。

ここも湖底に眠る岩脈らしく、おそらく第3岩脈地図)と呼ばれているもの。

旧道は巨大な岩脈を再び深い切り通しで貫いていた!



すげースケール……。

湖畔にそそり立つ直近の山岳の頂上には、湖底に散らばる大岩の出所を思わせる、巨大な露岩が見えていた。
湖面と山頂の高度差は200m以上あるのだが、仮にあの辺から3階建てサイズの大岩が転がって湖面に墜落したら、
トンデモナイ水の爆発が起るだろうな。それは水しぶきなんていうレベルではなく、大津波になるだろう。
世界規模では、湖に落ちた大岩が原因で津波が発生し、湖岸の村を壊滅させたという災害は実際に起きている。



切り通しの中で撮影した全天球画像。

私の背後にある大岩が、どこかから転がってきたとみられる大岩……いや、巨岩だ。

もともと地面から生えている岩でないことが、接地面の様子からも分かると思う。

旧道とこの巨岩、どちらが先にこの場にあったのかは分からないが…。

仮にダムに水を張ってからだったとしたら、ニュースになっているっぽい…。


いやはや、ほんと湖底に驚きの種は尽きないな……。



 湖底の名瀑跡……蝉滝岩脈


13:59

満水時のバックウォーターより約1.6km下流、満水位よりおおよそ30〜40mも低い位置に沈んでいた、第3岩脈を貫通する巨大な切り通し。そこが現在地だ。(岩脈の地図

湖底に入ってから、スケールの大きな風景の連発で驚愕しっぱなしだが、単にそれが地形というだけでなく、多くが湖底に沈んだ旧道と関わりを持つ存在として現われていることが非常に嬉しい。廃道探索の醍醐味を存分に味わえている。この切り通は最たる例だ。




右図は、昭和22(1947)年の航空写真と、昭和26(1951)年の地形図だ。
前者だと、この切り通しの部分で道が森の色に遮られており、すわ隧道か! という見え方だが、これより1年古い昭和21年の航空写真だと普通に路面が見えているので、当時からここは切り通しであったようだ。しかし鬱蒼と茂る木々に空を隠されるような道でもあったらしい。
現状の岩石荒野然とした風景からは、なかなか想像がつきづらいが…。

この第3岩脈周辺については、もう少し語りたい話があるが、その前に少しだけ先へ進んで景色を変えよう。



切り通しの向こう側は、こういう風景だった。

全体的に湖底らしく土砂の堆積が目立つようになってきていて、路面らしい平らな場所はあまり残っていないが、よく見ると1箇所だけ石垣が残っていた。
その奥は、やはり巨石と巨石の間をすり抜けるような状況。
特に右側の丸っこい巨石は、4階建てくらいの高さがある。
私の印象としては、これも山上から転げ落ちてきた“落石”のような気がする。“落石”という言葉のイメージからはかけ離れた大きさだが…。




すり抜けたばかりの切り通しを振り返って撮影したこの眺めも、シビれた。

槍ヶ岳だ、ミニ槍ヶ岳。

道路によって切り離されたとみられる川側の岩脈片が、槍の鋭さでそそり立っていた。
路面からの高さは10mくらいあるが、ほんと隧道にしても問題のなかった深さの気がする。仮に道幅がもっと狭かったら、隧道が選択されたのではないだろうか。

そしてこの槍の“片割れ”の表情もまた凄かった。
画像の「矢印」の部分は、切り通しの山側壁面だが、チェンジ後の画像がそこを撮している。

完全にオーバーハングと化したロッククライマー垂涎の壁面が、やはり10m以上の高さでそそり立っている。
このような壁面を、いちいち切り通しを作設者が整形したとは思えないから、道路を作るために火薬を使って爆破したら、自然にこの形で割れたとかなのか。
まさか道を作る以前から、この切り通しがあったわけでもあるまいに…。

しかしとにかく、ここに作られて沈んだ道路の規模は、明治や大正時代の荷車道のような、そういうささやかな車道ではない気がする。
がっつり自動車が通る規模の道を想定していたと思うのだ。 ……謎の道だなぁ……。




そこからまた少し進み、また振り返った。
何度でも振り返って確かめたくなるレベルで強烈が風景が続いている。
ここまで来ると、切り通しの全体像が一望できる。川側は湖面に没しており、切り通しを通る以外通過方法はない。

切り通しの道幅の大半は、遙か上部の湖岸線まで続くおおよそ45度に傾斜した崖錐斜面に埋れている状態だ。切り通しの幅が広い。ここまで広い道幅が必要だったのかと思うが、正体が分からないのでなんとも言えない。穴滝付近の道はここまで広くはなかったと思うが…。

そして「矢印」の方を見ると、(チェンジ後の画像)そこにはほとんど水の涸れた滝が落ちていた。水はなくとも落差20mはあろうかという立派な滝だ。滝壺がほぼ路面の高さにある。これもかつては路傍の景勝の一つに数えられていたかも知れないが、記録は見当らない。



同上地点から、今度は湖面を見下ろしている。

気付けば水の少ないダム湖らしいコロラド色の水面が、案外に近い高さに迫っていて、少し焦る。
最初に湖面を【脇に見た】ところから200mくらい進んだが、進めば進むほ水面が近づくのは本日の宿命である。
この水面が私の足元に触るところが、今日の終点と決めてある。

それはもう案外遠くないだろうと、そんな予感をさせられる風景の変化だった。

ところで、この第3岩脈が宇連川と交差する部分には、今日の水位でも完全に水没してしまっているが、かつては“穴滝”同様に名を知られた滝があった。
その名は、蝉滝せみたき



『奥三河1600万年の旅 設楽盆地の自然と人びとの暮らし』より


これは、前回の貯水率0時(昭和60年)に撮影された蝉滝だ。

岩脈によって狭められた峡門より、宇連川の全水量を吐き出す、大迫力の滝の姿が写っている。
湖底に姿を見せたこのときの蝉滝の高さは2mくらいのようだが、水没前はもっと高さがあったようで、当時の貴重な古写真は、vaccou氏のブログ『滝を探して・・・』のこちらのエントリで見ることが出来る。非常に美しい滝であった。

現在では湖底の土砂の堆積がさらに進み、仮に干上がっても滝は見えないそうである。
まあ、本日の水位では、落口からして水の底であるが。

また、この昭和60年の写真にも今いる旧道が写っているが、先ほど潜った切り通しについては、崖錐斜面でほぼ全て埋没しているように見える。
湖底の土砂の堆積は必ずしも進む一方ではないらしく、一度は土砂に埋れた湖底の切り通しが一人でに“復活”するということも、またあるということだ。




天然の堰堤のように宇連川に塞く第3岩脈の壮大な全貌。

いや、あくまでもこれは湖底という環境にあるために地表に露出して見える部分の全貌だ。

本来の岩脈は、数キロという大きなスケールで、周囲の緑の山をも画して存在する。



第3岩脈を後に、4階建てクラスの巨岩の脇をすり抜けて、次なる場面へと歩みを進める。

この先、あまり高くはないが大量の土砂が旧道を埋めるようにせり上がっていて、行く手の視界を遮っている。

これを乗り越えると……




14:03 《現在地》

大岩ゴロゴロ地帯、なおも継続!

手に10個くらい小石を握って、無造作にその辺の地面へ投げ捨てたら、たぶんこんな風に散らばるだろう。

それを小石ではなく、こぶし大の岩でもなく、スイカ大の岩でもなく、タイヤサイズの岩でもなく、
軽トラサイズの岩でさえなく、民家大……いや、下手したらちょっとした集合住宅サイズ大の岩を、
沢山握りしめて転がすような、まさに「でーだらぼっち」級の巨人の所業が、ここに成されていた。

目前に広がる広大な平地を突っ切る道の周囲に、民家大以上の巨岩が点在している。
いわゆる、ロックガーデンというものかとも思うが、過去に同じ景色を見たことはない。
陸上でも、湖底でも、地球外でもだ。



これって本当に凄いな…。

ひときわ大きく分校の校舎くらいもある岩が一つ、今日の湖面に接してある。
それは上が真っ平らで、墜落の衝撃で2つに割れた岩の片割れとしか思えない姿だ。
400mくらい手前から、ずっと遠くに見え続けていた岩なのだが、近づきつつある今、
サイズのインフレが止らない! まだ少しは遠いと思うんだが……。
その辺に沢山見える切り株は、普通に成長したサイズの木だぞ…。

そして、道がモーセしてる…。