磯根崎海岸道路(仮) 第6回

公開日 2010. 8. 3
探索日 2010. 2. 4

君津市の大貫漁港と新舞子海岸の間を結ぶ、磯根海岸沿いの未成道跡。
その攻略作戦はいよいよ最後の局面を迎えている。

残す未踏区間は、染川河口の現在地から東京湾観音直下にある広大な空き地までで、破線で描かれている道の長さは1.7kmほど。
その線形は幾重にも蛇行しており、いかにも自動車の通る道っぽいのである(直線距離はわずか700mで、高低差が100mある)が、既に東京湾観音側からのアプローチには一度失敗している。

懸念されるのは、再びとなる激藪の出現。

それさえ克服出来れば、特に地形的困難は無いと思われるのだが…。


いざ、最終アタック!!



染川河口から、東京湾観音を目指す



2010/2/4 9:34

前回の最後の場面である染川河口の海岸線。

ここで東京湾観音のある大坪山から下ってきたらしき未成道の路盤跡は、海岸線にぶつかって終わっている。
写真はこの行き止まり(海岸線)を背にして、これから向かう進行方向を撮影した。
この後すぐに自転車に跨り、枯れススキ色のよく締まった土道を走り出したが、既に車の轍は見あたらない。
かすかにシングルトラックのような踏み跡はあるけれど…。

最初から不安なスタートだ。




出発まもなくして、左手の大坪山山頂の方向、すなわち目的地の方向を撮影したのがこの写真である。

そこにはなんとなく、つづら折りの道の線が見えるような気がしたのだが、

結局それを逆方向から確かめることはなかった。

地形図の通りだとすれば、この方向の山腹には2往復分のつづら折りがあるはずだ。





足元のシングルトラックはよろよろとして頼りないが、
それを頂く盛土の幅は十分すぎるほど広く、2車線を完備した車道の痕跡と見て間違いない。
左右とも側溝が現存し、草むらに消えない凹みを見せている。

以上の明瞭な道路跡は、正面やや左の海に面して尖った部分で終わっているが、

この荒涼とした未成道末端の風景こそ、今回探索の最大の収穫物であった。





道に面して立つ1枚の色褪せた看板を発見した。
遠目にはススキに埋もれていて見えなかった。

これは見慣れた「保安林案内板」であったが、「魚つき」というのが目新しい。
そして保安林の範囲を示す地図上には、これから辿ろうとしている道が、茶色い実線の示す「道路」としてはっきりと描かれていた。
全体として未成道であっても、とりあえずこの区間については完成したのだろう。
建設中の道は破線で描くのが、この図の通例なのだ。

なお、図の中央の錆が円形に出ている辺りが今回の目的地で、すぐ上に「東京湾観音」の注記がある。
道が「魚つき保安林」の外郭を巡るように設定されているのは、偶然だろうか。



この看板によって、これから向かう道(区間)が、一度は「道路」として開通していたことが(ほぼ)確かめられた。

私はこれに大いに勇気づけられ、足をススキに絡み取られないよう、漕ぎ足にも力を込めたのであった。



海岸線からゆるゆると登ってきた道は、

最初のカーブに差し掛かると、

おもむろに進路を山の方へと向ける。



そしてその先、

さもそれが当然のように、






満面の





9:37

流石に我が目を疑ったが、地形図はこの方向が道と言ってる。

地形的にも、残念ながらこの方向を除いて他はない。

ササを主体にした猛烈な藪は、道と周囲の区別を許さない。

かすかに、本当にかすかに、周りより一段凹んでいる感じもするが、

それは藪が浅いのではなく、路盤として掘り取られたからだと思う。


マジかよ…。


まだ出発して3分だ…、テンション下がる…。





当然のことながら、自転車は放棄。

身軽な状態となり “泳ぎ” はじめるも、

生半可な踏み込みだと弾き出されんばかりの「藪勢」で、思わずたじろぐ。



廃楽園一転、

廃地獄一丁目。




ぷは ぷは ぷはっ


まだ深くなるかよ…。

しかもこの藪、しとどに濡れている。

前夜まで雨だったからな…。

あっという間にウェスチバッグを巻いてる腰回り以外、グッショリになる。
背中はリュックがあるが、汗ですでにヌッショリだ。
ふと額に張り付いたのは、枯葉に混ざった前髪だった。

なんか息苦しい。




オフゥ!


さらに深くなった。

藪の背が高くなり、私の周りは日の届かない怪しい世界に。
とても科学的じゃないけど、 “酸欠” しそう。
そして、光合成を拒否された憐れな植物たちが、なぜか憎らしい。

パーソナルスペースを完全に失った状況は不快で、
さらに視界不良の不安も加わり、
得体の知れない(房総の)植物の威力に、恐怖さえ感じる。

ここでかくれんぼをしたら、永遠に見つからない自信がある。


私は恐怖に負けじと、全身を藻掻くように動かして前を目指す。

この状況ではとうに道を見失っていても不思議じゃないが、
次のカーブを行き過ぎれば海にぶつかるはずなので、
とにかく行けるだけ行くつもりだった。






弾幕突破!!




9:46

9分かかって、前進できた距離は約100m。

時速換算すると、0.67km/h程度。

清水峠以下…つうか、自己ワーストレベル。




でも、とりあえず最悪の藪もこれまでだろう。

足元には、今までのことが嘘のように平静を取り戻した、土の濡れた廃道が。

現在地は標高が15m程度あり、大坪山を覆う森林の末端部だ。

直前の尋常でない笹藪も、森があればあそこまで増長することはなかったに違いない。


乾いたタオルで顔を拭き、仕切り直してこっから頑張る!




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“その気”になったのも束の間で、藪がふたたび路上を占拠。

しかも今度は立槍のような笹藪ではなく、潅木とツタによるバリケーディングが主体の、いわゆる「マント群落」。

都市伝説の「赤マント」は子供たちを怖がらせるが、オブローダーが震え上がるのは、この「マント群落」。
マント群落に挑み、敗れ、斃死してきた歴史こそ、低山オブローディングの歴史そのものといってもいい。


正直、もう引き返したい…・。

ぶっちゃけ、山腹を悠々と蛇行する線形的に、橋やトンネルがある期待は無いんだし…。




わかった。

ヨッキれんよ。

今回は、

妥協を許す。



路上じゃなく、この側溝を歩いていいよ。



いや、ここも言うほどラクじゃないと思うんだが…。

→【この場所のゲキヤブ動画】




仕方なく、側溝に身を潜らせて進む。

だが、10mほど進んだところでこれも限界が来る。

というのも、

馬鹿らしくなってきた のだ。


この道を辿ることが。



だって、この辺りまで来ると路外は既に森なんだけど、そこはご覧の通り、下草が少ない歩きやすそうな森なワケだよ。

(写真は平坦に見えるかも知れないが、斜度30度くらいの山腹を見上げて撮影している)


これはもう、必然的に…




9:52 《現在地》

道さん、さようなら〜。

私は路上を進むことを放棄し、近接する森に進路を求めはじめた。

しかしここが私の未練たらしいオブローダーなところで、完全に道を放棄して東京湾観音(ゴール)を目指すのではなく、あくまでも道に並行して、しかも出来るだけ道を見下ろせる斜面を歩くことにした。
何か遺構があれば、見逃したくないという気持ちからだ。

ぶっちゃけ私が去って、そしてこの現状をレポートすれば、この道の役目は本当に終わってしまう気がする。

だから、完璧には出来ないけれど、もう少し見届けてやらないといけないという使命感があった。

…自己満足だけどな。




藪の海に溺れる道を、見下ろして撮影。

こんな距離感の所をしばらく迂回した。




俯瞰しつつ、それでも見逃しがあることが怖くて、途中何度かは道に下ってみた。

そしてその都度、「帰れ」 と言われた。

今まで色々な廃道を辿ってきたが、車道跡でこれほど藪が深いのはちょっと異常だ。
それも土砂崩れとかで本来の路面が土に埋もれてしまった後ならば分かるが、ここは平穏な路盤のまま藪を育てている。

あまりの藪で、何かの作為と思ってしまうくらいだが、きっとそんな物はないのだろう。
作為ではなく、房総という風土の、自然の成り行きと思われる。

でも、2月だぜこれ。

これだから、房総はこええんだよ…。




側溝はあるが、さらに側溝のパーツが路上に散乱していた。
工事が完全には終わらない状況のまま、形ばかりの開放が行われたのだろうか。

確かにここは道路の跡だが、未成ゆえか全てが無機的で押し黙っているような印象。

見ていても、心に響かない。




側溝以外の遺構を久々に発見!
山手を抑える規格品のコンクリートウォール。

嬉しかったが、嬉しかったけど…

なんかいまひとつ、来ない。





9:58

まもなく、海から350m地点にある堀割。

地形図にその存在を認めていた私は、ひとまずこれを目当てに道へと降り立った。



そしてそこは意外にも




綺麗。





ひとたびそこを出れば、
耐え難きクソ藪だがな。


ふたたび、俯瞰迂回を開始。





まだ350mほどしか来れていない。

この区間はおおよそ1500mある。

イレギュラーだが、今回は逐一のレポートを放棄する。

ぶっちゃけ、読みたくないかどうかを皆さんに問う以前に、ひたすら藪の中を漕ぎ回った記録を文章にすることは、苦痛でしかない。

ここを右に掻いて、次に左側のやや浅いクズを踏んで2m上の灌木帯にしがみつき、それから側溝の中を通って次のカーブまで行って…

などと書き連ねることは、もはや必要ないと思う。

ようはこの区間、



すべて藪の中。




区間内に、

これといった

発見無し。



ちなみに上の写真は【ここ】で、
右の写真は【ここ】だ。

レポは省くが、我慢できる限りは路盤を丁寧に辿ったし、見過ごしはないと信じたい。




10:31 《現在地》

海岸線を出発して1時間が経過しようという頃、私はちょうど1kmの地点にある、2度目の堀割に到達していた。

2月とは思えぬダークグリーンの闊葉樹が、浅い堀割の両脇をびっしりと埋めている。
しかし直前まで路盤を覆っていた藪は消え、またしても堀割の中だけが平穏なのだった。




さきほどは

「これといった発見なし。」

と書いたが、実はひとつだけ発見があった。

それがこの井戸みたいなものだ。

沼地のようになった中央に、直径50cmほどの円筒形のコンクリートの枠があり、中には透き通った水が溜まっている。
深さは30cmくらいしかないから、井戸ではないのだろう。

道はこの左側の一段高いところを通っており、おそらくは同時に施工された集水渠ではないだろうか。
山の斜面から集められた水がこの場所で地下に潜り、道路の反対側に暗渠で逃がされていた可能性が高い。

さすがに、これに萌えるのは難しいが…。




10:40 《現在地》

海岸から1.2kmの地点は、「最後のカーブ」である。

海抜約80mにあるこのカーブからは、東京湾が見晴らせたことだろう。

だが、現在はここも藪が深すぎ、路上に立つことさえ出来ない。

だから私は、この道をさらに見下ろす尾根に登った。
そしてそこから失われた眺めを補完した。

とても東京湾とは思えない絶海の眺めであるが、ちょうど同緯度にある対岸は三浦半島の観音崎なので、なおのこと房総半島の山深さが際立つ。




最後のカーブから、東京湾観音直下の広場までの最後の直線部分(実際には微妙にカーブしているが)も、猛烈な藪に覆われており、踏破は断念した。

あるいは4〜5時間を掛ける覚悟があれば、より忠実に路盤を辿ることも出来るだろうが、この状況ではそれだけのモチベーションを得ることが出来なかった。

とにかくこの区間内の陽の当たる場所は背丈よりも高い竹藪か、身動きの出来ないマント群落のどちらかであり、自然公園内のため刈り払いも許されないから、完全踏破は極めて困難である。




最後くらいは…

そう思って路盤に下って見たが、これも結局ただイタズラに苦痛を味わうだけで、既に完全踏破ではなくなっているだけに、余り充足しなかった。

この道を本当に車が行き来するような場面があったのかどうかは、正直探索中は想像の範囲外だったわけだが、答えは下山の後に明らかとなった。




もう藪の写真は見たくないかなと思って、小さくしてみた。

残念ながら、本当に最後まで万事こんな感じである。

流石の私も、廃道の多くがこんな状況なのだとしたらオブローダーを止めるかも知れないと思うくらいの、困難ばかりが目立つ廃道だった。
東京湾の眺めだけが救い…。




10:55 《現在地》

約100分がかりで、観音像下の広場の一角に辿り着いた。
そしてそれを確認出来た段階で、私は即座に下山を開始した。
もうこれ以上藪を掻き分ける気はなく、帰りは一切道に関知せず、ただ真っ直ぐ山腹を下った。







はっきり言って、地獄だった。
色々成果があってこの藪なら、まあ我慢できるんだけど。
…ちょっとだけ、廃道が嫌になりかけた。
房総の藪は、本当におそろしい。
千葉の廃道恐るべしだ。



精も根も尽き果てた感じで、探索終了。

次回は「最終回」として、

この謎めいた未成道の正体について、少しばかり考察してみよう。