道路レポート 林道鹿曲川線 第3回

公開日 2016.5.16
探索日 2015.4.25
所在地 長野県佐久市

こんな日があってもいいと前から思ってた。


クーマー?!


じゃなくて、カモシカちゃんでした!


でも、実際かなりビビった。

ゴワゴワとしたいかにも野生動物らしい毛並みと、その黒さ、そして体格の大きさは、後ろ姿だけなら十分にクマっぽかったし、
こちらがその存在に気付いたのが、だいぶ近付いてしまってからだったので、本当にクマだったらどうしようかと思った。



2015/4/25 6:43 《現在地》

ヒヤッとしたカモシカ遭遇地点から少し進むと、「右つづら折りあり」の注意標識を合図に、久々の九十九折りが見えてきた。
標高1350mの地点である。

それにしてもこの林道、やはり、単なる林道とは一線を画している。
序盤こそ、鋪装したただの林道に見えたが、山奥へ進むにつれて道幅が広くなって、ガードレールや道路標識も良く整備されるようになった。
さすがは、元有料観光道路と言うべきだろう。




そしてそんな規模の大きな道の、この有り様  廃道

 大好物ですぞッ!

うんうん。これはいいものだ。なんだか、心が洗われるようだよ。

最近は、こういう私の廃道趣味の原点に通じる、自転車(MTB)で走っていてストレスを感じない、むしろそれが最高!な廃道との出会いが、あまりなかったと思う。
自転車に乗ったままでは到底進めない荒れ果てた廃道など珍しくない。こういう、走って楽しめる廃道こそ貴重だということを、東北を離れて時間が経った今は良く理解している。



ところで、九十九折りの最少構成っていうのは、カーブ2個なんだろうか?
1個だと、それはただの切り返しのカーブでしか無い。しかし、ここのように2個あれば、直接上ると急すぎる高低差を、水平方向の距離に引き延ばすことで、より緩やかな勾配で登るという、九十九折りの目的に適った道路は成立する。
だが、つづら折りは漢字で九十九折りと書くくらいだから、カーブ2つはいかにも少なすぎる気がするのである。ちなみに葛篭折りとも書くようであるが、これらの語源は、ツヅラフジというツル植物がグネグネと育った様子と関わりがあるらしい。

正直、カーブ2つや3つ程度からなる九十九折りを表す別の適当な用語があれば、それを使っていきたいと常々思いつつも、未だ自分の中で解決出来ていない問題である。より汎用的な蛇行という表現もあるが、これはちょっとニュアンスが違うと思う。皆さんは、どう呼んでます?




…と、話が脱線してしまった、道の続きに戻ろう。
封鎖ゲートの地点から、そろそろ700mほど進んで来て、私には分かった事があった。

確かに、この道は大型のバスも通行する観光有料道路だっただけあって、道幅は広めに取られているし、鋪装もされている。
特に嶽入橋以降は、道の規模が明らかに大きくなったと感じる。
センターラインこそ敷かれていないが、2車線程度の幅を持つ場所が多い。

だが、立派なのは道幅と鋪装と、道路標識と、せいぜいガードレールくらいまでで、道路そのものの安全性や耐久性を司る根本の部分は、お粗末である。
例えば右の写真は法面を崩壊から守るコンクリート擁壁の一部だが、説明するまでもなくヤバい状況になっている。こういう場所が無数にある。
上の写真ももう一度見てもらいたい。高く垂直の法面が、コンクリートで固められるどころか、落石防止ネットさえ使われず、そのままである。道理で、路上が常に賑やかなわけだ。

これらの部分は、いかにも“林道程度”であって、今日“酷道”などと揶揄されている道の大半でさえも、ここまで悪くない。



そもそも、一度は「立派だ」と評した鋪装ですら、本当の本当は、全く良くない。

こんな路肩の何気ない場面のちょっとした綻びからも、いかに薄っぺらな鋪装であるかがよく分かる。
この鋪装の厚さは簡易舗装というものであり、確かに鋪装の一種ではあるが、完全な舗装道路とは呼べない代物である。
我々が舗装道路だと思っているものの何割かは、このような簡易舗装であるから、その弱さは災害時などにすぐ露呈する。




佐久市の案内を見る限り、この林道が封鎖されてから探索までに経過した時間は5年半ほどである。
その程度の時間で、これだけ路面が荒れたことに驚きを感じる。
山が悪い面もあるだろうが、道の守りがへろへろだったのは間違いない。
とにかく全体的に、道幅の立派さと、それを支える屋台骨のお粗末さのギャップが目に付く。

有料観光道路という煌びやかな化粧の下には、しわくちゃの老婆の苦闘に歪んだ顔が隠されていた。
そんなイメージを持つのだ。
老婆萌え!



それでは、この“虚飾”を有する道は悪なのだろうか。失敗作なのだろうか。
簡単には判断出来ないことだと思う。

道という社会の道具は、需要の上に成り立つものだ。となれば、全ての道に完全な堅牢性を要求することが正義ではないだろう。
道具であるならば、適材適所こそ、最大多数の最大幸福に繋がると考えられる。もっとも、その判断(すなわち未来予測)が極めて難しいのは、言うまでもないのだが。

かつてこの道には、仙境都市や大河原峠に至る観光道路として、それなりに華々しく活躍した時代があったのだろう。
しかし、それから数十年の月日が流れ、蓼科スカイラインという並行路線の開通や、その他にもきっと理由があって、この道は有料道路としての需要を失った。
その時残されたのが、使い古されてボロボロになった、もうこれ以上は頑張れないような道だったとして、どんな言葉を掛けてやるのが相応しいのか…。

…あ! 遂に雪が!“初雪”が!



標高1350m付近の道端に、ポツンと一塊だけ現れた、小さな残雪の山。ジュクジュクした、不安の種…。
茶色だらけの風景の中にあって、その白はいかにも場違いであり、間違いで出現したバグのような印象さえ受けた。本当に間違いであってくれたらいいのに!

…でも、間違いはあり得ないんだよなぁ。
出発直後に図らずも見てしまった、標高2000m超の目的地、大河原峠の白さは、脳裏に焼き付いて離れない。
願わくは、せめて仙境都市までは! 何卒! 何卒、残雪に苦しめられることのありませんように!!
読者的に何を期待されているか知らないが、個人的に探索中の残雪ほど萎えるものはない。激籔より萎える。

これまで意識して見てこなかったが、ここで標識柱に「北佐久治山林道協会」のシールが貼られているのを見つけた。
また、以後この林道で目にしたほぼ全ての標識柱に、同じ表示があった。
北佐久治山林道協会の名前は、以前探索した妙義荒船スーパー林道の旧有料区間内にある標識柱にも見た覚えがある。



前方に、なにかがある。

“なにか”はまだ見えないが、これは、

道路の“ある景色”から、その次の景色を当てるというゲームを無数にしてきた私の経験から来る予知能的なもので、

今回に関して言えば、道の前方に大きな障害物が立ちはだかったているから、道はそれを克服するために何かするだろうという予感だ。

もっと端的に言えば、 隧道 の予感。




が、今回はハズレ。

厳密にはハズレていないが、隧道ではなかった。

ここで道がした“何か”は、トンネル掘りではなく、気円斬でぶった切ったように鋭利な切り通しであった。



7:00 《現在地》

これは惚れる。
とても良い切り通しだ。

道幅がもう少し狭かったとしたら、普通に隧道になったんじゃないかと思える深さがある。普通に峠のピークを張れるような存在感を持っているが、ここでは単に谷間の尾根を一つ越えるためだけに存在している。贅沢だ。
前後のカーブや勾配の有り様も、切り通しに意識のスポットライトを当てる理想的な形に見える。これは道が美しく見える、何かの黄金律を隠し持っていそうだ。




そしてこの入口には、これまでの区間では見られなかった「警笛鳴らせ」の色褪せた標識が、力尽きて倒れていた。

深い山峡に木霊する軽快なクラクション達の合唱を想像すると、私は戯けたような春の気分になった。
もちろん、それだけじゃない色んな表情があったと思う。季節毎、天気毎、この切り通しと1枚の標識だけでも、そこに結ばれる想像はとても多彩だ。
そしていずれにしても、この道の活躍した風景を想うのは、私にとってとても楽しいことだった。



ワクワクする。

この見通しの悪すぎるカーブの先には、どんな景色が待っているのか。

貴方にも伝わるだろうか? この胸の高鳴りが。



………これはもう、なんといいますか、

私というオブローダーにとっての、楽園のような展開になってきている。

こんなに探索の条件に恵まれた良廃道を、私は今まで見逃していたとは。

(いや、むしろちょうど良い熟成期間を寝かせていた幸運に感謝すべきかも。)


実は今日は廃道の女神が謀った、私へのご褒美の日だったのかもしれない。前から、偶にはこんな日があっていいと思ってた。



仙境都市まで あとkm