道路レポート 林道鹿曲川線 第4回

公開日 2016.5.18
探索日 2015.4.25
所在地 長野県佐久市

2度目の封鎖


7:11 《現在地》

大きな切り通しの地点から500mほど進むと、広場になっている場所があった。
そしてその一角に、裏返しになった工事看板が2枚、ゴミのように放置されていた。
こういうものを見付けると、無性にひっくり返して、書かれた内容を確認したくならないだろうか。私はとてもなる。

(倒れた看板の下には、ゲジゲジ、ムカデ、ダンゴムシのような不快害虫だけでなく、マムシのような危険生物が潜んでいる場合もあるので、一応は要注意な行為である)




2枚の看板には、それぞれこう書かれていた。

  • 迂回場所につき 駐停車禁止
  • ゲートは4時に閉まります

そしてさらに――



看板広場の30mほど先で、“路上封鎖”が行われていた。

現在はここから2kmほどの手前の嶽入橋近くにあった通行管理ゲートで封鎖されているが、その前段階は、ここで封鎖していたのだろう。
ゲートからここまでの区間も夜間は通行止めで、それが「ゲートは4時に閉まります」という看板に繋がったものと思われる。もう1枚の看板も車両転回場所を示すものだと思う。

この辺りは(ややマイナーだが)景勝地として地図にも記載されている春日渓谷である。観光推進の立場から、出来るだけ通行止め区間を少なくしたいという地元サイドの思惑があって、このような苦し紛れの運用を末期に行っていたのではないかと想像する。

いずれにせよ、ここに来て“2度目の物理的封鎖”が出現したことは、今後の道路状況に対する重大な不安要素である。
しかも、今度の封鎖は日常的に開け閉めが難しい“重し”による封鎖だ。この先は、これまでの区間以上の長期間封鎖により、さらに荒れている可能性が高いのではないか。


どうだ?

変わったか?

2度目の封鎖を突破して、道の荒れ方は、変化しただろうか?

さすがに、そうすぐには分からない。

それよりも気掛かりなのは、残雪の方だ。
いちいち全てを写真に収めていたわけではないが、最初にそれが現れた標高1350m付近以降、それは日陰を中心にポツポツと現れ続けている。
そして今、標高1450mを越えて、出現の頻度は着実に増えているし、一つ一つの塊もどんどん大きくなっている。
残雪の量は標高だけでなく地形によっても大きく左右されるから、先の展開は読めないし、仮に読めたところで、今さら何も出来ることは無い。受け入れるだけだ。




そういえば、この道に最初からずっと“伴走者”がいることをお気付きだろうか。
それは電信柱だ。もちろん電線もセットである。
集落を外れてから、ずっと一緒にいるなぁという認識はあったのだが、結局どこへいくものかを見定める前に、こいつは姿を消してしまった。
今はまだいるのだけど、間もなく見えなくなる。
これは仙境都市へ向かっていたのか、大河原峠の山小屋へ向かっていたのか。
いずれにせよ、この電線が現役のものであるならば、偶に電力会社の作業員が、この道を歩いて点検しているのだろう。自動車が通れなくなって、仕事が大変になったと、嘆いていそうだ。

また、ここに来て鹿曲川の対岸に注目すべき風景があった。




落葉のカラマツ林を透かして見えたのは、ここより高い対岸の斜面を牛耕法的に行き来する、白いガードレールの帯だった。
そこには、川に沿って山奥へ進むことに専念してきたこれまでには見られなかった、より積極的に上へ登ろうとする、山岳との直接対決の雰囲気が感じられた。

単純な距離から言えば、あの大きな切り通し辺りで林道鹿曲川線の中間地点を越えていて、既に後半戦に突入して久しいのであるが、道と川との位置関係、水平移動と上下移動の主従といった道の有り様で二分するなら、今見えている辺りが後半戦の始まりの部分といえる。
どんな道なのか、今から楽しみだ。




橋だ。 久々に橋が見えてきた。しかも、結構大きな橋っぽい。

対岸に道が行っているのを目視した直後なので、橋の出現自体に驚きは無かったが、橋の右に聳える岩山の高さには目を瞠った。
久々にすぐ近くで聞く渓声が、この峡谷の登竜門染みた前方岩場に反響してとどろき、探索中片時も忘れなかった“仙境”というキーワードを、一層深く印象づけるものがあった。

ただし、ここには油断ならない“落とし穴”があるので、要注意。
地下水脈が悪さをしているのか、道路の中央に唐突な陥没があり、岩場が格好いいからと上ばかり見ていると危険である。



7:35 《現在地》

本当に久々という実感のある、2.8kmぶり(所用時間は67分)、3度目となる鹿曲川本流渡河の橋である。
過去2回の橋は、いずれも昭和30年代前半生まれの古色蒼然としたコンクリート桁橋であったが、今度は鋼鉄の桁が見えており、明らかに時代が進んでいる感じである。
早速、銘板で橋名や竣工年をチェックしようとしたが、残念ながら本橋には親柱が2本しか無く、銘板も2枚だけ。
しかも、一番欲しい竣工年を書いた銘板はない。

分かったことは、この川が「鹿曲川」であること(いまさら…)と、橋名の読み(拡大画像
おおさわらはし」??
これは漢字でどう書くんだろう? 頂上にある峠の名前が大河原(おおがわら)峠だが、それとも微妙に違う。悩ましい。

そもそも、親柱が2本しかないことには、理由があるはずだ。




橋上を観察すると、実はこの橋がフランケンシュタインだった事が判明した。
橋の幅の下流側1.5mほど、側面から鋼鉄の桁が見えた部分は、明らかに後補の添加橋である。継ぎ目が見えるだろう。
これを除いた上流側約5m程度の幅が、林道鹿曲川線誕生当初の橋梁と考えられる。(こっちはコンクリート桁)

おそらく、有料観光林道として再出発するにあわせて拡幅整備されたのだ。
また、橋の前後が直角のカーブになっているので、単に全体の幅を拡げるだけでなく、カーブの内角部分を拡幅し、観光バスなど大型車の通行に配慮したとも考えられる。

しかしその代償として、当初の親柱のうち2本が、銘板と共に永遠に失われてしまった。




渡り終えると、待ってましたと言いたげに待っていた、いつものアイツ。

数字も前回からまた「1」減って、「4K」に。

着実に数字は減り続けているが、“都市”がありそうな気配は、まだない。


なお、標高1500mの現在地は、仙境都市が広がっている尾根の直下にあたる。
標高1800mよりも上にある都市まで、直線距離なら700mと離れていない。
それを道は4kmもかけて登っていくのだから、ここから先は本物の山岳道路である。

現に今も見上げた険しい斜面の上に、このあと踏むべき道の一部が見えている。

後半戦は、この景色から始まった!






寄り道: 峡谷の一軒家


道の先が気になって仕方ない! 楽しくて堪らない!!

そんな状況ではあったが、背後のこれを無視して立ち去るのは、忍びなかった。
振り返ると、「おおさわらはし」を見下ろす一段高い所に、一目で廃屋と分かる建物があった。
窓が大きな山小屋風の2階建て木造建築で、麓の集落から約6km、仙境都市から4kmを隔てた、孤立の一軒家である。

この廃屋を前景にして眺める、対岸にそそり立つ千尋の大岩は、非常に絵になる風景だった。
ちゃんとしたカメラマン連れて来たい!峡谷の音響も良いんだなこれが!



普段だったら路傍の廃屋までは探索しないのだが、どうにも惹かれるものがあったので、ちょっとお邪魔してみる。
裸電球がぶら下がる玄関から、失礼します。

玄関前脇の野外に置かれていた、いかにも古い洗濯機。孤立した立地ではあるが、ちゃんと電気は来ていたようだ。多分、仙境都市のお陰だろう。

玄関を潜るとまずは土間。右が玄関、奥は勝手口。左にあるのは、もはや一般家庭では絶滅していそうな調理窯。右奥に小さなガスボンベが見える。

土間から居室を望む。
家屋のことは専門外だが、この土間とシームレスになった作りは、客が寝泊まりすることを目的とした建物っぽい感じだ。やはり、本来は山小屋として営業していた建物ではないだろうか。

寝室から天井を見ると、一部が二階に吹き抜けている。外見からも二階建てなのは分かっていたが、どこから登るんだ?

二階に上る階段を見つけたが、建物の傷み方が限界に近付いているようで、さすがに登るのは自重した。



最後は、ここでの一番のお気に入りの眺めを。

廃屋と廃道のセットは、同じ境遇を共に闘った盟友同士であるだけに、やはりしっくりとくる。
廃道側から廃屋を眺める事が多いが、逆に廃屋の窓を額縁に眺める廃道も良いものだと思った。

この豆電球の一室から、未舗装時代の林道を砂埃に包まれて走るボンネットタイプの登山バスを、
眺めている自分の姿を幻視した。明日は大河原峠に登るのだなどと思いながらぼんやりとする空想は、幸せそうだった。

(念のため書くが、この妄想は執筆時に作ったのでは無く、現地で考えたとおりである。
廃道にいるときのヨッキれんは、空想まで糧にして人の倍は楽しもうとする、妄想家だ。)



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訪れた、変化


7:41 《現在地》

再び額縁の外の世界へ戻って来た。こちらが現実の世界である。

そして、この道を上り詰めた先には、もっともっと大きな幻想が待っていそうな気配がある。

再出発だ。



ずっと川の上流に向かって進んで来たが、今は一時的に逆方向へ向かっている。
いま前に見ているのは、先ほどまで登ってきた谷の俯瞰である。一筋のガードレールも見えている。

既に出発から2時間半を経過し、標高もうなぎ登りである。私も道も頑張ってる。
人里の気配は遙か下界に遠ざかり、周りは信州の深い山気に充ちている。




橋を出発して300mほどで、再び進路を反転させる切り返しの大きなカーブが見えてきた。
ここは急峻な枝谷の内部で、路上に大量の流木や流石(というのか?)が散らばっている。
今の枝谷に水は流れていないが、その怖ろしい豹変ぶりが予感される。
路肩もかなり洗掘されている。
カーブの突き当たる先に見えている灰色の壁は、枝谷を塞ぐ治山ダムである。




激しい出水の傷跡を濃厚に留める、カーブ突端部の完全に破壊されてしまった鋪装。
薄氷のような簡易鋪装では、僅か数年でも立地次第でこうなってしまうという例だ。
鋪装の上を水が流れただけなのに、ここまで壊される。




切り返して、再び上流方向に機首を向ける。
ここではもう完全に川の気配は失せている。
急峻な山腹を削って造られた、険しい山登りの道である。
勾配もだいぶ厳しくなっていて、本来ならば道幅を広く使って自転車を蛇行させながら進みたいのだが、路上の障害物の多さから、それが出来ない。
ひとことで言えば、つらい登りだ。

そして、ここの崩壊は道幅の半分を埋めており、やや規模が大きい。
これまでこの道で見た崩壊の中では、これが一番大きな崩れであると思う。
むしろ、これまでも小さな崩壊が数え切れないほどあったのに、道幅の半分を埋める程度の崩壊がなかったのは意外な感じがしたが。




道幅が少し狭くなったと思う。
ここしばらくは2車線程度の道幅を維持していたのに、遂にまた1.5車線に逆戻りだ。
理由は単純で、地形的に大規模な改築が難しかったのだろう。
ただの鋪装された林道といった雰囲気になった。

…っと、違う。

鋪装された“廃”道だった。

そしてこの次のカーブを回ったところでは、思ったよりも少しだけ早く、

もう馴染みとなった、“緑のアイツ”の姿が見えたのだが……



ああっ、沢山の雪が見える……。

そして、カーブミラーの中に見えているのは、今度こそ隧道だ。

これらのものと一緒に現れた、いつもの看板の存在感! あと3Kだそうだ。


が!




“都市”は遠い!



仙境都市まで あとkm